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其の佰陸拾参 鬼ノ誕生・其ノ壱・天神家

 ──拙者は深い微睡まどろみの中に居た。暖かな陽気が体を照らすのを感じ、一つの声が耳元に入り込む。


「……様! ……兄様! 起きてくだされ兄様!」

「……。“虎右衛門こえもん”か」


 うたた寝をしてしまったか。

 拙者は弟、天神虎右衛門に起こされた。

 拙者との年齢差は二つ。まだ幼く、よく甘えてくる奴よ。


「昼寝しているのか。夜眠れなくなっても知らないぞ」

子右衛門しえもん兄上」

「子右衛門兄様!」


 そして拙者とは三つ離れた長男、天神子右衛門がやって来る。

 彼はこの家を継ぎ、家主となる偉大なお方だ。

 少々肺が弱いが、それを踏まえて剣術も勉学も拙者以上。妬む事すら無駄な事と知ろ示す実力を秘めておる。

 平民の出でありながら城から直々に誘いが来る程に偉大な兄で、拙者は将来兄上に仕えて力になる事を目標としておる。


「そんなに寝てばかりじゃ“その名”が示すように牛となってしまうかもな。──“牛右衛門ぎえもん”」


「斯様な事を申さないで下され。兄上。本当は拙者にそのつもりは御座らぬのだ。ただ単に暖かな春の陽気が深い微睡みへといざない、惰眠だみんの底へと沈められるだけである」


「達者な文言で話しても言い訳になってないぞ。牛右衛門」


 そして拙者、天神牛右衛門。

 拙者ら兄弟は似たり寄ったりの名だが、縁起の良い十二支から定められている。

 拙者と弟の字は本来の十二支と少々異なるが願いは同じ。故にこの名は誇り。それに恥じぬような侍になりたい所よ。


「──と言うのが牛右衛門の口癖だが……果たして本当になれるのか」

「兄上。毎度の事(なが)ら思うのだが、拙者の考えが読めるので?」

「何となく表情に出ているのさ。お前は顔に出やすい。侍になるのならもう少し表情を消すべきだな」

「ウム、精進しようぞ」

「本当かー?」


 これが拙者ら兄弟の距離感。仲が良いかと問われればそうであると答えられる。

 拙者と兄上のやり取りを見、虎右衛門が話した。


「兄様方。今日も私に稽古を付けて下さい! 早く貴方達に追い付きたいのです!」


「フッ、そうか」


 拙者らは、決して裕福な家柄では御座らん。

 寺子屋に通えるだけの蓄えはあるが、それは父上と兄上が稼いだ物。それだけで手一杯なので剣術は我流。

 然し兄上の才があれば下手な師範より教えも上手く、道場に通う必要も無いのである。

 兄上は笑い掛け、拙者と顔を見合わせる。


「では、今日も何時もの場所で鍛練に励むとしよう。二人とも」

「はい!」

「そうよの。兄上。虎右衛門」


 木刀くらいはある。なので鍛練は広い場所があれば可能。

 拙者らは修行場となっている森へ向かい、今日も打ち合いを執り行う。


「やあー! はあー! でいやー!」


 カッ! カッ! と木と木のぶつかり合う乾いた音が森の中に響き渡る。

 虎右衛門が兄上に向けて木刀を打ち、その全てが防がれている音。兄上は片手でいなしつつ言葉を発した。


「虎右衛門。腰が入ってない。それに狙いもまばらだ。昨日も言っただろ。立ち合いではただ敵を打つのではなく、先を読んで出方を窺い、確実な一撃を打ち込むんだ。戦では一対一サシの方が稀有けう。迅速に討たなければ死ぬのは自分だぞー」


「わ、分かりました兄様!」

「そして……牛右衛門! お前は今日もサボってるな! なまじ才能があるからって、そのままだと虎右衛門に追い越されるぞ!」


「構わぬよ。拙者、兄上に勝てぬだけで寺子屋の皆よりも強いからの。日がな一日、空を眺めて過ごす方が性に合っておる」


「そんな事言って怠けていてはいずれ手遅れになるぞ。儂は近々遠出し、何日か帰って来ぬからな。今のうちに習っていた方が牛右衛門にとっても都合が良いだろう」


 兄上と弟の鍛練を眺め、暖かな日の照らす草の上にて寝転がる。

 また兄上の説教。全面的に向こうが正しいが、己のサボり癖はどうする事も出来ぬのが人のさが。致し方無かろうて。


「数日おらずともいずれは帰って来るのであろう。なればその時に稽古を受ける」

「オイオイ、向かう先は戦ぞ。儂と言えど死ぬかもしれぬ」

阿呆あほう。主が死ぬか」


 近々戦へと赴く。優秀が為、駆り出される事もよくある。だが元より兄上なれば心配も無用と言うもの。

 直ぐに分かる事よ。


『グオオオ!』

「ヒッ!? あ、兄様! 熊が出てきました!」

「おーおー、今日もやって来たか。森のヌシ!」

『グガァ!』

「兄様!」

「ハッハッハ! 相変わらず血の気の多い獣だ!」


 突如として現れた熊が高速で飛び掛かり、兄上は木刀を片手に向き直った。


「お主も儂らと共に鍛えるか? 筋は良いぞ。立派な戦力となろうて!」

『ガッ……!』


 一閃。熊の急所を今の瞬刻にて複数回打ち、その意識を奪い去った。

 この辺りに棲む獣の中では一番強き熊でも敵わぬのだ。たかが人間がどうやったら兄上を倒せるのか。見れるものなら見てみたいの。


「さて、鍛練の続きだ続き。お主らもいずれはこう言った芸当が可能となるぞ!」

「本当ですか兄様!?」

「ああ、誠だ! この儂が嘘を吐いた事あるか!?」

「え? まあ、はい。何度も」

「そうよの。兄上はよく口が回る。嘘もしょっちゅう吐いておろう。前だって父上の甘味を食し、上手い言い訳で切り抜けたからの」

「あれは頓知トンチと言うのだ! 嘘は人を悲しませるモノ。だからこそ閻魔様に舌を抜かれてしまう! 儂の頓知は主らを幸せにしただろう!」

「父上は悲しませたがの」

「ハッハッハ! 父上は既に何度か食べてるのだ! 弟達を幸せにして地獄に行く筈もないさ!」


 弟思いではあるが、性格はこの通り楽観的。

 拙者らのみならず家族全員を思っているのも分かるのだがどうにも胡散臭い。

 はてさて、兄上の行く末はどうなるか。


「取り敢えず、鍛練しないならそれもまた良いが、よく見たり耳の内には入れておけよ! この戦乱の世。いつ何時なんどきお前達が戦に駆り出されるかも分からぬからな!」


「はい!」

「虎右衛門。主は真面目に鍛練へ励んでおるのだから返事する必要無かろう」

「はっ! そうでした!」

「ハッハッハ! 愉快じゃ愉快じゃ!」


 心底明るし兄上。

 仕方無いと拙者も鍛練へ参加し、剣術を習う。

 教えが上手いのは紛れもない事実。拙者の力が日々高まるのも実感出来るというもの。

 その様な日々を過ごしつつ寺子屋にも通う。兄上がつ日も直ぐに来た。


「では、行って参るぞ。父上、母上、牛右衛門に虎右衛門。道中都を通る。帰りに団子か何かを買ってきてやろう」


「ウム、それは楽しみだ。今日か明日かと日々団子の帰りを待つぞ。兄上」


「そこは儂の帰りを待ってくれよ、牛右衛門。……だが任せろ。旨い飯をたんまり持ってきてやる!」


「気を付けてくださいね! 兄様!」

「怪我や病気に気を付けるのだぞ。子右衛門」

「ちゃんと帰ってくるのよ」


「応ともよ!」


 馬に跨がり、颯爽と風を感じて髷を揺らす様は正に威風堂々。彼の百戦錬磨、一騎当千のその力を存分に振るってくる事に御座ろう。

 最後に兄上は何かを思い出したかのよう立ち止まり、城からやって来た使者達に断りを入れて一旦馬から降りる。


「牛右衛門。戦に行く前に手合わせ願いたい。最近はお前の力を見ていないからな」


「……? 唐突に何を申されるか。まあ良いが、拙者が勝てる未来は見えぬ。誠に良いのか?」


「構わない。ふと思っただけだからな。思い立ったが吉日と申すだろう」


「そうか」


 特に気には留めず、一度だけ兄上と打ち合う事となった。

 兄上の強さはよく理解しておる。何時もの気紛れ。勝てる見込みもほぼ無し。

 だが城の者が居る手前、拙者の力を見せ付け将来的に配属されるのが理想。手を抜かず相手を致そう。

 向き合い、小石を一つ拾って上へと放る。石ころは宙を舞い、そのまま地面へと落下した。


「参る……!」

「来い。牛右衛門!」


 木刀を片手に踏み込み、兄上との距離を詰め寄る。

 基本的に怠けてはおるが、己の身体能力が優れていると自負しておる。 

 虎右衛門へ話した事もしかと収めてある。故に鍛練の光景とはまた別の拙者を見せられよう。


「はっ!」

「……」


 声をあげて木刀を振るい、それは防がれる。

 その様な事は想定の範囲内。そのまま剣尖から逸らすように移動させ、切り返しと同時に死角へ叩き込む。


「……」

「なんの!」


 それを読んでいたのか兄上は完璧にいなし、拙者の体躯が崩れる。

 然し型に嵌まらぬ我流がある種の教え。足払いにて兄上へ仕掛け、気を取られた隙に突き刺す。


「………」

「これも当たらぬか……!」


 然れど掠りもせぬ。

 流石の実力よの。兄上は。だが、そのままてのひらで回転させて持ち替え、横へ薙ぎ払う。

 刺突から派生した不意を突く一撃。二撃。上手く行ったと思うたがこれもかわされたか。


「なれば……!」

「…………」


 次の行動へと移る。

 また持ち替えては振り上げ、振り下ろす。兄上は飛び退くようにそれを避け、その距離を一歩で踏み込んだ。


「……!」

「貰った!」


 畳み掛ける連続斬り。そこから確実な隙を突く高速の一撃。

 流石の兄上もこれでは耐え切れまい。

 当の本人は優しく笑い掛けた。


「儂からいくつか教えよう。先ず、戦闘の最中の会話は集中力を切らすからあまりオススメしない。そして勝ち誇るな。まだ勝負が決してない時点で勝利を確信してはそこが大きな隙となる。──正に今の状況だろう。牛右衛門」


「……っ」


 完全に見切られ、拙者の手から木刀は無くなっていた。

 見れば背後に落ちておる。これ即ち、拙者が隙と思った箇所は誘い込まれているもので、既に確実な一撃が向こうから打ち込まれていたという事。

 流石の兄上。拙者では敵わぬか。


「参った。降参に御座る。兄上」

「ハッハ! そうか! それは──イダッ!?」


 次の刹那、兄上の頭上に石ころが落ちた。

 名付けて、騙し討ち。


「フッ、勝ったと思わせて確実な一撃とする。如何だ? 兄上」


「侍が勝敗を宣言してから手を出すのは思うところがあるけど、奇襲って意味なら大成功だ。戦争では待ってくれない事も色々とあるからな。応用力は評価せざるを得ないさ。牛右衛門。よく儂と引き分けた!」


 いささか卑怯だが、敗北を避ける事は出来た。

 使者達の拙者への印象は存じ上げぬが……おそらくあまりよろしくなかろうの。然しまあ、これもまた一興よ。一興。


「安心して任せられる。それじゃあ皆、お土産を楽しみにしていてくれ!」


 馬に乗って手を振り、兄上はこの場を去った。

 さて、次は今のような手を使わずとも兄上へ勝利出来るようにせねばな。久々に真面目に鍛練へと取り掛かるか。

 それから数週間過ごした後、兄上は帰って来た。


「天神子右衛門殿。流行り病に掛かり、数週を経たずして死亡しました」


 ──命が潰えた状態で。


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