其の佰肆拾捌 資料室
「ここはお前が来る所ではないが。No.35。要件を聞こう」
なんば三十五とな。それはなんぞ。
然し乍ら面倒事を起こす訳にはいかず、怪しまれる訳にもいかない。
トントンと通信装置を二度つついて話さぬよう指示を出し、此処は一先ず弁明を図るとするか。
「いえ、何でもありませぬ。フラリフラリと立ち寄っただけ。あれらの進行の程が気になったので」
この場からするに、最近まで実験を行っていたのは明白。
まだ血の滴りも新しく、固まっておらぬからな。戦場にて多くの血を見てきた拙者には状態が分かってしまう。
なればそれについての言及をすれば怪しまれる可能性も減るだろう。……と言うても詳細は知らぬ。下手を踏み、指摘されればこの者の意識を奪わねばなの。
「……そうか。確かにまた新しい魔物が作り出せた。今回は前の作品より出来が良いからな。コイツらを戦争に駆り出せると考えたら笑いが止まらない」
生み出した存在を作品と呼ぶか。確かに生き物と言えるかも怪しいものだが、命を何と考えているのか。いや、何も考えていないのだろう。より良いモノを生み出し、それを冒険者や他の人々で試す。それが此奴の生き甲斐。
そして戦争にも使われる様子。当然と言えば当然よの。ただ飼育するだけならば態々改造し、力を付ける必要も無い。戦がある種の本番に御座ろう。
今すぐにでも止めたいが、既に犠牲となった生き物は多く、帰って来る事はない。なれば今はそれを実践に投入されるよりも前に阻止出来るだけの情報を集めねばな。
「そうですね。楽しみで御座いまする。では、邪魔にならぬうちに拙……私奴はこれで」
「ああ。下級兵にしては話の分かる奴だ。まだ日程は決まってないが、戦争の日までお互いに生きられたら共に戦場へ行こう」
その言葉に一礼し、この場を立ち去る。
戦争の日がいつかは分からぬが、それまで生きていられるかどうかすら危うい国か。
恐怖政治のみでよくもまあ、此処まで持ったものだ。
戦争決行の日はまだ知らされていないか。それもそうよの。今拙者が化けておるこの下級兵士とやらも日時は知らなかった。
兵士には先に話すもの。それがないとなれば決まっていないと考えるのが道理よ。
拙者は地下を抜け、人通りが多く危険も多い一階へとやって来た。
「オイ、下級兵。なぜ俺の前を歩く? 下級兵は下級兵らしく道を譲れ下級兵」
「………」
どうやらこの者は下級兵が口癖のようだの。変わった存在も居た者だ。
然し、見るからに何も考えてなさそうなこの者は利用しやすい。下手に出れば情報を漏らしてくれよう。
「すみませぬの。失礼ついでにお聞きしたいのだが、資料室は存じ上げておりませぬか? 勇ましき、優秀な貴方様へまた無礼を働かぬよう、勉強したいのです」
「あ? クク、そうか。それは良いアイデアだ。資料室は三階の奥だぜ。今後は俺への敬意を忘れず、下級兵らしく道の端を通れ下級兵」
「ハッ、肝に命じておきます。偉大なる上級兵士様」
「ハッハッハ! テメェは物分かりの良い下級兵のようだな下級兵! 近々行われる戦場では俺の視界に入る事を許してやろう下級兵!」
「なんとも寛容な。優れているだけではなく、器の広き方に御座いまする」
「そうだそうだ。ハッハッハ! 下級兵!」
最後に何の意味も分からぬ下級兵と告げ、大男は去って行った。
ああ言った者は少し煽てれば図に乗り、付け上がる。故に催眠や洗脳を使わずとも操りやすくなる。考えれば礼儀作法を学ぶ為に資料室へ赴くと言うのは明らかに変だが、存外気付かれぬものだの。
褒めて周りや思考を疎かにさせ、聞きたい事を聞き出す他者へ取り入る為の世渡り術。かつて現世で忍の友に聞いていて良かったの。これで資料室の場所は理解した。
──“城内、三階”。
(さて、三階。流石に人が多く、奥に行くにつれて更に増えているの)
階段を登って三階に着くや否や、明らかにただの兵士ではない見張りの者達が多くなった。
どうやら見張り人の休憩所もあるらしく、常に往来しており結果的に城内の何処よりも警備の厚い所となっていた。
これも狙っての事だろう。資料室に大事な物が保管してあるからこそ、この様な形とした。考えられておる。
はてさて、近場までは行けるが資料室に入ってしまえば騒ぎになる事は間違いないの。参った参った。
こうなれば姿は見えているが気配のみを消し、人混みに紛れて資料室へと入るか。
呼吸を整え、足音に衣服の擦れる音。その全てを消し去った。道行く者の呼吸に拙者の息を合わせて溶け込み、姿を紛らせて資料室前までやって来る。
(此処までは良し。後は気付かれぬよう戸を開ける事。鍵なども必要だの。上手く行けるだろうか)
近くの壁へと寄り掛かり、あくまでも休憩しに来ただけの兵と思わせる。
他の者達の呼吸。皆が見つめる方向。会話の内容。それら全てを把握した後、一瞬の隙を突いて資料室へと入る。
思うだけなら簡単だが、実際はもっと難しい事柄。
「それでさ」
「へえ」
「さて、俺の等級は……」
「あ、もうこんな時間」
「そろそろ戻るか」
「そろそろ帰らないと怠慢罪で死刑になっちまう」
「暇だな。敵襲でも来ないかな」
全ての会話は聞き取れぬが、全ての視線は把握した。
此処を通る者、皆が資料室から視線を外した瞬間を狙って素早く小太刀を手に取り、鍵を切り裂いて強行突破致した。
だが音は出しておらぬ。誰も鍵が壊された事も拙者が資料室へ入った事も気付かぬ。
変化の時間制限もあるので切り裂いた鍵の欠片を静かに置き、直ぐ様資料室内を漁る。
人の気配は無いが、星の国に来てから突然姿を現す事が多いからの。より鋭く常に気を張っておく必要がある。
「戦争計画の全容についての書類は御座らんな。だが、所々にそれを匂わせる物が見える」
流石に重要な計画書を見張りも居ない此処に保管する程間抜けではないか。外には大勢居たが、内部には怪しく思える迄に誰もおらぬ。
バレたとしても手ぶらで帰る訳にはいかぬので気になった物を読み進めて行く。
「これは戦術書よの。第一に改造生物を解き放ち、陽動と撹乱。その後に第二陣を放ち、一気に攻め落とす」
《改造生物を戦略に……当然だよね》
力のある変異種を囮と陽動に使った後、疲弊した所を攻め立てるやり方。
実に合理的な方法よの。
「尚、下級兵は改造生物と共に囮を担わせ、本陣であると錯覚させる」
《……っ》
使い捨てなのは獣だけではなく、階級の低い兵士も含まれている……か。
確かに囮部隊とは思わぬかもしれんな。本陣かどうかは兎も角、強力な獣と魔道具によって強化された下級兵が攻め来ればある程度は欺けるかもしれぬ。
既に多少の情報を得た“シャラン・トリュ・ウェーテ”には通じずとも、他の国を相手とするなら効果的に思える。
「この本には色々役立つ情報があるの。無論そうなるよりも前に止めるつもりだが、この戦術についての対策を考えておくのは良かろう。備えあれば憂い無しよ」
《分かった。じゃあ話していって》
「心得た」
戦術書にあった事をある程度話していき、他の書物も読み進める。
戦術、地理、成り立ち。肝心の戦争については無くとも、得られる情報は多い。
「む……これは」
《どうかした?》
書物を読み進めていると、気になる概要が一つ。
ヴェネレ殿の言葉に頷き、それについて話す。
「戦争決行の日時が書かれておる」
《……!? 戦争の……!? けどそれは分からないんじゃなかったっけ……》
「その筈だが、下級兵士にだけ伝えられていない可能性は十分にあろう」
《……。それは何日後……?》
「半年後。まだ時間はあるの」
《半年……長いようで短い期間だね》
宣戦布告を行うは半年後。短くはない期間だが、星の国の準備期間と考えれば丁度良さそうだ。
もし戦争が起これば世界的に大きな被害が起こるのは明白。拙者がやるべき事は変わらぬ。
「それをさせぬ為に拙者は此処におる。なるべく情報を集め、計画を阻止するのだ」
《うん。そうだね。キエ……》
「待て」
《……!》
即座に二回打ち、ヴェネレ殿の言葉を止める。
既に資料は置いた。傍から見れば何にも触れては御座らんが、果たして誤魔化せるかどうか。
「──お前……何者だ? 下級兵士ではないな。見張りの目を掻い潜り、この部屋へと入れるのは余程の実力を有しているからだと分かる。ゆっくりとこちらを向き、そのローブを外せ」
「………」
一先ず言われた通りにゆっくりと振り向き、外套を外す。
顔はまだ戻っておらんからの。拙者の正体は明かされておらぬ。
と言うても態々下級兵の顔など覚えてなかろうが。
「見ない顔だが……フム、確かに登録されているな。殆ど一致している。本人と見て間違い無さそうだが……戦闘データを調べてみる限り、この部屋に侵入出来るような実力も無いな」
「………」
何らかの魔道具を使い、拙者の変装元となった兵士のでぇた……即ち情報と見比べる。
容姿などは変化の魔道具のお陰もあって誤魔化せたようだが、戦闘の記録と此処に入り込める実力は釣り合わぬらしい。
何処まではったりが通じるか。いや、元より此処に入る事自体が規約違反。どう足掻いても処罰されるのは想像に難くない。
「取り敢えず、違反行為で処刑だ」
「………」
やはりそう来たか。
変化が解けても良いように拙者は再び外套を被り、脇差しに手を掛ける。
その行動を見やり、この者はまた言葉を続けた。
「死刑宣告されたのに冷静に対処へ動く。ルールを重んじる者なら心して受け入れると思うが、そうじゃない。不確定要素が多い奴だな。この国の者じゃない可能性も浮上してくる」
「………」
「黙秘。実に正しい判断だ。黙られては顔色や態度で見極めるしかないが、ローブを被り直したからそれも難しい。態度はさっきの通り冷静だから素振りから見抜くのもほぼ不可能と見て良さそうだ」
この者、よく見ておるな。
一挙手一投足を観察し、今の時点で判断出来る実力を図っておる。
面倒事を起こすのは避けたいが、致し方無し。せめてこの場で打ち仕留め、情報をまとめてさっさと退散するのが得策よの。
拙者らが逃げたとて、まだ星の国は“シャラン・トリュ・ウェーテ”へ攻めて来なかろう。それだけの情報は得られた。
「という事で──」
「……」
「……!」
あの者が話に夢中の最中、居合いの要領で鞘のみを打ち付ける。
手応えはあったが、この者もそれなりの実力を有しているようだの。
「素早い動き……魔法を使わなかったのは漏れ出る魔力によって気付かれ、増援を避ける為か。はたまた別の理由か。何にしても面倒な相手になりそうだ」
「………」
意識を失うよりも前に回復し、拙者の間合いから離れた。
防御の魔法も展開しており、話しているうちにやられるのも避けておるの。
「だったらすぐに増援を──」
「……然し、少々口が回り過ぎだ。隙だらけよ」
「──!? ……まさ……か……防御の魔法を……!?」
防御魔法によって安心を得られた。故にそこが隙となる。
一瞬だけ刀を抜き、防御を貫通。瞬時に鞘で的確にトドメ。よって意識を奪い取った。
観察力は高いが、油断も多い。筋は良いのだが、両立して初めて一流よ。奴の敗因はそこにある。が、功績としては上々かもしれぬな。
「ヴェネレ殿。一人を伸してしまった。今日中に此処を出ねばならぬな」
《了解。じゃあ外部のみんなと連絡を取るよ。キエモンも一旦部屋に戻って》
「心得た」
これにて通信を切る。
この者を倒しても目覚めれば報告に行き、殺めても何かあったと知られる。何れにせよ見つかった時点でもう此処に留まる事は出来なかろう。
気配も何も感じさせぬ移動術。これの秘密を明かせねば拙者らの不利は変わらぬの。
何にせよ、ある程度の情報は集めた。後は雑多に資料を読み、纏めた上でヴェネレ殿らの元へと戻るのに御座った。




