其の捌拾漆 水の精霊
「さあ、四大精霊の一つ。ウンディーネの力を君に見せてあげよう!」
『…………』
エスパシオ殿が仰々しく両手を広げ、ウンディーネが水の膜を張って拙者へと構えた。
これまた大きな水よ。以前にリッチが作り出した雨粒よりも遥かに巨大であり、相当の魔力を秘めておる。
「水は出力次第でダイヤモンドも貫く。それが巨大化したらどうなるか。触れただけで粉微塵になるって訳さ──“金剛切塵水波”!」
だいやもんどとな。物の例えに出すという事は相応の硬度を誇る物なので御座ろう。
巨大な水塊が正面から撃ち出され、それを一刀両断する。水飛沫の中を突き抜け、エスパシオ殿とウンディーネ殿の元へと駆け抜けた。
「君の力はダイヤモンドを切れる程度じゃどうしようもないという事か。万物を切り裂く剣。魔法でも再現するにはかなりの労力を消費する力……そもそも再現なんて不可能じゃないかな。本当に君はなんなのだろうか」
「しがない騎士にして侍。ヴェネレ殿を護る者に御座る」
「騎士? いや……そんなんじゃない。まるで絵物語に出てくる王子様じゃないか!」
「そこまで大層な者では御座らぬよ」
拙者は王族や貴族などでは無い。現世でも平民上がりの武士。雇われの身である。
王子様。ニュアンス的に殿のご子息。若君などの立場。拙者には似合わん。
「まさしく君は、水も滴るいい男って訳だ──“水龍降下”!」
「……」
杖から放たれた水が太く長く伸び、地面から迫り上がるようにして水龍の形を象った。まさに空を掴み、天駆ける龍の如し。
そのまま上空へ飛び行き、弧を描くように勢いよく降下した。
無論、ウンディーネによって強化されている。威力を率直に表すならばエスパシオ殿のこの空間が水圧だけで揺れる程。今回は空間を操っていないのだが、それでもこの破壊力。精霊の力というものは偉大よの。
「だが、無意味」
「成る程ね。確かに君は王子様などのように……人間で収まる器じゃないか」
刀を左手に持ち替え、一刀両断。水龍は飛沫を散らして周りを湖と変えた。
「底無しの質量よの。まさかこの空間に深き池を生み出すとは」
「それ程の質量を込めても簡単に斬られるんだ。果たして君は本当に人間なのかな?」
「そうよの。強いて言うなら……“鬼”かもしれぬ」
瞬刻の間に駆け、沈み行く前に水面を蹴って跳躍。左手に刀。右手に鞘を携え、鞘にて頬を狙った。
「当たらないよ……!」
「…………」
「……ッ!」
鞘は囮。避けた先に峰を打ち付けてエスパシオ殿を箒から叩き落とし、下方にて大きな水飛沫が舞い上がる。
ウンディーネによって更なる強化が加わった膜を張っているだろうが、全ての衝撃を逃がす事は敵わなかろう。
「成る程……ね! “ツインウォーターフロウ”!」
「……」
重力に伴い落下。空中の拙者へ二つの渦巻く水流が撃ち出された。
それは刀にて切り裂き防御。着地と同時に体が沈む前に駆け出し、鞘にてその体を吹き飛ばす。
エスパシオ殿は二回三回と水切りのように水上を転がり、舞った瞬間に箒へ乗って体勢を立て直す。同時に周囲の水を巻き上げ、自分自身も魔力を込めて狙いを定めた。
「──“水流旋風波”+“空間掌握・鋭”!」
「………」
更なる回転力の高まった水流と共に周囲の空間が槍のように突き行く。
それを目の当たりにした直後に両方を切り捨て加速。先の水龍を両断した事によって生まれたこの湖はかなりの深さ。拙者とて、常に足踏みせねば沈んでしまう。
駆け抜けると同時に裂き、空間を足場に更なる力を加えた。
「……」
「あぐっ……!」
追い付けぬ速度にて鞘で腹部を貫く。
貫通はさせとらんが、かなり効いた事であろう。
小さき声を上げて吐瀉物を溢し、ウンディーネが即座に治療させた。
精霊によって自動的な回復が付与される。リュゼ殿のように意識を奪えばそれも無くなろう。
見たところ精霊は魔力の塊などではなく、確かに存在している。つまり宿主が倒れれば何もしなくなると言うのが拙者の見解。それが当たるかどうかは分からぬ。まだ参考となる前列がリュゼ殿だけに御座るからな。
「“ウォーターウィップ”!」
『……』
「……」
水の鞭を伸ばし、横に薙ぎ払う。それによって水表が抉れて舞い上がり、薄い皮のようなモノとなった。
水が落ちるよりも前に留まるとはの。凄まじき速度よ。
「簡単に避けるか。けど、この場に存する全ての水は我……いや、我らの力だ!」
『…………』
空中に留まる水は大波となり、周囲の水を巻き込んで攻め来る。
深き水を踏み蹴って駆け、波を断ち眼前へと迫る。
「……この波を切り裂くなんてね……!」
「侍による波斬りの逸話もあり、波を斬る鍛練もある。珍しくは御座らんよ」
「サムライ……なんて恐ろしい種族……」
何となく、リュゼ殿にもその様な事を話したの。
だが、現世に居た時と今の拙者は大分違う。考えられる線では鬼神となった事で身体能力が大幅に上がったくらいに御座ろう。
多くの人々を殺し、得られた力。お陰で今現在の主であるヴェネレ殿を護れるが、得た経緯は誇れるモノでは御座らんな。
「ハハ、良いね。つまり我らの力を更に思いっきり解放出来る相手って事だ!」
「……」
そんな拙者を前にしても折れる事無く高揚し、空間全体を己の魔力で覆い尽くす。
感情の昂りによる全能感。それを体現したかのようなエスパシオ殿は畳み掛けるように攻め立てる。
「──ウンディーネよ。その力を解放し、サムライを射て! “大海爆水地”!」
『~♪』
「……」
ウンディーネの詠うような声が響き、空間を埋め尽くした魔力が大波となって襲い来る。
成る程。最強とな。随分大層な自称と思うていたが、これ程の津波ならば国をも容易く飲み込む事に御座ろう。
「水害とはの。拙者の国でも昔から干害、水害、飢餓、疫病と様々な災害に見舞われてな。現世の時に今の力があれば泰平の世を築けたやも知れぬ」
刀を振り下ろし、津波を断つ。
火矢による火災。豪雨による水害。人為的な禍から自然による災害。ありとあらゆる厄災に見舞われた拙者の国。それによって親しき者の命が奪われた事も少なくない。
然し、成る程の。他者を傷付けるとばかり思っていた鬼神の力。だが、世には鬼神の天神もおる。
此れ即ち、今の拙者なればそれらの災禍から人々も護れるという事に御座ろう。今は違えど武士として大義である。
「いいね、我らの大波をも断つか。なら、更なる大水で仕掛けるのみ!」
『…………』
「………」
水飛沫による水滴を全身に浴び、楽しそうに笑うエスパシオ殿。
大技を斬られても尚笑い、果敢に挑み来る姿勢。この精神力はまさに最強足り得る。
「──青き水よ。無の空間よ。世界を覆い、対象を討つ。“水輪空爆衝”」
『……』
歪んだ空間と共に水の輪が生まれ、形容し難きモノが撃ち出される。
それは良いのだが、ちと大きいの。確かに世界を覆れる程の輪っかよ。
無論、即座にそれを断つ。
「ハハハ! ますます良いね! だったらこれならどうかな! “水球弾”!」
『……』
「結果は変わらぬ」
水の塊からなる弾丸。速度もあり、大きさも依然として巨躯であるが構わず切り裂く。
楽しんでいるところ悪いが、拙者としてももう終わらせる。
「……」
「来るか……来い。──“鈍水”」
何かの準備か、周りの湖を魔力の込められた水とし、拙者の動きを止める。
抜け出そうと思えば抜け出せるが、どうやらエスパシオ殿も拙者と同じく、この立ち合いにケリを付けるように御座る。
「──青き水の精霊、ウンディーネ。その力を完全に解放し、我が空間操術へ加える。生命、秩序、そして因果律すらも無視した大いなる流れよ、今こそ全てを呑み込む激流となり、全てに終止符を打つ……! 最上位魔法──“終焉の雨”!」
湖の水から空間がエスパシオ殿へと収束し、やがてそれは巨大な渦潮となりて周囲を全て巻き込んでいく。
天上へと舞い上がり、空間と大流が滝のように降り注いだ。
フム、Noah's Arkとな。また難しい言葉よ。
「世界を終わらせる事が可能かもしれない我の最大魔法だ! 伝承と違うのは生き物を救う舟が無いという事! だが、ここに居るのは我らとキエモン君のみ! さあ、どう出る! サムライよ!」
「…………」
考えている時間は御座らん。降り注ぐ水と空間の速度は雷纏いのリュゼ殿を遥かに凌駕しておる。
なれば拙者の成す事も一つのみ。全てを越えた神速の剣技にて断ち斬る。
踏み込み、跳躍。狙いはエスパシオ殿ただ一人。腰に鞘を携え、刀を仕舞って左手で柄を握る。此れ即ち居合いの型。
──もう既に事は終わらせた。
「斬り捨て……」
「……! なん……?」
『……!』
エスパシオ殿もウンディーネも反応する事無く、降り注いだ全ての雨は両断した。
飛沫を散らし、その飛沫がさながら空中にて停止しているかのような様。時が止まったかの如く光景。美しいの。水というものは災害と共に恩恵も与えてくれる。
エスパシオ殿とは今後とも協力し、上手くやっていこう。
「御免!」
「お見……事───」
『……ぁ……』
峰打ち。狙いも急所では御座らん。
だが、全身の骨は粉々に砕けておろう。この空間を出て直ぐにエルミス殿と合流せねばならぬな。
然し乍ら、打たれた事を理解し、拙者を称えるその姿勢。見事と言うなれば此方の台詞。かなりの強者に御座った。
エスパシオ殿らの横を通り過ぎ、次いでこの空間全てを断つ。
光が差し込むように散り行き、幻影のように消え去るウンディーネを他所に、拙者の勝利が決まった。




