其の佰陸拾陸 鬼ノ誕生・其ノ肆・武士道
「──殿! 姫様! 主ら!」
「おお、牛右衛門か。無事で良かった!」
燃える城を後にして二日程探し、気配を辿ったら洞穴に皆の者が居た。
殿に姫のみならず忍の友と遊郭好きの彼奴もおるな。生きていて何よりだが、詳しく事情を聞く。
「して、一体何が……」
「ああ、実は……」
告げられたのは、敵が城に攻めて来てからの在り方。
攻められたのは夜。故に準備も手間取い、手痛い打撃を受けてしまった。
そのままなし崩しで追い詰められ、命からがら殿様方は逃げ仰せたと。
「此処まで全てを把握した手の込んだやり方。敵の忍が紛れ込んでいるか、とてつもなく優秀な軍師が居るのだろう」
「成る程……」
なれば今この場に居る者は皆が潔白だの。
作戦遂行は信頼の置ける者達だけで行い、盗み聞きされても問題無いように日数を調整していた。元より話された調査は即日だったので、仮に信頼出来る者達の中に忍が紛れ込んでいたとしても待ち伏せなどの準備は出来ぬだろう。
つまり、この数日のうちに敵が攻め込み、完璧な布陣を完成させる事は不可能なのだ。
移動速度にも限界があるからの。馬より速く走れる人間はおらず、決まった日数しか行動出来ぬ。
「軍師の話なら拙者も敵から聞いた。数日前、この様な事があっての──」
「……成る程。調査隊も全滅か。やはり敵にはそう言った存在が居るか……」
未来でも見ているのかと錯覚する程に優秀な配置。布陣。戦略。
それらを思い付き、組み立てる手腕。時期を見る力。これでは一筋縄ではいかぬな。
「して、此処からどう出る?」
「反撃してやりたいが、遠出している者達との連絡が付かぬ。おそらくやられ、生き残りは我々だけだろう」
「だったら此処は潔く腹を切るか……玉砕覚悟で攻め立てるかだ」
「やられたままは性に合わぬ。敵兵をなるべく屠り、後々に支障を来す程の傷を与えるべきだ」
「そうだな。そろそろ持ち込めた食料も底を突く。このまま野垂れ死にするくらいなら、敵の喉元を食い千切って道連れだ……!」
やるべき事は決まっている。今回の件を仕組んだ者への報復。
目的は存ぜぬが、悪意しか感じられぬやり方。耐え忍ぶ事など出来ないというのが心境。
殿の決めた事。なれば拙者もそれに乗るだけよ。
決行は明日。今日は身を休める。
「牛右衛門様……」
「その声、姫様に御座いますか。良いのですか。顔など晒して」
「ふふ、今の状況、仕来たりを守ったところで意味がありませんよ。こうして面と向かって貴方と話せるのが嬉しゅう御座います」
「拙者には勿体無きお言葉だ」
よく話し相手になっていた姫様が拙者の元へ駆け寄る。
顔を見たのは初めてだが、艶のある長い黒髪に拙者を見つめる品のある目。美しき女性よ。
彼女は寄り添うように掛かり、空を見つめて話す。
「お城は燃やされてしまいましたが、まさかこの様な形で貴方とお話出来るとは。今の状況は悲しくも嬉しい不思議なものです」
「そうに御座いますか。拙者としても話せるのは喜ばしいですが、やはり思うところはあります」
「ええ、そうですね。多くの仲間が死に、私達も死にに行く……ですので牛右衛門様……最後に一つだけお願いをしてよろしいですか……」
「……? 構いませんが、一体何を……」
訊ねた瞬間、姫様は拙者の唇へ己の唇を合わせた。
あまりにも早い行動。全く理解が追いつかなんだが……。
「ふふ、接吻です。おそらく私達は明日死にます。私も含め、皆がそれを望んでいる。なので、人並みの恋も出来なかった私の最初で最後のお願いなのです」
「……そうに御座るか。死に行く者として、最後まで人である気概。感銘致す。姫様」
「はい。明日まではこうして貴方と……」
雑談を交えつつ夜が更けて行く。
このまま一時の平穏であっても長く続いて欲しい。だが、そうはならぬが現実。
時は無情にも過ぎ、日は巡る。既に落ち、翌朝となった。
「──今現在、ある武器はこれだけだ。そして本元はこの洞穴となる。敵陣は今も尚下方の広場にて集まっておる。完全に油断しているそこを突くぞ!」
「「「おおおぉぉぉぉ!」」」
雄叫びが響き渡り、各々が武器を手に取る。
戦えぬ女子供はこの洞穴にて匿い、そこには姫もおる。
拙者らの兵力は三〇ばかり。対する向こうは未知数。だからこそ、完全なる隙を突いて攻めるのが在り方。
朝食を一気に摂った拙者らは少ない馬を走らせ、敵陣へと降り立った。
「──ほら、そろそろ玉砕覚悟で攻めてくる頃合いだったのですよ。殿様」
「フッ、そうだな。主の判断能力。そしてその手腕は重宝する」
「「「…………!?」」」
拙者らを待ち構えているは、弓部隊。さながら拙者らが今日来る事を予測していたかの如き陣形。
だが、そんな部隊は拙者の目に映らなかった。拙者の眼前に飛び込むは、敵将の近くに居る参謀。おそらく噂になっていた軍師──
「──虎右衛門……!」
「矢を放てェ!」
刹那、雨が降った。
その雨は細く、硬く、鋭利な先端を晴々とした日の光で輝かせる。
それによって突撃部隊は大半が射抜かれ、瞬く間に赤い水溜まりを形成する。残った者達へ向け、第二矢が放たれた。
「何故……何故そこに居る……虎右衛門よ……!」
「なんだ!? あの兵士は……!? 馬にも乗らず、それに匹敵する速度で矢を斬りながら迫って──」
「……!」
「──ッ」
何かを話していた兵士を両断するように切り捨てる。
目の前の光景以外に何も得られる情報は御座らん。ただただ目の前にある一つの現実が理解出来なかった。
「あの者は……!?」
「かつて殿様が手を焼いた天神子右衛門。その弟にして私の兄様……天神牛右衛門です」
「成る程。優秀な血筋という訳か。兄、子右衛門には断られてしまったからな。今度こそ手駒に欲しい」
「ええ、賛成です。お殿様」
二人が何を話しているのか、距離がある為に聞き取れぬ。
だが確実に分かる事が一つ。今の虎右衛門は敵となっている。
「矢が通じぬなら別の方法だ! 騎馬隊、槍部隊、前へ!」
「「「………」」」
「「「………」」」
指揮官と思しき男の指示によって部隊が編成される。
的確な指示。あれを伝えたのも虎右衛門なのか……!? 確かに奴は賢い弟に御座ったが、何故拙者らの故郷がある国へ仇成す敵国に付いたのか……!
「掛か──」
「邪魔だ……退けよ!!」
「「「…………!!」」」
指揮官諸とも兵士達を切り捨てる。
拙者の目的は一つ、虎右衛門への事実確認。
疾風の如き様で駆け抜け、眼前へと立った。
「虎右衛門……!」
「数日振りですね。兄様」
此処は敵将の近く。故に武器を携えた兵士に囲まれたが虎右衛門がそれらを制する。
武器は降ろさぬが兵士は引き、拙者の前へと歩み寄った。
「一体何が目的で……!? 其奴は何れ故郷にも支配の手を伸ばすような輩ぞ……! いや、もう既に……!」
「そうですね。それで、それが何になりますか?」
「……!」
拙者の言葉を切り捨てるかの如く一蹴する。
言葉に詰まる拙者へ虎右衛門は更に綴った。
「力ある者が勢力を伸ばすのは当然の在り方。歴代の名だたる武将達はそうして成り上がった。ならば、私のやれる事は手を貸し、より甘い密にありつけるような工夫でしょう」
「甘い密……貴様虎右衛門! その為だけに媚びへつらい、己を捨てるのか!?」
「いいえ、私は私です。兄様。今現在の立場に対して罪悪感は御座いません。より良く過ごしたい。純粋な願いじゃありませんか」
弟の言葉にも一理ある。人ならば誰しも何かを欲した事はあろう。富、評価、権力、腕力などの力。その他にも様々。
虎右衛門曰く、今はそれら願いの延長線上にあるとの事。
「考えても見て下さい。私達の家は決して裕福な暮らしではなかった。大兄様が居た頃はそれなりでしたが、結局は儚いモノ。全て失い、寺子屋に通うのもやっとだったでしょう」
「それについては先生が手を回してくれた。お陰で拙者らは学べたのだからな」
「ええ、あの先生は優しく、穏やかだ。故に損する典型的な例。私は違う。兄様、よーく考えてください。私達は大兄様に知恵も力も勝てませんでした。然し、私達はそれぞれ大兄様の知恵と力を片方ずつ受け継いでいる。私の頭脳と兄様の剣術。それがあれば天下統一も夢じゃないのですよ! 思い通りの国に住めるのです!! 今こそ兄弟で力を合わせ、天下泰平の世を築きましょう兄様!!!」
拙者と虎右衛門なれば天下統一も可能。
それは誠にそうであろう。兄上に匹敵する剣術を拙者が持っており、兄上に匹敵する頭脳を弟は持っている。
兄弟で協力する事。それ自体は賛成だ。
然し、虎右衛門は決定的な事が抜けておる。
「何かを欲する事は否定せぬ。金にせよ食料にせよ、それが無ければ生きて行けぬがこの世だからの。だが、欲する余りに他者を傷付け、蹴落とし、己以外を無下にしてはならぬ。あれやこれを手に入れたがる欲望自体は悪ではない……欲に駈られ、己を見失う行為こそが悪なのだ!」
「やれやれ。分からず屋な兄様だ。そんなんだからいつまで経っても変われないんだよ。古臭い存在がね」
何が正義で何が悪か。そんなものは持論でしか御座らんが、拙者は拙者の信じた正義……武士道を遂行する。兄上を受け継ぎ、世を天下泰平に導くのが目的だからの。
大それた夢であれ、見る事だけなら自由。
目的を見失い己以外の全てを無下にする。自己満足だとしても、我流の正しさであるとしても、道を誤っているであろう弟を正す為に兄である拙者は虎右衛門へと向き合った。




