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其の佰陸拾肆 鬼ノ誕生・其ノ弐・訃報

「子右衛門……」


 白い布が被せられ、布団の上で横たわる兄上を中心に広がる陰鬱とした空気の中、母上の呟くような嘆き声だけが木霊こだまする。

 戦では一騎当千の力を発揮し、期待以上の活躍を見せたと云う兄上。戦が終息に向かう途中で流行り病となり、そのまま手紙などを出す事もなく死したとの事。

 勇ましい兄上にしてはあまりにも呆気無い死。人とはなんと脆いのであろうか。


「兄上は国中を飛び回っていた。既に流行り病に掛かっており、戦による激しい動きで悪化してしまったのだろう」


「ええ、理屈は分かっております。しかし、こんなにも若くして死してしまうとは……」


 体を震わせ、涙を流す虎右衛門。

 兄上には大層懐いていた。誰より悲しみを見せるのは仕方無き事。誰も攻めまい。

 そんな虎右衛門へ父上が嗜めるように話す。


「虎右衛門。男子足る者、そう簡単に涙を流すべきではない。短い人生の中、別れを経験する事は多い。おそらく私達もお前達より先に逝くだろう。だが、其の時は涙を流してくれるなよ」


「はい……!」


「子右衛門亡き今、牛右衛門は既に次期当主としての自覚が芽生えたようだな。その目を見れば分かる」


「はい。思えばあの時の最後の立ち合い。おそらく兄上は己の病の事を理解していたので御座ろう。だからこそ死するよりも前に拙者の実力を見定めていた。お墨付きを貰ったのなれば自覚せねばなるまい」


 兄上亡き今、必然的に天神家の当主となるのは拙者。

 とは言え拙者らは本家ではなく分家だがの。それでも気を引き締める必要がある。

 偉大な兄の跡を継ぐのは楽な事ではないが、理解せぬ程愚か者でもない。

 兄上が死するまで怠けていた事実は十分愚者であったがの。


「通夜と葬儀の手配をする。各々(おのおの)も取り掛かれ」

「「はい」」


 拙者と弟が父上の言葉に返し、諸々の手筈を終えた。

 それから数日に渡って通夜と葬式を終え、兄上の遺体は埋葬される。そこから更に何日か経ての半年後。寺子屋帰りの拙者と虎右衛門はいつものように我流で鍛練を行う。


「はあ!」

「甘い」

「……ッ!」


 木刀を持って掛かる弟を見切ってかわし、手を叩いて落とす。

 木刀を突き付け、拙者は口を開いた。


「兄上の教えを守っておるの。相変わらず筋だけは良いのだが、やはりここぞと言う決定に欠けておる」


「……そ、それは私がまだ幼いからです! 二年もすれば兄様に追い付きますよ!」


「フッ、その時は拙者も更に力を付けておる。怠けていた頃に拙者へ追い付いておかねばならなかったの。二度と届かぬ位置におるつもりだ。今の拙者はの」


「ぐっ……否定出来ない……!」


 兄上が居た頃は怠けていた。故に弟に追い付かれる可能性もあったが、今はもう違う。

 今の拙者ならば当時の兄上と良い勝負が出来たの。兄上も時も戻らず、後悔しても遅いが真面目に取り組むべきだった。

 虎右衛門は今一度立ち上がり、木刀を拾って構える。


「まだまだです……!」

「その意気だ。諦めねば、報われるかは分からぬが確かな力は付く」


 踏み込み、二つの木刀が正面からぶつかって乾いた音を鳴らす。

 やはり弟は力などが若干足りぬな。加え、そろそろ長物の扱いも教えた方が良さそうだ。拙者が兄上から教わったのも今の虎右衛門の年頃だったからの。

 そこへ父上がやって来た。


「鍛練の所悪いが牛右衛門。主に客人だ。都の城から来たらしい」

「城の者が拙者へ?」


 城からの客人。

 さて、何用で御座ろうか。兄上が居た頃は何度か対面しているが……彼亡き今、来る事自体が久々だ。

 鍛練を一時的に止め、拙者らは家へと戻った。


「主が彼の子右衛門殿の弟、牛右衛門殿であるな?」

「そうに御座います。して、何故なにゆえ態々(わざわざ)数里も離れた城の方が拙者へ何用を?」

「ウム、前に子右衛門殿との立ち合いを見ての。殿様から直々に招集が掛けられた」

「なんと!」


 呼び出された理由は、殿様からの指示。

 あまり好印象はいだかれなかったと思うが、本当に呼ばれるとは。

 虎右衛門が羨望の眼差しで拙者を見やる。


「スゴいですよ兄様! 直々の招待! これ即ち、城に仕える身となるという事ですから!」


「まだ分かっていなかろう。今のところ罪は犯した記憶がないが、また別件の可能性もある」


 ちと早とちりと言うもの。幾ら兄上が亡くなったからとは言え、行動が早過ぎる。

 拙者はまだ寺子屋も出ていないのだからの。

 それにつき、使役人が頭を振って返す。


「いえ、その招待は将来的に城へ仕えないかというものです。若くして才能のある者は早いうちに育てておきたいと言うのが志。寺子屋を出た後、改めて迎えに来ます」


「……!」


 まさかは誠に御座った。

 寺子屋を出たのち、家業を継ぐのではなく侍となりて殿に仕える身となる。

 これはかなりの出世。兄上が亡くなり、少なくなった収入を増やして家族を楽に出来る。


「父上、母上。これはまたとない案件。然しアナタ方には拙者を育ててくれた恩義がありまする。故に、アナタ方の見解に従いましょう」


 好条件だが、家族を無下には出来ぬ。

 拙者ら一家は草履や衣服を編む事で生計を立てておるのだからの。侍にはなりたいが、家業をおろそかにするのもまた罪なもの。

 現当主にして恩人である両親の意見を聞きたい所存。


「……城に仕えると言うのは危険も付き物。だが、お前が決めた道ならば否定はしない。お前が行きたいなら行け。お前の道はお前のものだ。それが私からの意見だな。牛右衛門」


「ええ、そうですね。城に仕えては帰って来れる日も限られる。一日も帰って来れない可能性もあります。しかし、貴方が決めた事なら私達はそれを応援しますよ。牛右衛門」


「父上……母上……」


 両親からの許可は降りた。弟は……言わずもがな。

 仕送りは出来る。後ほんの一年足らずで家族に裕福な暮らしをさせる事も可能となる。なれば拙者の答えは、


「その案。受け入れましょう。城に仕え、主君の為に兄上に代わり、命を賭す覚悟で臨み致し候」


「そうか。では、了承と取る。良き家族だな。その日、共に仕える事を楽しみにしておるぞ。牛右衛門殿」


「ウム」


 使役人は馬に乗って帰る。

 寺子屋を終えた後、拙者の内定が決まったのは良し。それまでに鍛練を積み、外へ出ても恥ずかしくないよう仕上げるとしよう。

 弟と共に日々鍛え、時折家の手伝いをする。その様な毎日を過ごしては時が過ぎ、卒業の日が来て寺子屋を出る。

 帰宅すると既に迎えが来ており、既に準備も終えていたので家を発つ。


「兄様。お気をつけて……!」

「達者でな。牛右衛門」

「体に気を付けるのよ……」


「心得ておる。そうよの……次に帰ってくる時は甘味でも手土産に持ってくるとしよう」


「……今度こそ楽しみにしています。兄様」


 兄上と同じ言葉を告げ、それを汲み取った虎右衛門が返す。

 拙者はいずれ家族の元へ戻る。この地を治める殿は寛大なお方故、定期的に帰郷を許してくれるのだ。正に兄上が一例よの。

 なので今度帰った時は兄上の墓の前にて、皆で団子でも食べるとしよう。

 最後に一瞥し、慣れぬ馬へと乗って家を出た。

 これから待ち受けるモノは困難を極める事もあろう。然し兄上の意思を継ぎ、より良い世を……と、そんな大それた目標は力を付けてから掲げるとしよう。今はまだやれる範囲の目的を持つべきだ。

 新たな決意を胸に、拙者は旅立った。


「行ってしまいましたね。兄様」

「ああ。男の旅立ちだ」



*****



 ──“三年後”。


「牛右衛門! 見事な活躍であった! お陰で戦に終結の目処が立ったぞ! いやはや一騎当千のその力! 兄譲りの武勇よ!」


「いえ、拙者なんぞまだまだ兄上には追い付きませぬ。言うなら一騎当百が関の山。これからも精進せねばなりますまい」


「ハッハッハ! そう謙遜するでない! 然し、これでおごらず先へ行こうとする気概! 見事な在り方だ!」


 家を出て三年。桃や栗ならばもうっている程の年月が過ぎた。

 城では既にそれなりの地位を得て家への仕送りも欠かさずしておる。生活が楽になったと手紙もあった。

 弟の虎右衛門も今では家を出て立派にやっているらしい。

 城に来てからの拙者の環境は三年前から大きな変化は無いが、手紙にて馴染みのある場所が変わった報告で年月を実感する。早いものだの。


「では、然らば御免」

「うむ、苦しゅうないぞ!」


 一例と共に下がり、刀を腰に携える。

 この城に馴染むのは案外早かった。それもこれも、兄上が仕えていた頃からの殿が良くしてくれたお陰だの。


「よぅ、牛右衛門。今日こそ一緒に遊郭に繰り出さないか?」

「遠慮しておく。拙者、これより鍛練がある故」

「なんだよ、連れない奴だな。仲間同士、たまには酒でも呑もう!」

「拙者は一人酒の方が好きだ。そも、主はちと遊び過ぎぞ」

「短い生を戦に費やすより、遊び心を持った方が良いだろう。いつかは共に酒を酌み交わそう。牛右衛門!」

「……まあ、いつかはの」


 城に来て、殿以外に良くしてくれる者もチラホラ。然れどこの者とは合わぬ。鍛練をサボっては遊学や博打に相撲に歌舞伎と遊び呆けておるからの。

 まあ相撲や歌舞伎には共に行った事もあるが。それにしても遊び過ぎに御座ろう。数年前の拙者を見ているようで同族嫌悪に陥りそうだ。


「牛右衛門。帰っていたのか。今日はどうする?」

「今日は素振りなどを中心に行う。変装術などの技磨きはまた後日執り行おう。主の技は役立つからの」

「そうか。分かった」

「ところで主、天井からぶら下がって頭に血が上らぬか?」

「要は慣れだ。では」


 シュバッ! とでも音が聞こえそうな速度で消え去る。天井裏に隠れただけなのだがの。相変わらずの速さだ。

 忍の知り合いもおる。奴から教わった事もあり、拙者の髷は長めの総髪そうはつとした。その他にも色々と得られた技術はある。共に戦う身として、裏方に奴が居てくれるのは有り難き事だの。

 あの遊び人ももうちっと見習えば良いものの。


「そうだ。言い忘れていた」

「まだおったのか」

「ああ。……まだ出回ってはいないが、一足早くにお前には教えておこう。近々、それなりの国と乱戦が起こるかもしれない。その為の遠征へ任命されるならお前だ。それだけを伝えておく」

「心得た」

「では」


 多くは語らぬ。それもまた忍の在り方。

 拙者が敵に回る可能性もあるからの。深い情は必要無い。その信条の元にて活動している。

 冷徹になれ。それが戦場を生きる者の教えよ。

 その後拙者は鍛練をし、感覚を研ぎ澄ます。大国との戦。準備はしかと終えている。この調子なれば今回もまた勝利を掴めよう。


 それから更に数日後、拙者へ一つの伝報が届いた。

 達筆な字にて書かれた内容はこう。


『拝啓、天神牛右衛門様。

 先日、汝の父(貴方の父親が)逝去せり(亡くなりました)。──

 一年前、虎右衛門が家を発ってすぐから病を患っており、床に臥せての生活が長引いていたのです。

 手紙には問題無いと書いておりましたが、それは都にて精進している貴方や虎右衛門の邪魔にならぬようにとあの人からの指示です。

 通夜は後日ですが、もし出来るのならば葬儀へ出席──願い奉る(してください)。』


「…………」


 差出人は母上。内容は父上の死。

 所々墨が滲んでおる。泣きながら一人で書いていたのだろう。

 そう上手く行かぬが人生。然れど戦に巻き込まれず、安らかに眠りについたのなら幸福な死だったので御座ろう。

 暫くは時間もある。馬で数日の道なり。葬儀には間に合いそうだの。

 殿に申し出、拙者は一時的に帰郷致した。

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