7.豹変する時間
「こうしてるとなんだかあのときみたいだね。ビルの屋上で君がわんわん泣いちゃってさ」
「わたし、そ、そんな風に泣いてなんか……っ」
「泣いてたよ」
初対面のライトに抱き着いて泣いたことを言っているのだとわかって、ショウは羞恥心に顔を赤くする。それと同時に彼が自分のことを覚えていてくれた事実を表す言葉……同じ記憶を共有できた嬉しさでもって赤くなる頬を隠すよう顔を背ける。
否定をする必要はない。彼はこうしてまた変わらずにいてくれた。
ショウの真っ赤な顔をからかって笑い、抱き留めてくれる相手がいてくれた。ほっとして涙を流すのは当然のこと。
人通りが少ないとはいえマンションの前で誰が見ているともわからない。それでも優しく受け入れてくれたライトは、自身のことを歳の離れた妹だとでも思ってくれているのだろうか。
そこまでの思い入れや感情が相手にあるとは限らないが、覚えていてくれたことがショウにとって特別で今のすべてだった。
「……ショウちゃん。お取り込み中のところごめんね」
数分ほどそうしてショウに寄り添ってくれていたライトだったが、やがてそっと体を離して気まずそうに口を開く。
「僕、今から現場に行かなくちゃならないんだけど……泣いてる女の子をこのまま放ってはおけないよね。移動しながら聞くから乗ってくれる?」
「えっ? 乗るってその、ライトさんの車に?」
「うん。ショウちゃんも用があって僕のところに来てくれたのは知ってる。ボスから聞いたよ。でも来るのが夜になるとは聞いてなかったから……」
他に車は見当たらないので当然だ。聞き返すショウにライトは笑って助手席のドアを開け、座るようにうながす。
「えっえっ、でも」
「ベルトつけるね」
再会して間髪いれずにされたハグにも押さえた心臓が飛び出しそうだったが、文化の違いとあっさり受け入れた自分がいる。
いるのだが、今度は車に乗って一緒に移動しようという急な提案。ショウは驚きで涙も引っ込んでしまった。
見ず知らずの男性、ではないが。つい今でさえ優しく受け止めてくれた人で、しかし他人。
こんな展開になっている要因が自身の寝坊にもあるとなると強く言い返せもしない。来ることをボスから聞いてライトも待ってくれていたのかもしれない。
否定も肯定もできず困惑しまごつくショウを優しく車に押し込むと、ライトはすぐに車を発車させた。
あまりにもあまりある展開の速さだ。
目を回していたショウが落ち着いて現状を把握出来るようになった頃、真剣な面持ちでハンドルを握るライトが静かに口を開いた。
「それで、ショウちゃん。何があったのかゆっくりでいいよ。喋れるところから聞かせて」
ショウはもじもじと手を動かし、シートベルトに触れながら口ごもった。
「え、ええと、それがですね……」
何年も前にたった一度しか会ったことのなかったショウに向き合おうとしてくれている。
ライトのひたむきさを見せられて、ショウはまたなんだか急に恥ずかしく思えてきてしまった。
「日々に疲れて、死ぬ前に最期に会っておきたい人としてあなたが浮かんだから。だからあなたに会いに来ました。」なんて、とてもではないが言い出せなくて、ショウは曖昧な笑顔を浮かべる。
「その……ライトさんに会ったら私の悩みとかそういうの、どうでもよくなっちゃった。ってわけではないんですけど……」
照れ笑いを含めたショウの声を聞いたその途端。鋭さを増した双眸が不機嫌に細められた。
ライトから目を逸らしていた話すショウは彼の変化に気が付かない。
「はあ? なにそれ」
先ほどまでやわらかな言葉を紡いでいたライトの口が、突如として吐き捨てた気の強そうな聞き返し。
凍りついた車内に、ラジオのパーソナリティーが流した最近流行りの陽気な音楽が虚しく響く。
ライトの突然の豹変に固まってしまうショウへ次の言葉が投げつけられる。
「めんどくさ。おまえ鬱陶しい女だな」
二人の間で時を刻む車内のデジタル時計はちょうど午後十八時を表示していた。




