3 奥様の帰還
キャロルとチャーリーがあたしを連れて来たのは、大きな港でした。港も船も見たことがなかったので、あたしはきょろきょろ辺りを見回していました。
「奥様! お帰りなさいませ!」
キャロルが声を上げました。
その人は、大きな客船から降りて来てまっすぐにあたし達の方へやって来ました。流れる銀髪、年齢を感じさせない歩き方、品のある雰囲気。とても美しい人でした。
それが奥様──大富豪・ローズハート家の女主人でした。奥様は若い頃は女優をしていて、色々な映画や舞台の主役をしていたのだそうです。ローズハート家の跡取りだった旦那様と大恋愛の末結ばれ、結婚後は事業で旦那様以上の才覚を発揮したといいます。旦那様との間にお子様はなく、旦那様の亡くなった今ではローズハート家の一切を取り仕切っているのでした。
慈善家としても知られ、毎年色々な所に寄付をしているそうです。あたしの前にいたアリスも、奥様が身寄りのない子を引き取って育てていたんだといいます。
その堂々として自信に満ちた態度、能力、齢を重ねてなお美しい容姿、そして慈愛の心。まさに奥様は、ローズハート家の女王の風格をたたえていました。
「久しぶりね、アリス」
奥様は優しく微笑みながら、あたしの頭を撫でました。あたしは何だかこそばゆくなって、少し頭を振りました。
「あらあら、長いこと会わなかったから、わたしのことを忘れてしまったの?」
そして奥様は、しゃがみ込んであたしをハグしました。ふわり、といい匂いがしました。ああ、あたしはこの人の子になるんだ。何故だか素直にそう思えました。
こうして、あたしは奥様の元で暮らすことになったのです。
「何だってこんな奴が相続人になるんだよ!」
奥様が戻って来てすぐ、お屋敷にやって来た男の人は大声でがなり立てました。服はよれよれで無精髭が生え、お腹にはたっぷりと肉のついた、どこかだらしない感じの人でした。
「ジャック。あなたは、お義父様お義母様からの生前贈与をたくさん受けているでしょう。それを全部ギャンブルに使ってしまったのはどこの誰? 浪費ばかりしているあなたよりは、アリスの方がマシです」
どうやらあたし……というより、前のアリスは奥様の財産の相続人になっていたようです。奥様が正式に遺言書を作り、顧問弁護士のホワイト先生が後見人に、執事見習いのチャーリーとその婚約者で料理人のキャロルが世話係に任命されています。あの二人があたしをアリスの替え玉に仕立てた理由の一つがわかった気がしましたが、それはあたしが口出しすることではありません。
ジャックは今は亡き旦那様の弟ですが、ギャンブルで身を持ち崩し、親類のほとんどから見放されている状態でした。それでも、未だにこうやって奥様の元にお金をたかりに来るのです。ローズハート家の後継者の座を狙っていたようですが、奥様はそれを許しませんでした。
「あの人、大体いきなり来る上に、来たら必ず夕食まで食べて帰るのよ。全くみみっちいんだから。奥様が旅行に出られる前日に来られた時は、どうしようかと思ったわ」
料理係のキャロルは、陰でぶつぶつ言っています。
奥様のところへ行くと、チャーリーが奥様にお使いを頼まれていました。
「チャーリー、食後にブランデーと一緒にいただくお菓子を切らしてしまったの。買いに行ってもらえないかしら?」
「チョコレートなら、俺が持って来たよ。義姉さん、この店のが好きだろ?」
ジャックがカバンからきれいな箱を取り出して、奥様に渡しました。奥様は箱を開き、中を確かめました。
「あら、あなたにしては気が利くのね。まあ丁度いいわ。チャーリー、これは後でいただきましょう」
「はい、奥様」
どうやらジャックは奥様に取り入ろうとお土産を持って来たようですが、奥様はあまり心を動かしたようではありませんでした。




