73.怪物の根城
魔物の気配がより濃くなる。
一歩、また一歩足を進める度により鮮明に感じる。
この先に立ち塞がる障害を肌で感じながら突き進む。
そして――
開けた場所にそれはいた。
どす黒く、禍々しく、悍ましい何か。
黒い繭みたいな形をしていると、私はネーベルさんに聞いていたけど、まさか言葉通りだと思わなかったよ。
確かにそれは繭だった。
真っ黒過ぎて、夜なら見つけられないほど濃い。
見つめているだけで、吸い込まれてしまいそうな気すらする。
「あれが……魔物?」
「気を付けろよユレン。あんなよくわからん形状の魔物は初めて見る。明らかに異常で、異様だ」
ユレン君がごくりと息を飲んだ。
他の騎士たちも同様に、警戒心が最高潮に達する。
アッシュ殿下が異様と表現したそれは、地面や木々に糸を伸ばして浮かんでいた。
蜘蛛の巣に張り巡らされた糸も黒い。
そして、糸に接している木々は枯れ、地面は腐りかけているようだ。
先頭に立つアッシュ殿下が一歩を踏み出す。
パシャリと音を立てて、視線が下に向く。
「水?」
「兄上、どうやらここは湖だったようですね」
ユレン君の言う通り、そこは湖だった。
大きさは丁度、ネーベルさんの家の横にあった湖と同じくらいだ。
ただ、もはやそこは湖とは呼べない。
水はほとんど枯れ、残っている僅かな水も黒ずんで、明らかに腐っている。
繭の魔物から瘴気が漏れ出す。
黒い霧のような瘴気を吸わないように口をふさぐが、多少は入り込む。
その臭いを嗅いだアッシュ殿下は咄嗟に鼻をつまんだ。
「っ、臭いな」
「瘴気そのものから腐敗臭がしてますね。周囲の自然も影響受けているし、この瘴気と魔物が病の原因で間違いなさそうだ」
「だな。だが妙だな。こいつ、ここまで近づいているのに何もしてこない?」
アッシュ殿下を含む全員が、すでに戦闘態勢を整えている。
私が渡したポーションも飲んで戦う準備は万端だ。
にも関わらず、繭の魔物は動かない。
「いや……もしかして動けないのか? 広範囲に影響を及ぼす力の代償として、本体に攻撃力がない? だとしたらチャンスだ! 今のうちに――」
「兄上!」
近づこうとしたアッシュ殿下をユレン君が引き留める。
理由は私にもわかった。
繭の後ろから、大量の魔物が顔を出していたのだ。
「こいつら、複数の気配はそのまま数がいたのかよ」
「みたいですね」
魔物たちは繭を守るように立ち塞がる。
「構えろお前ら! どうやら取り巻きを倒さねーと本体は攻撃できそうにないぞ! 先陣は俺がきる! 後に続け!」
アッシュ殿下が大剣を構え、魔物の軍勢に向って走る。
臆する様子など一切見せずに真っすぐ。
勇敢に立ち向かう背中に鼓舞され、騎士たちが奮い立ち剣をとる。
「おおおおおおおおおおおお!」
騎士たちは雄叫びを挙げて、アッシュ殿下の後に続く。
阻む魔物たちを切り捨て、戦いは始まった。
私には戦う力がないから、見ていることしか出来ない?
そんなことはない。
私にも出来ることがある。
戦闘が起こっている場所から少し離れて、魔物避けの結界を張った。
結界と言っても簡易的なもので、範囲は狭く効果は一時的。
それでも魔物たちは近寄らない。
危険な戦場で、一時的な避難所を作り出す。
「怪我をしたらこっちに来てください! 私が見ますから!」
「だそうだ! 俺たちには優秀な錬成師が付いてる! 臆さず戦え!」
私の声とアッシュ殿下の声に感化され、騎士たちの士気はさらに高まった。
あまり無理はしてほしくないけど、少しでも勇気付いてくれたのなら十分だ。
「さすがアリア。俺が守るとか言ったけど、守る必要なさそうだな。なんか複雑な気分だ」
「だったらこっち手伝えユレン! 壁は厚いぞ」
「わかってますよ兄上!」
最前線で戦う二人。
アッシュ殿下が豪快に剣を振るうと、風圧で魔物たちが吹き飛ぶ。
それを避けて接近する四足の魔物を、ユレン君が斬り伏せる。
「まったく兄上は、知らない間にどんどん強くなりますね」
「あったり前だろ! これが俺だからな!」
アッシュ殿下の戦いぶりは凄まじく、同じ人間とは思えない。
そんな彼の動きに連動して動けるユレン君も凄い。
二人の戦いには危なげもなく、順調に魔物の数が減っていた。
しかし、そう簡単には終わらない。
ドクン――
「なんだ?」
「心音?」
ドクン、ドクン――
特大の心音が鳴り響く。
その出所は探す必要もない。
「繭が」
鼓動をうっている。
まるで中身が、生まれる瞬間を待っているかのように。
直後、魔物たちがさらに凶暴化した。
雄叫びを挙げて狂いだし暴れ回る。
「っ、なんだ急に!」
「急ぐぞユレン! 勘だがあれはやばい!」
「兄上?」
「繭みてーだと思った。見た目通りあれは繭なんだ。中に何かとんでもねーバケモンがいやがる!」
繭とは本来、鈍い活動状態にある生き物を保護するためのもの。
一時的に弱い状態になった生物を守り、再び活発化するのを待つ。
同じだというのなら、つまり中身が存在していて、鼓動をうち始めたのは活動再開が近いから。
「動き出す前にたたっ斬る!」
急ぐアッシュ殿下の前には魔物たちが立ち塞がる。
「ちっ、邪魔だなこいつら」
戦いは激化する。
と同時に、私は胸騒ぎを感じていた。






