其の参拾漆 空の月
「ただいま戻った」
「お疲れ様です。キエモン様」
任務を終え、拙者は城へと舞い戻った。
今日の任務は長引いたの。既に日も暮れた。
妖や物の怪退治ならば距離以外の問題は無いのだが、今回の任務内容は農作業の手伝い。
魔法を使えぬ拙者は自らで行動していたが、魔法を使える者ですら苦労していたからの。
農業用水は水魔法で応用出来るが、畑を耕す行為は乱雑にすれば良いという訳でもない。故に使える範囲も限られていた。
寧ろ拙者の方が慣れていたの。他の騎士達はあまり農作業をしないのだろう。
そして、今まで拙者は妖術と言っていたが根本的な部分は違うらしい。故にこれからは魔法と言う事にした。
「さて、セレーネ殿は大丈夫に御座ろうか」
気になる事はセレーネ殿について。
任務に行く前、行って欲しくない面持ちで拙者の裾を掴んでいたからの。惟れば親しき者が誰一人としておらぬ場所は不安に御座ろう。
「鬼右衛門。お帰り……」
「おかえりー。キエモン!」
「む? セレーネ殿。そしてヴェネレ殿」
その様な事を思案していると二人が出迎えてくれた。
フム、確かにそうであったな。誰一人として親しき者がおらぬと言う事は訂正しようぞ。ヴェネレ殿ならば良き友人となれるであろう。
「お二人は仲睦まじくなれたのだな。それは何より。良き事に御座る」
「まあね~。最初に話した時はちょっと変な感じだったけど、案内してみたら楽しかったんだ~」
「うん……楽しい……」
活発なヴェネレ殿と淑やかなセレーネ殿。性格こそ違う二人だが、だからこそ通ずるモノもあるのだろう。
案外、真逆の性格の者と行動する方が合っているのかもしれない。
そうなると拙者はどちらに御座ろうか。活発では無ければ、淑やかでもない。基本的に風の赴く儘に行動しておるからの。
「そうそう。キエモン。今日の夕飯はセレーネちゃんも誘って良いかな?」
「良いのではないか? 拙者の主はヴェネレ殿。その一存に従うまで」
「じゃあ決まり!」
最近は主従の立場関係無く、ヴェネレ殿と共に食事を摂る機会も多くなっておる。
基本的にはマルテ殿にフォティア殿。サベル殿にファベル殿とその時暇のある者が一緒だ。
今日はそこへセレーネ殿も加わる。マルテ殿らは暇を持て余しているだろうか。団員の拙者は然程忙しくないが、階級の高いマルテ殿らは日々を忙しなく過ごしておる。
因みにサベル殿も拙者と同じく団員でしかないのだが、妖の後処理などが長引くのであまり定時には終わらぬようだ。
他人事でしかないが、大変に御座るな。
拙者も任務でヴェネレ殿の夕食に間に合わぬ事もある。それを踏まえ、セレーネ殿と仲良くなったのならば彼女が寂しい思いをせずとも済むのが一番の嬉しき成果よの。
「今日は拙者以外忙しそうだ。如何致す?」
「うーん、じゃあ3人で食べちゃおっか。帰って来るみんなは疲れているだろうし、わざわざ誘うのも悪いからね」
「そうに御座るな」
今日は生憎、マルテ殿らは暇ではない様子。
己の在り方で過ごして欲しい。故に無理強いはしない。
城へと帰った拙者は、ヴェネレ殿、セレーネ殿と共に食事を摂るので御座った。
*****
「眠らぬのか? セレーネ殿」
「鬼右衛門……」
──その夜更け。
食事と入浴を終え、就寝の少し前。渡り廊下にて夜空を見上げるセレーネ殿が目に入り、話し掛ける。
どこか寂しげな面持ちで空を見るセレーネ殿は此方を見、儚げに再び空を見上げた。
「そう言う訳じゃない……ただ空が気になって……」
「フム、空に御座るか。今宵は半月。月明かりはそこまで強くなく、過ごしやすい夜に御座るな。マルテ殿ら夜番の者達も見易かろう」
「うん……そうだね……」
淡い光が窓越しに廊下を照らす。
この空を気に掛けるのは分からんでもない。静けさを湛えた紺碧の夜空には、月と共に星達が瞬き、時折流れ落ちる。
ずっと見ていたく思うような、そんな空。
然し乍ら、セレーネ殿の瞳が映す空に星達は入っておらぬようだ。
「──“神の光”……ヴェネレから聞いたけど……少し前にそんな現象があったんだってね……」
「フム、その様に御座るな。拙者も詳しくは知らぬが、大規模な神隠し。攫われた人々が何処に居るのか、全容は不明らしい」
「…………」
セレーネ殿の視界にあるは月。それも数年前に起きたと言う、“神の光”について。
あくまで一瞬の瞬きによる超常現象であるが、マルテ殿も月が特徴的と言っておった。
事実、何かしらの要因として月が関わってくるのやも知れぬな。
「ねえ、鬼右衛門……」
「なんぞ? セレーネ殿」
改め、セレーネ殿が拙者の名を呼ぶ。
そちらを見やり、訊ね返して返答を待つ。
セレーネ殿は微笑むように小さく笑い、更なる言葉を綴り申した。
「──もしも月の世界に人が居たら、この世界はどうなると思う?」
月の人。改めて言う事がそれに御座るか。
月にはウサギがおるのだから人くらい居ようモノだが、初めて見せた微笑みにて聞く事だろうか。
一先ずその言葉に返す。
「月にも人は居ろうて。この国では見えぬが、拙者の国では月にて餅をつくウサギがおる。月の兎はお釈迦様に身を捧げ、奉られたと云う。それに加え、古くは竹取物語という伝承が拙者の国にあるからの。月に人が居る証であろう」
「月の兎に竹取物語……良い響き……」
「して、セレーネ殿。人が居たらどうなるかとはなんぞ?」
拙者の国に古くから伝わる物語を言い、セレーネ殿はそれに惹かれる。
一体彼女の質問の意図はなんなのであろうか。その返答を待つ。
「……うん……この星ですら争っている場所があるのに……もしも月に人が居たら更に争いは大きくなるよねって……。それこそ地上世界を巻き込んじゃうような……そんな争いが……」
争い絶えぬ世界。国を揺るがす程に大きな戦から小さな小競り合いまで、それは様々。
確かにそうであるな。然し、拙者はその言葉に返した。
「そうで御座ろうか」
「……ぇ……?」
「いや、単純な拙者の考えであり、言ってしまえば夢物語にも等しき事だが、全容の分からぬ“裏側”の者達と拙者らは良き関係となっている。相手が人であれば会話は出来る。それでも話が通じぬ者が居るとしても、必ず誰かとは会話が出来よう。故に、腹の底を見せて話し合えば通じると思うておるのだ」
「……。……ふふ……素敵な考えだね……。私もそうであって欲しいかな……鬼右衛門やヴェネレとみんなが仲良くして欲しい……」
「フッ、きっと叶う。……それよりセレーネ殿。その口振り、記憶が戻ったのか?」
人は分かり合える。現実はそう上手くいかずとも、その様に思いたいものよ。
然し気になるセレーネ殿の態度。それについて質問し、少し考える素振りを見せて言葉を続ける。
「それは……分からない……何となく言葉が出てきただけ……後、月に人が居るような、そんな感覚になって……」
「フム、何かしらの兆しやも知れぬな。なればその感覚を忘れず、記憶を思い出して行こう」
「鬼右衛門は怖くないの……? もしも私が極悪人だったら……」
「何を言うておる。人の本筋は記憶が無くとも変わらぬ。元のセレーネ殿も淑やかで平穏を願うそんな者だったのだろう」
「そう……かな……そう言ってもらえると嬉しい……」
何処か寂しげな表情は晴れ、すっかり気分が上がった面持ち。それは何より。
セレーネ殿は拙者へ話す。
「ねえ、鬼右衛門……。明日……私と一緒に私を見つけた場所に行こ……もしかしたら手掛かりがあるかもしれない……」
「……成る程。確かにそうで御座るな。倒れていたセレーネ殿に気を取られ、辺りを調べてはいなかった」
惟ればそう。
手掛かりならばその者が居た周りにあるやも知れぬ。セレーネ殿が倒れていた周辺。そこならば身分を示す物が落ちている可能性もある。
怪我や汚れが無かったのを考えるに暴力沙汰にはなっていない。故に盗られた可能性は薄く、あの場所には人も居なかった。
つまり何かしらの証明があるのなら、今も尚そこに落ちているだろう。
なれば答えは一つ。
「ウム、構わぬよ。セレーネ殿。明日、共に行こうぞ」
「うん……」
その場へ行ってみる。何かあっても、何も無くとも掴める可能性が少しでもあるならそれを遂行するのみ。
明日、拙者とセレーネ殿はそちらへ赴く事にした。




