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武闘派二人

 昭和から平成にかけて東京の近代化が一気に進んだのは、万人が認めるところである。

 第二次世界大戦後の荒廃からの復興は、高層ビルにはまるで縁の無かった東京をモダン化し、コンクリートのジャングルへと変貌させた。東京駅には新幹線やJRが分刻みで出入りし、アスファルトの上をビジネススーツに身を包んだ人間がせわしなく歩く。

 その光景から昔を想像するのは難しい。そう、ことにようやく欧米列強へ並ぶための(きざはし)へと足をかけた明治時代の光景などは。



 有楽町の隣にある八重洲は、その昔は文字通り多数の中州を望む土地であった。

 今でこそ多数の企業が社屋を構えるビジネス街であるが、そうなったのは長い歴史の中ではごく最近のことと言える。

 少なくとも明治二十年の春、八重洲の一角にて向かい合う二人の男女は遠い未来の高層ビルなど知る由も無く、目の前の重大事にしか興味は無かった。









「......うちに新人が来ると?」



「そうだ。昨日、神谷バアでたまたま拾い――いや、運命の遭遇を果たした結果だ」



 とある二階建ての一軒家の裏庭で、奥村順四朗はヘレナ・アイゼンマイヤーの顔を見上げた。

 朝出勤してくるなりヘレナが「重大事だ! 順四朗、庭に出ろ!」と言われ、首を傾げながら庭に出るやいなや厳かに告げられたのである。曰く「新しい隊員が来るぞ」と。



 些か、いや、相当に興奮気味のヘレナの顔を見上げつつ、順四朗はフム、と唸った。

 日焼けした細面に無精髭をまばらに生やした小綺麗とは言えぬ風貌ではあるが、どこか甘い魅力を湛えている。男にしては長い髪を首の後ろでくくっている様式(スタイル)も、中々様になっていた。



 適当な高さの石に腰かけ、順四朗は懐を探った。

 おもむろに取り出した煙草に寸燐(マッチ)で着火し、そのままプカリと煙を吐く。

 警視庁勤務の人間だけに支給される紺を基調とした制服とその煙草が、一見ミスマッチのようで存外合っていた。



 ヘレナは腰に手を当てながら、そんな順四朗の喫煙を黙って見ていた。

 こちらも濃紺の警官用の制服である。昨夜のスカート姿とは違い、足はぴたりとした乗馬服のようなパンツスタイルだ。外国人だけあって足が長い。気崩していないので、カッチリした印象が強かった。

 "才色兼備"と順四朗は密かに誉めている。本人に面と向かって言ったことが無いのは、言えば"む、無駄口を叩くな!"と顔を真っ赤にしてバシバシ叩いてくるだろうと――容易に想像がつくからであった。



「さて。煙草は終わったか、順四朗」



「ええ、終わりやしたよ......って、隊長、何で抜剣してるん!?」



 短くなった煙草を漆塗りの携帯灰皿に慌てて押し付けつつ、順四朗は声を上ずらせた。

 彼の言葉通り、ヘレナ・アイゼンマイヤーの右手にはいつの間にか剣が握られている。鋼などの金属を鍛造した実体剣ではない。

 もはや順四朗は見慣れたが、煌々と輝く光が真っ直ぐに伸び形成している刃を初めて見た時はそれは驚いたものだ。

 朝日すらも弾き飛ばしそうな輝きが、その刃から放たれている。僅かな間を置いて、順四朗は口を開いた。



闘光剣(リヒトデーゲン)とか、本気なわけやね......新しい隊員が入ってくるのと、その物騒な武器と関係あるんですか」



「あるさ。新しい隊員が我々二名に加わる。それが嬉しい、故に私のやる気は燃え上がり本気の訓練を欲している」



 はた迷惑な理論だと順四朗は泣きたくなった。

 だからか、朝っぱらからわざわざ裏庭にまで呼び出したのは。

 話だけならば、ヘレナと順四朗の二人にあてがわれたこの家屋――二人の勤務拠点である――で話せば十分なのだから。



 "ちっ、しゃあねえやな。こうなった隊長は容易には止まらねえし"



 順四朗は腹をくくった。

 竹刀ではなく実剣を使った訓練はたまにやっている。確かに怖いが、それだけと言えばそれだけのことだ。

 それにヘレナのあの眼を見れば嫌とはもはや言えない。



 鞘から愛刀をゆっくりと抜く。

 波紋のような紋様が刻まれた刀身が特徴の日本刀――その銘を狂桜(くるいざくら)と名付けられた順四朗の武器は、下段切りの構えに沿って動く。

 銀色の切っ先がゆるゆると地面をなぞるように揺れた。



「いつものように互い五分。万が一当たりそうになったら、寸止めろ」



「承知」



 煌々とその青緑色の眼を瞬かせるヘレナに対峙しつつ、順四朗は短く返した。

 訓練とは思えない緊迫した空気が庭に満ちる。

 普通に考えれば正気の沙汰ではない。

 幾らか手加減する約束とはいえ、竹刀や木刀ではなく実剣なのだ。当たればただでは済まないのは明らかである。



 それでも緊張感こそあるものの、ヘレナにも順四朗にも焦りや恐怖の色は無かった。二人が警視庁に籍を置く部隊の名を知ればそれも道理であろう。



 警視庁特務課第三隊、明治の世において尚跳梁跋扈する怪異の類いや特殊能力により治安を乱す犯罪者を相手にする部隊――僅か二ヶ月前に新設された新進気鋭の部隊である。

 それ故に事務方の人間を除けば、隊員はヘレナと順四朗の二人という小規模どころか極小規模であるわけだ。

 


 隊の任務の苛烈さから、その訓練の度合いも特務課の第一隊や二隊のそれより相当に激しい。

 順四朗は実戦経験と戦闘技術を見込まれ第三隊に選抜されたのであるが、たまに音をあげたくなることもあった。

 早々簡単に職を手放す気も無いため、"人間だからそんな時もあるさね"と考えつつ、煙草を吹かす一時で己をまぎらわせている。



 異国の地で一人奮闘せんと熱心な隊長を放っておくのは忍びないというのも気持ちとしてはあるが、当然ながらそんなことは大っぴらには言えない。



 "しかし、いつ対峙してもこええもんやな。これが西洋魔術ってやつかよ"



 油断無く構えたまま、順四朗はヘレナの持つ光の刃を見つめる。 ヘレナの扱う何種類かの西洋魔術の一つ、闘光剣(リヒトデーゲン)は金属に勝るとも劣らぬ切れ味を誇る。

 ヘレナの説明によると、光の微粒子を収束して剣の形にしている為、重量はほぼ無いらしい。それでいて術者の力量により形もある程度可変可能と聞いた時には、思わず「不公平やろ」と呟いてしまった。



 しかし、順四朗と対峙するヘレナもまた軽く戦慄していた。

 奥村順四朗は自分のように魔女の血を引くわけでもなく、ただ自分の体力と技術のみで剣術を磨きあげてきたのである。その過ごしてきた時間の濃密さが、隙一つない構えからひしひしと伝わってくるのだ。

 腕力、身のこなしの敏捷性といった身体能力と刀剣を扱う技術を総合的に考えれば、武器一つという同じ条件下の純粋な接近戦だけなら自分が負けるだろう。

 その意味で部下とはいえ、ヘレナは順四朗を高く評価していたのである。



 "日本に行くことが決まった時は本意では無かったが......何でも実際に自分の目で見てみないとダメだな"



 順四朗への敬意を刃へ伝えて、ヘレナは間合いを一歩詰めた。

 血の昂りが緊張感と混じり合い、体に動けと命じるようであった。

 自分は好戦的な性格かと問われれば、迷うことなく「(ヤー)」と答える程度の自覚はある。それは怪異に対峙する宿命を持つ魔女の血を引くヘレナにとっては好都合であったが――こうした形でそれに付き合わされる部下には、ちょっと申し訳ないと思わなくもない。



 この練習を持ち込んだのは自分だ。ならば、やはり自分から仕掛けねば理屈に合わない。

 そう断じた結果、ヘレナは先に動いた。

 静から動へ、瞬間的な加速度の高さを見せつけるように鋭く順四朗の右側へ回り込む。



「はっええー!」



 びびりながらも順四朗が防御する。

 五分、つまり約半分まで速度を抑えてはいるのに十分並みの剣士の全力に匹敵する速度なのだ。

 訓練で出くわす速度ではない。

 だが、それを防ぐだけの技術が順四朗にあるのもまた事実であった。



「全くお前は! ほんとはびびってなどないだろうに!」



「んなこと無いですわ、隊長! 買いかぶり過ぎやろ!」



 空気を切り裂く擦過音が連続し、縦横無尽にヘレナの闘光剣(リヒトデーゲン)が唸りをあげる。対象物があっという間に細切れになってもおかしくない――そんな勢いと速度で放たれる連剣だ。

 右と見れば左、左と見れば上......上、と見せかけて下、そのまま行き過ぎて今度は斜めに袈裟懸けという多重攻撃は、剣の軌跡からなる光条をまるで檻のように生み出していく。



 だが、これを必死に防御する順四朗もけして負けてはいなかった。

 自分から仕掛けることこそほとんど無いが、日本刀の尺を活かし突き放すように間合いを保ちつつ、剣閃で難攻不落の鉄壁の空間を築く。

 魔術による光剣と鍛造の粋を尽くした日本刀は、二人の卓越した武芸者の間を舞うように切り結んだ。

 離れてはまた穿ち、近づいては斬り合う。甲高い刃音が共鳴しあうように響く。



「っ、はっ、とっ! 聞いてもいいですか!?」



「何をだ、順四朗! せやっ!」



 息継ぎの合間を縫い、順四朗が問う。



「その新入りってどんな奴です?」



「銃使いらしいぞっ、と」



「――らしい?」



 ギィンと狂桜(くるいざくら)が主の心を代弁するように鳴った。だがヘレナは意に介さず話し続ける。



「ああ、昨日神谷バアで飲んでたらな、たまたま話が弾んでだな!」



「ちょっとちょっと! それ、まさかですね!」



「無駄口が多いぞ、怪我しても構わぬと!?」



 聞き捨てならぬヘレナの言葉に、順四朗の動きが鈍る。そこへ容赦なく横殴りに闘光剣(リヒトデーゲン)を叩きつけるヘレナは、誰がどう見ても鬼隊長であろう。



 それを何とかいなしつつ、順四朗は必死で訴える。健気である。



「まさか、それって勧誘かけただけで入隊試験も何も――」



「――通していないさ、そんな悠長なことしてられるか!」



「隊長おぉぉぉ! 無理っしょ、うちら、警視庁一の武闘派の特務課第三隊っすよ!」



 順四朗の泣きたくなる気持ちも無理はない。

 あろうことか、ヘレナは能力を測る為の入隊試験もやらずに、無理矢理どこの誰とも分からぬ者を勧誘したのである。

 そんな有象無象が何の役に立つだろうか。



「無理は承知だ、唐変木が!」



「誰が唐変木やねん!?」



 カカカカッと数合切り結びつつ、ヘレナが距離を取る。十分以上の激しい訓練にも関わらず、汗一つかいていない涼しげな顔で更に言い放った。



「いいか、新設された故に隊員募集の予算もなく、また知名度も無い為に警視庁の新人がうちを希望もしてこない! なのにだ、やたらと入隊条件だけは厳しくお偉方から押し付けられてはなっ」



 苛立ちが乗り移ったのか、光の刃が輝きを増した。スッとそれを構えつつ、ヘレナが再び間合いへと進入する。



「いつ人が来るかも分からず、なのに山のように業務だけ増える状況なのだぞ、私はやってられんのだよ!」



「そりゃそうやけどねっ、うおっと」



「だから多少見込みがありそうならば、無理矢理にでも引きずりこんでだな! 見習いという立場で鍛えてやればいいんだ、それくらいの権限はあるっ!」



 一合ごとにヘレナの剣撃が力強くなる。

 それを捌きつつ、順四朗は顔をひきつらせていた。

 何ということだろう、これではその新人とやらは、ろくな説明も受けずに無理矢理ヘレナに引きずりこまれるような物だ。

 神谷バアで会ったのならば、酒の力を借りて承諾させたのかもしれぬ。仮にも警官がやることではない。



「隊長ぉ、やっぱそれはまずいっすわ!」



 儚い抵抗の意志を込めた日本刀の一撃は十分に鋭い。

 だがその銀の軌跡をヘレナは闘光剣(リヒトデーゲン)で受け止める。そのまま鍔迫り合いながら、ヘレナは力強く言い切った。



「大体たった二人でこなせる物では無いのだ、帝都の治安という物はああああ!!」



 よほど腹に据えかねていたのだろう。その美しい顔を朱に染めて怒鳴りつつ、遂にヘレナは鍔迫り合いを制した。

 地面に捩じ伏せられかけた順四朗が「参りました」と言うのを聞いて、ようやく力を抜く。

 大きく息を吐きながら庭に立つ柳にもたれると、ヘレナの金色の髪に柳の葉がさらさらと触れた。



 体に満ちていた闘志の裏に隠れていた現状への不満、そして重圧が――大きな吐息と共に出ていく気がした。

 訓練を終わらせる合図に闘光剣(リヒトデーゲン)をヘレナが消すと、順四朗も狂桜(くるいざくら)を鞘に納める。

 ようやく終わったかという安堵とヘレナの無茶な新人入隊策に対する懸念、両方が混じった複雑な表情だ。



「まあ......隊長の気持ちも分からんじゃないし、己もこれ以上は言わへんけどさ」



「流石私の部下だな」



 力強く頷くヘレナがやけにいい笑顔をしている。順四朗とは対照的である。



「今日の午後にはこちらに来るぞ、とりあえずさっさと入隊書に署名をさせねばな」



 こうなるともう止まらない。

 どこの誰とも分からぬ新人に心の中で謝りつつ、順四朗は煙草に火をつけた。

 紫煙をポウと吐き出すと、ようやく少し落ち着いた。半分まで吸ってからそれを消す。

 そこで大事な事を聞き忘れていたことに気がついた。



「その新人の名前、聞いてなかったですわ」



「ああ、銃使いの青年が三嶋一也、そして呪法士の女の子が紅藤小夜子という名だよ。女の子の方は酔い潰れていたので、ろくに私の話など聞いてなかったろうが――まあ問題はないさ」



 どこがだ。しかも二人もいっぺんにとか、今頃初めて聞いたぞ。



 色々とやばいことにならぬといいが。

 そう強く願いつつ、奥村順四朗はヘレナと共に庭を後にするのであった。

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