其の肆拾参 天候の水龍
『この姿なら遠慮無く戦えるだろう……! 騎士よ……!』
「そうに御座るな。華奢な女子では無くなった。見事な姿よ。ならば拙者もそれに応えてしんぜよう」
か弱き者ではなく、圧倒的強者の位置に君臨する生き物。龍。
この姿が相手であれば言い訳は立たぬ。なるべく傷付けるのは避けたかったが、向こうがその気ならば致し方無し。
受けて立つ。
『GOGYAAAaaaaa!!!』
「…………」
猛々しい声を上げ、天から落雷が降り注ぐ。
それらを躱して地面を蹴り、鞘に納まった状態の刀を構える。
『まだ抜かぬか……! 君は一体、どうすれば抜いてくれるのだ!』
「侍が刀を抜くのは誰かを護る時のみ。今現在、拙者が護らなければならぬ程の者はおらん」
『減らず口を……!』
何重にも覆われたかのような声で話、風の刃を撃ち出す。
周囲の木々が斬り倒され、大地に亀裂が入り衝撃で大きく揺れた。
「…………」
『今度は減らず口すら言わないか!』
次いで渦巻く水流を再び放出。森を吹き飛ばすそれらを避け、奴の存在を改めて思案する。
(龍の代名詞とも言える火炎は吐かぬな。あれ程の苛立ちを見せているのならば、使わぬ訳が無かろうに)
先ず着目したのは炎を吐かぬ事。
龍で火を連想する者も多く居るだろう。それが無いのが不思議な程。
雨風雷を避けつつ、更に思考の中へ深く沈み行く。
(今まで使うたのは水に雷、風。何れも天候に関わるモノに御座るな。なればあれは天候を操る龍か)
人間の姿の時から奴は水と風を操っていたが、雷は龍となってから。即ち人間の姿のままでは限界もあったのだろう。
そんな限界近くでも使えた力を考えるに奴は──。
(──水龍。または水に関する神のようなものやもしれぬ。天候と水の龍。手強い相手よの)
正体は掴めた。おそらく間違うてはいなかろう。
水の天候龍。現時点では何とかなっているが、向こうもまだ本気では無い筈。あれ程の範囲技を繰り出されればファベル殿らにも影響が及んでしまう。
やはり何としてでも止めなくてはならぬな。無論、刃は抜かずに。
「…………」
『近くでは見切れなかった速度も……遠距離からなら迎えられる!』
森の中を駆け、拙者の居場所に風の刃が降り注ぐ。
身を隠す木々は既に水の竜巻によって打ち砕かれた。場を広くし、狙いを定めて細やかな風刃や落雷で仕掛けるのが奴のやり方であろう。
「……」
『ちょこまかと……! 数撃てば当たる!』
下手な鉄砲も数撃てば当たるが、水龍の撃ち出す技は決して下手ではない。故に全てを避け切るのは難儀なモノ。
然れど拙者は体躯の有利がある。小さき者には中々当たらぬのが普通。この有利を生かし、上手く翻弄せしめよう。
「……」
『……っ!』
左右に動き回って狙いを決定させず、隙を突いては正面から駆け抜け、水龍の頬に鞘を打ち付けた。
殴打された彼女は怯みを見せて仰け反り、その長き胴体を渡って跳躍。龍の更に上から鞘を振り下ろし、頭を地面へと叩き付けた。
それによって揺れが生じ、弾むように空中へ戻る。瞬時に近くの木を蹴り、加速して顎を貫くように突く。
実際に貫きはせぬが、鞘に納まったままの刀でも当たれば痛かろう。
『小物が小癪な……! 私の更に更なる上の力を見せてやる!』
「…………」
真珠のような首飾りが光を放ち、そこから先程よりも遥かに強大な水と風が放出。森を大きく吹き飛ばした。
龍の首の珠。鮮やかな五色の光を放つそれは力を増強する効果があるのかもしれぬな。拙者以外の騎士達の中でなら有用性がありそうだ。似たような物を再現出来ればかなり発展する。
「まあ、そんなに上手くはいかなかろう」
『何をブツブツと!』
「主にはあまり関係無き事だ。主の利用価値を思案していた」
『私の利用価値……見た目に似合わず、随分と物騒な事を言うじゃないか……』
利用価値と言うのは人聞きが悪かったの。強ち間違ってはいないのだが、なるべく穏便に済ませたいのが拙者の心情。
語弊の無いよう、言葉を選ばなくてはならぬな。
「……」
『そしてまた、戦闘モードに入ると口数が極端に減る。ペースに乗せられてしまうな』
思わぬ効果を発揮したな。拙者のぺーすとやらに乗りつつある様子。ぺーすというのは己が領域と言ったところ。
つまり、敵を拙者の掌の上で踊らせる事が出来れば事は早く済む。……それが出来ればの話に御座るが。
「……」
『……っ。なぜ何故何で当たらんのだ!?』
次々と水龍から水弾や風刃が放たれる。
だがその軌道は素直。あの者の性格がそうしているのか、単純な狙いで拙者に仕掛けていた。
一応の先読みはしているが、小さな隙間を透り抜ける拙者相手では分が悪いだろう。
抜け、今度は額を鞘にて打ち抜く。
「…………」
『……ッ! ダメージは少ないが、煩わしいな……!』
鞘で打ち付けた事によって生じた自身へのだめーじとやらを拙者に報告するが、然して効いていないようだ。
だが拙者の役目は足止め。相手を苛つかせ、時間を稼げればそれで良い。
「…………」
『この……!』
着地した瞬間に大地を蹴り、天上の龍を鞘で打つ。そのまま巨躯の体を足場に離れ、近くの木を利用して弾みを付け、飛ぶように追撃を頬へ叩き込んだ。
角を掴んで勢いを利用し、回転を加えて脳天を叩く。
『頭に乗るな……! 図に乗るな……!』
「……」
首を振り、拙者を払う。
髪や髭や角にしがみつけば落ちずに済むが、拙者の姿が確認出来なければ向こうへ行く可能性もある。故に降り立ち、相手の視界に拙者を入れる。
『チクチクチクと……大した事無い攻撃を……! やる気はあるのか!?』
飛ぶ蚊や羽虫が煩わしいように、少ない攻撃でも気に障る。
苛立ちが目に見えて現れ、更なる暴風と暴水が森の残った木々も飲み込んだ。
フム、引き付けるのが目的とは言え、森が無くなるのは避けたいの。
「…………」
『今度は向こうに……!』
故に、森と人の居らぬ場所へ移動。水龍の顔を殴り付けて気を引き、そのまま寄せて拙者自身が駆け出した。
『一体全体何を企んでいる……! その程度の事で私に傷一つ付けられるとでも思っているのか……!』
「…………」
返答はせぬ。時折風圧を打ち込んで気を逸らし、うねる巨躯の体が馬よりも速く迫り来る。
『この速度と硬さで体当たりするだけでも致命傷だろう!』
「……」
風を切って進み、背後から重い空気の音も届く。
この辺りの地の利は相変わらず理解してはいないが、何度か行って国の近くにあるモノだけは把握した。
ついでに暫く意識も失って頂こう。この先にはそれが出来る場所がある。
「…………」
『挑発しているようだな……良かろう。それに乗ってやる!』
十分に焚き付けた甲斐があった。冷静な判断を欠き、誘われるがままに来る。
少し速度を上げよう。
「……」
『フッ、さしずめ戦いやすい場所にでも誘っているのだろう。街の近くにある森が無くなっては色々と困るだろうからな……!』
半分は当てたの。森が無くなるのは困る。
だが、狙いはそこでは無い。
「……」
『……! これは……(……崖!?)』
先にあった崖。
最高速にはまだ及ばぬが、この速度ならば十分。身を翻していなし、龍の頭から胴体へと滑り込み、水龍は勢いそのまま崖に激突した。
『あぐぁ……!』
「崖が崩れぬか心配よの」
振動は大きく、崖の一部は揺らぐ。
落石が起こり、龍の体にそれらが雪崩れ込む。大きな怯みを見せては項垂れ、次第に動きが止まった。
死しては御座らん。いくら体が硬かろうと内部へ伝わる衝撃はどうしようもない。故に脳が揺れ、意識が途絶えたのだろう。
「変化はまだ解けぬな。完全に意識を失った訳には御座らぬか」
『ァア……そうだ……その通りだ……目眩はするが……まだまだまだだ、終わってないぞ……!』
一時的には意識を失ったと思われるが、それは数秒程度。回復力も高いの。
『ならば私も本気を見せよう──』
「……」
今度こそ本当の本気。辺りに雲を呼び、雷鳴が轟き瞬く間に豪雨となる。
先程の風雨とは比にならぬな。これが本気という事か。余波だけで天変地異を起こすとはの。
『終わらせてやる……!』
「……。そうだな。終わりのようだ」
全ての雲が龍の周りに集い、渦巻くように風が吹き荒れた。
拙者は鞘を腰に納め、龍は動きを止めた。
『なんのつもりだ……?』
「言ったであろう。終わりのようとな。話し合いが終わり、互いに目的は達成されたようだ」
『……。なぜだ、なぜか、なぜ君にそれが分かる?」
「感覚に御座る」
感覚で分かる。それに偽りはない。
龍の娘は人の姿に戻り、疑問を浮かべていたが事実なのだから仕方無い。
然しこの姿……。
「何故先程まで身に付けていた衣服が無くなっている?」
一糸纏わぬ生まれたままの姿となっていた。
拙者は熟裸体の女子と縁があるの。如何様な星の下に生まれたので御座ろうか。
龍娘は恥じらいも見せず、呆気からんと応えた。
「当たり前だろう。当然だ。あれは人間用の服。普通に考えて龍の姿では破れる」
「フム、尤もな意見に御座る。ではこれを羽織れ。今現在の様子から惟るに羞恥的な感情が人と同じかは分からぬが、衣服を纏って降りてきた。多少は恥じらいもあろう」
「そうか、そうだな。そうかもしれない。確かに少しは恥ずかしい。敵となりうる可能性もあるが、その言葉に甘えよう」
外衣を渡し、一先ず羽織る。
随分と遠くまで来た。なるべく早く戻るとしよう。
「では行こう。目的地は同じだ」
「フッ、そうだ……な……」
「……如何致した?」
「……っ。倒れる前に止めてくれたか……こちらの方が羞恥的だ……。何でもない……先程の脳震盪が今になって及んだに過ぎな……い」
「やれやれ。無茶をするの。龍の娘よ」
「くっ……」
足元がフラつき、拙者が肩を貸す。
裸体を見られた事より先程まで敵対していた拙者に寄り掛かる方が恥じているが、何も出来なかろう。なればこのまま運ぶだけに御座る。
拙者と龍娘の戦闘。それは話し合いが終わったと見計らい、拙者の意思で中止にした。




