其の弐佰参 信仰の国
“シャラン・トリュ・ウェーテ”を発った拙者らは進み、神の国を謳われる場所へと到達した。
到達したのだが、さて、なんぞこれは。
「草木も無く、土地も枯れておるの」
「そうですね……季節を思えば草木が無いのはまだ分かりますけど、この土地は明らかに異常です……」
「なんか変な匂いもしますわ」
「リュゼさんはよくもまあこんなところに滞在出来たなー……」
「空気が悪い……」
神とは名ばかりの枯れた土地。
ある木は枯れており、草も茶色の物ばかりで花は二つの意味で無し。
形容し難き異臭とも取れる悪臭が漂い、エルミス殿、ブランカ殿、ペトラ殿にセレーネ殿の四人も強張った表情をしていた。
斯く言う拙者もこの空気は好かぬ。見るからにマズイと理解出来る程だ。物理的にも不味いしの。
それに加えてこんな日に暗い曇天の空模様とは。何かを示唆するかの如き天候よ。
「一先ず物陰に隠れ、ここまま見つからぬよう辺りの様子を探ってみるか」
「そうですね……」
今のところ人や生き物の気配は御座らんが、人が居る痕跡はある。
なので建物などの影に隠れ、国の様子を窺って真偽を確かめる事にした。
「他の国のように空を飛ぶ者は居ないな。屋根の上に身を潜めるのが良さそうだ」
「はい」
「分かりましたわ」
「了解」
「うん……」
エルミス殿ら三人は箒に股がって空を行き、拙者はセレーネ殿をおぶって跳んだ。
そのまま屋根に降り、そこから下の様子を窺う。
曇り空なので薄暗くはあるが、昼間というのもあって視界自体は開けておる。後はこの気配無き町でどう動くか。
「……む? この辺りに気配は御座らんが、向こうの建物から複数人を感じるの。かなり多いぞ」
「複数人? 向こうの建物は……遠くて見えにくいですけど、教会のようなところですね」
「リュゼさんは信仰があると言っていましたわね。お祈りでも捧げているのでしょうか」
あまりにも人がいないと思ったが、皆は教会へと集っているのか。
定期的に祈りを捧げねばならないというのも大変よの。此処では二礼二拍手一礼ではないのだろうか。今年の正月は神社が無かったので参拝しておらぬな。……と、余計な事まで考えてしまった。
「彼処へ行ってみるか。此処に居ても埒が明かぬしの」
「賛成です」
様子を確認するのなら観察対象となる国民が居なければ話にならぬ。
故に気付かれぬよう屋根から屋根へと跳び移って教会の近くへと来た。
丁度上の方から覗けるような天窓があり、拙者らはそこへと行く。同時に声を届かせる為の魔道具を起動した。
向こうからは緊急事態を除いて質問などをせぬので調査に集中出来るというものよ。
「町並みに比べて随分と綺麗な教会だの。全体的に暗い色合いの町だがこの場所だけは白く美しい」
「やはり神様と会う場所なので整えておくのですね」
「その様だの。拙者の故郷でも厠の神仏には敬意を払い、そこは特に綺麗にしておくと伝えられておる」
「カワヤ……? あ、トイレの事でしたっけ。けどトイレとこの教会が同一視ですか……」
「何を言うておる。厠の神仏は不浄を一身に受けてくださる器の大きな御方。大抵の神々より偉大と言っても過言では御座らん。だからこそ清潔にし、敬意を払わねばならぬぞ」
「な、なるほど。確かにトイレって常に汚れていますもんね。そこに宿った神様が居るなら寛大ですね」
元より邪を許容する此処の神如きと厠の神様を一緒にする事自体が失敬だったの。
兎も角、下の様子を見ているが何と言うかの。
「何をしておるのか。一人の女子がよく分からぬ棒の前に立ち、人々はその者に向けて一心不乱に頭を下げておる。土下座しておるな」
「ドゲザ……? よく分かりませんけど、おそらくあの女性に神様が宿り、お祈りしているんだと思います。なので目の前には豪華な食べ物が沢山ありますよね?」
「そうだの。他の者達は貧相な格好をしているが、女子の衣装と前にある肉や果実はかなりのモノ。神降ろしの一種か。拙者の故郷でも陸奥と言われる東北の方に巫女が居り、そう言った事をしておる」
「まさにそれですよきっと。あの女性は崇拝され、美味しい物を沢山食べられているんですね」
エルミス殿の予想通り、女子は肉を食し、続くように果実を食す。俗に言うお供え物。然し中々飲み込まず、常に口一杯に頬張っておるの。
こうして見れば邪教徒とは思えぬが、このまま思い過ごしであるならそれに越した事は御座らんな。
──そう思った矢先、
「「「おお、神よ! 我が主よ!! その純潔なる血と体を我らにお恵み下さい!」」」
「……ッ」
「……。……え……?」
「まさか……!」
「……あれって……!」
「……っ」
「フム、こう言った儀式に御座るか」
──祈りと共に果実を口へ運んだ女が喉元から断たれ、頭と体が引き離された。
真っ赤な血飛沫が切断面から噴き出し、何度か痙攣した後に体は動かなくなる。
長老と思しき者が女の頭を掲げて離れた首。喉元から滴る血とまだ形の残っている肉や果実を流して含み、別の女が死体から衣服を全て剥ぎ取り、人々の前にて自分も衣服を取り払って重なり合う。
猟奇的な行為の数々。これが儀式の全容か。
「うっ……オェ……」
「見ていて気分が悪いですわ……」
「気持ち悪……」
「……サイテー……」
「………」
エルミス殿が吐き気を催し、ブランカ殿とペトラ殿が悪態を吐き、セレーネ殿がゴミを見るかの如き表情で呟くように話す。
拙者は既に何も言えなくなっていた。食人と生け贄。まさかそれがこの様な形とはな。
あれが何をしているのか、拙者には何となくだが分かった。いや、“分かってしまった”かの。分かりたくも御座らん。
「あれ……何をしているのでしょう……」
顔色の悪いエルミス殿が訊ねるように話す。
そうよの。言わずとも良いかと思ったが、念の為に教えておいた方が良いかもしれぬ。
「おそらく何回かの周期で神を女へ降ろし、その時が来たら今のように神を別の女へ移しているようだの。……神の力を血液や神が噛んだ食物から長の体へ移し、神その物を新たな女子が重なる事で得ているのだろう」
「つまり次に生け贄となる人をその時点で決め、その日が来たら生け贄は殺め、長だけが恩恵を得ると……」
「そうなるの。他の者達が痩せ細っているのも、生け贄だけが良き物を食せるのも、全ては信仰する神の為。存外生け贄となった女子は幸福なのかもしれぬの。最後の最後に良き食事を摂れるのだから。いや、味わえるだけか。喉元通れば老人の口の中よ」
女が血にまみれた裸体で依然として重なり、満遍無く神気を塗りたくる光景を前に推察を話す。
痩せ細っている者達を見る以上、生け贄こそ最大の幸福であり絶頂。上手い物を味わえて死ぬのを幸福と思う者も多かろう。
特に食事もロクに摂れぬ貧困層ではの。
エルミス殿は拙者の推察を聞いて呟くように話す。
「貧困だからこそそうなったと……私達の国、恵まれているのですね」
「そうよの。少なくとも“シャラン・トリュ・ウェーテ”は安泰だ」
普通に食事を摂り、普通に過ごせる“シャラン・トリュ・ウェーテ”。その平穏を改めて実感した。
この国の者達は星の国に支配されるまで、されてからもこの様に日々を過ごしていたのだと考えると胸が痛む。
食えぬ事の辛さは存じておる。拙者の故郷でも定期的に不作の年が来、まともな食事を摂れぬ事も屡々あったからの。
存外この国の巫女も、死ぬ前に食う事が出来て何より崇拝する神に成れるのなら望む者の方が多いのかもしれぬな。
「あまり見てられぬ状況よの。今のまま話し合いなど出来そうもない。一旦離れるか」
「はい……」
リュゼ殿の見立ては間違いではなかったか。
郷に入っては郷に従えと申すが、この光景が郷では従いたくないの。
何にせよ、未だに血を飲み続ける長老と血にまみれて体が見えなくなっている女。そして変わらず祈り続けている者達から離れた。
*****
「さて、改めるとしようか。神に全てを委ねているこの者達から星の国の情報を聞き出すには如何様にするべきか。明らかになったのはリュゼ殿の情報が間違いではなかった事よの」
「ですね。まずあの方達と話し合いなどは全く出来そうな雰囲気ではありません。空や屋根を飛んで来たので行く時は気付きませんでしたけど……よく見たらこの国、至るところに死体が置かれていますね……」
「何れもこの国の者では御座らんな。面識は無く、既に白骨化しているが衣服や死因に繋がったであろう傷口から惟て外部から来た者の死体よの」
改めて町の様子を見てみる。
その光景は以上の通り。不衛生であり、人その物を侮辱しておる。
いや、此処に転がる死体が敵なればまだ納得も行くかもしれぬな。拙者の故郷でも打ち首獄門。晒し首など見せしめとして飾る事もあった。
それにしても此処は酷い有り様だがの。無造作に捨て置くなどはそう御座らん。
「悪臭の正体はこれでしたか……まだ肉が残っているモノもあります。腐敗臭ですね」
「本当に醜いですわ……。叶う事ならこの方達を埋葬して差し上げたいのですけど……今の私達ではそれも出来ませんね」
「そうだな。変に動くと街の奴等に感付かれる危険性もある。不本意だけど放置しなきゃならない」
エルミス殿ら三人も不快感を表情に出し、見つめた後に遺体から顔を逸らす。
するとそこへ複数の気配が。どうやら教会での祈りが終わったようだの。拙者らはまた屋根の上に身を潜める。
「おや? なにか人の痕跡がありますね」
「そんな訳無いでしょう。私達は今さっき祈りを終え、此処にやって来たのですから」
「そうですね。気のせいです」
勘はまあまあ冴えているようだが、この国の常識的に考えて居る筈がないと深くは踏み込まなんだ。
それが得策よの。侵入しておいて勝手だが、もし見つかれば騒ぎになるよりも前に意識を奪う必要がある。そうならぬに越した事はない。
「もう必要も無いと思うが、情報を収集せねばならぬな」
「私達の目的が彼らと接触し、星の国への経路などを聞き出す事ですもんね」
「これ以上関わりたくありませんけど、騎士としての努め。果たすしかありませんね」
「ああ。だから私達は自己推薦したんだ」
「右に同じ……」
国の状況は理解した。それを踏まえた上で上手く人々に紛れ、潜入する必要がある。
見たところ彼奴らは皆が黒き外套を羽織っておるの。首飾りとして白き玉からなる数珠のような物も巻いておる。
「あの格好をせねばならなそうよの」
「その様で。おそらくあれがこの国の正装、及び普段着なのでしょう」
「あれくらいなら魔力で作れますが、時間経過と共に消え去ってしまいますわ」
「同じく。どうする? キエモンさん」
国民達のしている格好をせねば町で怪しまれてしまう様子。観光客なども来る筈も無く、此処で浮くのは問題しか御座らん。
一応模造品を作れぬ事もないようだが時間で消え去るか。
「致し方無い。一先ず魔法にてあれを出し、消え去るまでの大凡の時間を予想した後、時が来たら物陰で着替えるとしようか」
「それしか無さそうですね。30分は持つと思うので30分毎に着替え直しましょうか」
そう告げ、拙者とセレーネ殿はエルミス殿らの魔法によって外套と首飾りのような数珠を着けての変装とする。
彼女らも同じく。細かな所も再現し、正にあれと瓜二つ。外套の中までは再現出来ぬので存ぜぬが、表向きだけは完璧に誤魔化せるだろう。
怪しき場所、“神の国”。いや、此処はリュゼ殿の言葉を借りて“信仰の国”とする。
拙者らはその国へと潜入した。




