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中編-眠りの魔女-




 子どもの成長は早い。

 色々なことを覚え、毎日新しいことへ飛び込む。

 目まぐるしい日々の中では、幼いころに言ったつまらない約束なんてきっとすぐに忘れて、世の中にはもっと楽しいことや輝かしいことがあふれていることを知るだろう。

 そう、思っていたのに――。


「魔女様、やっと結婚できる年齢になりました。どうか俺と結婚してください」


 この国で結婚できる十八歳となったイーザクは変わらず魔女に求婚した。

 さすがに十年も続くと思っていなかった魔女は、十年たって頭を抱え始めた。


「根性があるというか、しつこいというか……」

「魔女様が頷いてくれるまで諦めません」

「本当に妙な子どもと関わってしまったもんだよ……」


 十年前に呟いた言葉を再び言うことになるとは思ってもいなかったと、魔女はため息を零した。

 そのため息を零す春の花びらのような唇も、頭を抱えている白くしなやかな手も、十年前から何一つ変わらない。

 しかしイーザクは、この十年で魔女よりも頭二つ分ほど背が高くなり、逞しい青年へと成長した。

 痩せて貧相だった子どもの頃の面影はもうどこにもない。

 今では騎士の職につき、黒い騎士服もよく似合っている。

 家族を魔物に襲われたため魔術師になろうとしていたが、魔力がなかったためにその夢を叶えることはできなかったけれど、剣を持って住民たちを守る姿は頼もしく、子どもから老人まで幅広い世代から人気だ。

 それなのに、いまだに魔女への求婚を繰り返している。

 村人たちはこの光景にすっかり慣れてしまっていて、いつものことだと流すだけだ。


「村には同じ年頃の可愛い女の子がいるだろう」

「魔女様が一番可愛いですよ」

「同じ年頃と言っただろう。私は何百年も生きている不老不死の魔女なんだよ」

「でも俺が好きなのは魔女様だけです」


 何を言っても諦めないイーザクに、魔女は頭が痛くなる思いだった。

 少し軽く考えすぎていたことを悔やむ。

 子どもの言うことだからすぐに飽きて忘れてしまうだろうと。

 せめて、出会ってから五年目あたりの違和感で気づいておくべきだったかもしれない。

 今では外見だけでいえば魔女と同じ年頃に見えるが、魔女は見た目通りの年齢ではなく何百年と生きている不老不死だ。

 養育は村の住人に任せていたが、初めに関わった責任を取らねばならないと、魔女は今さらながら決意した。

 見た目は成長したわりに、イーザクは男女のやりとりを分かっていない。

 これでは同じ年頃の女の子と出会ったときに格好がつかないと、魔女は大事なことを教えることにした。


「そもそも、求婚するんなら花の一つくらい贈るのが礼儀ってもんだよ」


 翌日、イーザクは黄色のガーベラを手に魔女へ求婚してきた。

 その次の日も、さらに次の日も。

 何百年と生きてきた魔女だったが、長い人生で初めて失敗を痛感した。







 あれから、イーザクは毎日のように花を持って求婚に来る。

 花の種類は様々で、薔薇であったり、百合であったり、一輪のときもあれば花束のときもあった。

 それが続いて半年以上すぎた。

 おかげで魔女の家の中は花だらけだ。

 魔女は自分の軽はずみな発言を悔やんだ。

 魔女の家に花など、この上なく似つかわしくない。 

 花は花でも毒花ならぴったりかもしれないのに、イーザクが持ってくるものは美しく可憐な花ばかり。

 そんな花が家の中にあふれているなんて。


「調子が狂わされるねぇ……」


 思わず独り言を零す。

 その言葉を拾う者はいない。

 イーザクと出会うまで、ずっと一人で過ごしてきた。

 毎日のように訪ねてくる相手などいなかった。

 家の中が賑やかなときもなかった。

 明るい花を飾ったことなんてなかったのに。

 花を見つめ、瑞々しい花びらを指先で撫でようとしたそのとき、家の扉をノックする音が聞こえた。


「また来たのかい」


 扉を開けなくても来訪者は分かっている。

 この魔女の家に頻繁にやってくるのなんて、イーザクくらいだ。

 子どもの頃は突撃するようにやってきていたが、成長するにつれきちんとノックをすることを覚えた。


「はいはい……――」


 ゆっくりと扉を開く。

 しかし、扉の向こうにいたのはイーザクではなく、堅苦しい装いをした数人の男たちだった。

 装いと同じくらい堅苦しい雰囲気に、魔女は目を細める。

 この雰囲気を知っている。

 時おり魔女の元へやってくる、依頼のときだ。

 あぁ……またこの時がやってきた。

 魔女はそう思った。

 無意識に感情が沈んでいく。

 そんな魔女の前で、男たちの内の一人が礼を取りながら何かを差し出した。


「眠りの魔女様に、国王陛下より書状でございます――」


 言葉を最後まで聞かずとも、その内容を察した。







 西の空に太陽が傾く。

 魔女は庭に佇んだまま、少しずつ橙に色づく空を見上げていた。

 太陽が沈めば、夜がやってくる。

 黒い服の裾が少し冷たい風に揺れた。


「――魔女様?」


 聞き慣れた声に耳を動かし、ゆっくりと振り返れば、イーザクがいつものように訪ねてきていた。


「昼寝をしていないなんて珍しいですね」

「あまり眠りすぎると夜に眠れなくなるからねぇ」


 魔女の言葉にイーザクが笑う。

 最初に午睡を邪魔しに来たときが懐かしいと、魔女は思った。

 あのころは無邪気だった笑みは、今は少しだけ控えめに笑う。

 その笑みが真剣な表情となり、赤い秋桜の花を差し出した。


「魔女様。俺と結婚してください」


 求婚するなら花の一つくらい贈るよう教えた言葉を、イーザクは素直に守っている。


「本当に、諦めが悪いねぇ」

「魔女様が頷いてくださるまで諦めません」


 いつものやりとり。

 十年前から続いてきた、変わらない光景。

 魔女は差し出された花に手を伸ばした。


「受け取ってくれますか?」

「花だけだよ。もったいないからねぇ」


 花を顔に近づければ、甘い香りが胸を満たした。


「じゃあ、今度一緒に花を見に行きませんか? 丘の上に綺麗な花畑があるそうです」

「そういうのは同じ年頃の女の子を誘ってお行き」

「魔女様と一緒に行きたいんです」

「魔女が花畑なんて行ってどうするんだい。花がびっくりして枯れてしまうよ」


 イーザクは残念そうに眉を下げる。


「ほらほら、日が暮れる前に帰るんだよ」

「はい。また来ます」


 足元の影が少し長くなっている。

 イーザクは手を振って、森の方へと踵を返した。

 子どもの頃は跳ねるように歩いていた姿も、今ではしっかりとした足取りで大地を踏みしめて歩いている。

 魔女はその背を見送りながら、少しずつ小さくなっていく姿に、不意に口を開いた。


「イーザク」


 めったに呼ばない名前が響いて、イーザクが嬉しそうな顔で振り返った。


「体に気を付けるんだよ」

「? 俺は風邪一つひきませんよ」

「はは、そうだね」


 魔女は頷きながら笑った。


「さぁ、もうお帰り。夜は窓をしっかり閉めて、暖かくしてお眠り」


 イーザクは「子ども扱いしないでください」と少し不満げに零しながら、手を振って魔女の家を後にした。

 森を抜けると一本道が伸びており、その先は村へと続く。

 子どもの頃から毎日のように歩き続けた道。

 昔は遠く感じたけれど、今ではそれほど時間はかからない。

 生まれ故郷ではないけれど馴染んだ村へ着く。

 しかし、いつもは静かな村が、珍しく慌ただしい空気に包まれていた。

 中央の教会の前には同僚の騎士たちが集まっており、さらにはこんな小さな村では見ない魔術師の姿も多くあった。

 明らかにいつもと違う様子に、イーザクの胸の内が騒いだ。


「何かあったのか?」


 同僚たちの元に駆け寄り尋ねる。


「よく分からないが……魔物が現れたらしい」

「魔物!?」


 その言葉を聞いて、幼いころ魔物に襲われて家族を失ったイーザクは、全身に緊張が走った。

 これまでも時おり魔物は出現し、騎士として退治の役目を担うこともあったが、それまでとは比べ物にならないくらい不穏な空気に包まれている。

 そのとき、騎士隊長が厳しい表情を浮かべながら走ってきた。


「村人たちに家の中に入って鍵を閉め、決して朝まで外に出ないよう伝えて回れ。そしたらおまえたちも建物の中に避難するんだ!」


 騎士隊長が強い声音で命じる。

 しかし、イーザクはその言葉に疑問を抱いた。


「隊長、我々まで避難したら誰が魔物を倒すんですかっ?」

「……イーザク。今回は我々の出る幕じゃない」

「どういう意味ですか?」


 イーザクが騎士になる前から見知っている騎士隊長は、顔を苦し気に歪めた。

 そして、重々しく口を開いた。


「……眠りの魔女様の出番だ」


 眠りの魔女。

 そう呼ばれる存在を一人しか知らない。

 イーザクは初めて、その名の理由を知ることとなった――。







 ――眠りの魔女。


 その呼び名と生きてきて、もう何百年が過ぎただろうか。

 数えきれないほどに長い長いときだ。

 魔女はガラスに映る自分の変わらない顔を見ながら、戸を開いて庭に出た。


 眠りの魔女、それは魔物を捕らえ、共に長い眠りにつくことで封印する力。

 人の世に災いをもたらすほどに邪悪な魔物が現れたとき、ときの権力者たちは金銀財宝を貢いで眠りの魔女に封印を頼んだ。

 平和なときが続くこともあるので、そのときが来なければ忘れられている存在だ。


「この力を使うのも、久しぶりだねぇ」


 魔女自身でもそう思えるほど、忘れたころにやってくる。

 前回は……そう思い返そうとして、数えきれないくらい昔のことに、振り返ることをやめる。

 不老不死の身にとって、時間はあまり意味がない。

 ただ生きる時間が長すぎるせいで、報酬として貰う金銀財宝も、たいして使い道もなくこの家の地下で埋もれている。


「……イーザクにあげれば良かったかねぇ」


 最後に見た背中を思い出す。

 魔女に求婚してきた人間。

 魔女としてときに魔物の封印を求められたり、またときには村人たちが薬を求めて訪ねてきたりすることはあったけれど、求婚されたのは初めてだった。

 初めて求婚されたとき、なんて変わった妙な子どもだろうと思った。

 魔物に襲われて家族を失い、孤独でひもじい思いをしていたところを助けたから勘違いしているだけで、放っておけばじきに思いも消えるだろうと考えていた。

 それなのに、一年たっても、五年たっても、まさか十年たって成人しても求婚し続けるなんて、さすがに予想外だった。

 お喋りして、一緒にお菓子を食べて、花を贈られた日々が脳裏によみがえる。

 生きてきた時間が長すぎて、前に依頼してきた時の権力者が誰だったかも覚えていないけれど、イーザクと一緒に過ごした日々ははっきりと覚えている。

 これまで魔物を封印することは、金銭と引き換えに持つ力を使うだけの利害の一致だった。

 けれど、たった一人のためにこの力を使おうと思えた。

 もう二度と魔物に襲われて悲しい思いをしないように。


「さぁ、一緒に眠りにつこうか」


 混沌とした夜空を見上げ、空を埋め尽くすほどの邪悪な魔物の群れに魔女はそう告げた。

 途端に雷鳴が響き渡り、魔物たちが魔女をめがけて一斉に飛んでくる。

 数多の魔物たちを封印してきた魔女にとって恐れる気持ちはない。

 森の奥の屋敷ごと眠りの魔法をかけ、野兎一匹入って来ることのできない空間にして、共に長い眠りにつけばいいだけ。

 何度もそうしてきた。

 長い眠りも不老不死の魔女にとってはほんのいっとき。


「おやすみ」


 眠りにつく言葉を呟いた――。




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