第06話 かいそう・b
突然の回想である。
「――透、……透!」
「ん……?」
微睡んで薄くなった意識で目を開けると、視界いっぱいに大山智香――チカの綺麗な顔が映り込んだ。覘き込もうとしていたらしく、前屈みで顔が近い。その横から流れる鮮やかな黒髪が今にも俺の頬を擽りそうで、思わず目をパチパチとする。
「何だよ……」
「いやテスト終わったよって話だけど……。アンタ、途中から寝てたでしょ」
そう言ってチカは自らの白くシミ一つない柔らかそうな頬を指差して、
「ここ。制服のボタンの痕付いてる」
「…………、」
シャーペンの黒鉛でもないし落ちるわけでもないのに、つい反射的にゴシゴシと顔を擦ってしまう。
「寝惚けてるなら顔洗ってきなさいよ」
「了解……」
よいしょと折り畳んでいた腰を上げると、軋むように若干の痛みを感じる。心なしかポキポキと音が鳴ったような気がした。背筋を伸ばすとそんな感覚と共にどこか鬱屈とした気分が抜け落ちるようだった。寝てたからか気持ち身体が軽くなったようでもあった。
「そいや今って昼休みだっけ……?」
「そうよ。だから――」
欠伸を噛み殺してチカに尋ねる。以前の高校では小・中学校の時と同じように、午前四時限で午後は二時限または三時限といった制度を採用していたので、こちらの午前・午後両方三時限とは体内時計が多少ズレを起こすのだ。睡魔にこうも容易く負けてる部分も踏まえて、まだこちらの環境に慣れたようで慣れていないのかもしれない。
だから誘ってくれたのだろう。
「……折角だし、私達と一緒に昼食と行かないかしら?」
チラ、と横に向けられたチカの視線の先を追ってみると、礼儀正しくきちんと席に座って机に弁当の包みを置いてこちらに微笑みかける姿があった。小さく手を振る可愛らしいその女生徒は三咲可憐――ミサだった。
「……ああ、行く。待っててくれ」
この勧誘に、乗らない手はなかった。
「――――って行っておきながら、食べるのはここになっちゃうのね……」
「あはは……」
始業式も入学式も終わり、年度初のまとめのようなテストも終わり。ふと朝食の際にカレンダーを見てみれば、気付けば四月もあっという間に中旬に差し掛かった事を思い知らされた。引っ越してきて一週間。百六十八時間も経ったものなのかと咥えていたフレンチトーストを落としそうになったのも今朝の話で、そこからも更に四時間は過ぎようとしていた。
けれど、語るべきはそんな相対性理論ではなく。
「……お前ら人気あり過ぎだろ」
この二人の幼馴染みの扱いについてだった。
彼女達は綺麗だ。
それは七年振りに再会して、まずその姿に目を奪われた俺が断言する。正直過去の事とか関係なしに彼女達が記憶に焼き付くようだった。それを間近で、学校で顕現したらどうなるか……想像は難くないだろう。
『えぇぇぇぇぇっ!? 明日葉君なんでそんな智香さんと仲良さげなの!!?』
まず最初に、近くにいた女子にそんな事を言われた。
『をいをいをいをい、あの転校生三咲さんと喋ってるぞ!?』
次に、その声を聞きつけたクラスメイト達が伝播するように一瞬にして騒然とし始めた。
『……あの転校生、あの二人と何気なく会話してる上に昼食まで誘われたらしいぞ』
そして顔を洗って教室に戻って来ようとした頃には、学年中の生徒が教室前に群がっていた。中に入れずじまいで思わず近くの壁に隠れていると、唐突に後ろから腕を掴まれた。
『し~~~~っ』
誰かと振り向くと、可愛らしく唇の前で人差し指を立てていたミサの顔があった。
『今、みんなとおるクンが教室に来るのを待ち構えてます。その間に屋上へと逃げちゃいましょう』
『透、こっちこっち!』
すぐそばにチカもいて、その手には机に出して置いていた俺の弁当の包みがあった。それから二人に案内されるがままに教室から避難して、俺達は校舎の屋上へと姿を隠したのだった。
「し、知らないわよ……。だって急にみんな余所余所しく話し掛けてしか来ないんだもの……」
「そうなんだよね……。一緒に食べようって誘っても断られちゃうし……」
いやあなた達二人に声掛けられたら萎縮するでしょ……。これは美人さんが案外結婚できないみたいな理論と似たような話だと思う。
ひょっとすると、あの集団の誰かに後ろから刺されるのかもしれない。ある日登校したら教師との窓から俺の席が投げ飛ばされ、「お前の席ねぇから!」とか言われるのかもしれない。とはいえこの学校は荒れてないどころか平和そのものなんだから、そんな事は可能性すらないだろうけど。
「……さむっ」
「そう? 以前よりは暖かくなったと思うけど」
「桜の季節も終わっちゃったからねぇ」
二人共ブレザーの上下を羽織っているが、こちとら顔洗う時に席に学ラン置いてきちゃったんだよ……。今気付くまで腕も捲ったままだったし。
「まぁ、慣れるだろこっちの気候にも…………うまっ」
「へぇ、それ妹さんの?」
「ああ」
ミサに「可愛らしいなぁ」と目を輝かせて観察され、ちょっと食いづらくなる。なんか自分の食べ方が悪いかとかがいつも以上に気に掛かってしまう。あと可愛いのはあなたです、今の表情とか特に。
と、
「…………あれ?」
「あ?」
一人、疑問の声を上げたヤツがいた。
チカだ。
「透……、――――アンタって右利きだっけ?」




