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温泉 箱根 何故か陸軍 壱

「ねえ、一也さん。聞いていいですか?」



「......何。手短に頼む」



「私達、年末にお休み貰えるはずだったんですよね? そう言われましたよね?」



「うん、そうだったと記憶している」



 どこか虚ろに響く小夜子の声に、一也はぼんやりと答えた。

 想像以上に疲れたせいか、体が重い。それ以上に心が重い。

 師走になり、ただでさえ寒いのだ。

 それがここ、箱根山中ともなればより一層冷え込みは厳しい。

 日が高い日中ですら、山間の冷気はじんわりと体を締め付けてくる。



「そっか、一也さんも聞いてたってことは幻聴じゃなかったんだ。つまり、こんな酷い訓練強いられてるってことは、約束違反の嘘つきなんですう!」



「しゃべらない方がいいぞ、小夜子君。それだけでしんどいからな」


 

「そや、ぼやきたい気分は分かるけど皆しんどいねん。しゃあないわ」



「うう、仕方ないですよね。頑張ります」



 ヘレナと順四朗に慰められ、小夜子が渋々という感じで頷く。冷たい土の汚れが頬に残り、何だか哀れであった。



「あと二時間くらいで終了なんだろ。今日を耐えれば何とかなるさ」



 自分への発破も兼ねつつ、一也はわざと元気に言った。

 腰かけていた切り株から立ち上がると、膝から腿の筋肉が軋む。

 朝っぱらから、起伏の激しい山道を走り回らされた為だ。

 そこそこに鍛えているつもりではあったが、僅かな休憩を挟んでほぼ一日中となると体が悲鳴を上げつつあった。



「休憩終わり! 総員配置につけぇっ! まだ訓練は終わっていないぞおっ!」



 突如、大きな声が木々の間に響き渡った。

「ちっ、やるぞ。陸軍の連中に舐められたくはないだろ」とヘレナが真っ先に走り始め、それに一也らが続く。

 吐く息は白い。

 指の感覚を失わないように、一也はグローブを着けた手を意識的に動かした。効果があるかは分からないが、何もしないよりはましだ。



 "畜生、とんだ年末休暇もあったもんだぜ"



 心中密かに毒づきながら、一也は斜めに斜面を駆け下りた。




******




 年の瀬も近くなると、東京の町もそわそわしだす。

 歳末大売り出しの看板が並び立ち、市場ではお節料理の具材や門松といった新年を祝う品が飛び交っていた。一年の穢れを落とし、新たな気分で新年を迎えようということだ。

 忙しなくも活気ある空気漂う帝都にて、第三隊の四名が渋面を付き合わせていたのはそんなある日のことだった。



「というわけだ。すまない、それは無いだろうと食ってかかりはしたんだが、もはや私の一存ではどうしようもなかった」



 珈琲カップを片手に、ヘレナが項垂れている。

 湯気がもはや立っていないことに気がつき、一也がそれを受け取った。小夜子と順四朗は何やら呻き声をあげている。



「うーん、ただ単に休みをくれるっていうのは、ちょっと期待し過ぎたのかなあ。仕方ないですかね」



「いやあ、しかしまさか師走の箱根で陸軍と合同訓練はやり過ぎやろ。なんぼ温泉ありっていってもなあ」



「ご飯出ても味わう暇も無さそうですよねえ。私、ついていけるかなあ」



 新たに珈琲を淹れながら話す一也に、順四朗と小夜子がそれぞれ反応した。

 全員の視線は、ヘレナが持ってきた用紙に集中している。第五代警視総監、三島通庸の署名も鮮やかなそれは、警察官にとっては絶対の命令状に他ならない。

 一也は改めてそれを手に取る。目を疑って何度も読み直したその文章を、もう一度声に出す。



「特別休暇辞令 十二月二十七日から三十一日の五日間、箱根は富士屋ホテルにて第三隊は休暇取られたし。ただし、日中の暇を考慮して、帝国陸軍遊撃部隊との合同演習に参加されたし。これは業務命令である 以上......休暇にならないですね、こりゃ」



 一也が読み上げた部分の他には、持ち物や詳細な日程などが記されている。

 この文章を読んで、休暇が主旨だと思うならばよほどお気楽な頭の持ち主だろう。

 一也に淹れ直してもらった珈琲を啜りつつ、ヘレナが苦い顔をする。



「見通しが甘かった。横浜の件で休暇をやるとは言われていたが、無条件でとは言われていなかったからな。何かしら付いてくると予想すべきだった」



「富士屋ホテルに泊まらせるなら文句も出えへんってことやろなあ。あそこ、めっちゃ上流階級に人気あるんやろ」



「えっ、そんな素敵な所なんですか?」



 順四朗に食らいついたのは、小夜子である。

 少しくらいは明るい話題が欲しい、という彼女の様子に、一也は微笑ましいと思いつつも黙っていた。

 とりあえず全員分の珈琲を淹れ直しながら、この演習の意味を考えてみる。

 ヘレナに聞けば裏事情も多少教えてくれるだろうが、自分の頭で考えたかった。



 "警察官には元々軍人上がりが多いし、けして陸軍と仲が悪い訳じゃないんだろうけど。本当に仲が悪かったら、合同演習なんか組まないだろうし"



 同じ日本国の国民を守ることが活動意義なれど、警察と軍隊の領分は異なる。

 警察の行動を大別すれば、二つに分かれる。即ち、発生してしまった事件の解決と、規則整備や巡回による事件の抑止の為である。

 捜査の過程で、やむ無く武力行使に至ることもある。だがそれは必要に駆られての場合だ。使わずに越したことは無い。



 "けど、軍人の場合は――最初から武力制圧することが目的だよな。端的に言えば、大義名分を得た上での殺し合いがお仕事だ"



 自分で淹れた珈琲を啜りつつ、歴史を少し振り返った。

 個人の恨みで十人殺せば殺人者、戦争で百人殺せば英雄――はっきりとは覚えていないものの、確かこんな皮肉を誰かが言ったらしい。

 別に共感を覚える訳ではないが、言いたいことは分かる気がする。



 根っこは同じでも、警察と軍隊は異なる組織だ。

 同族嫌悪、あるいは強いライバル意識が二つの組織の間に存在している可能性はある。そう推測するのは難しくなかった。

 一也は部屋の隅を見た。点検が終わった魔銃とM4カービン改が壁に立て掛けてある。

 あれは、明らかに既存の警察官が持つには過剰な武装である。

 業務上必要だから仕方ないのではあるが、知らぬ人間が見たら、一也の職業は軍人だと勘違いするかもしれない。



「ヘレナさん」



「ん、どうした、三嶋君」



「陸軍から見たら、俺達第三隊って面白くないというか、目障りだったりするんですか。高い武力を保持するって点で、陸軍の存在価値と被りますよね」



「ああ、中々悪くない着眼点だな。流石は銃士(ガンナー)、いい目をしている」



「それ、前も聞きましたよ?」



 一也の苦笑に、ヘレナは数秒黙っていた。額にかかった前髪をかきあげてから、その口を開く。



「私も上層部(うえ)の意向にさほど詳しい訳ではないよ。だが、陸軍の連中が君の噂を聞けば、もしかしたら面白くないかもしれないな。Daemon Busterの銘が施された謎の魔銃、それに高い連射力を誇る、何だっけ、M4カービンか。嫉妬から、あらぬ噂の一つや二つは立てられるかもな」



「うわあ、勘弁だなあ」



「だが、そんな小さな点はさておいてだ。組織同士という点から見よう。順四朗と小夜子君も聞いておけよ、君らにも関係するぞ」



 二人が即座に反応する。再び四人が顔を見合わせた形になった。



「組織同士が大きくなれば、絶対に発生することがある。面子、軋轢、そして予算の奪い合いだ。今回の降って沸いたような合同演習も、それと無関係じゃないだろう」



「あ、もしかして横浜の事件をたった四人で制圧したから――ええっと、陸軍の人たちは、第三隊が軍隊の領域を脅かす存在だと思っていたりです? だから演習で鼻を明かしてやろうとか」



 真っ先に小夜子が自分の考えを述べると、順四朗が続いた。



「それもあるやろうな。後、富士屋ホテルってな、外国から日本に来た人への長期滞在用に建てられた面もあんねん。そこへ陸軍と警察(おれら)が行くってことは、日本の精鋭部隊の姿をそれとなく外国人に見せて牽制する意味もあんのかもしれんね」



「加えて合同演習の成果次第では、来年の陸軍の予算配分が有利になるかもですか。ほとんど効果無さそうだけど、陸軍の威光を示すついでなら悪い話じゃないと考えたのでしょうね」



 順四朗の後を受けて、一也が話を締め括る。

 恐らく理由は複合的だ。どれか一つに絞ることは難しい。

 ただ一つだけ明らかなことがあるとすれば。



「腹を括って、きつい演習こなした上で美味い酒と温泉と洒落こむしかない。富士屋ホテルなぞ、中々泊まれないのも確かだしな」



「ヘレナさんのそういう前向きなとこ、尊敬しちゃいます!」



「そうでも思わねば、やってられんだけだぞ」



 ヘレナと小夜子の会話を聞きつつ、一也は順四朗と顔を見合わせた。



「気持ちの切り替えって大事っすね」



「ほんまそうやで。特にこんな因果な商売してたらな」



「ですよね。いいことを想像しないと気が滅入りますよね。人間は希望を燃料にして生きていく生き物なんだから」



「ええこと言うやん、一也ん。そやな、温泉言うたら別嬪な芸者はんがいてやな、野球拳とか脱衣麻雀とかええことが色々とやな」



「あるか、馬鹿が。あの富士屋ホテルだぞ!」



 ヘレナの一括は、言葉だけではなかった。

 後頭部に拳骨を喰らって、順四朗は前のめりに倒れた。めこり、という嫌な音が聞こえ、一也は思わず背筋を伸ばす。



「う、うお、ごっつ響く」



「ヘレナさん、容赦無いですね!」



 ふらふらの順四朗と涼しい顔のヘレナを交互に見ながら、小夜子が感嘆の声を上げた。しかし、何故かヘレナが小夜子の方を凝視している。



「あ、あの、ヘレナ隊長、何でしょうか?」



「前にさ。順四朗が教えてくれたんだけどさ。着物の女性の帯を持って、それをほどく遊びが日本にはあるらしいんだよな。で、女性の方はあーれー、お代官様~と言うらしいんだが」



「順四朗さん、何教えてるんですか!?」



 一也は思わず突っ込んだ。

 ようやく立ち上がりかけていた順四朗の後頭部がめり込み、奇妙な声を洩らしつつ再度倒れる。

 一也が近くにあった辞書ではたいたのである。厚さ二寸近くある辞書は立派な凶器だ。



「自分ら、年上に対する敬意ってないんか!?」



「あ、そうだ、私も叩かせてくださーい」



「待て、小夜ちゃん。その棍を置くんや、そう、ゆっくりとやな......」



 順四朗と小夜子に放置された形になり、ヘレナは一也の方を見た。頭痛を覚えながらも、一也はヘレナの誤った考えを訂正する。



「隊長、それは悪代官が村娘を手込めにする際の行為です。遊びなんかじゃなくて、こう、何て言うのかな、その行為をパロディ、違う、婉曲にふざけた形で表現しただけですよ」



「ああ、そうなのか、破廉恥な遊びだと思ったよ」



「破廉恥な遊びだと思っていたのに、小夜子さんを見た理由は?」



 ぐっ、とヘレナが詰まった。一也は構わず更に詰め寄る。



「その破廉恥な遊びと、小夜子さんとの関係は何なのでしょうか。教えてくださいよ、隊長」



「いや、ほら、小夜子君は普段着物じゃないか。この子の帯解いて、あーれーお代官様~って言わせたら楽しいかもなーと、つい悪戯心が」



「今、俺の心の中で隊長が凛々しくて格好いい女性から――」



「うん、女性から?」



「――すけべな中年親父に変わりましたよ! 何で女の子の帯解いて脱がせようとしてるんですか、変態なんですか!?」



「せや、隊長こう見えてむっつりやからな」



 一也からは変態、順四朗からはむっつりと言われて、ヘレナが怯む。青緑色の眼が力なくさ迷った。



「ち、違う。日本の伝統的な遊びを一度体験したかった、ただそれだけの純粋な好奇心だよ! 誤解するなよ、お前ら!」



「えー、私、女の人に迫られる趣味ないですよお。普通の恋愛、普通の結婚が一番です。ヘレナさんって残念な人なんですね、でも、まだ立ち直れます。早くその同性愛の沼から足を洗って、元の世界へ!」



Ficken(くそっ)、人でなしか、お前ら! う、うわあああ、止めろ人をそんな哀れむような目で見るなあああ!」



 小夜子にすらあしらわれたのが、相当堪えたらしい。その日、ヘレナはほとんど口を聞かなかった。

独逸(ドイツ)に帰って結婚しよう、うん」と澱んだ目をしながら小さく呟いていた為、一也は少し心配だった。

 もっとも、静かだったのは他の三人も同様だ。

 ひとしきり騒いだ後、黙りがちであったのは、陸軍との合同演習という憂鬱を嫌でも考えずにいられなかったからである。



 そうして唸っている間にも、時間は無情にも過ぎていった。

 第三隊一行が陸軍の案内の下、箱根に無事に着いたのが昨日、つまり十二月二十六日である。

 その日は顔合わせの挨拶のみだったが、明けて翌日の朝から鬼のような合同演習が始まり――初日から散々な目にあっているという次第であった。




******




 冬の夜の訪れは早い。まだ雪こそ降っていないが、日が傾くと深い森のせいもあり視界は急に悪くなる。

 木々の斜めに伸びた黒い影、それを窓越しに目で追いながら、一也はため息をつかざるを得なかった。



「あー、疲れたあ。まじで初日からこれかよ。こんなのがあと四日間もあるんですか?」



「あるんやろなあ、けどまさか、箱根の山道をひたすら行ったり来たりだけとは思わんかったわ」



「ですよね。しんどいなりに、演習内容に工夫とかしてくれたら良かったのに」



 ばたりと枕に顔を伏せながら、一也と順四朗は話し合う。

 経費節約の為、二人一室とされたのだ。その為、ヘレナと小夜子も同室となっている。

 二人の部屋は一つ上だったな、と一也は疲れた頭で思い出した。



「なあ、一也ん、飯何時からやった?」



「七時からじゃなかったですか。献立は選べるんでしたっけ?」



「いや、日替わりで違うもん出してくれるらしいけど、飲み物しか選べないはずやで。ここホテルやから西洋料理ばっかなんやろか」



「多少は配慮してくれるんじゃないですか、五日もいますしね」



 話している内に、少しましになってきた。ゆっくりと体を起こしつつ、順四朗に聞いてみる。



「順四朗さん、陸軍に知り合いとかいます?」



「いや、別におらん。でも今日顔合わせた中に、知ってる名前はいたわ」



「え、どういう意味ですか、それ」



 一也の問いに、順四朗はベッドに寝転がったまま答えた。

 その目が映す天井には、深い茶色の梁が剥き出しになっている。



角谷(すみや)少佐っておったやろ。最初に声かけてきた」



「――ああ、あの役者みたいな人ですか。雰囲気ある人でしたね」



 男の割に睫毛が長く、どこか退廃的かつ物憂げな顔をした男であった。

 あまり軍人らしくないな、と一也は些か失礼な感想を抱いたものである。

 だが、その男がどうかしたのだろうか。



「あいつな、銃使いとして有名やねん。あんな顔して相当やるって専らの評判で、警察(こっち)まで噂流れてきよるわ」



「へえ、そう言われるからには、かなりの腕なんでしょうね」



「ああ。だからもしかしたら、一也んを敵視しとるかもしれんな。注意しとき」



「ど、どうも」



 返答しつつ、一也は額に手を当てた。トラブルは御免だよ、と少しばかり祈りながら。

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