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終局を紡ぐ者達 弐

 お世辞にも快適とは言いがたい。

 そう素直な感想を抱いた一也であったが、文句を言う気は無かった。少しでも命中率を上げる為には、自分が考えた方法を使うしかなかったのだ。

 即ち、起重機(クレエン)を使って高度を稼ぎ、そこからの水平射撃である。



「これでいいですかあ......」



「ありがとう」



 下方から小夜子の声が聞こえ、それに短く答えた。起重機(クレエン)のスイッチを入れてもらったのだ。

 現代のように電動ではなく、圧縮した蒸気を動力とした機械は重々しい音を立ててゆっくりと動く。その制動をまったく素人の小夜子が行ったのだ。地味に凄い。

 ブシュウ......と蒸気が漏れ、一也の乗り込んだ間に合わせの台座が止まった。木箱の横を覆う外装を壊し、それをそのまま吊り上げた形である。居住性など当然無視だ。



 "だが無いより全然ましだよな。視界が違う"



 確かに微かな揺れはある。木箱と一也自身の重さがあるとはいえ、起重機(クレエン)のフックでぶら下げられているのだ。高度は約一間と二尺といったところか(約2.4メートル)。

 高所だからこその視野を確保出来た代償ならば、揺れくらいは喜んで受け入れよう。

 問題は――それでも当てられるかだ。



 正直、調子(コンディション)は良くない。

 中田、中西との連戦を辛くも切り抜けはしたが、ここまでに負ったダメージは大きい。何発も銃撃を繰り返したせいか、肩と肘が痛む。引き金を引く右手の人指し指もじんじんと痺れるようであり、全身の疲労は危険水域と言ってよかった。

 確実に集中力が削がれている。



 "確実に撃てるのは一発だけだな"



 決断は速かった。魔銃のモードを単発(シングル)に落とし、内包する火薬も最低限にした。

 今の自分の体では、一発以上はまともな射撃は期待出来ない。体が銃の反動(ノックバック)を支えきれない――そう判断した末の見極めだった。

 右肩にストックを当てて安定させる。

 右手はグリップを握り、左手は――いつもより伸ばせない。

 銃身(バレル)に這わせるはずの左手が、上手く伸ばせずやむ無くマガジンの近くを握る。中田のガトリングガンが残した後遺症だった。

 そして腹部もじんじんと熱い。中西の攻撃の爪痕が体力を奪っている。内出血くらいは起こしているのだろう。



 撃てるか。この状況で。



 "ここでやらなくて、いつやるんだ"



 当てられるか、この距離から。



 "対象はでかい。だがどこを狙う?"



 目をこらせば、ヘレナが魔獣に切りかかる姿が見える。攻撃は当たっているのだろうか。一向に怪物の動きが鈍らない。

 何らかの防御手段が奴にあるとすれば、狙うは急所か。胴体よりは頭部、あるいは首か。

 不安に駆られ何となく眼下の小夜子を見る。起重機(クレエン)の支柱にもたれ掛かるようにしていたが、彼女は一也を見上げていた。二人の目が合い、少女は一つ頷く。



 出来ますよ、という声が――聞こえたような気がした。僅かに勇気づけられ、一也は静かに狙いを定める。

 一発。たった一発でいい。

 あんな怪物にただ一人立ち向かう隊長を、見捨てられない。

 無言の信頼を寄せてくれる小夜子を、裏切る訳にはいくか。



 "呪力を振り絞って、狙撃眼に全てを注ぎ込む。それで決めるしかない"



 覚悟を決めた。一度両の目を閉じる。集中力を少しでも練り、ぼろぼろの体を補う為に敢えて目を閉じたのだ。

 腹の底が熱い――呪力がぞわりと沸くのを感じる。熱と化したそれは、自分の背骨を駆け抜ける。

 右目へとその透明感すら帯びる熱を誘導、眼球へと呪力が(はし)り、その熱にこらえきれぬように一也は右目を開けた。



「狙撃眼・片目集約式......これならば」



 正直思いつきではあったが、上手くいったようだ。賭けの甲斐はあったらしく、凡そ二町以上は離れているはずの魔獣の動きが、手に取るように分かる。

 ただはっきりと見えるだけではない。動き自体を読める。おぼろげながら、一瞬先に魔獣がどう動くのかが分かる。



 ならば後は――迷わず構えて、自分の狙撃スキルを信じるだけだ。全ての体の動きが同調する。

 指先に至るまで、シンプルに狙撃するという行為の為、ただそれだけの為に全神経が稼働するようだった。視界の中心にいるのは、もはや止まっているようにしか見えない魔獣のみ。



 時が止まった。

 僅かに伝わってくる戦闘の音も、風の音も、潮騒すらも遮断されたように消えて、静寂だけが魔銃と魔獣を繋ぎ合わせる。

 撃鉄が落ち、そして。



「――命中(やっ)てやったぜ」



 肩に残った反動に顔をしかめながら、それでも黒の銃士(ガンナー)は微笑を浮かべた。




******




 一也が知らぬことではあったが、真横からの銃撃は邪馬魚苦(ジャバウォック)には有効だった。

 水を用いた流体防御は、有効範囲がそこまで広い訳ではない。ヘレナを警戒して前面に展開させていた為、真横からの銃撃には対応出来なかったのだ。

 これもまた偶然ではあったが、後方からの順四朗の攻撃が有効であったのも同じ理由による。



「すまん!」



 その頼れる部下とすれ違いざまに一声かけて、ヘレナが駆ける。思わぬ奇襲に邪馬魚苦(ジャバウォック)が怯んだ今、攻勢に出なくていつ出るというのか。

 両手でかざした闘光剣(リヒトデーゲン)が唸りをあげる。気合いの声と共に一気に振り下ろした。



 魔獣の虚無を映したような瞳、それが大きく見開かれた。動揺したせいでたやすく懐に潜りこまれ、まともに斬撃を浴びせられたのだ。

 致命傷では無いにしても、それを認識するよりも早く、ヘレナの返しの二撃目が入る。

 切り落とした一撃目から、その斬線を綺麗に逆になぞるように切り上げた。一撃目の傷口が更に深まり、青い血がどくどくと零れ落ちてゆく。



「お、オノレエエエ!」



(のろ)いんだよ!」



 邪馬魚苦(ジャバウォック)の力任せの反撃を難なくかわし、魔女はその左肩へと跳び上がった。そこに居座るような真似はせず、更に一蹴り。

 人間離れした跳躍力でもって、軽々と魔獣の頭上を取る。

 空中で華麗に逆さ宙返りを決めながら、自分の真下に位置する敵めがけて攻撃呪法を撃ち込んだ。



「今なら効くだろう。貫け、光槍雨(リヒトランツェンレーゲン)



 先程の自分が決めた背中への一撃、そして一也と順四朗の援護攻撃の成功から、ヘレナはほぼ正確に邪馬魚苦(ジャバウォック)の防御法の性質を見抜いていた。

 一言で言うならば、それは鎧ではなく盾だ。恐らく流体防御は体の全面を守るものではなく、限定された方向にしか有効ではない。それが分かれば、一度は防がれた呪法でも決めようはある。



 邪馬魚苦(ジャバウォック)の体を包囲するように、攻撃範囲は広めに設定した上で光槍雨(リヒトランツェンレーゲン)をぶつけた。

 何本かは外れたが、それは想定内である。多方向からばらばらに浴びせられた光の槍、それはヘレナの思惑通りに流体防御にも引っ掛からなかった。

 魔獣の皮膚に槍が突き刺さり、再び苦痛の咆哮が轟く。

 更に自由落下の勢いを加算して、その巨大な右肩に渾身の一閃を決めた。

 重い手応えが腕にかかる。



「っ、これでもまだ倒れないか」



 連撃を浴びせられ苦痛に暴れる邪馬魚苦(ジャバウォック)から離れつつ、ヘレナは大きく息を吐いた。

 千載一遇の好機を生かしたは良いが、相手の頑丈さは流石と言うべきか。

 順四朗は何処だと探せば、少し離れた位置に佇んでいた。どうやら巻き込まれぬよう、離れていたらしい。



「手助けは要らんみたいやけど、別にええ?」



「そこで見ていろ。今に決めてやる」



 視線は動かさず、声だけかわした。いや、それ以上に動かせなかった。邪馬魚苦(ジャバウォック)の様子がおかしかった為だ。

 翼が縮み、尻尾が徐々に消えていく。

 その長く伸びた首もしゅるしゅると短くなる。

 濃緑色の皮膚もどういう仕組みか分からないが、みるみる内に縮んでいく。

 魔獣の巨体が萎んで、そしてそこに残ったのは。



「はあっ、はあっ......よ、よくもやってくれたな」



 薄手のコオトをはためかせた土谷史沖の姿であった。

 もっとも体のいたる所を血に染めて、抜き身の和泉守兼定を引っ提げたその姿は、常日頃の優雅さからは程遠い。

 例えるならば修羅、あるいは悪鬼である。



「借り物の魔獣の姿を保つことも出来なくなったか。年貢の納め時......いや、諦める気は無いようだな」



「......当然だろう。勝負はまだこれからだ」



 コオトの袖で口許を拭いつつ、土谷は吐き捨てた。髪は乱れ、もはや体の各所からの流血も隠すことも出来ないようであった。

 白い着流しも黒い袴も赤く染め、神戦組組長はそれでもまだ、剣を捨てない。

 一つ大きな血塊を口から吐き捨て、ヘレナに向き直る。

 回復呪法とやらを使う気配は無い。

 自分には使えないのだろうか。いずれにせよヘレナにとっては好機である。



「受けて立ってくれるよな、ヘレナ・アイゼンマイヤー」



「無論」



 土谷の日本刀は銀の輝きを放ち、ヘレナの闘光剣(リヒトデーゲン)は赤みを帯びた光を放つ。二人の間合いを異なる色彩が舞い、幾分高くなった陽の光と混ざり合った。

 順四朗はただ黙して見守るのみ。ヘレナの性格からして、こういう状況下において横槍は好まないと知っているのだ。「負けへんやろ」とただ一言呟いただけだ。



 何処かから、波が大きく寄せる音がした。

 それに合わせるかのように、ヘレナが口を開く。



「最後に一度だけ問おう。土谷史沖、投降しろ。その傷で無理に動けば、冗談抜きで死ぬ。無駄に命を捨てるくらいなら、罪を償い――生きてみろ」



 厳しく、そして同時に優しい響きが確かにそこにはあった。束の間、土谷はヘレナと視線を絡ませる。

 ぼろぼろに追い込まれた自分は、さぞ惨めに見えるだろう。浅はかな妄想家に見えるだろうかと考え、そして小さく苦笑する。



「お断りだね。新撰組局中法度、第一条......敵前逃亡は士道不覚悟」



「なるほど、ならばもう何も言うまい」



 土谷の言葉の意味が気にならない訳ではないが、それより今は目前の勝負に集中する必要があった。

 ヘレナは右足を軽く踏み出し、剣は正眼に構える。

 対する土谷は左半身、そして左手のみで和泉守兼定を高らかに持ち上げた左片手上段の構えだ。傷だらけにも関わらず、その構えには濁りが無い。



 卓越した二剣士は数瞬その動きを止め、そして、戦いは唐突に始まった。



「参る!」



 土谷が吠える。

 大気すら分断する勢いで左片手上段の構えから、剛の太刀が唸りをあげた。ヘレナがそれを受ける。防御自体は完璧だったが、その重さに腕が押された。

 だがそれも一瞬だけであった。

 真っ向からヘレナが押し返す。

 鍔競り合いからいきなり切り返し、両手で握った闘光剣(リヒトデーゲン)を叩きつけた。魔術の光が鋼の刃と交錯し、刃音と火花が競演する。

 止められない加速、止まらない斬撃、止める訳にはいかない理由――それが二人の戦いだ。



「こんなところで終われるか!」



 幾度も剣を交えながら、土谷は吠えた。

 孤独も、痛みも北の地で嫌という程味わった。それに比べたら、戦いの傷など大したことではない。



「それはこちらも同じだ!」



 ヘレナもまた呼応する。

 彼女もまた、彼女なりの覚悟と使命を抱いてここにいる。縦横無尽に剣を振るい、その全てを叩きつけていく。



 力と技を尽くして剣を交わすこと、十余合。均衡は唐突に破れた。ヘレナが放った左片手横切り、それが土谷を吹き飛ばす。

 剣撃の圧力に負けたか、土谷史沖は地面に転がった。膝を、肘を擦りむきつつも、それでもまだ一太刀浴びせんと立ち上がろうとするが、魔女はそれを許さない。



 "生半可な覚悟ではこいつは倒れないだろう"



 確信、ならば半端な一撃ではなく、根こそぎ奪い去ってやる。残った魔力をかき集め、それを自らの詠唱に込めた。土谷が倒れてから立ち上がろうとする十秒余りの時間、それだけあればヘレナには十分だった。



「燃え尽き果てろ、焔之番人(ブランネンヴェルター)!」



 ヘレナの周囲の空気が急速に熱を帯びる。空気それ自体が発熱するかの如く、色を真紅に変えていく。

 接近戦という唯一の勝機を失った今、土谷はそれを防ぐ術が無かった。いや、そもそもこうしてまだ戦っているのが奇跡である。それ程の負傷を既に負っているのだ。



 "ここまでか"



 襲いかかる焔之番人(ブランネンヴェルター)の灼熱に包まれながら、土谷史沖は遂に諦めた。

 巻き上がる焔が皮膚を食い破り、視界を塞ぎ、喉から迸る絶叫すらも燃やし尽くしていく。服が焦げ付き炭化して、そして熱に犯された意識が遠退く。

 北の地からやってきた青年の思想も、そして野心も、全てがその体と共に灰塵と帰すまでさほど時間はかからなかった。



******



 全てを見届け終わり、奥村順四朗はゆっくりと首を回した。

 あの正体不明の怪物が土谷史沖だったのは少々驚きであったが、いざこうして全ての片がつくと、それも些細な事に思われた。「お疲れさんです、隊長」と佇むヘレナに声をかけ、慎重に変わり果てた土谷に近付く。



「四民平等、ここに焼け果てりか」



 下手な表現だ、と己で突っ込む。

 視線を下げると、その体の半ば以上を黒く炭化させた土谷が転がっていた。生前は整っていた顔も、もはや原型をとどめていない。手足も高熱で炙られた為か、欠損だらけである。絶命しているのは確実だった。

 その右手の名残からこぼれ落ちたらしき日本刀に目を留める。自然とその銘を読んでいた。



「和泉守兼定ねえ......ほんまに本物やろか」



偽物(がせ)かもしれんが、今となっては確かめる術もないな」



 振り向く。疲れたような顔のヘレナと目が合った。彼女はそのまま歩み、土谷の遺体の側に膝を着いた。



「この男が本物と信じていたなら、きっと本物なんだろう。それでいいじゃないか」



「土谷から何か聞く機会があったん?」



「大したことじゃないよ」



 言外にそれ以上は無用と匂わせ、ヘレナは会話を終了させた。

 実のところ、土谷が漏らした導師という存在が気にはなってはいる。だが、それを今は考えても仕方が無いと諦める。



「三嶋君は、ああ、無事か。さっきの銃撃は彼だよな」



「やな。小夜子ちゃんも大丈夫やろ。勘に過ぎへんけど」



「無事でいてくれないと困る」



 わざと素っ気なくした感のあるヘレナに、順四朗は何か言いかけ、結局止めた。代わりに煙草を一本、ヘレナに勧める。



「ああ、悪い。気が利くな」



「横浜の 空を仰いで 煙草吸う。うん、一句出来ますわな」



「......下手過ぎるよ」



 小さく笑いながら、ヘレナは煙草を口に加えた。"喫い過ぎかな"と思いつつ、紫煙が潮風に流されていくのを何となく目で追った。後のことは後のことだ。今はただ、少しだけ休みたかった。

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