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竜の世話係  作者: 安井優


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第十四話 ヴィティ、竜を知る

 吹雪は嘘のようにおさまり、雲間から太陽がのぞく。久しぶりの日差しを反射させてキラキラと何色にも輝いているのは、雪だけではなかった。

 とてつもなく大きな白い()()を覆う(うろこ)。フィグ様と揃いの透き通ったブルーの瞳。爬虫類のような狡猾(こうかつ)さは健在だが、今はそれすらも理知的で格好よく見える。

「……フィグ様、なのですか」

 私が決死の思いで、その何かに語り掛けると、

『それ以外に何がある』

 と頭の中に声がする。いつもにまして、どこか堅牢な声色だが、フィグ様のものに間違いない。見た目は、まったくかけ離れてしまったけれど。

(これが、フィグ様の、本当のお姿……)


 雪のように真っ白な体は美しくしなやかに、空へと伸びあがっている。たたんでいる翼でさえ、その長さは見て取れた。見上げた首がもげそうなほど高い。なんなら、ずっと見ていたら遠近感が狂ってしまいそうだ。五フィル……いや、十フィルはあるだろうか。地上よりも、空の方が近いように思えるほど、とにかくフィグ様の本当の姿は巨大だった。


「これが……竜……」

 確かに、まごうことなき、神様だ。

 この国を守っているということも、疑いようの余地がない。体に対して小さな前足でさえ、私の顔を握りつぶしてしまうほどはあり、その爪も鋭い。足はズシリと地につけられていて、人の力ではびくともしなさそうだ。

 誰が、この竜という生き物に勝てるなどと思うのだろう。吹雪でさえも、まるで赤子をあやすようにおさめてしまう、この生き物を。


『怖いか』

 直後、その顔をズイと近づけられ、私は思わず身を後方へと逸らした。瞳の大きさだけで私の顔ほどにもあるのが迫ってくるのだから仕方がない。理性よりも先に、人間の防衛本能が働いた結果である。

『む』

「……すみません、つい」

 本当に、食べられてしまいそう。フィグ様だと分かっていても、慣れるのには時間がかかる。最初からこの姿で遭遇していれば、また少し違ったのかもしれないが、あいにくとこちらは、あのぐうたらな人間の姿に慣れてきてしまっているのだ。ギャップどころの騒ぎではない。

『慣れろ』

「そんな無茶な」

『……人間の姿の方が、良いのか』

 フィグ様は、不機嫌そうな(不思議なことに、竜の表情の変化など見るのは初めてだが、確かにそう見える)顔をこちらに向けた。まったく顔の造形は違うのに、その表情は、玄関扉の前で緊張していたフィグ様の顔を思い出させる。

(もしかして、この姿を見られるのが、フィグ様も怖かったのかしら)

 誰だって、本当の自分をさらけ出すのは怖いもの。それは、神様とて同じだというのだろうか。

『べ、べべ別にワタシは!』

「取り(つくろ)い方は、同じなんですね」

 威厳ある姿から、いつものフィグ様の口調が聞こえるのは、なんだかおかしかった。やっぱり、フィグ様だ。


 私は、ゆっくりと足を一歩前へと踏み出す。

 確かに、フィグ様の姿は怖い。というよりも、自分より大きいものには、誰だって無条件に恐怖を覚える。

 だが、見方を変えれば、それが何なのかを知ってさえいれば、安心もできるだろう。少なくとも、フィグ様は、嘘か本当かは別として、この国の神様である。この立派な体で、大きな翼で、国を守護してくれていると思えば、これほどまでに信頼できるものもない。強そうだし、かっこいい。何より、雪のように白く、透き通るようなフィグ様の姿はこの世界の何よりも綺麗だと思えた。あの作り物のように整った、人の姿よりも。

「……慣れれば、こちらの姿の方が、好きかもしれません」

 何も、フィグ様をおだてるつもりで言ったわけではない。そもそも、そういったお世辞は苦手だ。嘘をつくことだって。


 私は、震える手を伸ばす。触れれば、もっと、理解できる。フィグ様だと、感じられるはずだ。

 そっと顔をもたげたフィグ様の鼻先に触れれば、青い瞳がカッと大きく見開かれた。ひんやりとしたフィグ様の体温に、私は思わず笑みを浮かべてしまう。

 ほら、やっぱりフィグ様じゃない。いつもの冷たさが嬉しい。そんな不思議な心地で。

「神様なのに、触れられるんですね」

 鼻先から、そっと目元のあたりへと指をなぞれば、ザラリとしていた皮膚が、ツルリとした滑らかな質感に変わる。皮膚の凹凸(おうとつ)は規則正しい六角形で、宝石をちりばめたようでもあった。それは胴体へ向かって、次第に鱗へと変化するが、鱗もまるで花びらのよう。

 何もかもが美しく整えられている。普段、フィグ様が着飾らないのは、着飾る必要などないほどに真の姿が綺麗だったからなのか、と私も納得せざるを得ない。

 結局のところ、この真の姿の延長に、彼の人間としての姿があり、根本にあるこの竜としての生き方が、彼の人としての価値観に深くかかわっているのだろう。

 私にとってのフィグ様は、どのような姿でも、フィグ様なのだ。横暴で、粗野で、冷酷無慈悲。他人を(おとし)めて笑うような極悪非道な神様だけど、不器用で、ほんの少しだけ、可愛いところのある主。


『怖くは、ないのか』

「正直に言えば、少し。でも、それはフィグ様が人間の姿でも同じですもの。ちょっとしたことですぐ怒るし、文句も多いし……」

 私がケラケラと笑っても、飛んでくる罵声はない。代わりに、キュィルルル……と美しい音が聞こえた。あの、扉の奥で聞こえていた旋律は、フィグ様から発せられたものだったらしい。

 竜語、かしら。いつか、理解してみたいものだ。真似は出来ないだろうけど。

『必要ない』

「竜は、心の声を読みますものね」

『人間がワタシの言葉を話すなど、千年は早い』

 頭に響くお小言が、いつもより楽しそうに聞こえるのは気のせいだろうか。やはり、竜の姿の方が、フィグ様にとっては快適なのかもしれない。


 広いだけで無駄だと思っていた庭も、竜の姿では、決して十分な広さとは思えなかった。庭掃除ももっと頑張らなくてはいけない。この美しい姿を見るためなら、もう少し頑張ってもいいと思える。それほどまでに、竜の姿は素晴らしかった。

『美的センスはあるようだな』

「最近は、目が肥えたと思ってたんですけどね」

 毎日、人形のようなフィグ様の顔や竜騎士様の顔を見ていたのだから、並大抵のものには驚かない自信だってあったけれど。残念ながら、竜の姿はそれをも簡単に凌駕(りょうが)してしまった。


『……ふん。悪くない』

 ズシンと雪に覆われた大地が揺れ、私が何事かと見回せば、フィグ様の尻尾がパタパタ……もとい、ドシドシと揺れていた。

「フィグ様、庭が陥没します」

 尻尾をばたつかせるのは、どういう意味があるのか知らないけれど……少なくとも、悪くないということなので、人間の言葉でいうところの、良い気分といったところか。

『また埋めればいいだろう』

 誰が、と聞くのは恐ろしくて聞けなかった。思わずむっと顔をしかめると、愉快そうにフィグ様がクルル、と鳴く。

 庭掃除を頑張ると決めたからか、完全にからかわれている。庭や屋敷がめちゃくちゃにされる前に、ここを離れたほうがよさそうだ。

「フィグ様、お買い物に行きましょう」

『……今のワタシは機嫌がいい。貴様に、好きな物を買ってやらんでもない』

「光栄です、フィグ様。それでは、食料を。それから、ろうそくと石鹸。新しいカトラリーや、香油も」

『多い』

「フィグ様の物ですよ。カトラリーも磨きましたが、結局ナイフは少しかけていましたし」

『が……うも……て……る』

「へ?」

 頭に響いているのに、なぜ途切れ途切れなのだろうか。私がキョトンと首をかしげると、今度は脳が破裂してしまうんじゃないかと思うほどの大声が響いた。

外套(がいとう)も買ってやる!』


 初めて、フィグ様の「竜」の姿を見たヴィティの反応に、フィグ様もまんざらでもなさそうですね。

 これでようやく、お買い物に行くことも出来そうです。

 そして訪れる、次なるヴィティへの試練とは!?


 次回「ヴィティ、空を飛ぶ」


 何卒よろしくお願いいたします♪♪



※作中単語、五「フィル」は約五「メートル」のこと。

 ヴィティたちが住んでいる国、ヘルベチカの長さの単位です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 14/14 ・距離を詰める感覚、慎重に、本能に抗う、  この感じ、何でしょう。滾る、それとも尊い? [気になる点] 最後、クラクラしそう [一言] 読者へは「吊り橋効果」、ハラハラします…
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