其の参拾肆 移り変わる景色
「棟梁。持って参った。約束の資材に御座る」
「え!? もう帰ってきたのか!? 本当に早いな、キエモンさん。……それで、その子は? ナンパでもしたのか?」
「難破? 拙者は船になど乗っておらぬが」
「ああいや、そっちじゃなくて……まあ、現実のナンパも難破みたいに破損する事はよくあるけど」
何を言っておるのか存ぜぬが、セレーネ殿を気にしているようだ。
惟れば皆が皆セレーネ殿に着目するの。やはり“シャラン・トリュ・ウェーテ”の者でもなく、誰とも面識の無い彼女が気に掛けられるのは当然か。
「そいじゃあな」
「ウム。また必要になったら言ってくれ」
「応っ! 材料はいくつあっても困らないからな!」
棟梁に一礼し、その場を離れる。
さて、仕事に戻りたいところだがセレーネ殿を放っておく訳にもいかぬ。一応医者に見せようか。見たところ何でもなさそうに御座るがな。
「セレーネ殿。体調の方は大丈夫か?」
「うん……頭のボヤボヤは晴れた……」
「それは何より。ならば医者に見せる必要も無いか……いや然し、倒れていた事には変わりないからの」
「私は大丈夫……もう少し世界を見てみたい……」
「世界を? フム、散策に御座るな。ならば主の望むままに。一度外側へ帰るのも一つの手よ」
「外側……?」
「ウム。説明すれば長くなるが、この世界はちと複雑なのだ。拙者も詳しくは知らぬ故、見て回った方が早いだろう」
体調に異常は無い様子。
ならばどうするか。先程からどうするかと曖昧な悩み方しかしておらぬな。武士たる者、も少し堂々とせねばならぬ。
取り敢えず、セレーネ殿の望みを叶えようぞ。
「この町は拙者の故郷に似ていて良い場所なのだが、未だ復興途中。なれば今現在の拙者が生活しておる“シャラン・トリュ・ウェーテ”に向かおうぞ」
「洒落……鳥……得手……?」
「フッ、言いにくかろう。拙者も中々に難しかった。だが、もう言える。“シャラン・トリュ・ウェーテ”よ」
「“シャラン・トリュ・ウェーテ”……」
「おお! 拙者よりも覚えるのが早いの。主」
「へへ……」
褒められ、喜ぶ。
感情はあまり表に出さぬようだが、しかと受け答えも出来ている。曖昧な記憶の方も、おそらく自身の素性に限ってのものなのだろう。
「さて、帰る為には箒に乗らねばならぬが、拙者らは二人。仕方無い。拙者自身が登ろう」
「……?」
外側に通ずる道は、言ってしまえば崖のようなモノ。鼠返し式ではない故に登ろうと思えば行ける。
いや、此処は敢えて遠回りをし、楽な道を行こうか。
この一週間で拙者は道を教えられた。そこは箒を使えぬ裏側の者が通る、謂わば正規の道筋であり、セレーネ殿に色々と景色などを見せるのが目的ならばそこを行った方が良さそうに御座る。
「セレーネ殿。少し遠き道を行くが構わぬか? 時間的にも野宿になりそうだが」
「うん……鬼右衛門と一緒ならいい……」
「了解した」
急がば回れ。たまにはのんびりと行くのも良い。改めて自然の美しさを垣間見えるからの。
拙者とセレーネ殿は町を出て正規の道筋で“シャラン・トリュ・ウェーテ”へと向かった。
*****
「ここは……?」
「此処は森と言う場所に御座る。外側の世界とも類似しておるの。緑豊かな木々が癒しを与え、心無しか体も軽くなるような錯覚を覚える」
「へえ……」
「因みに、セレーネ殿が倒れていた場所は林に御座るな。森より規模は小さいが、陥る感覚は似たようなものよ」
町へ向かう為の道中、既に日も暮れ始めている時間帯だが拙者とセレーネ殿は構わず進んでいた。
夕刻の森は薄暗く、少しばかり不気味な雰囲気を醸し出すが、それもまた乙なもの。赤い日の照らす緑い森は昼間とはまた違った美しさを演出する。
「然し、灯りもない夜の森は足元などが危険で御座るな。この辺りで拠点を張ろう」
「拠点……?」
「そうだ。と言うても簡易的なものよ。先程町にて購入しておいた」
外側の町では魔力を必要とする物が多く使い塾せぬが、あの町は妖術……魔法を使えない者も多く居る。魔法道具を除けば全員が使えぬのだったな。
それもあり、あの町で売りに出されている道具は拙者にとっては有り難い代物ばかりだった。
「食事も摂りたいが、主が食さぬ物はあるか?」
「特には……肉類はちょっと苦手かも……」
「ならば魚にしよう。あの町では漬物も味噌もあった。拙者としても懐かしき故郷の食事を摂れる」
「鬼右衛門の故郷……」
「ウム、出処國、日本。それが拙者の故郷よ」
「ニホン……二つあるの……?」
「どうであろうな。もしかすれば、島の近くにまた別の日本があるやも知れぬ。だが、具体的には不明よ。海の外には出た事がないからの。知ってて近場の国くらいに御座る」
「ふうん……」
調理しつつ、故郷について少し話す。
今となっては懐かしいの。まだ一月も経過しておらんが、その様な感覚に陥る。
水を沸かして味噌と野菜を入れ、米を煮出して魚を焼く。
然し、本当に懐かしさのある町であるな。米などが食せるとは思わなんだ。パンとシチューも良いが、やはり故郷の味、米と味噌が馴染む。
「良い匂い……」
「ウム、味噌には食欲を唆らせる効果があると勝手に思うておる。ほれ、出来たぞ。食うてみよ」
「うん……いただきます……」
「……!」
それは教えて御座らんが、食前の挨拶をしたの。
ヴェネレ殿らも知らなかった拙者の国の作法。もしやこの者も日本から……というのは無いか。肝心な日本と言う単語には大きな反応は見えなかった。
同じような作法をする国もあるのだろう。食物に感謝する事、それは良き事だ。
「頂き候。ウム、やはり美味い!」
「うん……とても美味しい……」
懐かしき米を噛む感覚。味噌汁を啜る感覚。漬物を噛む感覚。魚を味わう感覚。
基本的には茶碗へ山盛りにして装うが数にも限りがある。少々減らしておる。
「美味しいけど……少し多い……」
「む? これでも多いか。確かにこの国の者達は皆少食。拙者の食す量を見て驚愕していた」
「私もその皆側かな……」
「成る程の。明日からは気を付けよう」
あまり食べぬ者が多いこの国。拙者が特別と言う訳ではなく、国ではそうであるが故に自然と習慣になっているのだろう。
卑しい者と思われてるかもしれぬな。今後は食事の量も気を使おうか。然れど腹は減る。だが、武士たる者、我慢の一つも覚えなくてはならぬ。
むむむ、この世界に来てから降り掛かる難しき問題が多いの。
「鬼右衛門……?」
「おっと、考え込んでしまった。冷める前に食おう。せっかくの美味な食事が勿体無い」
「うん……」
今の時点では必要の無い思考を止め、食事を進める。
懐かしき味わいに舌鼓を打ち、お歯黒とも違う“歯磨き”をして眠りに就く。
翌日、朝食を終えた拙者とセレーネ殿は外側に向けてまた歩み出す。
「木が無くなった……」
「草原に御座る。今の時期を思えば春風が吹き抜け、心地好いぞ」
「うん。暖かい風が気持ちいい……」
森を抜けた先の草原。広々としており、子供のように無邪気に走りたくなるがそれはせなんだ。
ただ歩を進めるだけでも心が晴れるような気分となる。
天下泰平、日本晴れ。此処の世界情勢は分からぬが、この景色だけを見ればそう思える。
「透き通る水……」
「湖だな。フム、美しき水。丁度良い。そろそろ飲み水が尽き掛けていた。少し拝借しよう」
数刻進んだ先にあった湖にて休憩を取り、水を汲む。
これ程までの水ならば問題無く飲めよう。天からの恵みに御座るな。
「そろそろ見えてくる。さて、今日の景色は如何程であろうか」
「今日の……?」
「ウム。出入口となる場所は日によってその姿を変えてな。美しき花畑から地獄の業火まで、多種多様に御座る」
「そうなんだ……」
それなりを進み、地図にあった通りならそろそろ到達する頃合い。今日の景色を心待ちにする。
花畑と業火以外にもこの一週間で移り……いや、映り変わる様々な景色を目の当たりにした。
森。川。砂漠。更地。その光景は正に千差万別。今日の景色は何であろう。
「……あれ……夜……?」
「……まだそんなに経っておらんが……成る程の。今日の景色は夜、満月に御座るか」
登り終えた先に見えた景色は夜。大きな月の見える光景であった。
微笑むように輝く月。天上は小さな星々が埋め尽くしては反射し、月と共鳴するように瞬いている。
足元は草原。遠方には藪……竹藪が映る。
なんともまた、拙者の故郷を思い出す光景よ。月の中にてウサギが餅をついておる。
「綺麗……」
「絶景かな。月夜の晩は月見酒が進む」
「お酒?」
「そうだ。酒を嗜むのも風情である。米を使った飲料……とでも言おうか。もしかすればこの米を使って作れるやも知れぬ」
作り方を詳しく知っている訳ではないが、漬物や味噌もあったあの町ならば“わいん”とはまた違う酒が飲める可能性がある。
是非ともヴェネレ殿、マルテ殿、サベル殿やエルミス殿及び騎士の面々に振る舞いたいの。
酒は娯楽。他の者達もだが、より疲れているであろうマルテ殿も少し楽になるかもな。
「いや、ヴェネレ殿やセレーネ殿は酒を飲んで良い年齢なのであろうか。惟れば、ヴェネレ殿はわいんすら飲んでいるのを見た事が無い」
「ヴェネレ……?」
「ああ。拙者が世話になっている城の姫君に御座る。心優しき良いお方よ」
「女の子……?」
「そうに御座るな。親しき女性の知り合いはチラホラ居る。男性陣は少なく、明確に親しいと言えるのはファベル殿かサベル殿くらいであるが」
「ふうん。そうなんだ」
「セレーネ殿?」
「ううん。何でもない……」
一瞬、セレーネ殿の表情が強張った気がした。だが、元より変化の少ないお方。気の所為と言う可能性もある。
深くは詮索せずとも良いだろう。
「では参ろう。その町、“シャラン・トリュ・ウェーテ”へ」
「……。……うん……」
少し間を置き、拙者の手を引く。
一日共に居ただけに御座るがな、もう大分慣れたようだな。それは何よりだ。
それから特に何事も無く、裏側へ通ずる森を抜けた拙者とセレーネ殿は“シャラン・トリュ・ウェーテ”へと到達した。




