36.この人だ
我慢していたのに、ユレン君に打ち明けて、声を聞いたらもう駄目だった。
不安が高まっていたこともある。
私は情けなく涙を流す。
「怖かっただろ? よく我慢したな」
「うん。でも、前の時とは違ったから最初は平気だったんだ」
「前の時って?」
「森で襲われた時のことだよ」
私は涙を拭う。
あの時は、本気の殺意を向けられて、命の危険を感じた。
状況的には同じなのに、今回はそれがない。
顔の前を二度掠めたナイフも、私が止まるのを見越して投げられていた……ように思える。
「それにヒスイさんにも相談してたから、いずれ治まるかなって思ってたし」
「え? ヒスイに相談してたのか?」
「うん」
「……それも先に言ってくれ」
ユレン君は特大のため息をこぼし、へなへなと力が抜けていく。
「ユレン君?」
「相談してたなら怒れないじゃないか」
「え、ご、ごめんなさい」
「謝らないでくれ。怒ったこっちが惨めに思えてくる。でもそうか、ヒスイには相談してたのか」
羨ましそうな表情を見せる。
目と顔を逸らし、まるで子供みたいに拗ねた反応だった。
自分に相談してほしかったと、口に出さなくても言っているようだ。
「違うよユレン君、相談しなかったのはその、ユレン君に話したら巻き込んじゃう気がして」
「巻き込むもなにも、思いっきり俺と関係してることじゃないか?」
「そうだけど、ユレン君は王子様でしょ? 私の所為で迷惑……かけたくなかったから」
「……なるほどな。それでヒスイに相談したわけか」
私はこくりと頷く。
ヒスイさんはユレン君の近しい人だし、気さくで相談もしやすかった。
そのことも話すと、ユレン君は複雑な表情をしていた。
「理由はわかった。俺のことを気遣ってくれたんだな」
「う、うん……」
結果的に心配をかけてしまったし、気遣い方を間違えた。
最初から相談しておけばよかったかな。
「それでも相談してほしかったっていうのが本音だが……次からそうしてくれ」
「うん、心配かけてごめんね」
「こっちこそ、俺の所為で迷惑をかけたな」
ユレン君が頭を下げる。
「すまん」
「ユレン君が謝ることじゃないよ!」
「俺が謝ることだ。家臣の行いは、俺の責任でもあるからな。王子なんだよ、俺は」
王子としての責任だと、ユレン君は強い言葉で語った。
怒っているというより、決意しているように見える。
「アリア、ナイフと手紙を見せてくれるか?」
「うん」
私は彼にナイフと手紙を並べて見せる。
「なるほどな。まぁヒスイが動いてるなら問題ないと思うが、俺のほうでも心当たりはあるし、ちょっと調べてみるよ」
「うん。私も何か出来るかな?」
「いや今の所はなにも。強いて言えば、変に俺を避けずにむしろ一緒にいたほうが良い」
「そうなの?」
そんなことしたら相手を刺激するんじゃ……
「向こうも王宮内で殺傷事件は起こさない。俺が思っている相手なら尚更だ」
「そ、そうなんだ……」
ユレン君の心当たりは誰なんだろう?
ヒスイさんも似たようなことを言っていたけど、同じ人だったりするのかな?
「俺と一緒にいる間は何も出来ない。脅迫文止まりなのが良い証拠だ。それにあからさまに仲良くしてたら、痺れを切らして出てくるかもしれないぞ?」
「そ、それは怖いな……」
「大丈夫、じゃないかな? まぁ用心に越したことはないし、もしそれっぽい人と会っても知らぬふりをすればいい。こっちで何とかする」
「うん」
なんだか気持ちが落ち着いてきた。
ユレン君に話せたお陰か、身体が軽くなった気がする。
ただ相談しただけで安心してしまえるのは、きっとユレン君が相手だからだ。
今までも、私のことを助けてくれた人だから。
また今回も……助けられてしまうのかな?
そう思うと情けない。
ユレン君の支えになりたいのに、結局支えられてるのは私だ。
「そろそろ行かないと。他に黙ってることはないよな?」
「うん。今ので全部だよ」
「なら良い。無理はしないでくれよ」
「ユレン君も」
私のために頑張り過ぎないでほしい。
彼と話して、安心させてもらって、落ち着いた心で改めて思う。
反省する。
相談できたことは良かった。
それでもやっぱり、彼に頼らず解決したかったな。
◇◇◇
その日以来、私とユレン君は頻繁に顔を合わせるようにした。
廊下で会って話をしたり、彼がアトリエに足を運んでくれたり。
やっていることは普段通りでも、ここ数日避けていたから新鮮に感じる。
何より楽しくて、落ち着く。
お陰で考える余裕も出てきて、仕事にも集中できる。
それからしばらく経って――
王宮の廊下を歩いている時だった。
私の前に、一人の男性が立ち塞がる。
いや、正確には立っていただけで、道を塞いでいたわけじゃなかったのかも。
だけど私は足を止めてしまった。
止まれと言われるような気がして、気づけば向かい合っていた。
灰色の髪と髭を生やした厳格そうな男性。
私は直感的に思う。
この人だ――と。






