27.「私も、好きです」
***
***
ジャクリーンはしばらくの幽閉の後、市井で暮らす事になった。
監視はつくが、罪人というわけではない。それでも贅沢三昧していたジャクリーンにとっては辛い生活となるだろう。
両親も保養地から戻ってきて、ジャクリーンと共に暮らす事になった。
何度かエリーに面会を望まれたが、アーヴィンがきっぱりと断った。曰く、「手紙なら受け取るが、直接会うのはまだ早い」との事だ。自分でもそんな気がしたので、エリーもおとなしく頷いた。
今は諸々の事後処理を行うアーヴィンを待って、サイラスと一緒にいる。
場所は公爵家別邸の中庭だ。芝生が瑞々しく、辺りには薔薇の香りが漂っている。
「お姉さま、大丈夫でしょうか」
最後に会ったジャクリーンの様子は一変していた。
自慢の赤毛は失われ、肌も爪も干からびて、老婆のようになっていたのだ。ジャクリーンは魂の抜けたような顔をしていた。
アーヴィンに止められたが、エリーは思わず回復魔法をかけてしまった。
今は魔力付与だけでなく、色々な魔法を試している。回復魔法もそのひとつだ。
ジャクリーンの手を取り、癒しの魔力を込めていく。
一瞬びくりとしたが、振り払われはしなかった。
「君はお人好しすぎる」
呆れた顔で言われたが、どうしようもない。
あの姿を見た瞬間、体が勝手に動いたのだ。
やさしい光が染み渡り、ジャクリーンの肌に染み込んでいく。
淡い輝きが消えた時、顔のしわは消えていた。
「大丈夫ですよ、お姉さま。元通りです」
「……え……」
ジャクリーンがのろのろと顔を上げる。
「魔力は使えなくなったって聞きました。他に痛いところはありますか? 治すところは?」
甘いと言われてもしょうがない。
けれど、これが自分だ。許したわけではないけれど、見捨ててしまう事はできなかった。
ジャクリーンはした分の罰を受けた。そして、これからもそれは続く。おそらく、気が遠くなるほどの長い時間。
だから、顔くらいは元通りでもいいだろう。
「……う、あ……っ」
自分の顔に触れ、ジャクリーンは信じられないという表情を浮かべた。
近くにいたサイラスが手鏡を差し出すと、ひったくるようにして受け取り、食い入るように見つめる。その目から涙があふれ、ぼろぼろとこぼれ落ちた。
「うぁ……あ、ああああっ……!」
あたしの顔が、と繰り返す。
「元に……もとに、戻った……っ」
「そうですね。元のままです」
髪の色は褪せ、鮮やかな輝きは失われてしまったが、以前と同じジャクリーンの顔だ。
魔力が使えなくなった今は、肌がくすみ、日焼けのシミも残っている。瞳は以前のエリーによく似た灰混じりで、絶世の美女だった姉の姿はない。けれど、年相応の若さを取り戻した顔は、先ほどよりもずっとましだ。
二度と元に戻らないと思っていた絶望の時間が、この上ない罰となっただろう。
自分の美貌を何よりも大切にしていたジャクリーンにとってはなおさらだ。それはジャクリーンの様子を見れば明らかだった。
「あたしの、顔……っ」
よほどほっとしたのか、ジャクリーンはそれしか口にしない。
サイラスが若干「反省してんのかコラ」という目をしているが、エリーは知っている。これはジャクリーンが本気で泣いている時の顔だ。
あれはいつの話だったか。
まだジャクリーンがすべてをエリーのせいにする前の、遠い記憶。
もうずいぶん昔の話だけれど。
「……ご、ごめ……っ」
「お姉さま?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、エリー……!」
しゃくりあげ、嗚咽を漏らし、わあわあと子供のように泣き叫ぶ。
そういえば、姉は子供のようだった。
わがままで、乱暴で、自分さえよければいい子供。
ちっぽけな女王様だった姉はもういない。いるのはただ、魔力を失ったひとりの女性だ。
「元気で暮らしてくださいね。手紙を書きます」
「わ、わかっ……」
「父さんと母さんにもよろしく伝えてください。どうか風邪を引かないように」
「分かったわよ、もう……っ」
ごめんなさいと、繰り返しエリーに謝罪する。
それを信じてもいいと思うくらい、不器用な謝り方だった。
彼女が去った後で、サイラスがジャクリーンの調査をしていた事が明かされた。
なんでも、魔力付与の不正の証拠を集めたり、エリーの虐待について調べていたらしい。ジャクリーンの処分が比較的速やかに決まったのも、そういった背景があったようだ。ついでに言えば、彼女を屋敷に忍び込ませるよう仕組んだのもサイラスで、後に丁重にお詫びされた。
それは別に構わない。むしろ、面倒な事をすべてこなしてくれた彼には感謝しかない。
ちなみにジャクリーン達が暮らすのは元の家だ。そちらもサイラスが手配してくれた。しばらくは近所の好奇の目が辛いだろうが、それくらいは我慢してほしい。「しっかり噂話は広めておいたからねー」というセリフは聞かなかった事にする。
ジャクリーンの工房は閉鎖となり、魔力付与していたのはジャクリーン以外の人間だったと公にされた。
大々的にエリーをお披露目するという話もあったが、全力で拒否した。
だが、じわじわと噂は広がり、ジャクリーン・ブランシールの「幻の妹」は、今やちょっとした有名人だ。
「そういえば、閣下が落ち込んでたよ。せっかくの守護が効かなかったって」
「守護?」
「指輪と別に、おでこにさ。キスされただろう?」
「あ、あれ……」
そうだったのか。
謎が解けてほっとしたが、同時にやっぱり深い意味はなかったのかと思って気が抜けた。
勘違いする前でよかった。できるだけ早く忘れよう。
そんな事を思っていると、「エリー?」と名前を呼ばれた。
「なんでもありません。サイラス様にもお世話になりました」
ありがとうございますと頭を下げると、彼は軽薄な顔で笑った。
「いいって、そんなの。前にも言った通り、ああいうのは俺の方が適任だからね」
「そうなんですか?」
「そうですとも。……って、噂をすれば閣下だ」
サイラスが目をやった先に、アーヴィンが歩いてくるのが見えた。
「じゃあ俺はこれで。うまくやりなよ、エリー」
「え、何が?」
答える間もなくサイラスは行ってしまい、後にはきょとんとする二人が残された。
「何の話をしていたんだ?」
「お姉さまの話です。……あの、閣下。ありがとうございます」
頭を下げると、アーヴィンは戸惑った顔になった。
「何がだ?」
「あの……守護を、かけてくださったとか。おでこに、その……」
「……サイラスのやつ」
ちっと舌打ちが聞こえた気がしたが、気のせいだろうか。アーヴィンは相変わらずの無表情だ。
「魔力が足りず、君に怪我をさせてしまった。申し訳ない」
「そんなことないです。お姉さまの魔力に耐えられたのは閣下のおかげです」
「だが、痛かっただろう」
手を取られ、真顔で見つめられる。相変わらず、ものすごい至近距離で。
「近い近い近すぎます」
「君にだけだ。問題はない」
「ありますよ! ごっ……」
――誤解しちゃうじゃないですか。
喉まで出かかった言葉を呑み込み、むぐっと詰まる。
「ご?」
「……な、なんでもないです」
目をそらしたが、視線は外れない。むしろ目力が増し、じっとこちらを見つめてくる。規格外の美貌の主にそんな真似をされると落ち着かなくて、エリーは空いている腕を突っ張った。
「だから……近いです、閣下」
「君にだけだと言った。問題はない」
「ありますってば」
押し問答しているうちに、アーヴィンはつと眉を寄せた。やけに深刻な顔で言う。
「……やはり、怪我をさせてしまったからか」
「閣下?」
「君を守り切ることができなかったから、私を避けるのか。それも当然だ。申し訳ない」
「ち……違いますよ! 閣下の守護は役に立ったし、感謝しかないです」
「だが君は私のことが嫌だと言う」
「言ってませんよ! むしろ好……」
き、と言う直前でふたたび詰まる。アーヴィンが不思議そうな顔をしている。
「す?」
「……いえなんでもないです」
「そうか。ちなみに、私は君のことが好きだ」
「……え?」
一瞬ぎょっとしたが、すぐにエリーは「語弊だ」と悟った。
(びっくりした、本気で信じそうになってしまった……)
「どうした、エリー」
「いえ、相変わらず語弊がひどいです」
「語弊ではない。君が好きだ」
「それを語弊と言います」
片腕を突っ張ったままのエリーに、アーヴィンが手首をつかんでくる。強い力ではないのに、振りほどけない。顔が近づいてびくりとする。
「間違っていない言葉を告げるのは語弊ではない。従って、私の言葉も語弊ではない」
「な……」
「私は君のことが好きだ。私を嫌いならそう言ってくれ。あきらめはしないが、一旦引く。十秒待つ。十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。よし分かった、君は私のことが嫌いではない」
「待って待って待ってください」
「待たない。君の返事を」
「へ、返事?」
「私は君のことが好きだ。私を受け入れてくれるだろうか」
真顔で告げるアーヴィンは、恥じらいのかけらもない。これはやはり、恋愛とは違う「好き」だろう。
(つまり、これは行動弊……)
一瞬でそう判断すると、エリーは小さくため息をついた。落ち着けと自分を戒めつつ、それに基づいた返事をする。
「受け入れるも何も、私も同じ気持ちですよ」
「そうなのか?」
「もちろんです」
魔導具研究の助手として、アーヴィンの事は尊敬している。それを好きと言うならそうだろう。エリーが一方的にどきどきしたり、顔が赤くなるのを除けば、その「好き」は許容範囲だ。
別の意味で好きなのは、絶対に隠し通さなければ。
「……そうか」
次の瞬間、その顔がさらに近づいた。
「近い」と言う間もなく、視界いっぱいに顔が広がる。
何、と思う間もなかった。
唇が近づき、そして重なる。
触れるだけの軽いキスをして、唇はすぐに離れていった。
「君も同じ気持ちなら問題ないな。末永くよろしく頼む、エリー」
「…………え」
「君は私のことが好きだと言っただろう?」
私もそうだ、と。
瞳に瞬く星が見える距離で、甘く囁く。
「私も君のことが好きだ。付け加えるなら、今のような意味で」
「え……?」
「愛している、エリー」
え。
え。
え。
「ええええええっ!?」
思わず叫んだエリーに、「なぜ驚く?」とアーヴィンが不可解な顔をした。
「だ、だって、行動弊っ……」
「語弊でも行動弊でもない。何度言えば分かるんだ。私は君を愛している。疑うなら、その根拠を上から述べようか?」
「いいですいいですやめてください、心臓がもちません!」
「君は努力家で、心やさしく、おいしそうにものを食べる。照れた時にはにかむ様子が可愛らしく、魔力付与における真摯な態度に好感を持ち……」
「だからもうやめてください……!」
「――だが、何より心惹かれたのは、姉への回復魔法だった」
え、とエリーが目を瞬く。アーヴィンは静かな瞳でエリーを見ている。
この目は以前に見た事がある。
確か、ジャクリーンが大暴れした時だ。あの時もアーヴィンはこんな顔をしていた。
「彼女を許すつもりはなかった。君の姉は邪悪で愚かで、ここで止めなければいけない人物だと思った。今でもその認識に変わりはない。ジャクリーン・ブランシールは危険人物だ」
それなのに、と息を吐く。
「君は、ためらわずに彼女を救ってみせた」
「すみません、あれは……」
「謝る必要はない。あれが私の認識を変えた」
首を振り、エリーの事を見つめる。その目に小さな光が瞬いて、やさしく消えた。
「あの魔法は美しかった。あの色合いは君にしか出せない。その色が私の心を打った」
「閣下……」
「どうしようもない悪人は存在する。慈悲を持たぬ方がいい相手もいると私は思う。だが――」
そこでエリーの手を取ったまま、右手の甲にキスをする。
「……やさしさで救えるものもあるのではないかと思った。それだけだ」
そしてそれが君に惹かれていると気づいた瞬間だ、と。
甘い顔で、甘い声で、この上なく甘く囁く。
ジャクリーンは自らの魔力だけでなく、他者の魔力も受けつけない身体になってしまった。唯一の例外は、隷属魔法を刻んだエリーだけだ。
もっと痛めつける事もできたし、ここぞとばかりに復讐する事もできた。実際、そうなってもおかしくなかった。それほどひどい目に遭わされてきたのだ。サイラスもそう言っていたし、アーヴィンも止めるつもりはなかった。
だが、エリーはジャクリーンの傷を癒し、涙と謝罪を引き出した。
人によっては甘すぎる処置だと言われるかもしれない。
けれど、それがあの暴君のような姉の、心のどこかを刺激したのだ。
「その甘さも含めて、私は君のことが好きだ」
「もう十分です……あと距離が近い」
「近くても問題ないだろう。最初から君だけだと言っている」
「だから近いですってば……!」
両手を握られたまま、至近距離で話す姿は、ダンスの一種に見えただろう。腕を突っ張って逃げる事もできず、エリーは真っ赤な顔で目をそむけた。
(恥ずかしい……)
もはや顔が見られない。だが、逃がしてくれる気もないようだ。
掴まれた手首が熱くて、心臓の音がうるさく響く。
どうしようと思っていると、ふわりといい香りがした。
(あ、この匂い……)
何度も嗅いだ甘い香り。エリーの好きな匂いだ。
その香りの主に追い詰められて、エリーはとうとう観念した。
「……閣下、お耳を貸してください」
「なんだ?」
「もう少し……近くに来てください」
いつもとは逆の事を言い、顔を近づけたアーヴィンにひとつ頷く。
すー、はー、すー、と深呼吸し、一度だけ目を閉じる。
「あのですね……」
――そしてエリーは短い言葉を口にした。
了
お読みいただきありがとうございました!
心の中でダ〇ョウ倶楽部が消えず、どうしようかと思いました。彼らを思い出す時はいつも笑顔がいいですね。ヤーッ!!
*******
*皆様のおかげで書籍化していただける事になりました!
※詳しくは活動報告をどうぞ。




