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其の佰捌拾陸 拾い主

 ──“森の中”。


 主君の城。弟の仕えていた城。敵兵を皆殺しにし、二つの城を落とした拙者、天神鬼右衛門は路頭に迷っていた。


「…」


 名を変えたは良いが、このままでは飢え死にするの。だが其れは当然の報い。家族を殺し、主君を護れなかった拙者になど最早もはや生きる価値は御座らん。

 然れど腹を切ろうにも刀は朽ち果てており、手に力は入らず血と油で湿って刃も欠けて突き刺さらぬ。こんな事なれば死体から切腹用の刀を拝借すべきだったの。

 疲労によって頭が回らず、気が動転したまま当てもなく進んだ結果がこれよ。


「……」


 空腹により力無く項垂れる。

 血にまみれた鎧は既に捨てた。だが体に着いた血の匂いは落ちなかろう。

 その香りに誘われ、熊か何かがやって来て拙者を貪るなら其れも良し。鬼である拙者でも野生動物の血肉となるのなら多少は人らしい死に方であろう。


「………」


 ふと目線を上げれば鳥が羽ばたき、日の光が辺りを照らして澄み渡った青空が広がっている。蝶も舞い、風によって揺れる草花に止まった。

 心地好い音が耳に届き、疲れ切った拙者を眠りへと誘う。

 嗚呼、何と言う美しさか。千を越える者達を殺めた拙者にさえも世界はこの様な光景を見せてくれる。


「…………」


 然し、同時に映り込むは自然の摂理。無情な世界のその様。

 花近くに蜘蛛の巣がありて蝶は囚われ、糸によって絡め取られて吸うように貪られる。その蜘蛛でさえも先程羽ばたいた鳥に咥えられ、体液を流しながらくちばしで潰された。

 まるで拙者の行く末を暗示しているかの如き様。鳥は蜘蛛を口に含んだまま、木に寄り掛かり動かぬ拙者の肩に乗る。好機を狙っているので御座ろうか。拙者が死した時、その肉は鳥や烏に食われるだろうか。

 其れもまた一興。前述したように鬼である拙者が生き物の為に死ねたならそれは上々の生涯に御座る。

 残念ながらまだ死なぬが、朽ちるならば此処で果て、近隣の生き物の糧となろう。


「──オイ、大丈夫か? 生きてるか?」

「…………?」


 その様な事を惟ていると、馬の足音と共に何かがやって来て拙者の近くに止まった。

 力を振り絞るように頭を上げ、その者を見やる。逆光によって顔はよく見えぬが、その様相からして目上の立場にある者だろう。

 戦帰りかこれから赴く途中か、いずれにしてもこの者が誰かなど今の回らぬ頭では知り得ぬ。


「生きてはいるみたいだな。侍か? 酷い血の匂いがする」

「先程見つけた死体の山。おそらく凄惨な戦があったのだろう。この傷を見る限り、そこから命からがら逃げてきたと言った面持ちか」

「それは難儀な。見れば刀も襤褸襤褸ボロボロ。戦で死ねぬが為、切腹しようとしたが出来なかったのだろう」

「この刀と入らぬ力では突き刺せぬからな。幸か不幸か、生き長らえておる」


 その死体の山を築いたのは拙者だが、斯様な事を言う元気など微塵もない。今はある考えは一人だけではなく複数人居たのかと言う稚拙な感想だけよ。

 もう駄目だの。顔を上げた事によって全ての体力を使い果たした。まだ死ぬ感覚は無いが、まぶたが重くなりて拙者の視界は暗転した。



*****



「……此処は……」


 気付いた時、体から痛みが引いており、布団の上に寝ていた。

 此処は見るからにあの世では御座らんな。あの世なら痛みが完全に無くなる筈。現時点で痛み自体は残っておる。拙者が生きている何よりの証だろう。


「起きたか。気分は悪いのと最悪。どっちぞ?」

「主が何方どなたかは存ぜぬが、気分はよろしくないの」

「そうか。最悪とまでは行っていないようで何よりぞ」

「助けてくれた事に礼は言っておくが、あのまま介錯してくれた方が良かった。何故生かしたという疑問が出てくるの」

「そう言うでない。命あってこその人生だろう。人間五十年のこの生。楽しまにゃ損損!」


 賑やかなお人に御座る。

 何故こうも楽しそうに笑えるのか気になるが、意気消沈しておる拙者と違って生きる気力に溢れているのだろう。否定はせぬ。


「楽しめるのならそうだが、楽しめぬならさっさと終わりたいのがこの世の在り方よ」

「辛気臭ェお人だの。お前ェは。笑う門には福来ると言う。笑っとけ笑っとけ!」

「笑ったところで現状は変わらぬよ。立ち直ろうとも希望は見えぬ。笑った末に訪れるのが今なれば不幸しか招かぬ笑みだ」

「今のお前ェは笑ってないだろ。まあいい。その辺に使える刀が置いてある。腹を斬りたければ斬れば良い。それがしの主君に拾われた命、己で粗末にするのだな」

「嫌な言い方をするの。そう言われては死ぬのが申し訳無くなる」


 望まぬ救済だったが、助けられて其の命を粗末にするのは思うところがある。

 痛い所を突かれたの。物理的に肉体も痛むが、そう言われては死ぬ事すら失礼に値する。


「それで一つの提案ぞ。どうじゃ、お前ェ。某と共に主君につけえねェか? ウチは人材が不足してるからな。ありゃ凄惨な現場だった。前線に出なくても良い。殿の元で共に働こうぞ」


「………」


 出された提案は、この城で働かぬかと言うもの。

 確かに現状、就く職も御座らん。然れど昨日の今日で主君を変えるか。そんな仁義の欠片も無き行為など武士道の片隅にも置けぬ。

 だが、望まぬ事柄とは言え救われて無下にするのも悪い。如何するのが正しき選択なのかも存ぜぬの。


「それか、帰るべき故郷でもあるか?」

「いや、先の戦にて故郷も焼き払われた。帰る宛も何も御座らぬのが現状よ」

「……! それは悪い事を言ってしまった。すまない」

「構わぬ。死ぬつもりであった拙者は主らに生かされたのだからの。既に望みは主によって絶たれたのだ。今更気にする事でも無かろう」

「痛い所を突いてくる」

「お互い様よ」


 互いにフッと小さく笑い、手を取り合う。妙に話が合う者。仕方無い。今回ばかりは恩を返すまで仕えてやろう。

 この者とも、おそらくだがこれを機に友となった。



 ──それから拙者は数年間この主君に仕え、鬼人の名を馳せる侍となる。

 そして其の主君さえも、また護り切れず失ってしまった。

 拙者に良くしてくれた**殿も自軍を裏切り、拙者が責任持って介錯した。

 思えば昔から拙者は何も護れて御座らんな。この様な有り様で今の主君を護れるだろうか。


 さて、これは既に終わった事柄。拙者はまた夢を見ているのか。



*****



 ──“シャラン・トリュ・ウェーテ”。


「………」


 深くも浅くもない微睡みから拙者は目覚めた。

 今日は少し雲の多い空模様。呼吸をすると白い吐息が広がり、光に巻かれて消え去る。

 既に冬半ば。月の国から帰ってからは更に一月が経過していた。

 つまり星の国の準備が整うまで四ヶ月となっている。其処そこの国では姫君と主力の一人が居なくなった事がちょっとした騒ぎになっていたと消えた主力の一人、ザン殿自身が言っていた。

 オリ殿はもうこの星におらぬのだが、彼女は流れでこの“シャラン・トリュ・ウェーテ”に残っておるのだ。


「キエモーン! 朝だよー! 起きてるねー!」

「ヴェネレ殿。今日は一段と賑やかだの」


 突如として部屋の戸を開け、“はいてんしょん”のヴェネレ殿がやって来た。

 実のところ、少し前から妙にソワソワしておる様子の彼女。果たして何があるのか。拙者に心は読めぬので分からぬの。


「せめて戸くらいは叩いて欲しかったの。危うく心臓が止まりそうになったぞ」


「ウソばっかり~。多分気配とかで気付いていたでしょ」


「まあの」


 今日の彼女はいつも以上に気配がある。と言うよりみずから発している。何か良い事があったのかそれを知る由は無い。

 状況で言えば姫の失踪によって星の国の警戒が更に高まり、偵察隊すら送れなくなったのだがの。故に更に一月が経過したとも言える。

 まあ、彼女が楽しそうならそれは良い事だが。


「じゃあまた後でねキエモン! 今日も護身術の指導お願いね!」


「ウム。朝食前に行うとしよう」


 これから道場へと向かい、護身術の鍛練を執り行う。

 拙者は元々鍛練と瞑想をしていたが、ヴェネレ殿の修行も日課になっておるの。

 兎も角寝間着を着替え、彼女の待つ道場、もとい闘技場へと向かい行こう。

 一月周期で見る過去の記憶からなる夢から目覚め、また新たな今日が始まった。

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