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夏の雨の中で

 雨垂れ石を穿つという言葉があるが、果たしてそれは本当のことなのだろうか。

 一也はふとそんなことを考える。

 固さで勝っている方が相手を割ることが出来るのに、どう考えても雨が石より固いとは思えない。

 そう口に出したら「それはそういうことわざじゃないと思いますが......」と小夜子に怪訝な顔をされた。



「いや、だってどう考えてもおかしいよ。雨なんて水滴だよ、何発当たろうが石をへこませることなんか出来ないだろ」



「一回一回だけじゃなく、長年積み重なれば小さなことでも効果があるかもしれないという意味じゃないですか? 少なくとも私はそう習いましたよ」



「実際そういう場面を見たことある人いるのかな、とかたまに考えちゃうんだよね」



「変なことを気にしますね」



 一刀両断といった口調で小夜子は断じ、目の前の作業を再開する。

 真剣な顔で寒天とあんこをどれくらいの比率にするか、これが目下彼女の最大の関心であった。

 まだ初々しさが残る警察官の制服姿の二人が向かい合うのは、一軒の甘味処だ。本庁での研修から直帰する途中、夏の夕立に見舞われたので雨宿りも兼ねて休息しているという訳である。



「あんみつ、そんなに好きなんですか」



「この世の天国ですね。黒蜜と白蜜どちらも好きですけど、たまに抹茶も食べたくなります」



「そこまで聞いてないけど......」



「語らせたらうるさいですよ?」



 自分で言う通り、小夜子のあんみつへのはまり具合は結構な物だった。

 今までが物に乏しい村住まいだったせいか、東京に出てきてから色々な物に関心を抱いた結果の一つがこれである。



 "大学デビューみたいなもんか。けど十六歳なんて普通に考えたら、これが普通だよなあ"



 一也は自分が注文したところてんを突っつく。

 年齢にそぐわないしっかり者の印象が強い小夜子だが、自分より年下なのだ。むしろ、はまったのがこれくらいならば可愛い物である。

 自分が知っている限りでも、物質的な豊かさに溺れて身を持ち崩した人間は何人かいた。それを思えば甘味にはまるくらいはごく自然な変化なのだろう。



 洒落たギヤマンの窓を通して外の様子を伺う。

 雨はまだ止んではいない。

 空から落ちる銀の水は途切れもなく、ザアザアと間断なく地面に落ち続けている。踏み固められているとはいえ、道はアスファルトではなく土がむき出しだ。

 帰りはさぞ泥がはねると思うと、一也はちょっと憂鬱になった。



「よく降るもんだ」



「でも雨のおかげでこうして雨宿り出来るので、私は満足ですよ」



 匙を止めた小夜子は笑顔である。

 思わぬ夕立も、彼女にとっては甘味につながる幸福らしい。



「洗濯の苦労を思うと手放しでは喜べなくてね」



「うっ、それがありましたね......くっ、いきなり頭痛がっ」



 八割がた食べ尽くしたあんみつを前に、小夜子はわざとらしく頭を抱えている。

 今の今まで本当に忘れていたらしい。

 言わなければ良かったかなーと思いつつ、一也はところてんを飲み込む。するりとした冷たい感触が心地よかった。




******




 一也と小夜子が特務課第三隊に入隊してから、既に二ヶ月少々が経過していた。

 時は七月、夏の盛りとも言える時期である。

 この二ヶ月、二人が何をしていたかというと、仕事と研修が半々というところである。ヘレナが話したように二人は見習いという形で入隊しているため、研修もまた業務の一環というわけだ。

 具体的には警察という組織の理解、勤める上で最低限知っておかねばならない規則などを覚えることに加え、体力や格闘技術、銃器や呪法などの技術向上が中心となった。



「とりあえず全ての面で底上げしないとこの先辛いからな。まずは基礎だ」



 ヘレナにこう促されては仕方がない。

 そもそも勤める、という経験が今まで無いこともあり、この二ヶ月は素直に見習いとして日々精進していたのである。

 今までの期間に対する一也の感想は"ブラックじゃないけど厳しい"であり、小夜子のそれは"お金貰うって楽じゃないですー"である。



 業務内容的に仕方がないのだが、基礎体力がとにかく求められるのだ。

 頭脳労働も体力的にへばっていては勤まらない、と研修初日に言われたのであれば、頷くしかない。

 現代においても警察官は柔道、空手、剣道を合計三段の取得を義務づけられる。

 凶悪犯と対峙するかどうかはともかく、市民の安全を守る自負は一定の強さが無ければ生まれないという考えはあながち間違いではない。



 もっとも二人の特性が銃撃と呪法ということもあり、多少訓練に加減はあったが、それでもきついことに変わりは無かった。

 特にきつかったのは柔道である。

 中野坂上に講堂館という有名な道場があり、そこで乱取りや百本受け身をやらされたのだ。

 一也は体育の授業でしか柔道などやったことが無い。何回も何回も畳に叩きつけられ、本当に死ぬかと思った程である。



 強いて嬉しかったことと言えば、講堂館創始者である嘉納治五郎を生で見たことくらいだろうか。

 名前くらいは漫画や小説で知っていたので、流石に一也も驚き、また喜んだものだ。

 姿三四郎のモデルとなった西郷四郎も稽古に励んでおり、密かに伝説の技"山嵐"を覗き見したりもした。



 ただし、やはりいいことと言うのは限られており、ミーハー心を満足させたくらいでは割りに合わない――それほどにしんどい稽古量であったのは事実である。

 その甲斐あって多少の自信めいたものはついたが、それでも正直ごめんこうむりたかった。



 一週間ほど研修――という名のスパルタ訓練期間――を行い、次の一週間は第三隊に戻りひたすら実務、また次の一週間は研修。

 簡単に言えば二ヶ月の間、二人はひたすらこんな単調な日々を送っていたのである。



 こうした厳しい日々の成果か、二人とも結構なペースで鍛え上げられており。今日は久々に本庁での座学が早めに終わり、喜び勇んで帰る途中という訳であった。




******




「見習い期間ってあとどれくらいだっけ」



 蛇の目傘を開きつつ、一也が問う。甘味処を名残惜しそうに辞した小夜子もまた、蛇の目傘を開く。



「三ヶ月が目安とヘレナさんおっしゃってましたよね。だからあと一ヶ月くらいですか」



「......早く終わりますように」



「え、そんなに嫌ですか?」



 まだ降りやまぬ雨の飛沫に靴を濡らしつつ、一也は顔をしかめた。



「もうさー、柔道で散々投げられるの嫌なんだよ。なんか二段とか三段のすげー人ばっか出てくるし」



「でも一本取ったら気持ちよくないですか。こう、背負い投げでスパーンと!」



「そりゃ小夜子さんは運動神経凄いからだろ。俺、大概負けてるんだぜ」



 そうなのである。

 棍による戦闘技術に加え、元々運動神経が良い小夜子はそこまで訓練で根をあげている訳では無かった。

 基礎体力の点においては、男女の性別差があっても尚、小夜子の方が上と判断されるくらいである。

 座学や試験は比較的に苦手にしているものの、それくらいだ。



「でも一也さんも最初の頃とは全然違いますよ。なんか制服が板に着いてきたと言いますか」



「そうかねえ」



 確かに少しは体力はついたのかもしれないし、仕事面でも書類の書き方も分からないまったくのど素人ではなくなりつつあるのかもしれないが――それでもやはり、働き始めて二ヶ月の新人には違いあるまい。



「ほんとですよ。前に一也さんにお米の袋持ってもらったことあるじゃないですか、ほら先週」



「ん、ああ、あったけどさ。それが?」



「前はふらふらしながら持ってたのに、その時はしっかり持ってましたよ。地味に腕力や握力がついている証拠です」



「ふーん」



 思い出した。

 先週休みの日に、小夜子の買い出しを手伝った時に、麻袋に詰められた米を持ち上げて運んだ。

 だが運ぶのに精一杯で、前に運んだ時のことなど忘れていたのだ。言われて初めて、自分に力がついたのか? と気がつく程度のことである。



 そんなことを考えながら家路を急ぐ。

 住まいをどうするかでは迷いはしたが、今は神田にある長屋の一部屋を借りていた。

 小夜子の部屋は一也の部屋の三つ隣であり、ごく近い。大抵の場合、二人揃って出勤するし、ちょっとしたことでもお互いの部屋を訪ねられる距離である。

 だから買い出しなんかも時間を決めて一緒に行くわけだ。



「そういえば一也さん、明日から呪法習うんですよね」



「呪力があればの話だけど、まあ」



「あら、楽しみじゃないんですか?」



 小夜子の質問に一也が即答出来なかったのは、嫌な想像をしたからである。

 まさかそんなことは無いと思うが、和製マッドサイエンティストのような老翁が出てきて「電気(エレキテル)の人体実験にはちょうどいいのお」などと喜色を浮かべる......という気持ちの悪い夢を何故か昨日見たせいであろう。

 子供の頃見た映画の深層記憶でもあるのかはたまた予知夢か、と跳ね起きてしまったことも思いだし顔をしかめてしまった。



「変な実験に使われたりしないかなあ、とか考えるとちと怖い」



「ああ、頭に電極とかですね!」



「やるの!? 決定なのそれ!?」



「嘘嘘、冗談ですよ。期待の新人にそんなことするわけないじゃないですかー」



「冗談であってほしいなあ」



 そう一也がぼやいた時、ちょうど目指す長屋が見えてきた。

 幾分降りが弱くなった雨に煙る町並み、その一角にある横長の長屋は黒い木箱を並べたようにも見える。

 アパートやマンションに当たる賃貸物件だが、平屋であるところが特徴だ。



「小夜子さんは明日は何だっけ」



「えーと、尋問指導と聞いています」



「聞かれる方か」



「聞く方ですよ!」



「冗談だよ」



 ニヤリと笑うと、さっきのお返しかと気づいた小夜子はプイと向こうを向いてしまった。




******




 その建物を最初見た時、一也は何と表現していいか迷った。

 和洋折衷と言おうか、ゴシックと和風を混ぜた落としどころを探したらこうなったと言おうか。

 適切な表現が見つからず、結局はレトロの一言がしっくりくるのだと気がついたのはしばらくしてからであった。



 人の倍近い大きな鉄門がそびえ立つ。衛士である巡査に挨拶し、そこを通ると左手と正面に白壁の建物が堂々と立っている。

 雰囲気としては学校の校舎に近いが、二階の壁に埋め込まれた金色の旭日章がそれを覆していた。

 泣く子も黙る警視庁本庁、それがこの建物だった。旧津山藩江戸藩邸を改築しただけあり、威厳と風格を漂わせる――と思うのは警視庁という言葉から見る人が自発的に想像するからか。



 その本庁のある一部屋で一也は固まっていた。

 椅子に座る彼の周りを何人かの男が囲んでいる。

 一人を除いて皆制服姿であるのは警察官だから当たり前であるが、一也の正面にいる男だけは場違いとも言える白衣姿であった。丸眼鏡をかけた痩せた顔、バサバサした白髪は単に年相応の物ではある。

 だが一也が恐れたのはそこでは無い。



「聞いているよ、三嶋巡査。あのヘレナ・アイゼンマイヤー警部の肝いりで入隊した期待の新人......」



 ぶつぶつと呟くような口調はまるで呪文めいている。そして何より、丸眼鏡の奥の目がギラギラと輝いているのが年齢不相応にして――怖かった。

 一也がこの男について知っていることは多くは無い。

 彼が警視庁の技術部門のトップであること。警視という高い階級にあること。

 そして本人はそんな階級より、もっぱらもう一つの呼び名を好むことくらいだ。



「あ、あの伊澤博士(ドクター)、俺別にそんな大層な......」



「くく、良い研究材料が手に入った今日は大安吉日だな! さあ、楽しい呪力測定の時間といこうか!」



 研究者というより狂人の響きを帯びた博士(ドクター)こと、伊澤警視の声に周りの警官達が弾かれたように動く。

 ただならぬ様子に腰を浮かせた一也を取り押さえ、力ずくで椅子に座らせ、あろうことか一也の手を椅子の背の裏に回した。

「ちょっ、止め、げっ!?」と一也がじたばたと暴れるのも虚しく、あっという間に両手が縄で縛られる。椅子にくくりつけられた形である。



「よし、電極仮面もてい! 今から三嶋巡査の呪力測定並びに潜在能力開発を始めーる!」



 伊澤の高らかな声と共に運ばれてきたのは、鋼の鈍い輝きを放つ仮面であった。

 頭にすっぽり被せる、まるで虚無僧の笠のようなそれは――頭のてっぺんから幾つもの電極らしき突起を備え、そこから黒いコードが伸びている。



「やーめーてー! 嫌な予感しかしねー!」



「嫌よ嫌よも好きな内と言うなあ、三嶋巡査。遠慮はいらんぞ?」



「違う、だってこれ明らかに拷も......もがっ!?」



 あまりに禍々しいその仮面が、抵抗虚しく一也に被せられた。

 全ての声はもがもがと響き、視界は暗黒と化す。

 恐怖に震える彼の耳に、伊澤の冷徹な命令が突き刺さる。



「では始めよう――電源起動(えれきてるおん)、第一段階開始!」



 あまりに不吉な単語にヒッ、と一也は喉を震わせた。

 だがその呻きが終わらぬ内に、彼の頭を凄絶な痛みが襲う。

 皮膚を焼かれ、脳を掻き回されるような不快感と痛撃のコラボレーション――それが電極仮面に流された電流による物だと気が――



「アババババババ!」



 意識が白く......発光した。

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