其の佰陸拾漆 鬼ノ誕生・其ノ終・鬼右衛門
「主の行く末、不安しか御座らん。此処でこの命を落としたとしても拙者が止める!」
「まともにやり合う訳無いですよ。私では兄様に勝てないのは百も承知ですからね」
「「「…………!」」」
虎右衛門は下がり、兵士達が向かい来る。
煩わしい輩だ。即座に切り捨て、このまま敵将を討てば万事解決。なればその為に行動してしんぜよう。
「敵を討つ……!」
「予想以上の強さ。此方に居る者、皆を以てして牛右衛門を討て!」
敵将の指示により、この場の兵士達が皆で拙者を取り囲む。
その数はざっと……分からぬな。百よりは多かろう。一騎当千ではまだまだ御座らん拙者からすれば難儀な状況だ。
だが、元より命など捨てるつもり。今更数如きに気圧される訳も無かろう。
「「「オオオォォォォ!」」」
「喧しい……!」
正面の者を切り捨て、槍を避けて切り返す。
刀に肉と油が満ちて切れ味も落ちた。落ちている槍を拾っては薙ぎ払い、敵の刀を奪って確実な一撃とする。
見る見るうちに辺りには血溜まりが出来、拙者の疲労も募っていく。
「はぁ……はぁ……これで……二〇〇……」
「一人で此処までやるとは。流石ですね。兄様。けどもう大分参っているようだ。私がお相手致しましょう」
ずっと見ていた虎右衛門が名乗り出る。
此処まで倒し、漸く話し合いの場が設けられるか。長かったが、やっとに御座る。
「私は二刀流の使い手。今の兄様になら勝てるかもしれない」
「主、そんな戦い方をしていたか?」
「ええ。一本より手数の増える二刀流。効率的でしょう」
二本の刀を構え、拙者へと向き直る。
昔は一本でしか戦っておらなんだ。弟の身に付けた戦法。
手数の有利を取り、それにて仕留める在り方。今の疲弊した拙者には有効的だの。
「行きます……!」
「……」
踏み込み、加速。
二本の刀を携え、左右から斬り込んだ。
対する拙者は一本。その刀を受け流すようにいなし、柄にて顎を打つ。
弟は怯みを見せ、その隙に刀を──
【──兄様!】
「……っ」
「……?」
幼き日の弟が脳裏に映り、一瞬揺らぐ。
弟はその隙を突いて横に薙ぎ、拙者の胸元に切り傷が出来た。
傷自体は浅いが痛みがじんわりと広がる。これでは集中力を欠いてしまうの。
「どうやら集中出来ていないようですね。兄様。傷によるものではなく、別方面にて。身内を斬るとなれば貴方様の精神でも揺らぎますか」
「…………」
そう、これは鍛練などではない。城に攻め込んだ敵との戦闘。
既に此方側の兵士は拙者だけ。護衛に洞穴へ何人かは残っているが、姫と殿を護るのが第一優先。故に増援は来なかろう。
寧ろ行かせぬ為、この場は拙者が対処せねば。
「あまり私を舐めるな!」
「……」
更なる踏み込みを見せ、拙者との間合いを詰めた。
私情は挟むべからず。非情にならねば成す術無く死するのみ。それでは死していった者達が報われる事も御座らん。
集中を高め、拙者は刀を握り締めた。
「──っ」
「これで決まりだの。虎右衛門」
ほんの数分の立ち合い。侍同士の決闘は短きものだからの。今回はかなり長い戦いだった。
周りの兵士達もついでに死んでいるが、他の兵は手を出さぬ。これが理想の兵隊かの。
既に虎右衛門の刀は弾いた。今この場にて、弟との決着を付ける。
「切り捨て──」
「……」
弟が小さく笑った気がした。
「助けて! 兄様!」
「……! 虎右……!」
弟の声に気を取られた瞬間、拙者の脇腹に違和感。急に力が抜けた。
見れば矢が突き刺さっており、背後には射ったであろう兵士。成る程の。私情に苛まれるとは。拙者はまだまだ甘いようだ。
虎右衛門は刀を取って立ち上がる。
「トドメです。兄様」
「……虎右衛門……」
斬り伏せられ、鮮血が溢れ出る。この血の量。拙者の命運もこれまでか。初めから運命に好かれておらぬ人生に御座った。
意識が遠退き、一思いに刺してくれれば良いのだが虎右衛門は更なる言葉を綴る。
「漸く貴方に勝てた……長い長い道のりだった……」
見下ろし、安堵にも似た感情で話す。
そんなに拙者に勝ちたかったので御座ろうか。虎右衛門が何を思い、今に至るのか検討も付かぬ。
既に死に行く拙者より、洞穴の姫君達は無事に御座ろうか。その様な事を考えていると敵兵の一人がやって来た。
虎右衛門へ耳打ちするように話。此方を見る。
「その様子、姫様について知りたそうですね。兄様。安心してください。今情報が入りました。洞穴に立て籠っていた者達は皆、全滅しました」
「……!」
全滅。それが指し示す意味は一つしかない。
姫様方は助からなかったか。友も多くが死んだ。その光景を見なかっただけ幸福かもしれぬな。病気などではなく、親しき者達が戦にて死していく様はあまり見たくない。
「そうだ。これなら戦意喪失して私達の味方になるかもしれない」
「……っ」
そう告げ、前に転がる麻袋。
入り口が血に濡れており、敵の兵士がそこを開く。ゴロンと二つの重い何かが転がった。
「……お二方……!」
現れたのは見覚えのある顔。
目は閉じており、首元から血が滴る。まだ乾いておらず、死して直ぐと言った面持ち。
「そう、お殿様とお姫様だ。兄様が仕えていた……ね。そしてもう一つ。故郷の村は先日火が放たれ、焼かれた。つまり親戚一同も皆死にました。これでもう護るべき主君も村も何もない。投降し、唯一無二の家族となった私と手を組もう。兄様。私達はまだ天涯孤独ではないのですから」
不敵に笑って拙者を勧誘する。
何を言っているのか。何も分からぬ。理解が追い付かぬ。村も焼かれた……つまり母上の葬儀の日に話したのが最後、知り合いはもう誰もおらぬ。
全てが止まったかのような静寂が響き渡り、虚ろう光の中、目の前に転がる頭を見る横で兵士の話し声が聞こえてきた。
「然し、入り込んだら何故急に姫は自害したんだろうな。上玉だったのに楽しむ暇もなかった」
「だからだろうよ。想い人でも居たのだろう。高飛車なお姫様が自ら命を絶つとは」
「……!」
姫様は自害していたとな……!? それは何故……もしや拙者が原因か……!?
そうならば姫様は拙者の所為で死した事となる。拙者が昨晩、姫様と話していなければ逃げられたかもしれぬのに。
「…………」
拙者はもう、他人へ恋心など抱く事は出来ぬな。愛すれば失い、余計に悲しみが増えるのだから。例え誰かから好意が向けられていようと、拙者はそれに気付いてはならぬ。それが己への縛り。己を律する武士道の在り方。気付く事は拙者自身が許さぬ。
感情の行き場が無くなり、何も考え付かぬ。さて、今何をすべきか。姫様方の憂いを晴らすのが先決に御座ろうか。
「さあ、兄様。私の手を。貴方と共にあれば、大兄様を超えられる……!」
「……」
野心に満ちた目。姫も主君も亡い。親戚や友人達も皆死した。
恨みや憎しみはある。だが、弟を唆したのはおそらく敵将。虎右衛門自身、自分が何をし、何を犯してしまったのか理解し切れぬ感情の中に居よう。微かに残る目元の痕がそれ。兄上を越える為、してはいけない事をしてしまったからこそもう後には退けぬのだろう。
なれば拙者は、今度こそ確実に虎右衛門を止めるべき。弟に引導を渡し、これ以上罪を重ねるのをやめさせるのが兄としての最期の務め。
「……虎右衛門。主はもう、後には退けぬのだな」
「──なん……で……」
「「「…………!?」」」
落ちていた刀を拾い、的確に胸元を貫く。そこから多量の鮮血が流れ落ちた。
どんな名医であろうとこれを治す事は出来なかろう。
弟の疑問は何故拙者が動けているのかという事かの。それについて教えるように話す。
「踏み込みが浅く、急所まではやられなかったようだの。刀二本は確かに手数が多くなるが、一本の威力はやや下がる。二刀流はあまりお勧め出来ぬな。虎右衛門」
「そう……ですか」
二刀流というものは、手数は増えるが一撃の威力が落ちる。今回の分け目はそれが原因。拙者はあまり好きでないの。
返答と共に弟へ最もぶつけたかった疑問を訊ねた。
「虎右衛門。主は何故彼奴の味方なんぞ……村を燃やす命令を含め、悪行は全て奴の指示なのだろう」
「ふふ、そう……ですね……けど……遂行したのは私です……兄様に……追い付きたかったのですよ……私は力が無い……だからこそ、権力者の元、参謀として己を見直すのが……」
「なれば拙者の元で動けば良かろう。あの殿様だったのなら、お主の事も……!」
「それじゃダメなんだ……兄様……私一人で有力さを誇示し……得なければ……貴方と肩を並べられない……!」
「虎右衛門……」
高い頭脳はあれど、力の無い弟。早くにして亡くなった兄上の事を含め、色々と抱えていたので御座ろう。
思えば虎右衛門が家を発つまで父上、母上と三人で暮らしていた。自分が護らねばという意思がより強まったようだ。何もかも悪いのは理想の兄となれなかった拙者か。
「けど……良かった。兄様に手傷を与えられて……これで私も誇れる力があるという事ですね……」
「……。何を申されるか。既に連戦の後。拙者、疲弊していた。まだまだ主には負けぬよ」
「それなら……兄様だって……運が悪ければ私に斬られて……死んでいたじゃ……ありま……せ……」
「……なんのこれしき。例え一本でも耐えられたさ」
「それ……は……──今まで…………─────」
弟から声が無くなる。
聞こえ難かったが、最期の言葉は確かに感謝。なれば、許してくれたという事だろう。刺した事に対して。殺めた事に対して許しを与えるとは。全く、寛大な弟に御座った。
兄上、父上、母上に殿様、姫様、友人、親戚一同。誰の死に目にも会えなかったが、弟の死に目には会えた。拙者が手を下したのだから当然か。
唯一それに直面出来た家族の在り方が我が手で殺める事とは、何とも言えぬ嫌な感覚よ。
「己が為に兄弟をも食らい、切り捨てる悪鬼……!」
「奴が……奴こそが……正しく“鬼人”か……!」
「………」
誰かが拙者へ向けてそう申す。そう言えば此処はまだ戦場の真ん中。周りの者は待っていてくれたのか。他人の意思を無下にせぬ、侍らしき在り方よ。
そして鬼とは言い得て妙。名は体を表すと言う。拙者の“丑”と弟の“寅”。此れ即ち鬼門の位置。正しくそのままだの。
拙者は鬼。たった今唯一の血縁を我が刃にて切り捨てた、全てを食らう血も涙も無い鬼。
そう、名を──鬼右衛門。
「改めよう。我が名、姓を天神。名を鬼右衛門と申し奉る。“鬼人”とは鬼を冠する拙者に相応しき異名よの。受け取っておく。弟との別れ際、待っていてくれた事には感謝する。が、私情により主らも食ろうてくれよう。拙者へ挑んだ報い、しかと承れ……!」
「……っ。掛かれェ!!」
「鬼を……鬼人を討ち取れェ!!」
恐怖に歪む人々。仕掛けてきたのは向こうと言うに、怯えるとは失礼な。
未来永劫、拙者が拙者である以上、戒めとして常にこの名を名乗るとしよう。
拙者は全てを食らう鬼に御座る。
──その日、天神牛右衛門に天神虎右衛門。両城の主君、及び全兵士。
二つの城の誰一人として生き残らず、落城した。




