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対立せずにはいられない

 コチ、コチと時計の秒針が時を刻む。その小さな音に(ページ)をめくる音が重なる。

 音が静寂を引き立てる時間が続いていた。



「えらいあの二人遅いな......」



「そうですね、もう七時半ですか」



 横からかけられた声に反応し、一也は目を上げた。

 イーストハーバーの会議室でヘレナと小夜子の帰りを待っているのだが、未だ二人は帰らない。

 滅多なことは無いとは思うが、時間厳守のヘレナにしては珍しいのは確かだった。

「八時になっても戻らんかったら動くことにしよか。ところで一也ん、その本何なん」と順四朗が一也の手元に視線を移す。



「新撰組についての本です。幕末に活動していた方のですね。名前の響きが同じなので、ちょっと気になって」



「今更って感じもするんやけど、意図するところは分かるわ」



 新撰組の話など聞き飽きているため、順四朗はわざわざ調べようとはしない。

 だが一也にとっては、そこまでよく知る話ではない。小説やゲームを通しての知識では曖昧にも程がある。



 一也の知識を補足する形で新撰組の歴史を、引いては幕末の歴史をなぞるのであれば、大筋では次のようになるだろうか。






 嘉永六年即ち1853年のペリー率いる黒船来航をきっかけとし、三百年の長きに渡り日本を支配していた徳川幕府の治世は揺らぎ始めた。

 安政の大獄、桜田門外の変といった政変然り、皇女和宮の幕府への降嫁による公武合体という一大事件もまた然り。

 西暦で表するならば1860年前後を契機に、当時の日本は開国派――つまり倒幕派と言える――派閥と、鎖国派――旧体制派である――に分割されつつあったのだ。



 そのような時代の流れもあり、長州、土佐、薩摩といった倒幕派の諸藩に対し、徳川幕府は警戒心を強めていた。その対立が明らかになるにつれ、各藩の屋敷が林立する京都を抑える必要性は増してくる。

 その重要性を鑑みて組織されたのが、新撰組である。

 京都守護職に任官した松平容保の下、壬生寺を本拠に活動した彼等は"壬生狼(みぶろ)"と畏怖され、幕末の京都を血に染めたのであった。

 薩長に対する幕府の武力象徴的な色彩すら伴っていた新撰組であったが、時代の流れは彼等を押しやっていく。



 有名な鳥羽伏見の戦いを皮切りに、上野戦争、会津戦争と激戦を繰り広げつつも新撰組は東へ、東へと旧幕府軍と共に追いやられていった。

 その敗走の中、局長の近藤勇、一番隊組長の沖田総司などを失う。

 組織として崩壊しそうになるも最後までこれをまとめたのは、副局長の土方歳三であった。

 だんだら模様の羽織を洋装に着替えた後も、土方の闘志は最後まで衰えることはなく――明治二年、函館五稜郭にて戦死するまで、よく戦ったと伝えられている。






 把握したばかりの新撰組と現在捜査対象となっている神戦組を比較して考えようと、一也は試みる。

 新撰組は、倒壊していく幕府を守る為の戦闘集団だ。

 翻って神戦組は、真の四民平等を掲げ、しかもどうやら戦いも辞さぬ団体のようである。

 主義主張も異なるし、何より持ち合わせている戦闘力には開きが有りすぎる。

 幕末最強の剣客集団と謳われた新撰組である。多少噂に尾ひれがついていたとしても、集団訓練などしていないらしい神戦組では話にならない。



 ヘレナがさほど神戦組に神経質にならない理由の一つがこれである。

 武装集団が真価を発揮しようとするならば、ある一定期間に一つの場所で訓練をすることが、そしてそれなりの武器を使えることが絶対条件である。その訓練をやろうとすれば、ある程度の空間と時間を必要とする。

 しかしながら、神戦組の普段の活動を見る限りそのような動きは無かった。



 仮に反社会的な暴力性を秘めていたとしても、散発に終わる――であれば、怖くは無い。脅威の規模は限定的だ。



 "じゃあ、もっと単純なことか?"



 視点を変えてみた。

 神戦組について聞いてきた情報を、うっすらとイメージする。

 何でもいい。活動内容でも、規模でも、発足時期でも、組長と名乗る土谷史沖のことでも――



「あれ、だけど別に......」



「どしたん、独り言とか」



「いや、土谷氏って北海道の出身らしいんですが、土方歳三が戦死したのも」



「函館五稜郭やな。それで?」



「それが何か関係あるのかな、と思ってですね」



 自分で口にしてみると、酷く陳腐な戯言のようであった。

 思わず顔をしかめる一也に気づかず、順四朗は目を細める。



「着眼点はおもろいけど、無数の要素を重ねていったら一つ二つ合うこともあるわな。例えば」



「例えば?」



「土谷史沖って名前、新撰組に縁があると言えばあるわ。二文字分な」



「――あ、土方歳三と」



「沖田総司な。土、沖って二文字名前に入っとる。それに北海道出身なんやったら、こんな物語やって書けるわ」



 五稜郭落城の際、土方歳三と共に最後まで戦った名も無き隊士がいたとしよう。

 その男が命からがら逃げ延び、復讐の念を抱いたまま北海道に潜伏したとしよう。

 月日は過ぎ、北の地で呪法を学んだ男は、実年齢より若く見せる術を身につけ一念発起する。

 即ち、現在の明治政府を打倒し、新撰組の無念を同名の組織にて晴らすことを。



「――と考えるんは自由やけど、如何せん証拠は無い。むしろこじつけとか妄想の類やで」



 そう締め括りつつ、順四朗は煙草に火を点ける。

 納得出来るような出来ないようなモヤモヤを抱えたままの一也の耳に、ボゥンボゥンという柱時計の音が飛び込んできた。

 八時だ。金田が岩尾を伴い、気遣わしげな表情を寄越す。



「時間や、一也ん、金田さんと組んで外探して。己は岩尾君と」



「何処へ行こうと言うんだ、夜遊びは感心しないぞ」



 扉が開き、ひょっこりとヘレナが顔を出す。

「あ、隊長?」と順四郎は目を見開いた。

 一也も思わず立ち上がり、ヘレナの後ろの人影に声をかけた。



「小夜子さんも! よかった、無事で」



「ただいま戻りましたー、あー、疲れたです......ご飯、ご飯は何処に」



「岩尾! はよう何か用意せんか!」



「はっ、小夜子さんの胃袋を満たすのも僕ら神奈川県警の役目!」



 酷く疲れた顔のヘレナと小夜子の様子に、金田と岩尾が機敏に反応する。「何があったんですか」と一也が問うと、二人は異口同音に答えた。



「無礼な暴漢に襲われて、腹が立ったから壁に縫い付けてやったのさ」



「しかもその人達、神戦組の依頼で私達を狙ったと自白したんですよ!」



「そうそう、取り敢えず近くの留置所に放り込んできて」



「帰ってきたんですよー。頑張ったので誉めてくださいー」



 穏やかではない情報に、一也は順四朗と顔を合わせた。

 何がどうなっているのか、まさかここまで鳴りを潜めていた神戦組が急に奇襲を仕掛けてくるとは。

 だがとにもかくにも今は。



「戦をしたから腹が減らずにいられない、だったか? まあいい、ともかく夕御飯(アーベンデッセン)だよ」



 怪しげな諺と共に、つい母国語を使ってしまうヘレナを満足させるのが先であった。




******




 この激震と呼べる事態に驚いていたのは、一也ら第三隊だけでは無い。土谷の腹心とも言える中西廉も同様であった。



「どういうことか説明してもらおうか、土谷氏」



「どうもこうも無いよ。方針が変わった、一両日中には神戦組は決起するぞ。もはや後には引けないよ」



「後には引けないだと? 諜報から聞いたぞ。神戦組の依頼を受けた二人組が、第三隊のヘレナ・アイゼンマイヤーと紅藤小夜子を襲ったと。しかもまんまと捕まったとな! これを契機に警察は俺達を引っ捕らえにくる、絶好の口実を与えてどうするんだ!」



 珍しく激昂した中西が土谷に詰め寄る。形式上は部下ではあるが、両者の間に精神的な差はほとんど無い。

 受ける土谷の方も涼しい顔であった。



「元々の計画では神戦組の構成員を鍛え上げ、大々的に横浜を制圧するつもりであったが――優先事項を変える。矛先を横浜全体ではなく、警視庁特務課第三隊に向ける」



「何? いくら手練れ揃いといっても所詮は四人だぞ。こちらの戦力も充分ではないのに、今焦って仕掛ける程の意味があるのか」



「あるのさ。他の三人はともかく、隊長のヘレナ・アイゼンマイヤーにはその価値があることが分かった。彼女は欧州の魔術師の名家出身だ。それを倒したとなれば、武装勢力として神戦組の名は上がる」



 飄々と土谷は告げるが、中西は懐疑的であった。

 そもそも自分に相談もなく、いきなり相手に喧嘩を売るなど暴挙以外の何物でもない。

 それが気に入らない。失う物が多すぎる。

 だが、事ここに至っては最早引き返すことも出来ないようである。



「今回の件で警察の尋問は来たのか」



「いや、まだだね。多分、警察も事態を把握した段階なんだろう。第三隊の意向も考慮して、神奈川県警から正式に捜査令状が出るのが明日。人員揃えて踏み込むのが明後日といったところだな」



「そうか。色々気に入らないが、もうやるしかないな。黙ってお縄につくのはごめん被る」



 ため息一つ、それで思考を切り換えた。

 元々、力で以て制圧するという方針ではあったのだ。

 時期も準備も整っていないが、覚悟を決めるしかない。



 "すぐに動かせる人員が毛利達以外に二十名、武器はある。しかし、この程度の戦力じゃ警官隊が出てきたら押し潰されるな"



 中西にしても、神奈川県警の警官の人数や、駐留している陸軍の規模をそう詳しくは知らない。

 まだ時期尚早ということで、調べは後にしていたのである。

 だが少なくとも百や二百は優に越えるだろう。

 真正面から当たれば勝負にはならず、あっさりと敗北するのは確実だ。



 ならば、考えを変えねばなるまい。



 神戦組の設立意義を考えれば、真の四民平等を訴えた上で正々堂々の宣戦布告としたいところではあった。

 一般に卑怯とされる暗殺、民衆を盾に取った市街戦などを使うと、例え勝利しても民衆からの支持は得られない。

 そしてそれは確実に組織の瓦解に繋がる。



 だが――この状況で贅沢は言っていられないだろう。

 組織壊滅と全員逮捕よりは、勝って憎まれた方が百倍ましだ。



「狙いは第三隊だけならば、奴等を脅して誘い出すか......」



「それが出来れば一番いいな。もっとも、僕も何の策も無いわけじゃない」



「どういうことだ?」



 思案を止め、中西は土谷に問う。

 神戦組の首魁は余裕の微笑でこれに答えた。丁寧に後ろに撫で付けた髪が、洋燈(ランプ)の明かりを反射する。

 そして異変は次の瞬間に起こった。



 土谷の左手が――メコリ、と蠢いた。

 左手は膝の上に何気なく置いていただけだ。

 肩も肘もまったく動かしていないのに、肘と手首の間が急に膨れ上がった。

 筋肉が膨張する。ぐねり、と太い血管が皮膚を突き破りそうになる。

「ち、暴れるなよ」と土谷が呟くと、すぐに元通りにはなったが。だが、だからといって無視出来ることではない。



「土谷氏、今のは何だ」



「ああ、見たのか。ま、いいか。これが策だ。策と言うよりは武器かな? 僕が得た力の一端さ」



 土谷が立ち上がる。

 その左腕が何やら禍々しい気配を生じさせていることを、中西は見落とさなかった。

 呪法の一種かとも思ったが、土谷は回復呪法しか使えなかったはずである。

 それに集中も詠唱もしていなかった。ならば――あれは呪法ではない。



 "どこまで当てに出来るかはともかく、プラス要素が無いわけでも無いか"



 準備を整える為の時間はあまり無い。

 今見た光景は取り敢えず後回しにして、中西は思考の海に沈むことにした。

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