其の拾伍 湯殿
「御馳走様で御座った」
「ごちそうさま? それもキエモンの国の作法か?」
「ウム。食前の挨拶が食物に感謝を述べる言葉なれば、食後の挨拶は他者へ敬意を払う言葉に御座る。もてなされた事への礼と言うのが分かりやすかろうか」
「成る程。食前は食材に。食後は料理人に感謝の意を述べる。素晴らしい作法だな。……よし、ごちそうさまでした。……ど、どうだ?」
「善きかな」
食事を終え、食後の挨拶を終えて食器類を片付けつつ食堂を後にした。
その後マルテ殿が拙者に訊ねる。
「してキエモン。この後はどうするんだ?」
「湯殿で体を清め、安らかに眠りに付く。くらいで御座るな。明日はヴェネレ殿に城下町の方を案内して貰う次第だ」
「そうか。私も風呂に行き、夜番に備えて仮眠を取るとしよう」
「そうであるか。では共に湯殿へ赴こうぞ」
「ああ、そうだな」
この後の予定は前述した通り。
マルテ殿も湯殿に向かうのされば都合が良い。然し彼女は夜分の見張りがある様子。拙者はまだ入ったばかり故、今日は自由だがそのうち夜番などをする事もあろう。
国は平穏、そこまで警戒もする事が無さそうに御座る。
「では、私はここで。また後で落ち合おう」
「そうか。ヴェネレ殿が言うにこの国では男女別で湯に入るとの事。語る事は出来なさそうだ」
「フッ、キエモンの国では男女共に湯に入るのか。それはそれで楽しそうだが、やはり恥ずかしさが勝る。しかし、いつかは共に入るのも良さそうだ」
風呂場の前にてマルテ殿と別れる。
風呂好きの拙者であるが入浴後に丁度良く出会う事があるだろうか。
考えてもキリが無いな。その時はその時としよう。
「ではまた後で」
「ああ、キエモン」
思えばヴェネレ殿と会っていないな。食事を摂った後なればまた共に行動しようと考えていたが、流れで此処まで来てしまった。
まあ良いだろう。姫君は姫君の在り方がある。一兵士、いや、一騎士である拙者との身分の違いからして共に行くのはあまり宜しくなかろう。
案内の時には入らなかった奥。そこにいくつかあった暖簾のような幕。そのうちの、マルテ殿が入らなかった方の一つを潜り、拙者は湯殿へと向かった。
「広き浴室に御座るな。今の時刻は人も少なく落ち着けそうだ」
時刻が時刻故か、他の者達は殆ど居ない。
湯気にて見えにくいが人影が一つ程。先ずは体を洗い、湯を汚さぬように気を付けよう。
「……水の出し方はどうであろうか。見たところ井戸が無く、奇っ怪な形の何かがあるだけ。妖術を用いて水を使用するのであれば拙者には敵わん」
清めようと思ったのだが、水の出し方が分からぬ。
桶はあるが、近場に井戸は無し。湯殿から水を拝借するのも思うところあり。はてさて、参った。
あの者に聞いてみようか。
「すまぬ。そこの者。水の出し方をお聞きしたいのだが」
「え? 男の人の声……!? というか私以外に一体誰が……」
「……?」
大きく反応を示し、何やら聞き覚えのある声で話す。
はて、空耳で御座ろうか。その者が振り向き、歩いて来た。
「キ、キエモン!?」
「おや? ヴェネレ殿では御座らぬか。この様な所で何をされもうしている?」
「なにってお風呂だからもちろん入浴だけど……キエモンこそこんな所で……って、私裸! ち、ちちち、ちょっと待って!」
慌てふためき、その裸体を近くの手拭いにて隠す。
赤面し、拙者に向けて言葉を発した。
「何でこんな所にキエモンが? ここは王族専用のお風呂なんだけど……」
「む? そうであったか。それは失礼した。湯に浸かろうと暖簾を潜り、此処に来たらヴェネレ殿がおられてな」
「あー、確かに浴場の全体は説明してなかったかも……これは私の落ち度か……」
どうやら姫君。及び主君などのような目上の者専用の浴室だったらしい。確かにその様な物があるとも仰有っていた。
詳しい場所を聞いてなかったとは言え、そこへ入るのは大変無礼な事。此処は謝罪すべきだろう。
「すまぬ。ヴェネレ殿。拙者、此処が姫君の湯殿とは露知らず、無礼を働いた。責任を持ち、騎士を辞めるか腹を斬ろう」
「間違い一つでそこまでするの!? それはダメだよ! 悪意があった訳じゃないし、私のミスが原因だから……キエモンは辞めちゃダメ! 後、間違ったらお腹を斬るって前提がおかしいから!」
どうやら切腹は免れたようだ。
ヴェネレ殿が拙者に気付いた時より慌て、バシャバシャと湯水を鳴らす。
その拍子に手拭いが取れたが、裸体は見られたくない様子。拙者は目を閉じ、言葉を綴る。
「そうであるか。また浪人へと戻るところで御座った。感謝致す。ヴェネレ殿。して、手拭いが剥がれている。早急に身に付けよ」
「え? あ! う、うん! そうする。…………うん、もう開けて良いよ。気付いてすぐに目を閉じるってキエモン紳士だね」
「しんし? それが何かは分からぬが、悪評でないのなら受け入れよう」
「アハハ……それはそれとして本当に下心が無いんだね……私、結構プロポーション良いと思うんだけど……キエモンの前だと魅力が無いのかなって思っちゃう」
「何処を見ておられるのだ?」
「なん! でもない……」
何やら視線を下に向け、そっぽを向く。
はてさて、何やら気に障ったのか。いや、気にならば此処に入ってしまった時点で障っている。拙者も早急に去るとしよう。
「では、ヴェネレ殿。間違い、改めて謝罪申す。これにて御免」
「あ! ちょっと待って! キエモン!」
「む?」
去り行く拙者を止めるヴェネレ殿。
何で御座ろうか。やはり改め、もう少し軽い罰でも与えるのだろうか。
それならば心して受け入れる。王族の無防備な時に入るなど、暗殺の疑いを掛けられてもおかしくないからの。
ヴェネレ殿の言葉を待つ。
「せ、せっかくだし別にいいよ……一緒でも……すごく恥ずかしいけど、私へのそう言った感情は無さそうだし……本当に無さそうだからね……」
「良いのか? 仮に拙者が敵国から送り込まれた刺客なれば、いつでもヴェネレ殿を暗殺出来てしまうが」
「何でキエモンはいつもそんな大仰に考えるのかな……キエモンも私と一緒にお風呂で語り合いたいって言ってたでしょ?」
「そうか。ならばそのお言葉に甘えよう」
どうやら共に浸かるのも良いと判断したようだ。
今日出会ったばかりのヴェネレ殿。色々と話をしたくある。許可が出たならばそれに肖ろう。
そうだ。忘れていた。
「して、ヴェネレ殿。拙者、今ヴェネレ殿にして貰いたい事がある」
「え!? 私に!? そ、それってやっぱりそう言う目で見てくれてるの……?」
「水の出し方を教えてくれ」
「水!? それって下半身の水とかそんな感じの……!?」
「……? 何を申されているのだ? 体を洗いたい。然し水の出し方が分からぬ。故の頼みだ」
「あ、そっちね! いや、もちろん最初からそっちって思ってたよ!? なに勘違いしてるのキエモン!」
「拙者は何も勘違いなどしておらぬが……いや、暖簾の先の湯殿を勘違いと言うのなれば確かに勘違いして此処へ来てしまったと言えるか」
「あ、いや、そう言うのじゃなくて……何か慌ててる私がバカらしくなってきた……」
口を湯船に沈め、赤面しつつブクブクと気泡を作る。
「フッ、ヴェネレ殿は賑やかな方に御座るな。共に居て退屈しないお方だ」
「それって褒めてる?」
「ウム」
「そう。ありがとう。目、閉じてて。キエモン。水の出し方教えるから」
「相分かった」
目を閉じ、ヴェネレ殿が何やらゴソゴソと動く。布のような音からして、おそらく手拭いを羽織っているので御座ろう。
それを終えたのか、ヴェネレ殿は拙者の近くへと来た。
「して、これには妖術が必要で御座るか?」
「えーと、これは別に魔法とか使わないよ。魔力が流れていて地下水を浄化して運ぶの。だからやる事はただ単に蛇口を捻るだけ。それでこっちがお湯。こっちが水。お湯だけだと熱いから適量の水も捻って使うと丁度良いよ」
「忝ない。ヴェネレ殿」
「どういたしまして。キエモン」
それからヴェネレ殿は湯に戻り、拙者も体を清めて湯へと足を入れた。
釜風呂と違い、底に火を使っていない故、木の板も必要無い様子。快適な湯殿に御座る。
「それで、どんな事話す? 聞きたい事色々あるんでしょ?」
「ウム。そうなのだが、鬼退治直後の時に少し語ってしまったからの。案内された時は色々と聞きたかったが、今は特に何もない。羞恥心がある様子故、やはり拙者は出ようか?」
「あー、確かに私、ちょった落ち込んじゃってキエモンに話したもんね。それならそれで良いよ。それと、出なくていいって。今の状態なら恥ずかしくないし」
手拭いを体に巻き、落ち着きを見せたヴェネレ殿。
当人が良いと申すならばそれで良いが、互いに何も言わずに過ごすのも気まずき事。話題を振るとしようぞ。
「なれば、明日行く城下町について話すのはどうだろうか。物事は計画的に進めねばならん」
「うーん、少し堅苦しいけど、それもそうだね。私はフラフラ~っと簡単に行くつもりだったんだけどなぁ」
「フム、そうであるか。何者にも縛られたくないヴェネレ殿らしいな」
「まあね~。取り敢えず道具屋は寄ったから、レストランとか宿とかこの街だけじゃなく、今後機会がありそうな、遠征するに当たって別の街で寄るかもしれない施設を紹介しようか?」
「宿にれすとらん……宿は分かるが、れすとらんとは如何なる物か」
「キエモン風に言うなら食事処かな。慣れておく必要もあるから、明日はそう言った所に行こう!」
「了解した。楽しみに御座る」
「アハハ。それは良かった」
何であれ、拙者らはそれなりに楽しく過ごせた。
指し示す言葉が違うだけであり、大凡の部分は拙者の国と然して差が無いように御座る。
拙者とヴェネレ殿は浴室にて談笑しつつ過ごした。
*****
「お待たせ致した。マルテ殿」
「やっほ。マルテさん」
「む? キエモンはともかく、ヴェネレ様もいらっしゃいましたか」
風呂から上がり、着替えた拙者達は外で待ってるマルテ殿に話す。
まだ湯冷めしていない状態からするに、マルテ殿が出たのも今しがたの様子。それなりに長話してしまったが、マルテ殿も風呂好きのように御座る。
「まあね。マルテさんと待ち合わせしてるって話に聞いたから。もう、私も誘ってよね。あ、それとさ。キエモンったら浴室を間違えちゃってね!」
「成る程。それでヴェネレ様もご一緒に。それと、ヴェネレ様にお声掛けしなかった事はすみませんでした」
「いいよ別に。ちょっとした……なんだろう? 取り敢えず気にしてない!」
「フム……やけに上機嫌……浴室でキエモンと何かあったのでございますが?」
「ううん。ちょっと話しただけ」
二人で会話を致す。
お互いに何やら牽制し合っているようにも窺えるが、機嫌は良さそうに御座る。
それならば拙者が気にする事も無かろう。
「それで、キエモンはもう就寝するんだっけ?」
「ウム。明日も早き事。身を休め、騎士としての務めをしっかりと果たす気概に御座る」
「そうか。随分と早くに眠るようだ。……私はこれから夜番だが、ヴェネレ様は?」
「私も髪を梳かしたら休もっかな。明日はキエモンの案内するからね!」
休むのは拙者とヴェネレ殿。マルテ殿は務めがある。
なれば此処で解散に御座るな。
「それじゃ、また明日。早くキエモンと共に騎士として活動したいからな。しっかりと見てきてくれ」
「ウム」
「任せて。キエモンに街の事を全部教えるよ!」
互いに手を振り、マルテ殿は杖を持って城の見張りへ。ヴェネレ殿は“ねぐりじぇ”と言う寝間着を纏って自室へ。
拙者も部屋へと向かった。
「こんな感じで御座ろうか。これくらいならば拙者にも出来るな」
布団を用意し、灯りを消して少しばかり高所にある毛布に乗る。
敷き布団では無いようだが、近くに刀を置けるのなら安心出来る。静かな良き夜だ。
だが、まだ入りはせん。何故なら拙者にはまだやる事があるようだからだ。
「……フム、嫌な気だ。昼間の森にて何があろうか」
窓と呼ばれる枠を開け、遠方にある森を眺める。
この気配、おそらく物の怪の類い。さしずめ昼間の鬼が怨霊にでもなったのだろうか。
「なれば拙者が斬るのみ。早急に終わらせ、眠りに就くとしよう」
呟き、枠に足を掛けて飛び出す。
町は暗く、人の気配は少ないが月明かりがあるのならば視界は問題無い。城から飛び降り、屋根から屋根へと跳び移ってさながら忍の如く移動する。
一体何事であろうか。




