其の漆拾弐 凶報
──“海の島”。
「──あれ? もう朝……? 雨で空は暗いけど、夜の暗さじゃないや……」
海の上へと浮かび、城から拙者らが目の当たりにした光景は雨。そして朝となっている島だった。
ヴェネレ殿に続き、フォティア殿らも言葉を発する。
「それに……雨だからなのか知らないけど、なんかイヤなジメっ気……本当に春?」
「ああ……気圧や気温……春雨にしては少し高いな。元々“海の島”は温暖な気候であり、それを踏まえても夏とまではいかないんだが」
「私達ってお城の中にどれくらい居ましたっけ……長く見積もっても10~20分でしょうに夜明けが早過ぎます……」
「空……雨……」
疑問点は多々あるが、始めの方に訪れるモノは現時刻と気温の変化。
春終わり、初夏の始まり付近だったとは言え、まだまだ夏ではない。にも関わらずこの有り様。明らかに異常事態に御座る。
その疑問の答えとばかりにシスイ殿は説明した。
「見ての通りです。既に地上世界では1~2週間は経過しております」
「「「………!?」」」
これまた奇っ怪な。建物内にて既に一週間以上経過したとな。
さながら浦島殿……水江浦嶼子殿の如き経験だ。
シスイ殿は困惑する拙者らに向け、説明を続ける。
「城の中には特殊な時間魔法が掛けられており、城内での10分は地上世界に置いての1週間程とされています。“月の国”からの報告は数百年周期。その為、これくらいが丁度良いのです」
「たった十分で一週間が経過してしまうのか。それは大変よ。拙者らのような地上の者が訪れては少し長居しただけで失う物が多くなってしまう。主らにとっての十年や数十年前など一日にも満たぬのだろう」
「そうですね。私達にとっての1日は約30年程。厳密に言えば20数年ですが、どちらにしてもあっと言う間の月日。しかし、もうそれが私達にとっての当たり前ですから。……虫と同じかもしれませんね。人間は普通に過ごすと60~70年は生きますが、虫は1年にも満たないモノがおります。虫の寿命を人間で換算するのと私達のお城で1日過ごすのはさして変わりません」
よく分からぬ理論だが、何にしてもあまり地上と関わらぬこの者達にとってはそれが当たり前との事。
なれば疑問をぶつける必要も無かろう。何故人は生きているのか。それが当たり前だから。特に理由も何も持たぬ者も少なくない。当たり前を追求すると疲れるからの。
「まあ、2週間程度で良かったよ。季節が春から初夏になっちゃったけど、このくらいの期間ならまだ言い訳も立つと思うし」
「そう言えばそうですね。ヴェネレ様が何ヵ月も行方不明だと国が傾きますけど、2週間に少し届かないくらいなら許容範囲の筈です。遠征は元々それくらい考慮される筈ですし」
ヴェネレ殿とエルミス殿が話す。
確かにそうだの。思えば拙者らはそれくらいの期間空けた事になる。
ファベル殿らにも心配掛けている事であろう。この短い期間で良かったものよ。
「定期的な報告をする必要もあるが、フォティアさんだからな。1~2週間くらいならファベルさんは「またか」と軽く流してくれるだろう」
「ちょいちょい、ウチだって立派にやってますぅ~。……とりま、なるべく早く帰ろっか。ウチらって“シャラン・トリュ・ウェーテ”の最高戦力って言っても過言じゃないし!」
「流石に過言な気もしますがね。まあ、キエモンや騎士団長のフォティアさん。そして王女のヴェネレ様。月の国へ関わりのあるセレーネ。医務班要らずのエルミス。国の大事な者達が集っているのはそうですが」
「何を言うておる。マルテ殿も大事であろう。自分を外すでない。拙者にとっても主は大切な人だ」
「……! ふ、ふふ。そうか。そうだな。キエモンにとって大事なら私も入れておくか」
ヴェネレ殿が付き添う遠征任務。今にして思えば新人であるエルミス殿が来た理由としても怪我であれば何でも治せるからに御座ろう。……確か似たような事は考えていたの。
拙者らは姫君の護衛。戦力は国の最高峰。
拙者も自身の強さは自負しておる。強くなくては誰も護れぬからの。人を護る為に手にした強さ。それは誇らねばならぬ。
「では、私達はこれで。また何か力が必要ならば呼んでください。アナタ様方は認めましたから」
「うん、ありがとー。シスイちゃん! またねー!」
「シスイ“ちゃん”……フフ、悪くない響きです」
小さく笑い、背を向けて海底へと帰り行く。
拙者らも翻し、なるべく早く帰る事にした。先ずは通達として、“今から帰る”と国の方へ伝達魔法にて送る。これで安否確認も済んだ。
拙者らは“海の島”を後にし、“シャラン・トリュ・ウェーテ”へと帰還する。
*****
──“シャラン・トリュ・ウェーテ”。
「お待ちしておりました。ヴェネレ様方。そしてフォティア。ご苦労様」
「珍しいね~。君がわざわざ出迎えるなんて。どういう風の吹き回し」
「そうだね。過ぎ行く春風、夏を送り込む熱風のような吹き回しかな。国の季節の変わり目さ」
「相変わらず何言ってるか分からないね~」
国へと帰るや否や、数人の騎士と共に一人の男が出迎えた。
はて、何処かで見た事ある者に御座るが、知らぬ者よ。
「フォティア殿。あの者はなんぞ?」
「あー、あれはウチと同じ騎士団長だよ。リュゼ=トゥルビネって言うの。見ての通り穏やかな変わり者だね!」
「るぜ=とるびね殿か」
「あれって……僕は物扱いか何かかな? それとニュアンスが違う。リュゼ=トゥルビネだよ」
名をリュゼ=トゥルビネ殿。
フム、騎士団長に御座ったか。道理で見覚えがあり、会った事が無い筈よ。
然し、騎士団長殿が直々に出迎えるなど確かに珍しき事。姫君の出迎えならおかしくもないがの。
「んで、どうして今日は君が出迎えたのかな。トルビー」
「また変なあだ名で呼ぶね。たまたま都合が空いたからくらいしか理由は無いよ。かなりの情報は手にしたみたいだし、お姫様の帰還に誰も出ない訳にはいかないだろう。嵐の後に穏やかな風が吹き抜けるのと同じさ」
「意味わかんね~」
軽口を叩き合う。と言うよりはリュゼ殿が詩的な言い回しをしておるようだ。
フォティア殿とは色々と合わない部分も多いのであろう。
「然し、何やら町の者達がよそよそしいの。いつもなら気軽に話し掛けてくれると言うに」
「確かにそうですね。ヴェネレ様とキエモンさんって人望がかなりありますのに」
「流石に数週間交流が無かったからの。加え、騎士団長が二人。話し掛けるのも難しかろう」
「アハハ……そうだね」
拙者らの話にヴェネレ殿は苦笑を浮かべる。
姫君であるヴェネレ殿も町人とは親しいからの。遠征帰り故、拙者らに気を使うてくれているのやも知れぬ。
そんな違和感のある町を行き、拙者らは城の前へと辿り着いた。
「ようこそお帰りくださいました。ヴェネレ様」
城門にて、髭を蓄え少々肥えている一人の男が頭を下げて出迎えた。
ヴェネレ殿が前に出る。
「侯爵さん。貴方がわざわざ出迎えるなんて珍しいですね」
「侯爵とな?」
「うん。騎士の階級が騎士団長、副団長、軍隊長、隊長、団員なら、騎士団長よりも上の階級が王、侯爵、公爵、伯爵、総裁って感じに分かれてるの」
「こうしゃくを二度申されたようだが」
「アハハ……紛らわしいよね。呼び方は同じなんだけど、ちょっと違うんだ」
即ちこの者は王や王女の次に階級の高い者の様子。
然し強そうな感じはせぬの。戦闘が騎士主体であれば、この者は知略的な方面で貢献しているので御座ろう。
「お仕事の方はよろしいんですか?」
「ええ。お陰様で。愈々ワタクシ共の仕事も完遂間近で御座います」
「ぇ……?」
「「「……!?」」」
「フム、成る程の」
侯爵殿が告げた時、全方位を他の騎士達とリュゼ殿に囲まれ、拙者らは杖を突き付けられた。
ヴェネレ殿らは何が起こったか分からずに困惑しておるが、拙者はこう言った場面に直面する事もあった。即ちこれはそう言う事で御座ろう。
「な、何をするんですか!? 侯爵さん!?」
「ファッファッファッ……もう貴女はこの国に必要無くなったという事ですよ。ヴェネレ様」
「……っ!?」
そう言う事……それは家臣による裏切り。からの暗殺。
金か力か権力か、それらに目が眩んだ者は時折裏切り行為をする。
拙者らはヴェネレ殿とセレーネ殿を護るよう、三人で背中合わせになり、騎士達へと構えた。
「トルビー……アナタ……!」
「悪いね。フォティア。風の流れは気紛れなんだ。穏やかなそよ風が突如として暴風に変わる事もある。君が報告をせず、過ぎていった数週間でそれが遂行されてしまったんだ」
「……っ」
これは難儀な。侯爵と他の騎士達はともかく、リュゼ殿の強さは未知数。
然しファベル殿やフォティア殿と同じならば、A級相当の妖並みの実力は有している事であろう。
「リュゼ殿。ファベル殿らは?」
「さあ、どこだろうね。彼……彼ら一派は必死に抵抗したよ。けど、僕ともう一人の騎士団長が相手だと分が悪かった。ボロボロにして追放。野垂れ死んだか今もなお生き長らえているか。最後に見たのが──王様の亡くなった2日後だから生死不明だね」
「……ぇ……パパが……亡くなった……?」
その言葉に、ヴェネレ殿は膝を着いて言葉を失う。目から涙が静かに流れ落ちた。
拙者は周囲へ警戒をしつつその側に寄り、しゃがんで肩に触れ、向こうを睨み付ける。
「……主らが殺めたのか? 返答次第ではこの国が過半数の騎士を失う事となろうぞ」
「……違うよ。王様は大往生さ。当然、毒とかを盛った訳でもない。今の主、侯爵様は王様への忠義心はちゃんとあった。そして人並外れた野望もあった。王様が亡くなり、しがらみが解かれたからこそ遂行したんだ。まあ、君達が数週間空けなければ、逆にヴェネレ様の暗殺は少し早まっていたかもしれないけどね」
「そうか」
つまり、ヴェネレ殿は始めから殺める算段でいた。
主君の死に関与していないのは一先ず良し。それにつき、どちらにしても拙者はこの者らを消さねばならぬかもしれぬな。
拙者は立ち上がり、言葉を続ける。
「では、この国の過半数から半数が死ぬ事になろう」
「……ッ!?」
踏み込み、瞬時に刀を抜いてリュゼ殿の体を切り裂いた。
「なんて速さ……!」
「成る程の。警戒はしておるか」
切り裂いた体は風のように消え去る。
此れ即ち、始めから風魔法か何かで分身を作っていたという事。
狡猾よの。流れる風のように形が御座らん。
「つまり本体は別に居るのか。なれば侯爵殿、お命頂戴致す」
「フン、バカめ。ワタクシも分身だ。始めから元王女、ヴェネレを罠にハメ、暗殺する為の包囲網だったのだよ!」
「──して、その包囲網は今しがた崩れ落ちたぞ」
「な……!?」
「「「────」」」
リュゼ殿が分身と知り、侯爵もそうであると判断したならもう用済み。
囲んでいた前方の騎士を全て斬り捨て、後方の騎士達はフォティア殿が焼き払っていた。
「ねぇ、君達。裏切りは即刻死罪だよ。あんましウチら舐めないでくれる?」
「くっ……! 囲え囲え!」
侯爵の分身が消え去り、城全体を壁が覆う。
正面に土の壁。その次に風の壁、火の壁が連なり、水の壁が一番奥へと形成された。四重の壁。対策済みであったか。
そこから木の塊や水の塊、土の塊など様々な魔法が撃ち出される。安全圏である壁の上。更には上空を囲う騎士達。それらによる投擲。さながら猿に柿を投げ付けられる蟹の如し。
拙者とフォティア殿なればこの程度の壁など容易く砕けるが、後に町の者達を巻き込む結果となってしまおう。あくまでヴェネレ殿が狙いであり、反抗したと言うファベル殿も生かして逃がしたと言っていた。
即ち、騎士は懐柔。町民は手出し無用との事。
何れはヴェネレ殿の国を返して貰うが、今此処で争い命を粗末にする事も無かろう。
降り注ぐ塊は斬り伏せ、ヴェネレ殿へと手を伸ばす。
「ヴェネレ殿。此処は一時的に撤退しようぞ」
「キエモン……パパ……死んじゃったって……」
「ああ。だが、案ずるでない。拙者らが居る。例え国中が敵になろうと、拙者がヴェネレ殿を御守り致す」
「キエモン……うぅ……グスッ……」
拙者へと抱き付き、涙を流す。
だが自分の立場を理解しているのか取り乱しはせず、静かに泣いた。
ヴェネレ殿は必ず護る。拙者は今一度、此処へ誓いを立てた。




