第十二話 ヴィティ、交渉する
まさか、ここでも餓死するというのか。
私は、ガランとした食糧庫を見つめて、呆然と立ち尽くした。
もう春真っ盛りだというのに止む気配のない大雪は、屋敷の外を一面の白に染め上げる。
ここ数日続いているこの吹雪で、通いの竜騎士様であるマリーチさんは、当然この屋敷に近づくことが出来なくなっていた。つまり、食料を届けてくれる人が来なくなり……底をつきかけていた食料が、ついに底をついたのである。
私は、やっぱり竜神様のところへ行こうと覚悟を決めた。今まで見ないふりをしてきたが、もう限界だ。
こんな時ばかり、神様を頼るなんて間違っている。それは重々承知している。都合よく救いの手を差し伸べてくれる神様なんていない。それも、わかっている。
だが、主が神なのだから、利用、もとい、お願いする余地はある。幸いにも人語を話すし、私の願いもそこそこ聞いてはくれる。一蹴される可能性もあるが、最近、なぜだか竜神様は機嫌が良い。竜神様お願いチャンス、略してリュウチャンだ。
思えば、マリーチさんと私がほんの少し仲良くなった翌日から吹雪き始め、彼が屋敷に来なくなってから、竜神様の機嫌が良くなった。
……もしかして、マリーチさんと竜神様の間には並々ならぬ確執があるのだろうか。今までの様子からは、とてもそうは思えなかったけれど。
「……というわけでして、竜神様。なんとか、この吹雪を止めることは出来ませんか」
私がおずおずと切り出せば、竜神様はニタニタと笑みを浮かべた。いつもの劣悪な笑みだ。やっぱり、頼むだけ無駄だった。神とは、無慈悲であるからこそ、神なのだ。大変憎たらしいことに、そのあたりは、私が想像する神に忠実で期待を裏切らない。
というか、何とかしなくては、竜神様も空腹に倒れてしまうはずなのだが、なぜ、そんなに余裕の面持ちなのか。まさか、食事に困ったことがないせいで、食事を抜くと人は死ぬ、なんて当たり前のことすら知らないというのか。
『竜の姿なら、ワタシは外で食料調達が出来るからな』
「さすがに、神様でも、霞じゃお腹いっぱいにはならないんですね」
私の嫌味に、竜神様は不思議そうな顔をする。しかし、すぐに興味を失ったらしい。すでに外れた人の道を、さらに外した極悪面でこちらを見つめる。
『だが、そうだな……どうしても、と言うのであれば考えてやろう』
私は「やっぱりいいです」と咄嗟に身をひるがえした。このままでは食われる。確実に、今日の夕食はヴィティの姿焼きになる。
だが、やはりというべきか、竜神様からそう簡単に逃げられるはずもない。腕をつかまれたかと思うと、そのまま後ろへと体を引かれ、私の体はまるごと彼の腕の中に閉じ込められた。寒いのなら、人肌ではなく、暖炉で暖を取ってほしい。後、悪くない匂いとやらも、ワインか何かで代用してくれとも思う。まぁ、ワインボトルももう全て開けてしまって、吹雪が止むまで、新しいものは手に入らないけれど。
「竜神様、離していただけませんか」
『吹雪を止めてほしいのだろう』
「欲を言えばそうですが、止められないとおっしゃるのであれば、吹雪の中でも買い物へ行かなければいけませんので」
帰らないかもしれないですけど、と付け加えると、竜神様はぎゅっと腕の力を強めた。尋常ならざる腕力だから、手加減してもらわねば骨が折れる。肋骨がミシミシと軋んでいる気がする。冗談ではなく、本当に命の危機だ。餓死か、圧死か。どちらもできればご遠慮願いたい。
『そのまま出ていけば、凍死だな』
「ウワァ、ステキデスネ」
『訛りがひどくて、意味がわからん』
「わざとですよ。私からすれば、竜神様のお言葉が訛ってるんです」
村では、ヴォヌール語が主だった。それに対して、竜神様が使う言語はグルゲン語。構文に差はないが、語彙や発音が微妙に異なる。
彼がグルゲン語しか分からないと気づいてからは、こうして嫌味を言う時だけはわざと、ヴォヌール語を使うようにしているのだ。
貧しい村でろくに教育も受けていない私でさえ、この国の公用語は全て使い分けられるというのに、この神様は。
『うるさい』
「喋ってません」
『貴様は、頭の中でベラベラと口が立つ』
「お褒めいただき光栄です」
『褒めてない』
「すみません、グルゲン語に詳しくなくて」
『わざとだろう』
口調は荒いが、不機嫌さは感じない。腕の中に閉じ込められながら他愛もない口喧嘩をすることに慣れてしまっている自分が恐ろしい、と私はため息を吐き出した。話を戻さなければ、このまま脱線し続ける。
「……それで、どうすれば吹雪を止めていただけるのでしょう」
窓の外へと視線を動かすと同時、頭にずしりと重量を感じる。竜神様の顎置きにされているらしい。
『ワタシのことを、名前で呼べ』
「は?」
『だから、名で呼べと言っているのだ』
私は思わず、なぜ、と首をかしげた。確かに、名前を付けろと言われ、あれほどまで頭を悩ませたのだから、使わないのはもったいない気がする。呼んだからといって減るものでもなし、呼ばない理由もないのだが、だからといって名前で呼ぶ理由もない。
『貴様が名付けたのだろう!』
「半ば強引に名付けさせた、の間違いではありませんか」
『なぜ嫌がる』
嫌、というよりも、恥ずかしい。少なくとも、ネーミングセンスの無さは自覚している。それを、この竜神様は悪趣味にも、名前を考えさせ、挙句、名付けさせたのだ。バカにするためじゃなかろうか、とさえ思える。
『そんなつもりはない』
「ですが」
私が知る限り、それ以外の理由が見つからない。今まで散々バカにされてきた記憶が私の脳内を駆け巡る。痛い目にあうことは分かっているのに、なぜ自らそこへ飛び込まねばならないのだ、と大きく頭を振った。
『何を渋っている』
「竜神様は、名前を気に入ってくださったとでも言うんですか」
それこそ、天と地がひっくり返っても……。
『だ、だったらなんだ!』
ありえない、と頭の中で呟く前に、強引に割って入られて、私は思わず目を丸くした。反射的に彼の腕の中で体をひねり、竜神様を見上げれば、彼は見たこともないほど顔を真っ赤にしている。素早く顔をそむけられたが、耳まで真っ赤では意味がない。
「……ほんと、ですか」
絶対、バカにされるのだと思っていた。それなのに。
『何度も言わせるな! 吹雪を止めたいのだろう⁉』
こんな悪態をついても、もう遅い。
窓の外に吹き荒れる真白の雪と、彼の艶やかな銀髪を見比べて、私は数度まばたきを繰り返す。
聞き返せばまた怒鳴られるのだろうが、それもおそらく照れ隠しだ。そんな風に思えるほど、私のささくれだった心は、奇妙に変化した。
不器用な主は、不器用すぎるがゆえに、癇癪を起すと天災を呼んでしまうらしい。それを、可愛いとか、愛おしいだなんて表現するのは変だけど……初めて認められたような、このほんのりと嬉しい気持ちを、どう言葉にすれば良いのか私は知らない。むずがゆくて、素直には喜べないけれど、やっぱり嬉しい気がするのだ。全く自信のなかった名付けを、あの暴君が認めたという事実が。
『……早くしろ!』
私のダダ漏れな心の声にしびれを切らした竜神様が、耐えられないと大声を上げる。まだ、その耳は真っ赤だ。
「分かりました。では、交渉成立です。絶対に、吹雪を止めてください。そして、もしよければ、一緒に買い物に行きましょう」
少しだけ。ほんの少しだけ、近づいてもいいと思った。冷たくて、触れば痛みを伴う、鋭利な氷柱だったとしても。
「フィグ様」
私が、出来る限りの敬意を表して彼の名を呼べば、フィグ様は顔をそむけたまま
『悪くない』
と消え入りそうな声で返事をしたのだった。
ヴィティの交渉の甲斐あって、竜神様こと、フィグ様に無事、吹雪を止めてもらえることに。
次回、いよいよ、フィグ様の真の「竜」としての力が発揮される!?
次回「ヴィティ、歌を聞く」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




