其の拾玖 早朝の日課
──翌日、朝の日差しと共に拙者は目覚めた。
昨晩はよく眠れた。布団の隣に置いた刀を確認し、脇に差して毛布から出る。そして窓を開けた。
今の季節は春であろうか。早朝故に寒さが肌を撫でるが、確かに暖かな風も感じる。何処の国であっても早朝の空気というものは澄んでいて美しい。心身共に落ち着ける感覚に御座る。
「さて、ヴェネレ殿の案内まで暇があるの。鍛練でもしておこうか」
呟くの如きに独り言を発し、扉を開いて廊下に出る。見回りの騎士らは何人か見えるが昼間のような賑やかさはなく、随分と落ち着いた雰囲気だった。
確か鍛練の場は下の階層だったな。下で無ければ床が抜ける可能性もあるからの。分かりやすくて良い。
すれ違う使用人の者達や騎士達へ会釈しつつ先へ行き、訓練場へと着いた。
「…………」
先ずは瞑想。寝起きの弛んだ気持ちを変え、意識を移行させる。
座禅を組み、薄目を開けて己の呼吸を数える。頭は無にし、自分の周りに漂う空気をも支配し、全ての感覚を肌に覚える。
佰程数え、ゆっくりと立ち上がる。一日経て、やはり生きているな。拙者は。
確かに腹は斬ったのだが、何故か生きたまま。何の理由も無くこの世に生を受ける事はない。何かしらの役割が必ずある。拙者は如何様な役目を果たす為に再び生を受けたのか。
疑問は募るばかりだが、今は拙者自身が己でその役割と考えているヴェネレ殿の為に尽くすよう、鍛練を積むだけにある。
「修練に真剣は使わずとも良いな。ちと感触は違うが、昨日使った素振り用の木刀は何処にあるので御座ろうか」
辺りを見渡し、木刀を探す。
昨日の骨折はもう殆ど痛まない。故に鍛練は出来るのだが、はて、木刀は何処にあるのだろうか。
此処が訓練所である以上、近場にあってもおかしくないが、此処は刀が使われていない国。故に基本的には納屋などの奥底に仕舞われている可能性が高そうで御座る。
「キエモンー!」
「……!」
すると、朝っぱらから大きな声が拙者の耳へと届いた。
思い当たる人物は一人しかおらぬ。元気でお転婆な一国の王女、
「ヴェネレ殿。お早御座候う。良き朝に御座る」
「あ、おはよう。……じゃなくて! マルテさんから聞いたよ! 昨日オーガの強化形態と戦ったって! しかも怪我したんでしょ!? どうしてそんな無茶するの!?」
慌てたように話す。
どうやらヴェネレ殿はお怒りの様子。まだ日が昇って間もない現時刻に問い詰める程なのがその証拠。
ただの一兵士である拙者にこれ程までの態度で接するとは。何とも心優しき御方であろうか。
此処は一先ず弁明してみよう。
「鬼には勝利し、怪我も回復魔法とやらで治して貰った。昨晩変な気配を感じたのでな。ヴェネレ殿らにそれが降り掛からぬよう、事前に対処したまでに御座る」
「回復魔法は完治の魔法じゃないんだよ……あくまで応急処置。無理をすれば効果が切れるし、私達を守ろうとしてくれたのも嬉しいけど、騎士として協調性をもう少し重んじてよ……」
元気な声が小さくなり、少し震えながら話す。
余程心配だったのだろう。ご迷惑をお掛けした。
「協調性……確かにそれについては疎かになってしまっていたな。謝罪申す。すまぬ」
「今度からは嫌な気配を感じたりしたら頼ってよね……。キエモンはもう王国の騎士なんだから……自分の体も大事にして」
「然しヴェネレ殿。昨日来たばかりの拙者を心配する者はおらぬ。主君の為に命を張るのが拙者の役目。故に、使い捨ててくれて構わぬのだが」
「今! 現在進行形で!! 私が心配してるでしょ!? キエモンは自分をかなり下に位置付けていると言うか……これに関しては私も言えないけど、独り善がりのところがあると言うか全部一人でやろうとしているよね……。私と決定的に違うのは自分以外の全てを守るべき対象として見ているところ」
「………」
鋭い方で御座るな。
拙者自身、真偽は分からぬが他人は全て守護対象と考える節があるのは否定出来ぬ。
無論敵ならば容赦なく斬るが、それ以外は皆の者を護りたき所存。
「それって受け取り手次第じゃ下に見られてるって勘違いされるかもしれないから止めた方が良いよ。出会って一日で言うのもなんだけどさ、キエモンはもっと私達に頼ってよ……」
「……検討する」
「検討じゃなくて実行して!」
「ぎ、御意……」
「本当かなぁ?」
またもや叱られてしまったが、話自体には一区切り付く。
フム、ならば早速ヴェネレ殿に頼るか。
「ならばヴェネレ殿。御頼み申したい事がある」
「え? うん、なに……?」
「昨日の試合にて用いた木刀が何処にあるか存ぜぬか? 拙者、鍛練をしたい」
「だ・か・ら! キエモンの傷は治ってないんだから今日は安静にしていて! 後で街の案内もするから!」
「町の案内はしても良いのか?」
「案内なら大きくは動かないからね。鍛練だと体を激しく動かしたりするし、体に掛かる負担が段違いだよ」
鍛練禁止令が出てしまった。
全く痛まぬのだが、それでも駄目なのだろう。
少し心配し過ぎな気もするのだがな。
「ならば仕方無し。だがヴェネレ殿。せめて何回かの素振りをさせてくれ。木刀でも振らねば感覚が鈍るのでな」
「腰の剣じゃ駄目なの?」
「ウム。刀は侍の魂。抜くのは誰かを護る時のみに御座る。練習には木刀で十分。許可さえ降りるのならば手頃な木の枝を一本授けて頂くだけで良い」
「木の枝!? いや、流石にそこはボクトーで良いと思うけど……じ、じゃあ本当に少しだけだよ?」
「忝ない」
許可は降りた。
昨日は鬼の討伐という予期せぬ事態が起こった故に刀を振れたが、命を取る行為に変わり無し。 心を静め、無にして振るいたい気分に御座る。
「これで良い? 昨日キエモンが使ったやつだけど」
「ウム、手頃に御座る」
ヴェネレ殿が木刀を持って来、それを手に取る。
姫君に使いを任すのは思うところもあるが、今度からはその場所も聞いておこう。
「…………」
「……! 気迫が変わった……」
形は違えど、手に持つと言う感覚が馴染む。
早朝故に静かであるが、周りから更に音が消え去ったかのような錯覚を覚える。背筋を伸ばし、上から下へと振り下ろす。
ブンッ! と心地好い音が鳴り、空気を切る感覚が肌に伝わる。自国にて鍛練の際、幾度となく聞いた音。国は違えど音は変わらぬ。そこには確かな存在が感じられた。
「……。これくらいにしよう。まだ振り足りぬが、昨晩は腕が折れたからの。日々に支障を来す」
「……! 一瞬で終わっちゃった……いや、数分は経ったのかな……時間が一瞬に感じられる……って! キエモン腕が折れたの!?」
「む? 聞いて御座らんか?」
「聞いてないよ!? 私はてっきりかすり傷とかそんな感じに思っていたもん! 骨折れたなら更に振っちゃダメじゃん!?」
そう言えば、ヴェネレ殿はマルテ殿に聞いたと告げていた。つまり既に治療の後。確かに骨が折れたとは気付けぬか。
然し、掠り傷と思うていたのならば、その程度の傷であれ程までに心配していたという事。全くお人好しに御座るな。
「ヴェネレ殿。姫君に意見するのは忍びないが、些か心配性に御座る。仮に掠り傷であったとしてもあの様に心配するとは」
「それは……心配なのは心配だからだよ。キエモン風に言うなら家臣? ……の心配するのは主の役目だからね」
「そうで御座るか。それについては痛み入り申す。然し、拙者ならば心配無用。己が国では両親、友に先立たれ、拙者のみが生き残る程に悪運強き存在である」
「ぇ……友達と親に……?」
「……おっと、必要無き情報に御座った。何にせよ、戦乱の世を生き延びた生存率は高いと自負している」
「…………」
また心配を掛けてしまったであろうか。
直ぐ様誤魔化したが、おそらく誤魔化し切れてはおらぬ。だが、ヴェネレ殿は他者を気遣う事に長けている。
深くは言及せぬだろう。
「そう……なんだ。何だか別の世界の話みたいだけど、多分本当にそうなんだよね。パ……お父様も戦争についてよく話しているからね……どこかの国では常日頃から戦争が起こっているらしいし……」
「……。フム、ヴェネレ殿。今関係無い事だが、父上とお父様。どちらで呼ぶか悩んでいる様子で御座るな」
「……っと、ちょ、そ、それは……その……と、取り敢えずこの話は終わり! 今日は街の案内あるから準備があるなら早くね!」
「相分かった」
予想通り、話は終わる。
ヴェネレ殿からしても分が悪かったのだろう。拙者の聞く必要もない過去を聞き、気にしておられる父君の呼び方について悩んでいるところを指摘する。
これで良い。ヴェネレ殿にあまり心配は掛けられないが、拙者は主君に仕えるただ一つの駒として戦場に散れば良いのだから。
「さて、準備をせねばならぬが……刀と衣服以外に持ち合わせる物も無いな」
拙者の荷物確認。結果、刀と衣服のみ。無一文でこの国へと居たのだからな。何もないのは当たり前。
見えにくいが鬼の返り血で汚れてしまった衣服くらいは代えたいところよの。衣食住には困らぬ故、多くは求めぬ。
「では行くとしよう。城下町へ」
「朝食の後にね!」
「む、そうで御座った」
ヴェネレ殿に場所を聞き、木刀を元あった所に戻す。
準備も何もないの。朝食を摂ったらすぐに赴くとしよう。




