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公爵閣下と夜のお話


言質(げんち)は取った)


 アーヴィンの前にはぐっすりと眠る少女がいる。

 彼女の名前はエリー。しばらく前に恋人になった、世界で一番愛しい少女だ。

 今は夜。正確に言えば真夜中に近い。屋敷は静寂に包まれて、月の光が差し込んでいる。


「ん……」


 エリーが身じろぎ、唇から小さな吐息が漏れる。

 ぴくりとアーヴィンが反応したが、その顔はいたって通常通りだ。間違っても妙な感情を抱いているようには見えない。もちろん、まったく抱いていないのだから当然だ。


(今日は……よく眠っているな)


 目を閉じたエリーは、普段よりも少し幼い。無防備な寝顔のせいだろうか。その顔を見ていると、なぜか胸が騒ぐ。サイラス曰く、特に病気ではないそうだ。それはよかった。


 彼女が悪夢にうなされていると気づいたのは、少し前の事だった。

 その日も離れに泊まり込み、仮眠を取っていた時の事だ。

 近くにいたエリーが身じろいで、首を振った。


「……や……」


 寝ぼけているのかと思ったが、そうではない。

 彼女は小さく首を振り、苦しげに眉を寄せている。


「やめて……。お姉、さ、ま……」


 その単語には聞き覚えがあった。

 ジャクリーン・ブランシール。

 エリーの実の姉であり、長年にわたってエリーを虐げていた、悪の元凶。


 幼いエリーをこき使い、魔力と自尊心を根こそぎ奪った。できないと泣くエリーに手を上げ、失敗すれば容赦なく魔力を流し込んだ。それが尋常でない苦痛を与えると分かっていてだ。

 あれほど自己愛に満ちた人間をアーヴィンは知らない。そして、他者の苦痛を思いやれない人間も。


 それを思うと、今でも少々腹が煮える。

 やはりもう少し()めつけておくべきだったかと思ったが、すぐに首を振る。その手の事に自分は向かない。別にやさしいわけではなく、得手不得手の問題だ。


 加減が分からない人間が、いたずらに行うべきではない。

 アーヴィンが得意なのは魔導具で、人体には不慣れだ。下手をすると、やり過ぎてしまう危険がある。サイラスもそれを知っていて、やんわりと選手交代を告げた。


 ――最後の温情ってやつですね。大丈夫、適材適所って言うでしょう?


 自分に任せてくれと朗らかに告げる。その目の奥にひそむ色には、あまり気づかれる事がない。


 命は奪わない。後悔はさせる。再発は防止する。改心は応相談。

 己を(かえり)みて、した事を反省させられれば上等だ。できればその身に返るといい。苛烈でもなく、過小でもなく、やった分だけ確実に。


 そんな事を思う自分は、やはりやさしくないのだろうと思う。


 エリーにはとても聞かせられない。サイラスもそれは同じなのか、近ごろ彼女には(こと)に甘い。しょっちゅう菓子を買ってきている上、五回に一回は二人だけでお茶をしている。もちろん、正当な理由を用意してだ。割とひどいと思うのだが、エリーも喜んでいるようなので、強くは言えない。今度は自分も菓子を買おうと心に誓う。そしてエリーとお茶をするのだ、二人きりで。


 そう思ったところで、はたと気づく。話がそれた。


 彼がジャクリーンに何をしたのか、大体の事は知っている。

 ほとんど自業自得で結論のつく、分かりやすい結末だった。最後まで反省しなかったのはある意味すごい。後悔と反省は別物だ。後悔は自分への嘆きであり、反省は行いに対する嘆きだ。ジャクリーンは己の行いを後悔したが、とうとう反省はしなかった。いっそあっぱれな性格だ。褒めてはいないが、根性はある。


 彼女は己の手によって魔力を失い、美貌を失い、エリーへの隷属が決定した。もっとも、エリーがそれを行使する事はないだろう。これは単に、彼女を傷つけさせないための予防策だ。


 ジャクリーンはひどく怯えていたが、馬鹿な事だとアーヴィンは思う。

 エリーがそんな真似をするはずがない。彼女は天使で聖女で女神である。

 せいぜい再会の日まで、ゆっくり怯えているといい。そう思ってしまう自分は、やはりやさしくないのだろう。だからこそ、その後のエリーの行動を見て意表を突かれた。


 あれは事件後、ジャクリーンと初めて再会した日の事だ。


 エリーはジャクリーンの傷を癒し、元の顔を取り戻した。


 計算したわけではない。恩を売ろうとしたわけでもない。勝手に体が動いてしまったのだと、困った顔で笑っていた。


 そして――その結果、あれほどまでに(かたく)なだったジャクリーンは崩れ落ち、子供のように号泣した。


 安堵が八割、反省が二割程度だろうが、それでも彼女は謝罪した。

 ごめんなさいと、くり返し告げる姿には、確かに何かが芽生えていた――ように、思う。


 その瞬間、胸に湧き上がってきたものは――純粋な感動だった。


 エリーはすごい。


 自分には真似できない事だと、素直に思える。

 膨大な魔力量や、魔力付与の才能だけではない。もっと尊い、得難いものが彼女にはある。


 どす黒いものを抱える自分達と違い、エリーは笑う。

 そう、笑うのだ。何があろうと、無邪気な顔で。


 ――お姉さま、元気で暮らしているでしょうか。


 その言葉に裏はない。普通に姉を案じている。

 お人好し過ぎるし、警戒心がなさすぎる。自分にはとても真似できない。


 素直で、だまされやすくて、一生懸命な自分の恋人。

 だからあんな目に遭ったのに、今も同じ顔で笑う。

 次はもっと気をつけますと言っていたが、次も同じ目に遭うだろう。何しろ彼女は筋金入りのお人好しだ。もちろん、させるつもりはないが。

 そっと息をつくと、エリーがわずかに眉を寄せた。


「ん……」


 苦しげな呼吸は、最初に彼女を拾った時のものとよく似ている。

 だから今夜、自分が来た。


「……君の苦しさを、私にも分けてほしい」


 ひっそりと囁くと、アーヴィンは魔導具を取り出した。

 灰と銀で(いろど)られた、小さな鎖だ。細長い鎖の両端に同じ色合いの指輪がある。

 そのうち片方を指に嵌め、もう片方をエリーに嵌める。そうしてから、アーヴィンはゆっくりと魔力を流し込んだ。


 これはジャクリーンのものとは違う。慎重に、慎重に、万が一にもエリーを起こさないように、細心の注意を払って行う。

 魔力は鎖を伝っていき、エリーの指に到達する。それと同時に、エリーの指輪が輝いた。


 その体から黒いもやのようなものが抜けて、鎖を伝って戻ってくる。アーヴィンの指に戻るまでに、黒い色は徐々に薄れ、うっすらとした白灰色に変わる。そしてアーヴィンの指輪に触れた後、ポウッと光って消えていった。


(……成功か)


 まだ改良の余地があるものの、とりあえず悪夢は去ったらしい。

 ほっと息を吐き、アーヴィンは枕元に腰を下ろした。

 エリーはすやすやと寝入っている。指輪が淡く輝いて、悪夢を吸っては吐き出していく。


 この鎖でつながっている間、エリーは悪夢を見ない。

 元王宮魔術師の名に恥じない最高傑作だ。時間も技術も思う存分注ぎ込んである。ついでに言えば、魔力もだ。サイラスが若干引いた顔をしていたが、なぜだろう。エリーの安眠は最優先かつ最重要課題だ。


 自分の魔力を介そうと思いついたのは、ちょっとした思いつきだった。

 魔除けと違い、エリーの内面に関わるものだ。だからこれを使える人間は限られる。魔力でなくとも構わないが、その場合は相応の精神力が必要となる。


 サイラスでも成功するかもしれないが、これをするのは自分がいい。

 だから今日の朝、ちゃんと本人に頼んだのだが、了承してはもらえなかった。


 本来ならエリーの許可が必要だ。けれど、言い方がまずかったのか、エリーは顔を真っ赤にし、完全にへそを曲げてしまった。サイラスがあーあという顔をしていたので、何かやらかしたのは自覚した。


 一緒に眠るというのがいけなかったのだろうか。同じベッドで寝ようと言うべきだったか? 言葉というのは難しい。一応言質は取っておいたが、正式な許可とは言いがたい。エリーに知られたら怒られる。けれど、夢は今夜も見る。できればなんとかしてやりたい。


 後で怒られても構わないから、彼女の苦痛を取り除きたい。

 正直にそう告げたら、エリーはなんと答えるだろう。


(……眠い)


 うと、とアーヴィンが目を閉じる。

 この魔導具を調整するため、しばらく睡眠不足だった。エリーに効いて何よりだが、とにかく眠い。魔力が混じり合っているせいかもしれない。


 エリーの魔力はやさしくて、あたたかくて、触れていると心地いい。

 彼女を傷つけるものはすべて潰す。何があろうと、目の前から取り除く。

 だからもう二度と、苦しい夢は見ないでいい。


「おやすみ、エリー」


 アーヴィンの口元に微笑みが浮かび、そっと額にキスを落とす。

 どうか今夜はいい夢を。

 やさしい月明かりの下、二つの影は離れなかった。



    ***



 翌日、自分の部屋でアーヴィンが熟睡しているのに気づき、エリーが声にならない悲鳴を上げるのだが――それはまだ、先のお話。


お読みいただきありがとうございます。その後お説教を食らいました。


*書籍版をお読みくださった方がいらっしゃいましたら、どうもありがとうございます。書き下ろしと加筆いっぱいしたので、楽しんでいただけたら幸いです。

まだお読みでない方は、よかったら試し読み部分だけでもご覧いただけると嬉しいです。無料分もありますよ! 加筆分がいっぱい読める(読んでほしい)!


*コミカライズの第2話にて閣下が登場しました。よかったらぜひご覧になってくださいね。樋口先生ありがとうございます!


(※コミカライズの掲載はTL誌です。ご購入・閲覧の際には、事前に十分内容をご確認ください。大丈夫な方はぜひどうぞ!)

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