不穏なる子爵
全く聞いていない珍客との面会後、第三隊の四名は別室に下がった。
今日が浄霊祭初日の六日であるが、まだ午前中である。
伊澤博士の立てた日程表によれば、活動は午後からだ。
その為、こうして小休憩を取ることが出来た。
"あの陸軍の兵士、ちょっと嫌そうな顔してたよな。いや、嫌そうなというか"
卓に座りつつ、一也は思い起こす。
九留島子爵が角谷少佐の亜米利加留学を推薦したと言った後、あの兵は急に口を閉じた。
まるで言ってはならないことを言ったかのようだった。
"口に出すのを憚るっつうか、畏れてるみたいな......"
一也がそう考えている間に、真っ先にヘレナが口を開いた。視線は順四朗に向いている。
「順四朗、誰なんだあの男は?」
「九留島子爵のことやんな」
順四朗の確認に、魔女はただ目だけで頷く。
一度の瞬きだけでも意志が通じる辺り、ヘレナと順四朗の付き合いの長さが伺えた。
「せやなあ、気になるわなあ」と呟きつつ、順四朗は煙草にゆっくり火を点ける。
窓の外へと吐き出された紫煙は、冬の風に流され散っていく。
「何からどう話すべきか、ちょっと迷うてんねんけど......全く話さんわけにもいかんわな。皆気になるやろし」
「順四朗さんはあの方、よく知っているんですか?」
「虚実入り乱れてやで。警察、あるいは陸軍に属しとる者なら聞いたことはあるかなあ。まあ、己の知ってることは限られてるから話半分に聞いといて」
小夜子の問いに、順四朗は煙草を口から離す。火を点けたばかりの煙草をもみ消した。
「子爵っちゅう爵位持っとることから分かる通り、元々は武家やってん。それも薩長やないで、幕府に従うてたんやから凄いやろ」
「それはあんまり無いですよね。かの榎本武揚ぐらいなら分かりますが」
「一也んの言う通りやな。大政奉還に伴うあの一連の戦争で、最終的に勝ち組になった......勝ち組の定義は色々やけど、爵位を得て華族になったんはその一つやろな。負けた幕府方にいながらも、あの九留島って人は」
言葉を探すように、順四朗は口を閉じた。常に飄々としたこの男には珍しく、次の言葉までほんの数瞬ではあるが間があった。
「爵位を得て、新政府の中で根を張るだけの実力があるっちゅうこっちゃ。それだけなら何の問題も無いねんけど、暗い噂も漂うてくる。これから話すことは、正しいとされる事実と怪しげな噂と両方含むわ。それだけは心に留めといてな」
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九留島家は元を辿れば、会津藩に仕える武家である。
白虎隊で有名な戊辰戦争の折りにも、主家の松平家を支えて戦ったという筋金入りの幕府方であった。
それを考えれば、確かに新政府での爵位授与というのは中々信じがたい。
三百年余続いた徳川幕府による支配が覆り、勝利を収めた薩摩、長州、あるいは土佐藩士らが大手を振って明治政府を立ち上げたのだ。
当然、幕軍として戦った殆どの藩は苦汁を舐めざるを得なかった。
敗北者の常とはいえ、彼らを新時代の犠牲者と言うのもけして間違いとも言い切れないだろう。
しかし九留島家は、いや、正確に言えば時の藩主たる九留島朱鷺也は、その時代の波に飲まれることは無かった。
お家取り潰しの憂き目に会うどころか、彼は明治政府から結構な地位と俸給でもって迎えられたのだ。
言うなれば、負け組にいたにも関わらず、勝ち組に誘われた。
そこには当然それなりの理由があった。元を辿れば、それはあの戊辰戦争にある。
所詮は噂に過ぎない。
だが、負け組のはずの九留島家がのうのうと生き延びている理由としては、頷けるだけの噂ではある。
明治政府は九留島朱鷺也の卓越した工学知識を惜しみ、陸軍に非公式の助言役として迎えた――噂の中身がこれだけならば大したことではない。
むしろ重要なのは、それに色を添えるここからの話だ。
曰く、九留島朱鷺也は死人を操る能力がある。
かの会津白虎隊の悲劇的結末を迎えた少年藩士達は、実は切腹による自害の後に九留島が遺体を回収した。
そして死の淵から呼び戻した後、名を変えさせて幕軍に再び従事させたという。
また、もう少し現実味のある噂としては、九留島朱鷺也はもう少しでガトリングガンの量産に着手出来ていた――という物もある。
維新当時、日本全体でも三門しかなかったガトリングガンである。購入するにあたっては、法外とも言える価格で亜米利加や蘭国の商会から輸入せざるを得なかった武器である。
もし、それが国内で量産可能となれば軍事力の向上は勿論、経済的な利益も大きいのは確実であった。
このように、九留島朱鷺也子爵には胡散臭く、きな臭い噂がまとわりつく。
どこか薄暗い不穏な空気が漂い、かといって公式見解が無い為に面と向かって話すことは憚られる。
籍は陸軍に置いているらしいが、それもひっそりとしか通達はされてはいない。
かくして九留島の三文字は、明治も二十一年になるというのに、忌み名として密やかに語られているという訳であった。
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順四朗が長い話を語り終えた。それに合わせたかのように、部屋の火鉢がパチ、と一つ鳴る。
「ここまでが己の知る全てや。皆が知らんのも無理ないわ、あんまり大っぴらに語られへん人やから」
「俄には信じ難いが、あの九留島という男はそういう男と考えるしかないな。分かった、ありがとう」
ヘレナの応ずる声を耳の片隅で感じつつ、一也が考えていたことはまた別であった。話の切れ目を縫って口に出してみる。
「そんな人が、なんでわざわざ浄霊祭に出向いてきたんでしょうね。一体何の目的があってのことなのか」
「あっ、別の理由で私も気になりました。順四朗さん、九留島さんのお家って東京じゃないですよね。わざわざ遠くから足を運んだんじゃないかなあ、と思うんですけど」
「一つずつ答えるで。一也んの問いに対しては、とりあえず己は分からんわ。伊澤博士と同じように、実験の一環なんかもしれんな。小夜ちゃんの問いに答える前にやな、なんでそう思たん?」
「簡単ですよ。あの人達の服、旅装っぽかったですもの。メイドの女の子まで足はしっかりと革長靴でした。それに私が覚えている限り、九留島なんてお屋敷は東京には無いです」
小夜子の返答に、順四朗は拍手で応えた。「正解、正解」とおどけた後に真面目な顔つきになる。
「九留島子爵の屋敷って今は秩父にあるらしいわ。東京までは遠いで」
「待て、順四朗。さっきの話だと会津藩所属じゃなかったのか。爵位までもらっておいて移封したということか?」
「あと気になったんですが、子爵の遠征に従者二人しかいないって少ないですよね」
ヘレナに続いて一也が問う。
少数の従者しか好まぬ者もいるにはいるが、それにしても少なくはないか。
それに屋敷という表現が微妙に引っ掛かった。
「ちょ、ちょっと、己もよう知らんねんて。あれちゃうの、会津に嫌な思い出でもあったんちゃう。あと、一也んの質問やけどな。九留島子爵って爵位と財産はあるけど、土地持ちやないらしいで。だから使用人も少ないって話やわ」
「へえ、珍しいですね。俺、華族って大体広い土地持ちで、そこから税金取って生活してるとばかり思ってましたから」
「なんや、人と接するんが苦なんやろ。戊辰戦争の時に、家族亡くしたらしいしな。それもあって、ちょい偏屈なんちゃうか」
「ふうん......何だか不思議な人ですねえ。けど、死人を操るとか気持ち悪いなあ」
顔をしかめた小夜子を横目で見つつ、一也も九留島子爵の顔を思い出す。
あくまで噂ではあるが死人を甦らせる、操るとくれば怪談の世界ではなかろうか。
それともこの奇妙な明治時代では、そうした気味の悪い呪法や魔術が存在するのだろうか。
「ヘレナさん、欧州には死人を操る魔術があったりしますか」と聞くと、ヘレナは微かに眉をひそめた。
「なきにしもあらず、と言うところだ。生命の倫理、魂の循環を人の手で左右する魔術は......邪法の類としてあるにはあるよ。黒魔術と総括して呼ばれるがね」
「あるんや。やっぱ、欧州って懐深いんやな。そんなもんあるかいなって、鼻で笑っとったのに」
「ただなあ、悪魔と契約した魔術師がよからぬ企みを持って行う魔術だ。相当の手間も必要らしいぞ。七日七晩、蜥蜴の干物と蛇の毒、三つ目魚の煮汁を呪いの大釜で沸かす。煮詰められた液体を墓にぶちまけ、それから長い長い祈祷を行う。私がグレゴリウス鉄旗教会で学んだ限りでは、そうした儀式を行うと聞いた」
「げっ、鼻が曲がりそうやな。聞くんやなかったわ」
ヘレナの説明に、順四朗が目を剥く。
一也も小夜子と顔を合わせた。「気持ち悪いね」と呟くと、小夜子も同感だったらしい。その目は真剣である。
「そんなお腹壊しそうな物をお鍋で煮るなんて、食への冒涜ですよね。許せないと思いません、一也さん?」
「ああ、そうだね――って、そこなの!?」
「小夜ちゃんにかかったら、まずは食べられるかどうかなんやなあ。なんや気抜けたわ」
「それくらいの度胸があった方がいいかもしれんな。だが、もしそんな邪法を使う者がいたならば」
黄金の髪をさっと払い、ヘレナが一也らを見た。
青緑色の双眼の奥、そこにちろちろと燃える物があった。それを認め、自然と一也の背筋が伸びる。
こういう目をした時のヘレナは怖い。それはこの九ヶ月余りでよく知っている。
「何があろうと討ち取る対象だ。教会にとっての敵に他ならない」
冷たいを通り越して、ヘレナの顔は冷厳とさえ言える。"この人だけは敵には回したくないな"と一也は思わざるを得なかった。それだけ静かな迫力に満ちていたのだ。
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簡単な昼食を終え、各々が配置に着く。
伊澤博士の計画通り、どの遊郭から浄化の儀式を行うかは決まっている。
遊郭ごとの利害関係や競争意識もあるため、どの遊郭から浄化していくのか決めるのは大変な作業であったらしい。
「その辺りの苦労を人知れず行うのが、一流の科学者という者なのだよ」
「自分で言ってたら世話ないんじゃないですかー」
したり顔の伊澤博士だが、小夜子の突っ込みに苦々しい顔になった。
だが、流石に業務が優先だ。第三隊の四名に渡したのは、由緒正しき神社から汲んできた若水の入った瓶とそれを撒く柄杓、真言が記された霊符が数十枚である。
これらを使って遊郭を清めていくのだが、建物の作りによって清め方も異なるらしい。それらを全ての遊郭毎に分けて計画書に収める辺り、なるほど伊澤博士は間違いなく有能であった。
「いいかね、昼間の建物内部ならば霊が出てくることはまずない。前もって遊郭に話はつけてあるので、きりきり働きたまえ!」
「有り難い話なんだが、言い方がかちんとくるな」
「むっ、ヘレナ君。いらいらしては眉間に皺が寄るぞ。血圧も上がり、ついでに男運は下がるものだ。穏やかに生きた方がいいな」
「頼むから煽らないでくださいよ!」
ヘレナを背後に庇いつつ、一也は前に出た。
こういう時は身を張らねば、後々事態が面倒と判断してのことだ。何気に苦労人である。
だが、そんな一也の心情など露知らぬまま、伊澤博士が軽く何かを放り投げてきた。
右手で簡単にキャッチする。
拳大の和紙に包まれたそれは、見た目より重い。
小さな金属めいた音が聴こえた。
「これ、何ですか?」
「見た方が早かろう」
促されるまま、和紙を開く。
黒光りする銃弾が六つ見えた。
普通の鉛弾かと思ったが、よく見ると表面に細かに文字が刻印されている。
「あら、呪法で使う言依仮名ですね」と横から小夜子が口を挟んだ。
「そうだ、紅藤君が言う通り、これは普通の弾丸ではない。兵器課の谷警部と共同開発した呪法内蔵式の弾丸だよ」
「呪法内蔵式......普通に撃てば使えるんですか」
「うむ。銃身の内側に刻印された魔術文字がその鍵だ。発射時に言依仮名を瞬時に起動させ、弾丸に込められた強化効果を引き出す。弾底に色が塗られているだろう?」
伊澤博士が弾丸の一つを摘まむ。
彼がくるりと指を返すと、確かにその弾丸の弾底は赤く塗られていた。
一也も他の五つの弾丸を確認する。
「赤色、黄色、水色がそれぞれ二発ずつですね。これ、色ごとに効果が違うとか?」
「その通りだ。赤色が火炎による強化、黄色が電撃による強化、そして水色が霊の類への浄化威力の強化をそれぞれ付与されている。この浄霊祭で使うかどうかは知らんが――」
伊澤博士が丸眼鏡を押し上げた。
「君と君の魔銃への贈り物だ。Daemon Busterの銘に恥じぬよう、この吉原に巣食う魔を祓ってくれたまえ。心より願っている」
「ありがとうございます。使わせていただきます」
「何、構わんよ。経費は第三隊に請求させてもらうのでな」
「無料じゃないのかよ!?」
「おい、待て、一体いくら請求する気なんだ! 第三隊のかつかつの予算は知ってるだろ、鬼が!」
請求という単語を聞いて、ヘレナが一也に便乗する。
今にも掴みかからんばかりの形相であった。
だが、眉間に皺を寄せていることに気がついたらしく、無理にそれを笑顔にする。
「Danke、博士が善意で作ってくれた物だ。目くじら立てるのも大人げないな」
「物分かりがいい人間は嫌いでは無いよ。それではそろそろ始めようか」
その伊澤博士の言葉を皮切りに、全員が二手に別れた。
時刻は午後一時、享楽の街吉原もまだ昼の顔を見せたまま、ひっそりとしていた。どこかから静かに響く三味線の音が、逆に静けさを深めている。
九留島子爵ら一行は待機するらしく、この場にはいない。
それが少し気にはなったが、一也の注意力は目の前の浄霊祭に向いていた。
黒染めのBDUのポケットに、先程貰った呪印弾六発をしまう。
チャキと微かに鳴った弾丸同士が触れ合う音に、意識がすぅと研ぎ澄まされた。
いよいよ任務が始まるのだ。




