陰キャ、夏の終わりに立ち止まる ― それでも俺は皮肉をやめられない ―
夏休みも終盤に差し掛かった頃。
俺は例によって、自室でだらだらと過ごしていた。
扇風機の回転音だけが部屋に響く。
机の上には読みかけの文庫本と、溶けかけたアイス。
何もしていないのに、時間だけが勝手に溶けていく。
「……もうすぐ夏休み終わるのか」
誰に聞かせるでもなく呟くと、胸の奥が少しだけチクッとした。
海、花火大会、文化祭の準備――気づけば、ちゃんと“青春”をしていた。
……らしい。
いや、まさか陰キャの俺がそんなカテゴリに入る日が来るとは思わなかった。
もし昔の俺が今の俺を見たら、「お前誰?」って言うだろう。
そんなセンチメンタルな気分を一瞬で打ち砕くように、スマホが震えた。
画面には、瀬良先輩の名前。
『高一くん、今から時間ある? 文芸部の部室、開けてるから来ない?』
「……部室?」
夏休み中に学校って。
どんなブラック部活だよ。
とはいえ、誘われて断るほど俺は社交的じゃないが、鈍感でもない。
“来ない?”なんて言われたら、行くしかないだろう。
たぶん、俺の陰キャ魂がうずいてるだけだ。
『今から行きます』
『待ってるわね』
たった二行のやり取りなのに、胸が軽く跳ねた。
――やばい、俺、恋とかしてないよな?
……いや、違う。ただの“部活”だ。たぶん。
俺は制服の上からカーディガンを羽織り、家を出た。
※ ※ ※
学校に着くと、やけに静かだった。
蝉の声さえもどこか遠く、廊下には俺の足音しか響かない。
夏休み中の学校って、やけに現実味がない。
まるで「本編の終わった後に入れるおまけシナリオ」みたいだ。
文芸部の部室前に立ち、ノックする。
「どうぞ」
中から聞き慣れた落ち着いた声。
扉を開けると、瀬良先輩が一人でパソコンに向かっていた。
夕陽が差し込んで、彼女の横顔を金色に染めている。
相変わらず完璧な姿勢。指先の動きまで絵になる。
「お邪魔します」
「ようこそ。座って」
促されるままに席に座ると、部屋の中に静寂が戻る。
クーラーの低い音と、タイピングのリズムだけが心地いい。
「夏休み中なのに、部室に来てるんですね」
「ええ。静かで、執筆に集中できるから」
そう言って微笑む姿が、やけに絵になって腹が立つ。
この人、たぶん“静寂の美学”とか日常的に考えてるタイプだ。
「それで……用事って?」
「ああ、そうね」
瀬良先輩は画面から目を離し、俺を見た。
その目が妙に真剣で、背筋が伸びた。
「高一くん、コンテストの一次審査、通ったわよ」
「……は?」
一瞬、意味が理解できなかった。
「一次審査。通過したの」
「マジですか!?」
思わず立ち上がってしまった。
冷静さゼロ。陰キャ特有の挙動不審モード全開。
「本当よ。メールで通知が来てたでしょう?」
「あ、確認してなかった……」
慌ててスマホを開くと、“一次審査通過のお知らせ”の文字。
「……本当だ……」
画面を見つめながら、じわじわ実感が湧いてくる。
たぶん今の俺、ちょっとだけ顔がにやけてる。
鏡があったら殴ってる。
「おめでとう、高一くん」
瀬良先輩が微笑む。
その“当たり前のような”優しさが、逆に心に刺さる。
「あ、ありがとうございます!」
「でも、ここからが本番よ」
「本番……」
「ええ。二次、三次、そして最終審査」
言葉の一つ一つが、現実感を伴って迫ってくる。
「でも――あなたならきっと行けるわ」
そんな軽く言うなよ。
その“信じてるわ”の破壊力で俺のHPゼロなんだが。
「……頑張ります」
出てきた声は少し掠れていた。
恥ずかしい。けど、嬉しい。
俺、単純すぎて笑える。
※ ※ ※
その後、二人で黙々と執筆を始めた。
静かな部室に、キーボードを叩く音だけが響く。
この音が不思議と落ち着く。
誰かと一緒に“無言の時間”を過ごせるって、すげぇ贅沢なことなんだな。
「……集中できますね、ここ」
「でしょう? だから夏休み中もよく来るの」
瀬良先輩はコーヒーを口にしながら微笑む。
その横顔に、一瞬見とれてしまう。
けど次の瞬間、脳が自分を殴った。
落ち着け俺。文芸部の部室だぞここは。青春フラグ工場じゃない。
「先輩も、何か書いてるんですか?」
「ええ。新しい小説を」
「どんな内容なんですか?」
「それは……秘密」
その言い方がずるい。
小悪魔って、こういう人を指すんだろうな。
「いつか読ませてあげるわ」
「楽しみにしてます」
会話が途切れ、またキーボードの音だけが戻る。
外では、夏の終わりの風が校舎を撫でていた。
※ ※ ※
気づけば夕方。
窓の外はオレンジ色に染まり、部室の空気まで少し柔らかくなる。
「……もう、こんな時間か」
「あら、本当ね」
時計の針が五時を回っていた。
「今日はこれくらいにしましょうか」
「そうですね」
俺がパソコンを閉じたその時、瀬良先輩が静かに言った。
「高一くん」
「はい?」
「帰り、一緒にどう?」
「え、いいんですか?」
「ええ。同じ方向でしょう?」
「……はい」
こうして、俺たちは並んで校舎を出た。
※ ※ ※
夕暮れの道。
蝉の声はもう弱々しく、代わりに草の音が風に混ざっている。
オレンジ色の光が瀬良先輩の髪を照らして、ゆっくり揺れた。
その横を歩く自分が、少しだけ誇らしかった。
……まぁ、誰も見てないけどな。
「もうすぐ夏休みも終わるわね」
「そうですね……」
「楽しかった? この夏」
「はい。すごく楽しかったです」
言葉にしてみると、本当にそう思ってることに気づく。
なんかムカつく。幸せを自覚する自分って、キモいな。
「海に行ったり、花火大会に行ったり……」
「ふふ、そうね。私も楽しかったわ」
瀬良先輩の笑顔が、夏の終わりを惜しむように優しかった。
「ねぇ、高一くん」
「はい?」
「あなた、変わったわね」
「え?」
「最初に会った時は、もっと閉じこもってた。
でも今は、ちゃんと前を向いてる」
そんなことを、まっすぐ言われると、息が詰まる。
「……それは、先輩たちのおかげです」
「そう?」
「はい。先輩たちがいなかったら、俺は今でも一人だったと思います」
本音だった。
だからこそ、少しだけ恥ずかしい。
「だから……ありがとうございます」
瀬良先輩は、少し驚いた顔をして、やがて柔らかく笑った。
「どういたしまして」
その一言で、夏の夕暮れが少しだけ暖かく見えた。
※ ※ ※
沈黙が続く。
でも、嫌な沈黙じゃない。
音楽で言えば“休符”のような静けさだ。
「高一くん」
「はい?」
「もし――」
瀬良先輩が何かを言いかけた、その時。
「由良ー!」
不知火先輩の声が響いた。
見ると、ジャージ姿の彼女が手を振って走ってくる。
「あれ、高一くんも一緒?」
「ああ、優花」
「ちょうど良かった! 一緒に帰ろ!」
あぁ、完全に空気が変わった。
いいタイミングなのか、悪いタイミングなのか――いや、99%悪い。
瀬良先輩は一瞬だけ寂しそうな顔をして、すぐに笑顔に戻る。
「ええ、行きましょう」
こうして三人で帰ることになった。
まるで“恋愛ルートの分岐”に入る前で、イベントが強制終了した気分だ。
※ ※ ※
駅で別れたあと、俺は一人電車に乗った。
窓の外を流れる景色がやけに静かだ。
「……瀬良先輩、何を言いかけたんだろう」
気になる。
けど、聞けなかった。
それが今の俺の限界なんだろう。
スマホが震える。
画面には瀬良先輩からのメッセージ。
『今日はありがとう。また一緒に執筆しましょうね』
『はい、お疲れ様でした』
俺は短く返信し、スマホをポケットにしまった。
「……もうすぐ二学期か」
呟いた声が、窓ガラスに反射して自分に返ってくる。
夏は終わる。
でも――俺の物語は、まだ終わっていない。
※ ※ ※
翌日。
浅葱からグループチャットにメッセージが届いた。
『ねぇねぇ、夏休み最後、みんなで集まらない?』
『いいね! どこ行く?』
『カラオケとか?』
『いいわね。私も賛成』
チャットがテンポよく流れていく。
『じゃあ、高一くんは?』
『俺も大丈夫です』
返信しながら、心のどこかが少しムズ痒い。
「……カラオケか」
陰キャにとっての終末イベント。
マイクという名の拷問器具を握る日が来たか。
でも――。
「まぁ、なんとかなるか」
苦笑しながらつぶやく。
こんなにも自然に“楽しみにしてる”なんて思える自分に、
ちょっとだけ驚いた。
陰キャの俺の夏は、まだ終わらない。
終わらせてたまるか。
せっかく手に入れたこの“物語”を、簡単に閉じられるかよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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