第35話 『エル・デゲリョ』from Rio Bravo
反撃には準備を要する。
ましてや、相手が怪物どもであるのならば。
脇のホルスターに吊るした、二丁のコルト・ネービーを取り出す。抜き撃ちの便を考えて、銃身を短く切り落とした特注製のそれらへと、さらなる手を私は加える。引き金と用心金とを針金で結びつけ、キツく固く縛り上げる。こうすれば、撃鉄を起こすと忽ちそれは降り、雷管を叩いて銃弾を発射せしめることだろう。本当は撃鉄自体にも手を加えたいが――ちょうど、肺病持ちの元歯科医の賭博師のように――、そこまでのことをするための設備が、このアフラシヤブにはなかった。
私は、お世辞にも早撃ちの名手ではない。キッドやヘンリーと肩を並べることなどは、逆立ちしたってあり得ない。まして現状、敵方には得体の知れないバケモノ北軍騎兵まで現れている。ならば――生き残るための工夫を凝らすしかない。それに、こうした小細工は、西部のガンマンたちの多くが当然のようにやっていることでもあるのだから。
『――井戸よ、蓮華よ、水鳥が巣よ。サトロ、アレポ、テネト、ロタス。マスケッリ、マスケッロー、メリウーコス、ミスラ』
私の傍らでは、アラマがぶつぶつ呪文を唱えながら、何やら大きなすり鉢のなかで色々と混ぜ合わせている。鼻をつく刺激臭が辺りに溢れ、彼女はたっぷりと汗を肌に浮かべて、真剣そのものといった面持ちだ。
この臭いに、私は覚えがあった。大地より湧きいづる、地の女神が黒い血潮……要するに、石油の臭いなのである。最近では鯨油に代わって、ランプの灯りの元になっているモノの、その精製前の姿だ。
『水落ち集まり、海の棲家となれ。池は満ち溢れ河となり、我らが居場所を湿らせ給え』
アラマは一心不乱に、しかし絶妙な緩やかさで、鉢のなかのものを混ぜ合わせていく。
万に一つでも火花など立てば、たちまち業火が燃え上がり、アラマも、それに傍らの私も道連れにして、全て燃え尽きてしまうことだろう。
『帳よ降りよ、我らを包め。我らを包め冷たき池よ、ミスラの名において、万神の主たるミスラ、広き牧場の主たるミスラの名において、迦具土より目を逸らさせ給え。畏み畏み我申す……』
だからこそ彼女は、呪文を滔々と紡ぎ、万が一に備える。その言葉面から、魔法については完全なる素人の私でもアラマの呪文が火を防ぐものだということは理解できた。実際、彼女にまわりにはなんとも言えない独特の湿気が立ち込めていて、しかもそれは風が吹こうと全く失せることはないのだ。
『レクスィクトン、ポルコセトゥ、ピュリペーガニュクス、セメセイラム……』
鉢の中身を、小さな陶製の匙で掬い、幾つかの素焼き瓶へと注ぎ込んでいく。ちょうど、ウィスキーでも入ってそうな、投げるのには手頃な大きさの瓶だった。五本の瓶に石油となにがしかの混合物を満たせば、鉢の方はちょうどそれで空っぽになった。アラマは瓶の細い口へと綿の塊を棒っ切れで押し込み塞ぎ、さらにその上から細長いボロ布を差し込んだ。手投げ弾の一種とでも言えばいいのだろうか。主に焼き討ち用のものと見えた。似たようなものを、前の戦争中に作った記憶が、私にもあった。
「完成か」
『はい、なのです』
額の汗を拭いながら、アラマは深い溜め息と共に言った。
私が水筒を差し出せば、ごくごくと美味しそうに中身を呷る。既に彼女を包んでいた湿気は霧散し、緊張のもたらす喉の渇きが一気にやって来たらしかった。
「『ヘラスの火』……だったか?」
『そうなのです』
頷くアラマの姿に、彼女から受けた講釈を思い返す。彼女の故郷にほど近い、ミクリガルズルという名を持つ西の帝国に伝わるという秘伝の武器、それが『ヘラスの火』なのだという。陸にあっては三重の城壁に囲まれたこの帝国の都は、海の上へと突き出た半島にあるが為に、やはり海からの攻撃には弱くなっているらしく、その急所を補うための武器が『ヘラスの火』なのだそうだ。海側から攻めかかる敵の軍艦を残らず焼き払う……そんな恐ろしい武器なのだという。帝国の守りの要となるような、そんな武器の製法について何故アラマが知っているのか言えば、彼女の曰く――。
『不敗の太陽たるミスラは陽の神にして火の神なのです!』
――だそうだ。何の答えにもなってないが、まぁそういうことなのであろう。
『向こうは屍生人の群れを率いているのです。屍には火です。例え、それが死してなお呪術によって傀儡とされたとしても、死者は死者に、骸は骸に変わりはないのですから』
回想の海より私の意識を、アラマの声が引っ張り上げる。その所以は、彼女には珍しいその声色だった。
『……骸は、良く燃えます。一両日も放っておけば、腐臭をまとった燃える瘴気を放ち、燐光すら浮かべます。私は、それをよく知っているのです』
常に、その信じる太陽のように怒っても嘆いても、四六時中陽気を絶やさぬ彼女には珍しく、その声は陰りを帯びていた。憎しみに、怨みに、声は震えている。
『我が故郷ドゥラ・エウロポスが、百門都市より来た、あの忌々しい蛇人間共に攻められたあの日、街の全てが焼かれ、叛徒どもに覆い尽くされたあの日、父も、母も、なにもかもが失われたあの日……ミスラの威光なくば、私も命を失っていたでしょう。あの日と、そこからの数え切れぬ日々のなかで、私はこの目で見て、この鼻で嗅いで、この耳で聞いて、この肌で触れたのですから――』
そこまで言い切ると、アラマの声からは震えは去って行った。
表情も穏やかなものである。
――素直に、感心する。
私は、彼女の言葉の端々から、彼女もまた相応の地獄を見てここまで生きてきたことに気がついていた。
そんなアラマが、同じように地獄をくぐり抜けてきた私と最も違う部分は、彼女が既に過去を乗り越えているという点だろう。痛みもある、口惜しさもある、でも全ては過ぎ去ったことなのだ。あるいはそれが信じるもの――彼女の場合は、ミスラという存在――がある者と、そうでない者の差なのかもしれない。
『――さて、準備は整いました。まれびと殿は、いかがなのですか?』
それでもなお、彼女は胸中に残った僅かな陰を掻き消す為なのか、やや唐突に話題を転じた。
私は、静かに頷きながら針金細工を施した短銃身コルト・ネービーを掲げてみせると、アラマより視線を外す。
アフラシヤブの丘は、防御構築の最終段階に入っている。
奇襲攻撃に失敗した私達は一度退いて、ここでやつらを迎撃すると決めたのだ。
今は蝗人どもが連中の侵攻をとどめているが、それも限度がある。連中を喚び出したアラマ自身がそう言っているのだから、間違いはない。だとすれば、今なすべきは虫共が稼いでくれた貴重な時間を使って、次なる戦いの備えをすることだろう。
ナルセー王とマゴス達は、軍事的にも、そして魔術的にも鉄壁の防御を築きつつある。
一方で私達は、私達にできる用意工夫を凝らしている。
『……こうか?』
「そうそう。そこで、ここに雷管を仕込んでおけば、矢が刺さると同時に爆ぜるという寸法さ」
『ふむふむ、なるほど。それにしてもジャンゴ、御前がこういう細工にも長じているとはな……少々意外だ』
「“綺麗は穢い、穢いは綺麗”さね。無法者の舌が、美しい詩を紡ぐのもままあることさ」
視線の先では、キッドが軽口と引用とを叩きながら、色男へと指示をだしてクロスボウに細工を施している。そこに使われているのは、私が提供したハウダー・ピストル用の弾丸だ。リトヴァのロンジヌスに銃本体の方を叩き壊された以上、その銃弾は無用の長物でしかない。火薬と雷管を取り出して残った得物へと転用しようとも思ったのだが、キッドが物欲し気に見ていたからくれてやった。その結果が今という訳だ。角矢に散弾を仕込んで、榴散弾のようにしようというのだろう。やはりキッドの野郎は、その実、良いところの出なのであろう。ただのアウトローのガンマンとしては、色々と出来すぎているから。
――それはそうとイーディス、いつから野郎を渾名ではなく本名で呼んでいるのやら。
気づかぬ内に、二人の仲はより密になっているらしい。
『それにしても、です』
「どうした?」
アラマの呼び声に、視線を転じた。
彼女はと言えば、目を落とすのは例の翠玉の碑板である。神殿の最奥、隠された書庫にあった金属製の小冊子。アラマが、それを自身が探し求める「天路歴程」なる書ではないかと睨んでいる代物だ。それを膝の上にのせて、広げて見つつ言う。
『スツルームの呪術師が、何を喚び出す為に、この丘を目指しているのか、それが私には謎だったのですが……この書を紐解いていると、その謎がこの中にあるのではと、そんな感触があるのです』
「へぇ?」
実に興味深い話である。心惹かれる話題である。
私はアラマの見ている錆びた青銅色の頁を横から覗き込む。そこにあった一枚には、何やら謎めいた絵と、謎めいた記号と、謎めいた文字の数々が、時に規則的に、所により不規則に散りばめられていた。
「……なんじゃこりゃ」
無学無教養で、ましてや魔法呪術についての知見など薬にもしたくない私には、全くの意味不明な一枚だ。まるで、先住民が描く紋様のようだった。その意味を解する者にしか、その描かれたものを解せぬ代物……。
『これらは旧呪印章なのです。神々の御世より伝わる、力を持つ印……その一つ一つが、隠された意味を備えているのです』
アラマが、金字された丁度アルファベットの『X』の四隅に丸を被せたような、そんな図形の一つを指さしながら言う。その隣には『T』に似た、やはり端を丸状にした図形があり、また逆隣には四本の直線を一点で交わらせ、放射状に広がるその八つの先端に、やっぱり丸を据え付けた図像があった。
『これらは神秘之呪言。精霊達の使う言葉であり、風の息吹の如く遍く在る彼ら彼女らへと語りかけ、働きかけるための言葉なのです』
私にはその発音すら解らない謎めいた文字……それでも、つぶさに見れば解ることもある。
その文字は逆三角形状に配置されていて、下を向いた頂点のほうへと行くに従って、文の文字が一字ずつ欠けていくようになっている。三角形の2つの斜辺は回文状になっていて、残る一つの斜辺は全て同じ文字になっている。ちょうど――。
A B R A C A D A B R A
A B R A C A D A B R
A B R A C A D A B
A B R A C A D A
A B R A C A D
A B R A C A
A B R A C
A B R A
A B R
A B
A
――『アブラカタブラ』の呪文のようになっているのだ。
前に読んだ、三文小説に出てきた呪文のひとつだが、よもや「こちら側」で、実際に魔法呪術が存在する世界で同じようなものに出くわすとは、なんとも妙な感じだ。
『旧呪印章は神々の、神秘之呪言は精霊達の言葉です。つまり、生半に読み解くことができるほど、甘い物ではないのです。しかしここに至るまでの、この書のつくりから察するに、真実は、我ら牡牛を屠る者の徒が探し求めるもの、すなわち「天の梯子」への鍵の在り処が、確かにここに秘められているのです! 更に言えば! 更に言えば、その在処というものが、このアフラシヤブの何処かであるということだけは、既に読み解いているのです! やはりこれこそが私の探し求めた「天路歴程」に間違いないのです!』
彼女は、力強い声で断言をする。アラマはこの緑色で金属仕立ての本を手にしてから、暇さえあればその解読に勤しんでいたわけだが、私達が死都と化したマラカンドで切った張ったやっている間にも、すでにそこまでの解読を進めていたらしい。
「……それは解ったが、そのことが一体全体、連中の儀式とやらと、どう関わる?」
当然の問をぶつければ、彼女は間を置かずに答えを返す。
『神への道、天への道への鍵がここにあるとするならば、この地は――言うなれば「壁」の薄い地ということなのです。天と地と、彼岸と此岸と、神世と現世とをわかつ、その境界が。……スツルームの呪術師たちが喚び出さんとしている何か、その名前まではわかりませんが、それが途方もなく邪悪で、かつ途方もなく大きなものであることだけは間違いない筈なのです。あの荷車の上に載せられた燭台、拝火台、それに呪詛板用と思しき合金板。あれらからも儀式が大掛かりなことは解っていましたが、それに加えて、境目の薄い場所を選んで行うことを思うと――』
アラマは、再び金字踊る青銅色の金属板へと視線を落とした。
彼女の見つめるもの、それは記号と文字に囲まれるようにして据えられた、ひとつの図像。
獅子頭人身、体躯に巻き付く蛇に一対の翼、携えられた錫杖という異形。
その異形を、縛り付けるように上から鎖の図像が刻まれ、さらに上から流れ出る鮮血のような紅い塗料で、中央で五本に分岐した線状の星が描かれている。あたかも、この怪物が二度と動き出さぬよう、封印するかのように。
『――恐らくは、この邪悪なるものアリマニウスに次ぐような、そんな悍ましきモノを喚び出すのが、あの者たちの目的。大きなものを喚び出すには、境目は薄いほうが良いのですから』
邪神の姿を睨みつけながら、アラマは言った。
彼女の震える声に私は、無意識のうちにコルトの銃把に指を這わせていて、それに気づき苦笑した。この齢になってよもや、悪い魔法使いの喚び出すブギーマンに怯えることなんてのが、あるとは思っていなかったのだから。
しばし、待った。
連中が来るのを、今できる範囲での『万全の準備』を整えながら――実際には、そんなことは不可能なのだが――、私達は待った。
待って、待って、待った。
実際にはたいした長さではないのだろうが、戦場での緊張感は自然の理に逆らい常に時間を引き伸ばす。
「……」
私はレミントン・ローリングブロックを肩に負いながら、建物の二階から丘の向こうを窺う。
傍らではアラマが様々な魔術道具に囲まれて、緊張に顔を固くしながら、私と同じ方を睨む。
キッドとイーディスはナルセー王の護衛に廻り、色男は王の近衛部隊の指揮に駆け回っていることだろう。
銃身をさすりながら、さらに待って、待って、待って――。
「!」
『っっっ!』
私たちは再びあの『音』を聞いた。
まるで、遠くで機関車が走っているかのような、規則的に連続するザッ、ザッ、ザッという重い音。やつらが、屍者の軍勢が、奏でる死靴の響き。
いや、今度はそればかりでない。
「……これは」
『歌?』
死せる者たちの跫に合わせるように、およそ人の喉から出たものとは思えない、異様な歌声が聞こえてくる。
その歌声に眼下では、配置についたナルセー王の戦士たちやマゴスたちが、明らかに動揺している。
「……」
私は、耳をすまし、その調べを聞き取ろうとした。
どうやら、喉よりの声で楽器の響きを再現せんとしているらしい、その旋律には聞き覚えがあった。
徐々に大きさを増し、詳細を明らかにするこの旋律。その正体に、私はようやく思い至る。
「なるほど……ハハハ!」
『まれびと殿?』
思い至った所で、思わず笑う。隣のアラマが突然笑いだした私に驚いたので、説明してやった。
「『皆殺しの歌』だよ、これは」
アラマがもっとギョッとするのに、私はさらに笑う。
そう、これは間違いなく『皆殺しの歌』だ。
1836年、テキサス独立戦争の最中に起こった、伝説的な戦い。
今や、一つの記念碑とかした、小さな包囲戦、『アラモの戦い』。
川だって一跨ぎで超える英雄、ディヴィ=クロケット擁するテキサス兵250名が、五千人のメキシコ軍に包囲され、全滅したあの戦い。
あの戦いのなかでメキシコ軍は、アラモ砦を取り囲み、朝も夜も同じ曲を吹き鳴らし、250名の兵士たちの正気を削り取っていったのだという。それが、『皆殺しの歌』だ。
「……とんだ洒落だな。少し見直したぜ」
正直、心から感心している。
あのイカれた殺し屋共の心に、こんな諧謔を解する部分が残っていたことにだ。
スツルーム野郎が『皆殺しの歌』を知るはずもない以上、恐らくは死者たちの喉をラッパのように使って、こんな曲を鳴らすのは奴等以外にはあり得ない。
脅しか、はたまた手向けか、冥土の土産か。
いずれにせよ、大いに愉快であり、大いに殺意を掻き立てられる。
「……」
私は、レミントンを静かに構えた。
半ばで崩れた壁の上、その上に置かれた土嚢の上に銃身を置いて、スコープを覗き込む。
大きさを増している筈の『皆殺しの歌』は、意識の集中が進めば進むほど遠のいていく。
無音。
不必要な音が、全て消え失せる。
引き金と右の人差し指とが、銃把と右の掌とが、銃床と右肩が、そしてスコープと灰色の瞳が。
一本の線で繋がったかのように、あるいは混ざり合って溶け合ったかのように、区別がなくなる。
視界は狭まるが、鋭く遠くに伸びる。彼方の標的を、まるで己の目の前かのように捉える。
丘の彼方へと殺意を伸ばし、獲物を探る。
意識の下で聞こえる歌と跫の昂ぶりに、標的が近いと知る。
――アラモの戦いで、確かにテキサス兵250名は全滅した。
しかし味方の全滅が却ってテキサス兵達の戦意を燃え上がらせ、最後にはテキサスの独立へと結んだ。
そんな故事を思い出したのと、先駆けを務める屍者の、その腐った頭が見えたのは、ほぼ同時だった。
私は、引き金を弾く。
銃声、そして吹き飛ぶ頭。
それが、ヤツラとの最後の戦いの、開始の合図となった。




