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君去りし事を思う春

 形容し難い音を立てて、千鶴子が吹っ飛んだ。顎を仰け反らせただけではなく、体ごとだ。

 拘束から解放され喘ぎつつも、一也は信じられない思いであった。

 確かヘレナは脇腹をずっと抑えていたはずだ。

 火之禍津(ヒノマガツ)との激戦で、動くことすらままならぬ傷を負っていたのである。

 しかも左腕は骨折しているのだ。その体でこの屋敷までたどり着き、自分を助けてくれたというのか。



 後退はしたものの、千鶴子は何とか踏みとどまる。

 不気味な黄色の眼でこちらを睨みつけるが、次の瞬間、その顔が更に張り飛ばされた。

 間髪入れぬヘレナの二撃目である。殴り倒した勢いを殺さずに、綺麗な右の回し蹴りを決めたのだ。

 堅い皮長靴(ブウツ)の爪先が、甦った死者のこめかみを貫く。

 速く重い蹴りに、千鶴子の頭蓋が揺れた。



「何処の誰だか知らないがな」



 苦痛に顔が歪んではいる。

 思い通りにならぬ体に、もどかしさは感じてはいる。

 だが、それでも止まらない。



「お前の居場所はここじゃない!」



 千鶴子の後頭部を右手一本で掴む。

 そして容赦なく、そのまま千鶴子の顔面を鉄の扉に叩きつける。

 ゴギィという重い音が、一也の耳に飛び込んできた。

 それが契機になったのか、硬直していた体がようやく動いた。



 "ヘレナ隊長が身を張ってくれたんだ、逃してたまるか"



 負傷した体である。

 素手で動く死体をぶん殴るような暴挙に出て、大丈夫なのだろうか。

 だが懸念は後だ。今はそれよりするべきことがある。

 転がるように、床に落ちた魔銃を拾う。

 流石に息が切れたのか、ヘレナは千鶴子から飛び退いていた。

 やはり急な動きが傷に障ったのだろう、脂汗を流し今にも倒れそうである。

 膝立ちのまま、一也は思わず声をかけた。



「ヘレナさん!」



「私に構う暇があるなら、撃て! 奴が何者か知らないが、敵なんだろう!」



 その返答に弾かれたように、一也は視線を敵に戻す。

 ヘレナの容赦ない三連撃でも、千鶴子は倒れてはいない。

 普通の人間ならば間違いなく昏倒していただろうが、こちらに怒りの形相を向けている。

 鉄扉に打ち付けられた額は割れ、どろりとした血がその顔を汚していた。

 元の顔は整っているだけに、より凄惨さが滲む。

 その顔から血を滴らせたまま、体を前に倒す。まるで獣のような前傾姿勢だ。

 ギィとそれは一声鳴いた。反撃、いや、させてたまるか。



「取っておきの一発、見せてやるよ」



 一也の声と、銃声とどちらが先であったのか。

 片膝を床に着いての射撃姿勢から、一也が最後の一発を撃ち込んだ。射撃の反動を肩で吸収しつつ、弾道の行方を追う。

 当たった。

 水色の光を帯びた呪法内蔵式の弾丸は、千鶴子の胸のど真ん中に命中した。

 血よりも先に、着弾の衝撃に千鶴子が仰け反る。

 出鱈目な奇声があがった。殺しきれていないのか、いや。



「対死霊用の特殊弾――霊殺弾だ。お前にも効くだろう」



 魔銃を下ろしながら、一也が静かに宣告する。

 浄霊祭の時、この弾を時雨を追い掛けていた霊に使った。その時の記憶が甦る。

 通常の命を持たぬ存在を殺す為に特化した弾丸、それが霊殺弾である。当たっただけで済むはずが無い。



 ゥヴヴォオオ、グォォオァァアア!



 くぐもった声を漏らしながら、千鶴子が呻く。

 倒れてはいないが、その足は完全に止まっていた。

 霊殺弾が効いている。被弾箇所が拡がり、ごぼりと黒っぽい血が噴き上がった。

 二次効果はそれだけに留まらず、胸の傷を中心に千鶴子の体が変色していく。



「死体が生き返ったって言っても、ほんとに生きてる訳じゃない。魂が宿らないままじゃ、ただ単に動く死体ってだけだ。霊殺弾の格好の獲物さ」



 呟きながら、一也は千鶴子を凝視する。

 その横でヘレナも見守る中、千鶴子は全身を灰色に染められていた。

 やや白っぽいだけで生者とさほど変わらなかった皮膚は、完全に変質している。その細い指先が、びきりと折れた。



「崩れされ」



 折れた指、被弾した胸から、ぼろぼろと崩壊が始まった。

 灰色に染め上げられた千鶴子の体には、蜘蛛の巣のようなひび割れが走っていた。

 一ヶ所が壊れ始めると、それが呼び水となる。全身がざらざらとした塵へと化していく。

 最後の瞬間、一也は千鶴子と目が合った。

 助けて、と叫んでいるようにも見えたが、きっと気のせいだろう。そう思いたかった。




******




「ヘレナさん、無茶苦茶しますね」



「何がだ?」



「助けてもらっておいて何ですけど、よく素手であんな奴を殴れるなと」



 部屋の壁に背中をもたせかけながら、一也はヘレナに話しかける。

 ヘレナもまた、同じような姿勢であった。

 精も根も使い果たしたというように、疲れた表情をしていた。



「仕方ないだろ、もう闘光剣(リヒトデーゲン)さえ使えないくらい消耗していたんだ。後はもう、殴るくらいしか出来ないだろうが」



「いや、それにしても」



「Ende gut、alles gut だ。分かるよな?」



「終わり良ければ全て良し、ですかね」



(ヤー)、だからいいんだよ。それにだ」



 一度話すのを止め、ヘレナは表情を緩めた。何とも言えない優しげな、それでいてどこか照れ臭そうな顔である。



「......一日に二度も部下を死なせるような真似は、したくなかったんだよ。そういうことさ」



「――ありがとうございます」



 一也は深々と頭を下げた。ヘレナの顔は少し赤い。



「一々礼なんか必要ない。そもそも君が火之禍津(ヒノマガツ)を倒してなかったら、私達は全滅していたんだ。やるべきことをお互いやったというだけさ、うん」



 話を打ちきり、ヘレナは視線を一也から外した。部屋の中央辺りには、まだ九留島子爵の首が転がったままだ。「あれはさっきの奴にやられたのかい」というヘレナの問いに、一也は頷く。



「そうですね。さっき簡単に報告した通り、そこの鉄扉の向こうに階段があります。それを降りた先の地下通路で、千鶴子――ああ、九留島子爵がそう呼んでいたんですけど、が九留島子爵を襲って、殺害しました。M4で怯ませてから俺は一度撤退したので、そこからは見ていませんが」



「ふうん、その千鶴子とやらがさっきの動く死体で、君が撤退した後、追いかける前に九留島子爵に止めをさしたのか。まだ息があったのかな」



「ちょっとそこまでは。けど、首の損傷から見て、喰ったように見えるんですよね」



「喰っただと?」



 顔をしかめたヘレナに、一也は頷く。



「ええ、最初九留島子爵を襲った時も、血を啜っていたように見えましたし。俺もヘレナさんが助けてくれなかったら、多分やられてましたよ」



「ぞっとしないね。いや、それにしてもだ、この後どう解決したものか」



「え、これで解決じゃ......」



「ないよ。千鶴子とやらが何者なのかは不明だし、ああ、多分九留島子爵の亡くなった妻なんだろうけどね。火之禍津(ヒノマガツ)のような軍事兵器をどうやって開発したのか、陸軍はこの事を把握していたのか、そもそもこの秩父で管理されていた流刑囚は何処にいるのか。突き詰めれば、未解決事項は山ほどあるだろ?」



「あっ」



 完全に失念していた。

 もっとも命あっての物種である。後からどうとでもなると言えばなるのだが。

 一也は苦い顔になった。

 そもそも秩父まで来たのは、九留島子爵の法令違反の調査の為である。

 衝突してから理由を後付けで探したようなものだが、けして無視出来る物ではない。

 そして事件の全容を知る男は、首一つで部屋の床に転がっている。



「あの場で確保だけはしておくべきだったのかな、いや、でもそんな余裕も無かったか」



「難儀なことになりそうだが、とにかく動こう。順四朗と小夜子君はどうした?」



「そうだ、あの二人と合流しないと」



 迂闊にも忘れかけていた。

 集中力が失われているのだろうか、一也は思わず舌打ちした。

 魔銃とM4カービン改の二挺を背負い、立ち上がる。



「無事ですよね、二人とも」



「そう信じたいね。君に会うまで、私は小夜子君を見ていない。順四朗は高城清和と一騎討ちだった」



「まずいじゃないですか......」



「そうだな、楽観は出来ないな」



 ふらふらと立ち上がり、ヘレナはようやく歩き出した。そのあまりに遅い歩みに、一也は不安になる。



「大丈夫ですか、俺一人で屋敷見てきた方がいいんじゃ」



「いや、いい。こんな気持ちの悪い部屋に一人でいたくないしな」



 通路の壁にもたれるようにして、ヘレナはゆっくりと進む。

「こっちが玄関の方です」という一也の言葉に頷いた後、彼女はほんの少し考え込むような顔になる。



「どうかしたんですか、ヘレナさん」



「いや、何。君が殉職していたら、私はどうしていただろうと思ってな......時雨さんには何と言っていいか分からないが」



 時雨の名に、一也は目を伏せる。

 もう彼女はいない。ただ消えただけではなく、一也を蘇生させる為に我が身を犠牲にして消失したのだ。

 胸の内に込み上げてくる感情に、視界が霞みそうになる。



「涙はまだ取っておこう。あの二人の安否を確認してからでも遅くはない」



「――はい」




******




 事件は解決に向けて、ゆっくりと、だが確実に動いてゆく。

 九留島子爵の忠実な部下であり、唯一の生存者である高城美憂がその情報源となった。



 どのように流刑囚を扱っていたのか。

 九留島子爵はいつからこのような兵器を開発していたのか。

 死人の魂を兵器に転用する技術は、現実化しつつあったのか。

 千鶴子と呼ばれたあの死体は、何故屋敷の地下に保管されていたのか。

 あれはそもそも誰なのか。



 これらの残された謎を全て解明するには、第三隊の手だけでは終えず、結局警視庁本庁の救援を仰ぐことになった。

 だが、それを全て記しても、事件の後始末を文字の羅列として読み進めるだけとなる。

 今はただ、第三隊の四人の奮闘ぶりを心に留めておくことにしよう。

 渦中にいた一也達でさえ、事件の全容を理解するには酷く苦労したのだから。






 緩やかな春風が、秩父から東へと吹いていく。風が行き着く先は、帝都東京であろうか。

 その風を追うように、一台の自動車(オウトモオビル)が街道を走っていく。

 時折、ぽうと蒸気を吐き出して。がたごとと、がたごとと。



「相変わらず乗り心地悪い乗り物やなあ、便利やけどね」



「文句言うなら、お前だけ歩いて帰るか?」



「いや、最高やね、この自動車(オウトモオビル)っちゅうのは! 文明開化万歳やな!」



 後部座席での順四朗とヘレナの掛け合いに、運転席の一也は微笑した。助手席の小夜子は、真っ直ぐに前を向いている。



「何か、静かですよね」



「......一人足りないからね」



 一也の反応に、小夜子は何とも言えない顔になった。いた時は煩いと思っていたが、いざ居なくなると何か物足りない。



「東京に戻ったら、四人で時雨さんのお墓参りに行きましょうよ。私達、それぐらいしか出来ないですし」



 小夜子の提案に対して、反対する理由も無かった。

「ああ、そうだね」と答えつつ、一也はクラクションを鳴らす。

 ポウンという柔らかな響きは、きっと天まで届くだろう。

 そう願わずにはいられなかった。

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