第三隊 対 火之禍津 壱
その鉄の塊が姿を現した時、ヘレナ・アイゼンマイヤーはしばらく動けなかった。
相当に遠い距離から歩いてきたから良かったものの、もし眼前に現れていればその時点でお仕舞いだったろう。
若くして欧州、あるいは日本で怪異と渡り合ってきた彼女をもってしても、今回の相手は余りにも違い過ぎた。
指示を出さねばと気は焦るが、舌が動かない。そうこうしている内に、一也が銃撃を仕掛けたのが見えた。
"いきなり――だがやむを得ないか!"
弾丸の残響にひっぱたかれたかのように、金縛りが解ける。正気を取り戻したヘレナは大声で指示を飛ばした。
「順四朗、最初の攻撃をかわしたら下がれ! 小夜子君は防御呪法だ! ガトリングガンが来るぞっ!」
一也同様、ヘレナもまた敵の左手に宿る脅威の重火器に気がついていた。
一也の先制攻撃で少しでも時間を稼いでいる隙に、あれに対処せねばならない。出来なければ蜂の巣だ。
「呪法"空壁"!」
「我、風の恵みを望んだり、仇なす力に抗いたまえ、蒼風守盾!」
小夜子が唱えた"空壁"に重ねるように、ヘレナ自身が唱えた蒼風守盾が完成する。
同じ風系統の防御を施す呪法と魔術、相性はいい。
二重防御がかかったことに気がついたのか、離れた位置にいた一也も一瞬安堵した顔になる。
だが、その認識は甘かった。
火之禍津と名付けられた鋼の機体の火力は、第三隊の敷いた防御陣を易々と撃ち抜いたのである。
"空壁"も蒼風守盾も発動自体は成功していたのに、大口径ガトリングガンの砲火を止めきれない。
約半分の弾丸が防御を抜けてきた。四人それぞれが身を隠す木陰や岩が、容赦なく削られていく。
「くそっ、釘付けにする気か!?」
悪態をつくも、ヘレナの頭にもいい考えは浮かばない。
あの鉄の塊相手に通じそうな攻撃魔術が、手持ちの術にあるのかどうか。
いや、迷っている暇は無い。
とにかく一発でも当てて、あれに搭乗しているらしい九留島子爵の焦りを引き出してやる。
「焔之投槍!」
速攻で唱え終わり、手の内に呼び出した火炎を槍の形へと整える。
横浜で神戦組と戦った際にも使った、投擲型の火炎系攻撃魔術だ。
迂闊に顔を出すと撃ち抜かれそうだったので、岩陰に隠れたまま三発ほど撃ち込んだ。赤々とした尾を引いて、火炎の槍が飛ぶ。
地に伏せたヘレナの耳に爆音が飛び込み、視界の端が明滅したのはそのすぐ後であった。
"的がでかければ、とりあえず命中はする......だが"
「やれやれ、この程度の火力で火之禍津の防御を破れると思っているのかね? 失望させないでくれたまえ、ヘレナ・アイゼンマイヤー」
ちらっと一瞥しただけで十分だった。
奇怪な金属の機体から響く九留島子爵の言葉通り、先程の攻撃は有効打にはなっていないようであった。
一也の魔銃よりは警戒したのか、右手に構えた盾で受け止めたらしい。
そこに微かに黒い煤が付いている。
残念ながら、機体本体にはまるで影響は無い。
「対攻撃魔術耐性の高い希少金属配合の盾だ。いかに君でもそう簡単には破れんだろうよ」
九留島子爵の声が戦場に拡がる。
勝ち誇るでもなく、ただ事実を冷静に指摘する口調である。
攻撃力、防御力、いずれも向こうが圧倒的に上と認めざるを得なかった。
一時的に弾丸の嵐が止んではいるが、無闇に連射しての弾切れを懸念しただけだろう。
攻め手も守り手も思い浮かばない。
唯一の救いは、一気呵成に攻めてこない点である。
更に奇妙なことに、火之禍津が掲げていた左手を下げた。
「まさか死んではいないと思うので、一応呼び掛けておこうか。さて、まだ戦いは始まったばかりだが――私も武士の情けという物は持ち合わせている」
予想もしない発言に戸惑ったのは、ヘレナだけではない。一也ら他の三名も同様であった。
そんな第三隊の四名の困惑など無視して、九留島子爵は話し続ける。
「幾らなんでも、この火之禍津に無策で挑むのは無謀だろう。十五分だけ時間をやるから、四人で知恵を絞ってきたまえ――いや、それだけでは足りないだろうから、そうだな。次の攻防では、こちらのガトリングガンを撃たずにおいてやる」
すぐにこんな甘言を信じる程、こちらもお人好しでは無い。
だが、火之禍津はそのまま後方にやや距離を取った。
すぐに射撃に移ることが出来る体勢では無いと判断し、ヘレナが全員を集める。
上手い具合に窪地のようになった地形に身を隠しつつ、四名全員が顔を合わせた。
「私の"空壁"、あのガトリングガンを全然止められませんでした......ごめんなさい」
「それは私も同じだよ、それに今は謝っている場合じゃない」
「そやで、己なんかほんまに何も出来へんかってんからな。小夜子ちゃんだけが気に病むことあらへんわ。とりあえず何か考えんと」
「俺の銃撃も全く意味がなかったんだ。順四朗さんの言う通り、次で何とかするのが先だよ」
確かに小夜子だけではない。
初回の攻防では、第三隊の方は全くいいところが無かった。
どうしても雰囲気が重くなる中、それを打ち破ったのはヘレナであった。
「とにかく、あの装甲をぶち破らないことには始まらない。それは確かだ」
「それはそうですが、だけどどうやって?」
「現状、可能性がありそうな攻撃は二つだけだろう。一つは君の呪法内蔵式の弾丸、もう一つは私の攻撃魔術だ。残念だが、あの金属の化け物相手では小夜子君の式神と順四朗の抜刀術では分が悪い」
ヘレナのもっともな説明に、一也は頷いた。
正直なところ、何を命中させてもどうにもならない気もするが、それを言い出しても仕方がない。
「あうう、じゃあ私と順四朗さんは戦力外ですか」
「え、そうなん? い、いや、ちょっと待って、影爪舐めんといてや」
「落ち着け、二人とも。あのガトリングガンをしばらく撃たないという奴の口約束を信じるならば、策は講じられる。全員の力が必要だ」
ちらりと火之禍津の方を見やりつつ、ヘレナは早口で説明を始めた。
「時間が無い為、これでいく。奴がガトリングガンを使わないならば、それを利用しない手は無い」と締め括ると、ヘレナは一也の方を見た。
「最後は君が決めろ。頼むぞ、三嶋君」
その言葉の意味を噛み締めるようにして、一也は答える。
「任せてください。やってみせます」
「よし......ならば出向いてやろうか。あの機械狂いの度肝を抜いてやるぞ」
黄金色の髪をかきあげつつ、ヘレナ・アイゼンマイヤーが立ち上がる。その青緑色の眼は闘志に輝いていた。
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機体に乗るのは今回が初めてではない。
試運転を通じて、今までも何度も自分で搭乗してきた。
それでもやはり、この閉塞感と乗り心地の悪さには閉口する。
"自分で開発しておきながら文句を言う。我ながらおかしな話だ"
火之禍津の上半身に当たる部分、その内部に座る九留島朱鷺也は顔をしかめていた。
一応これでも改良はしたのだが、やはり居住性は犠牲になっている。
背中に内蔵している駆動部を蒸気動力式とし、そこから生み出される動力を主に使っている為だ。
どうしても石炭を燃焼させる際の匂いや揺れを、搭乗者は我慢しなくてはならない。
"完全に電気動力式に移行出来るのは、次の機体での課題か。現状ではこれで我慢せざるを得ん"
手足の動作や武装の制御には電気を補助的に用いているものの、あくまで補助に過ぎない。
石炭の内燃機関に比べてまだ発電機の研究は途上だった為に、機体への組み込みを限定的にするしかなかったのだ。
それでも現段階で日本に、いや、世界中どこを探しても、この火之禍津に比肩する機械工学の結晶は無いと断言出来る。
今の段階で居住性を問題にするのは贅沢なのだろう。
それに何より、こうして実戦に繰り出せた喜びに比べれば何ほどの事も無い。
上機嫌に浸りつつ、左手を座席脇の肘掛けの上で踊らせた。機嫌がいい時の癖であった。
重量と防御効率を考えた結果、機体の上半身は金属製の卵の殻を被ったような形になっている。
その中から外を見るのは、殆どの場合は肉眼視だ。
水晶を利用して、上半身の一部に透過度が高い箇所を作っている。九留島子爵はそこから外を見ている訳だ。
現在彼が注視しているのは、窪地に隠れている第三隊であった。
"そうそう簡単に倒れてくれては困るよ、第三隊の諸君。火之禍津の実戦投入など、滅多に出来ないのだから。あの幽霊の捕獲など後でどうとでもなる"
自分の手元を見回す。
何本もの操縦桿が下から、あるいは横から飛び出している。
足元も似たような物だ。自動車に似せて作った為に、加速板と減速板を踏んで動かす必要があった。
場合によっては、操縦桿の動きと組み合わせて膝を曲げたり、旋回させたりといった動作も可能だ。
"私の技術の結晶、いや、執念の結晶だ"
それを思えば、居住性の犠牲など大したことではない。
"人の身でどうこうしようなど、どだい無理だと言うことを分からせてやろう。絶望したまえ、第三隊"
九留島子爵の灰色の目が、ちかと鈍く光った。
その時、手元に仕込んでおいた白い紙片がボウと赤く光る。美憂の用意した連絡用の呪符である。
「ご主人様、お変わりありませんか」
「戦いの真っ最中だが、無事は無事だ。特に変わったことでも?」
「いえ、何も。周囲に仕掛けた写映機を何台か見ていましたが、変化ありません。増援などは無いようです」
「分かった、一応警戒だけはしておくように」
「はい」
ごく短いやり取りの後、再び呪符は光を失ってただの紙片に戻った。
屋敷内では、清和が呪法を行使した美憂を気遣っているだろう。
少し過保護ではないかと思うが、自分が口出しすることでもない。それより今はやらねばならぬ事がある。
「そろそろ十五分が経つか。よし」
九留島子爵は操縦桿の一つをゆっくり倒した。一時停止していた駆動部に火が入り、再び火之禍津の機体が動き始めた。
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四人の中で真っ先に動き出したのは、一也であった。
ただひたすらに、無造作に、戦場を横切るように走っていく。火之禍津から見れば、左方面に逃げる形だ。
九留島子爵も当然これには気がついた。あまりに無防備であるため、火之禍津を追い付かせて、そのままねじ伏せてしまおうかと思った程である。
機体の実地試験という側面が無ければ、早々にガトリングガンを起動させて撃ち抜いていたところであった。
だが、何とか働いた自制心と別の二人の動きがそれを止める。
「そうはさせないですよ」
「一也んが距離稼ぐまでは、己らが相手やからなあ」
一也と敵の機体の間に割り込むように展開するは、式神五体を呼び出した紅藤小夜子だ。
その反対側へぐるりと走るのは、奥村順四朗である。愛刀たる狂桜は既に鞘から抜かれ、冷たい鋼色を周囲に滲ませていた。
もし火之禍津の大口径ガトリングガンが火を噴けば、二人とも為す術もないだろう。
それでもこうして隠れるのを止めたのは、勇気の一言だけではない。
"九留島子爵はあの機体に絶対の信頼を置いている。だからこそ、余裕があるならばこちらをある程度遊ばせるはずだ"
走りながら、小夜子は先程のヘレナの説明を思い出していた。
ヘレナの推測に対する納得が、少女の行動から躊躇いを消している。
あの火之禍津という怪物じみた兵器は九留島子爵の新兵器であること。
初撃のやり取りで、その圧倒的な戦力に九留島子爵が自信を抱いていること。
これを明らかにした上で、ヘレナは断言した。
"私達を相手にあの兵器の実戦練習をするつもりなのさ。でなくては、わざわざこちらに猶予など与えない。だから、こちらはそれに便乗する"
ヘレナがそう前もって言い切ったからこそ、作戦に乗る気になった。命を賭けるに値すると思えた。
だから、紅藤小夜子はこうして走っている。ともすれば怯みそうな心に鞭を入れて、作戦を成功させる為に。
「接近戦だけなら、あるいはっ!」
呪法士である小夜子は、接近戦は本来得意ではない。
代わりに式神を戦わせるとしても、人くらいの大きさの生き物までが精々である。
ましてやあの動く城めいた機体が相手では、どうしていいかも分からないのが本音であった。
それでもあのガトリングガンを相手にするよりは――まだ希望が持てる。
火之禍津が背中にある排気口、というのだろうか、筒から白い蒸気を噴き出した。
迫ってくる小夜子と順四朗を相手にするべく、その巨大な両腕を軽く持ち上げた。
特に接近戦用の武器は装備していないが、馬力と金属製の腕だけで十分戦えるということらしい。
「く、くははははっ、二人揃って特攻とはとんだ作戦であるな。よかろう、遊んでやるぞ」
奇妙に歪んだ声――機械を通した九留島子爵の声だ。
それを無視して左に視線を飛ばすと、順四朗と目が合った。
彼の方は、ほぼ機体の右に位置している。陽動とはいえ、あわよくば一撃くれてやるつもりなのだろう。
視線を戻す。小夜子の目が火之禍津を睨みつけた。
勝利の可能性があるならば拾う。
どれほど小さくても、か細くても、自分達の意志と行動でそれを拾いきってやる。
「遊びかどうかは、やってみてから言ってくださいね。行け、式神!」
少女の号令一下、五体の式神が虚空に白い軌跡を描いた。




