其の壱 拙者、異世界へと参る
「……。……む……此処は……何処で御座ろうか……?」
──眼が覚めると、“拙者”は見た事の無い場所に居た。
辺りを見渡すと同時に暖かな風が吹き抜けて拙者の頬を撫でる。それは心地好く、浴びるだけで気分が日本晴れのように晴々となるものだった。
その瞳で辺りを見渡すと、青々とした草原が己の眼に映る。こうも気分が良ければ一句詠みたくなる所存。されど、そうしている暇が無いのが今現在。
拙者は此処が何処かを知る必要があった。
朧気な記憶を探ると、どうやら拙者は覚えていたようだ。
今から数ヶ月前、拙者の村に敵の軍勢が攻め込み拙者はそれら全てを切り捨てた。
其れから数ヶ月後。即ち先日に切腹を申し付けられ、拙者は名誉の死を遂げた。
となれば此処は黄泉の国で御座ろうか……死した者が辿り着くと言われている場所。
この心地好さから考えるのならば、拙者は極楽浄土へと行けたのか? 奈落や地獄にしては些か明るい。
多くの人を斬り殺し、鬼神の現人神となった拙者が極楽浄土に行けるとは思わなんだ。果たしてお天道様は拙者の悪行を見ていたので御座ろうか。
無論、拙者に悪行を尽くしたつもりは御座らん。己の故郷を護る為に己の武士道を貫いたのだから。
拙者が死した今。喩え国中から鬼神、夜叉、悪鬼羅刹などと謳われ、忌み嫌われたとしても己の武士道を通し、武士道の元に我が生涯を終えた。
拙者が侍としての武士道を通した今、生前の世界に何一つ後悔は御座らん。
「……して、改めよう。此処が極楽浄土と分かった今、一先ず父上と母上。我が兄弟を探すか。人間五十年を謳われる御時世。拙者は此の若さながら生が終わりを告げてしまった。それは面目無き事だが、切腹による名誉の死を遂げられたのならば世俗に顔が立たぬ事も無かろう」
拙者は呟きの如く言い、先ずは父上と母上、兄弟の前に参上する事にしたで候。
他にも旧友など死した者は多き現世。会ったとして何も問題無かろう。懐かしき者達に会える可能性があるのなら、死した事も良き事やも知れぬ。
恩師に鬼神と告げられた拙者が極楽浄土に来れたのだ。拙者のように殺生を行っていないのならば父上と母上、兄弟と友は確実に極楽浄土に居るであろう。
拙者はそのような事を存念しつつ己の脚を動かし、極楽浄土の草原を歩む。
心地好き風は依然として吹いており、拙者の髷もゆらゆらと揺れる。
そう言えば、拙者が死したのならば切腹の後に衣を変えられ白装束の喪服に成る筈。愛刀は御座らんが、見た目は普段と同じような物で御座った。
切腹の際には浅葱色の衣を纏うが、切腹人の死が確認されたのならば前述したように喪服の白装束と成る。されど、拙者の衣服は普段から纏うの薄茶色の衣に鼠色の袴。何故このような服装と成っているのか気になる所存。
だが、気にしても仕方の無き事である。仏様の粋な計らいと見受ければ良かろう。
其から拙者はその草原を行き、暫し歩を進める。して数分、整備された道のような場所に出た。
天を見上げれば青く広々とした空が視界に映り込み、黄泉の空も現世の空も差は無いと実感する。
「然し、何処へ行けば良いのやら。全く以て検討も付かぬな。黄泉の絵巻などは何度か拝見した事があるが……其とは何もかもが全く違う……」
極楽浄土を見渡し、腕を組みながら拙者は思案する。
拙者が寺子屋時代や成人してから殿の城に招かれた時、黄泉の絵巻を数度拝見しているが、その絵巻のどちらとも当て嵌まらぬ景観だった。
絵巻に描かれた物は主となる仏様が中央に描かれており、豪華絢爛な建物があった。
人々は空を舞う金色の雲に乗り、羽衣を身に纏いつつ皆が心地好き顔をしている物。
しかしこの場所は空を舞う人などおらず、広く青々とした草原が広がっているばかり。空は青く美しいが、この空ならば現世でも見れよう。
「何とも奇天烈な場所だ。黄泉の国ならば拙者は魂だけの存在となった筈……しかし身体の重みはそのまま……まるでまだ生きているかのように……」
感覚。それは生前から覚えていたモノで御座るが、今の感覚は生前と何ら変哲の無きモノ。
もしや拙者はまだ死しておらぬのやも知れぬが、それは無いと断言出来よう。
確かに己の腹を裂き、首の皮一枚残して首を刎ねられた。薄れ逝く意識の中、魂が抜ける感覚というものは確かに味わったのだ。
「ならばこの草原は……真の草原なのか? 極楽浄土ならず、拙者は死して蘇ったと……」
もしや、此処は極楽浄土ならず。死した拙者が“輪廻転生”を行ったという可能性が表れた。
それならば納得出来ようが、ならば何故拙者は成人した姿の儘なのか。
“輪廻転生”ならば、数え年の齢が壱となり赤子として生を受けるのでは無かろうか。幽霊やお化けともまた違う。
思案さればさる程に不可解な事柄となりうる。果たして此処は……。
『……クォロロロ……』
「……む?」
その様な事を考えつつ道を歩いていると、目の前に見た事の無い奇っ怪な容姿を持つ獣が姿を現した。
獣は口元から唾液を垂らしつつ、何を思案しているのか分からぬ眼で拙者を見つめる。
はてさて、この獣は一体何であろうか。
単純に考えれば極楽浄土を守護する獣。此処が極楽浄土でなければ人を襲う物の怪の類いだったとしてもおかしくない。
されど惟てみれば、和やかな景観の場所であるが此処が地獄である可能性も在る。
となるとこの獣は、死して迷い込んだ者を強襲しうる存在と云う事で御座ろうか。
「ふむ、やはり拙者は極楽浄土へと行けなかった次第か。これも天命、御天道様が決めた事柄であるのなら心して承ろう」
拙者は“鬼”。
相応の罰を受けるべき存在であり、受けなくてはならぬ存在。
ならば死して残るこの罪深き肉体、獣にくれてやろうではないか。
それが罪を償いし罰であるなら、獣の血肉となりて此の魂を清めよう。
『ガルルァ!!』
「……」
獣は猛き遠吠えを上げ、拙者の元へと駆け出した。
拙者が生前の世界では目にした事無き速度を見せながら向かい、その鋭い牙と爪が拙者の肉体へ──
「危ない!」
「……!」
『ギャッ……!』
──降り掛かろうとした刹那、女子のような声と共に赤き焰が拙者の頭上を通り過ぎ、迫り来ていた獣を焼き尽くした。
その焰によって瞬く間に灼熱の炎が広がり、拙者へ襲い来た獣は絶命する。
「危なかったぁ……貴方、見ない顔だけどここは近付かない方が良いよ? 人を襲う獰猛な動物が多いからね」
拙者が振り向くと、そこにその声主である女子が来ており、拙者の方を向きながら言葉を綴っていた。
その容姿は艶のある黒髪に大きな二重眼を筆頭とする整いし顔立ち。我ら日本人のような顔立ちでは無く、西洋に近いやも知れぬものだった。
衣服も着物ではなく南蛮渡来の洋服のようなもの。色合いは白を基調とした代物で、所々に黄金や青の装飾も見える。位の高い御方であろうか。その身体は華奢で細く、胸に二つの脂肪が付いておるという女ならではの柔らかな肉付きである。
その顔立ちと服装からこの場所は日本国では無いと理解する。
して、この者は拙者へと話し掛けているのか気になる所存。拙者は小首を傾げつつ問うた。
「……それは拙者に言っているのか?」
「そりゃあね。……てか、この場所には私以外、貴方しかいないじゃない。何それ、初対面で私をからかっているの?」
「その様な事は御座らん。気に障ったのなら謝罪を申そう。拙者に揶揄う気など微塵も有りませぬ候」
「……え、何、その言い回し……」
どうやら拙者の質問は女子の気に障った様だ。
それについて謝罪を申そうとしたが、少しばかり距離を置かれてしまった。
此れは拙者が思うよりも更に気分を悪くしている証拠で御座ろう。
「えーと、まあ別に怒ってないよ。けど、さっきも言ったようにここは危険だから近付かない方が良いよって忠告しただけだから。……見ない服装だけど、貴方ってどこから来たの?」
どうやら怒りは無き様子だった。
ならば良いが、曰くこの場には先程のような物の怪や妖が姿を現すとの事。
つまり此処は極楽浄土で非ずという事だろうか。
「拙者が来たのは日出処國こと“日本”で御座る。他にも“倭國”や“黄金の国”と云われた事もあるが、基本的には日本という名で呼ばれている。……して女子。今一度お訊ね申すが、此処は何とういう場所で御座ろう?」
其の外見から西洋や南蛮の場所と見受けられるが、如何せん拙者は地名が分からぬ。
地の理も無き事故に恥を忍んで訊ねた。
侍たる者、常に女子を三歩後ろへ下げ、侍同士の立ち合いから護らねばならぬ存在。誇り高き侍が女子に助けられ、そのまま頼るというのは如何なものか気になるが、今回は何も知らぬ故に仕方無き事で御座る。
「日出処國……日本……? 倭國? 黄金の国……すごそう。けどゴメン、私そこ知らないや……。この場所は近隣の街──“シャラン・トリュ・ウェーテ”の近くで……ここはただの道だから、この場所自体には地名が無いかな」
どうやら女子は日本国を知らぬらしく、拙者が知らぬ地名が出てきた。
それは国の名では無く、江戸や京の都、大阪や陸前のようなモノだろう。
それらは其々武州や丹波、陸奥の国からなる言葉でその国に属する地名だ。
「“紗欄徒龍ゑゑて”だと……? 聞き覚えの無い地名だが、日本とは違った地名であるな……日本の近くにある国“蝦夷”や“琉球”、“明”の一部かと思うたが全く聞き覚えの無い名だ……」
「ゴメン、また私の知らない名前が出てきたよ……。というか、何か発音も違う……“シャラン・トリュ・ウェーテ”ね」
「“しゃらん、とりゅう、ええて”?」
「惜しい! “シャラン・トリュ・ウェーテ”!」
「シ、“シャラン・トリュ・ウェーテ”……」
「OK!」
喩えに外国の名を出したが、それをも分からぬとの事。して、拙者の告げた名は少しばかり違うらしい。それについては教えられ申した。
然し国を知らぬというのは御互い様というモノで御座ろう。この女子の申す地名が分からぬ拙者と、拙者の申す地名が分からぬ女子。中々に話が混沌としそうだ。
「けど、その地名から貴方は別の場所から来たって可能性が分かるね……聞いた事無いもん……あ、そうだ!」
「……?」
淡々と推測するように綴る女子は、何かを思い付いたように述べた。
その様子に拙者は疑問を浮かべるが、気にする事無く言葉を続ける。
「だったらさ、私と一緒に“シャラン・トリュ・ウェーテ”に行かない? ここで会ったのも何かの縁かもしれないし、何も知らない貴方には案内が必要でしょ?」
唐突に、共に行こうと述べた。
ふむ、確かに良いかも知れぬ。右も左も分からぬこの国。先程のような物の怪や妖が居る事は分かったが、それだけ分かっても事が進展するという訳では無い。
「相分かった。ならば拙者、主の旅に同行仕り候。此処は何も知らぬ国故、その方が賢明な選択とお見受けする」
なので拙者は頷き、女子に同行するという了承を受けた。
是非も無い事柄であるが、どういう訳か再び宿ったこの命。無駄にする事無く生き行こうでは無いか。
「アハハ……旅って程大袈裟な事じゃないけどね……私の街に案内するだけだし……。相変わらず変わった言葉使いだね……」
「む、そうか? しかし、先程のような物の怪や妖の居る道中。旅と言っても大袈裟では無かろう。して、主からすれば拙者の言葉遣いが可笑しいのか……それは拙者も分からぬな。訛りによるものか」
拙者の言葉に笑い掛け、困惑したような面持ちで話す。
旅云々はまあ良しとして……拙者の言葉に語弊でもあったのだろうか。
思えば、この女子が外来人ならば言語にも違いが生じる筈……何故拙者はその言葉を理解しているのだろうか気になる所存。
然し、今はそのような事を思案しうるよりも女子の街へ向かう方が良き事となる筈だ。
拙者はこの日、御初に御目に掛かった女子と共に街とやらに向かう事となった。




