第十一話 ヴィティ、驚く
四つの国に囲まれた内陸国、ヘルベチカの北東。神を生んだとされるホルンの山から吹き降ろす冷風を全身に感じながら、私はおよそ乙女とは思えないうめき声をあげた。
「これの、どこが春なの……」
例年通りであれば、私の村ではそろそろあたたかくなる季節。だが、万年雪に覆われている山脈のふもとともなれば、話は別だ。
王都が近く、神が住んでいるからこそ栄えているが、それがなければ田舎村だったに違いない。神の生まれ故郷が田舎だと示しがつかないから、王都を近くにおいただけなのではないか。職権乱用、断固反対。私は脳内でそんな看板をでかでかと掲げる。
私のためにと竜騎士様が用意してくれた外套をもこもこと羽織り、かじかむ手で枝葉を集める。
「だいたい、庭なんて本当に必要なのかしら」
私がこの屋敷に世話係としてやってきてから一か月。竜神様は引きこもりのプロだった。
雪山生まれだから、寒さには強いのだと豪語しているが、屋敷から出たところを見たことがない。チーズを植えると、チーズの木がなる、なんて話くらい、竜神様が寒さに強いという説には信憑性がなかった。ちなみに冗談のつもりで話したら、神様のくせに信じた。まだ、冗談だとは告げられていない。
ちょっぴり天然ちゃんな竜神様だが、その暴君ぶりは健在だ。よくこの仕事が一か月も続いているものだと自分を褒めたくなるほどには、年中無休、二十四時間営業で冷酷非道をまき散らしている。
とはいえ、私もすでにこの環境には慣れつつあった。適当に相槌を打ち、相手を刺激しなければ比較的平穏無事に過ごせることが分かったのだ。世紀の大発明である。
何か言われても「そうですね」と「すみません」を繰り返すだけであしらえるのならそれでいい。
竜神様は面白くなさそうだが、姑もびっくりのお小言をつんけんと浴びせられるよりは数倍マシだ。
「……そろそろ、竜騎士様が来られるころね」
この一か月で完成しつつあるルーティンをこなし、私は思わず笑みを漏らす。主が不在で、仕事がはかどる。
私は枝葉を詰め込んだ麻袋を、よっこいしょ、と持ち上げた。とても乙女にあるまじき掛け声だが、誰かに聞かれているわけでもあるまい。
「ヴィティさん」
「ひぁっ⁉」
聞かれてた。完全に、聞かれてた。私はおずおずと振り返る。どこから沸いて出たのだ。物音ひとつ立てていなかった。やっぱり、この屋敷、罠とか仕掛けてあるんじゃ……。
「ヴィティさん?」
「あっ! す、すみません! その、まさかもういらっしゃるとは」
「これしか仕事もありませんから」
「いえ! とても助かっております。夕方が一番大変なので」
竜神様ほどではないが、整った、爽やかな笑みを浮かべる竜騎士様に、私はやはり、懐かしさを覚える。つられて笑みを浮かべてしまうのも、なぜだか自分に似ていて、この男に親近感がわいているから。その理由は、いまだ分かっていない。
「ろうそくも、新しいものをお持ちしました。小さくなっている所があったでしょう」
何もせず踏ん反り返っているだけの竜神様とは違い、こういった細やかな心配りも、私にはありがたい。早く世話係を増員してくれるのが一番だが、こうして手伝いに来てくれているだけでも、一人ではないと感じられる。最も、竜騎士様からすれば、ようやく見つけた世話係を離さないためのアフターケアに過ぎないのだろうけど。
麻袋を抱えたまま屋敷の方へ歩き出せば、持ちましょう、と腕から袋が消える。スマートな対応は、さすが今まで乙女たちを散々繋ぎ止めてきただけのことはある。眉目秀麗、紳士の鑑。恋する乙女も少なからずいただろう。
私は揺れるストロベリーブロンドの髪を見つめる。
知り合って一か月近くになるが、彼の名前をきちんと聞いたことがない。自分とどこか似ている青年のことが気にならないわけではないが、この生活に慣れるまで、おしゃべりをする余裕もなかった。
「竜騎士様のお名前を、お伺いしておりませんでしたね」
私が隣に並ぶと、竜騎士様は、あぁ、とうなずいた。すっかり忘れていたのだろう。
出会った時から、どこか抜けている。この、完璧ではないところが、彼に親近感を抱かせるのかもしれない。
「マリーチです。マリーチ・ベル・シャヴォンヌといいます。最も、俺は幼いころに家を出て、ベル家の養子となったので、シャヴォンヌの名は、正式に受け継いだものではありませんが」
私は思わず目を見開いた。
「ヴィティさんも、同じお名前でしたね」
シャヴォンヌ――それは、いなくなってしまった両親が、命とともに唯一私へ残したもの。
決してよくある家名ではない。私が育った村から、少し離れた湖のほとり。そこに住まう人々の名であり、私も、両親もそこの出身だ。まさか、この竜騎士様も。
「……偶然、ですね」
「竜神様の思し召しかもしれませんね。せっかくですから、マリーチと気軽におよびください。竜の世話係をサポートするのが、竜騎士の役目ですし……変な話ですが、俺たちはいわば同僚のようなものですから」
さらりと揺れたストロベリーブロンドの隙間から、ミントグリーンのガラス玉みたいな瞳がのぞく。
同僚。その言葉が純粋に嬉しかった。
「では、マリーチさんと。本当に、親戚なのかもしれませんね」
何気なくこぼした私の一言に、今度はマリーチさんが曖昧な表情を見せる。だが、それも屋敷の方からかかった大声で、あっという間に苦笑いへと変わった。
『遅い!』
なぜか一段と機嫌が悪い。私は竜神様から顔をそむけるように頭を下げた。こういう時は、これが一番穏便に済む。
『主を放って、男と仲良くおしゃべりとは。良いご身分だな』
「竜神様、そのような言い方は」
『黙れ、竜騎士の分際で!』
「マリーチさんは悪くありません! 私が話しかけたんです。申し訳ありません、竜神様。すぐに仕事へ戻りますので」
『待て』
顔を下げたまま、竜神様の横を通り過ぎようとすれば、腕を掴まれて、私は足を止める。いつもより明らかに氷柱が立った声色に、八つ当たりの気配が潜む。
「なんでしょう」
私は塩対応を決め込んでいるが、そんな私と竜神様のやり取りを見守る竜騎士様は、どこか不安そうだ。だが彼も、黙れ、と言われては黙る他ない。
(マリーチさん、巻き込んでしまってごめんなさい)
私が心の中で呟けば、掴まれた腕に一層の力がこもった。ぎゅっとつかまれたところから、じわりと体温が奪われる感覚と、痛みが広がっていく。
竜神様は、物理的に力も強い。私の腕の骨など、本来であれば容易く一本、二本と折れてしまうのだろう。そう思うと、背筋にゾッと寒気が走る。
沈黙に耐え切れず、私がゆっくりと顔を上げると、なぜだか少し寂しそうな顔をした竜神様の姿がそこにあった。どうかしたのか、と問う前に、心を読まれたのか、
『……貴様の主人は、このワタシだ』
消え入りそうな声が、耳元に滑り込んできた。
「竜神様……?」
一体この竜は、今更何を言いだすのだろう。そんなことは、もうこの一か月で痛いほど身に染みているというのに。
だが、私と竜神様を見守っていたマリーチさんは、驚いたように目を見開いていた。
まさかと思うが、マリーチさん、竜神様が主人だと知らなかったの? 嘘でしょ。
私がマリーチさんを見つめると、ぬっとあらわれた手に視界が覆われる。
『主は、ワタシだ』
耳元でささやかれた声が、脳を支配するように私の体を駆け巡る。催眠術なるものを体験したことはないが、こんな感じなのだろうか。それとも、これが黒魔術とやらなのか。
結局、この日は、竜神様に監視され、私とマリーチさんが顔を合わせることはなかった。
竜騎士様との意外な接点を見つけて驚くヴィティ。
ですが、何やら竜神様はご機嫌斜めなご様子。
なんと、神様の不機嫌が、この後、ヴィティを死にさらす!?
次回「ヴィティ、交渉する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




