73.月下の邂逅
総力戦。ナルトリア王国の軍隊をすべて王都に戻して防衛にあたる。そうライラ様は仰せになりました。
私を守るというよりは、宝剣を守り抜くという意味合いが強いみたいです。
宝剣を奪われて、大陸中が恐怖の底に陥れられるようなことがあってはなりませんからね。
ライラ様との会食が終わって、私はお姉様と自室に戻ろうとしていました。
また夜になりましたが、お姉様に寝ずの番をしてもらうのは何とも心苦しいです。
「シルヴィア、ちょっといいか。二人で話がしたいんだが」
「二人で、ですか?」
「……ああ、わたくしがお邪魔ってわけですね。どうぞご勝手に。元婚約者と妹が仲睦まじくしているところに横入りするほど野暮ではありませんの」
チラッとイザベラお姉様に視線を送るフェルナンド様に対して彼女は背を向けて手を振りました。
お姉様はフェルナンド様に飽きてしまったと婚約破棄しましたが、それが本音だったのか今でもわかりません。
私に嫌がらせをするつもりだとも言っていますので、もしかしたら彼女はフェルナンド様を好いていた可能性もあります。
「イザベラにも許可を取ったし、さぁ行こうか」
「行こうかとは、どこにですか?」
「この王宮の屋上さ。静かに話をするにはもってこいの場所なんだ」
ゆっくりと差し出す彼の手を握り、私は屋上へと足を進めました。
いつも思いますがフェルナンド様の手は大きくて、私の頼りない手のひらを包み込んでくれます。手が触れ合っているだけなのに、こんなにも安心できるとは。
階段を登りながら私はフェルナンド様に手を引かれる幸せを噛み締めていました。
◆
「着いたよ。ほら、見てご覧」
「わぁー! きれいですね!」
フェルナンド様の指差すほうを見ると満天の星空。そして、見下ろせば王都の街並みの明かりが点々と……。
ナルトリア王国で一番高い建造物であるこの王宮の屋上から見える景色は夜というキャンパスに描いた光の芸術でした。
「昔、父が国王に許可をとってくれてね。ここに連れてきてもらったことがあったんだ」
「そうだったんですかー」
若くして辺境伯の地位を継いだフェルナンド様。彼の父親であるウィリアム・マークランドは辺境伯としてノルアーニ国王陛下に最も信頼を受けており、他国からの評判もすこぶる良かったと聞いています。
フェルナンド様にとってそんな彼の仕事を引き継ぐというのは並大抵ではなかったと思うのですが、その気苦労を微塵も見せないのは凄いです。
彼は私から見ると完璧な人で、婚約者となった今でも憧れの人でした。
「今日は私が陛下に許可をいただいた。君とこの景色を見たかったからね。父と約束したんだよ。私が将来、立派に父の跡を引き継ぐと」
「そうだったんですか。では、フェルナンド様はお父様との約束を果たしていますね」
「それはどうかな? 私は君が思っているほど完璧でもなければ、立派でもない。そうありたいとは思っているけどね」
謙遜で言っているわけではない。それは鈍感だと怒られたこともある私でもわかりました。
おそらく、フェルナンド様の思っている完璧は私の思っているそれと比べて程遠く、自分を立派などとはそれこそ一生思われない方なのでしょう。
だからこそ彼は辺境伯の地位を継いだあと、その地位に相応しくあろうと黙々と努力し続けることができているのだと思います。
「すまないことをしたと思っているんだ」
「えっ?」
「ライラ殿下の仰ったことが買い被りでなければ良かったよ。私が馬車に乗る前から行動に移すことが出来れば、君を危険に晒すこともなかった」
会食に誘われて、まんまとルーメリアから来た覆面の男たちと妖者の罠にかかった私たち。
フェルナンド様はもっと早くにそれに気付かなかったことを後悔されているみたいです。
それは私たちも全員がそうなんですから同罪なのでは、と思うのですが責任感の強い彼はそう思っていないみたいです。
「平気ですよ。そんなの全然気にしていません」
「君はそう言うだろうが……」
「フェルナンド様が思っているより私は後ろに隠れて守られるのが上手じゃないみたいです。どちらかと言えば並んで困難を乗り越えたい、というか何というか」
何もしないで、何かに隠れて、ただ震えているだけ。考えてみれば、そういうのは自分には合っていないような気がしました。
「考えてみれば、シルヴィアが大人しくしているなど想像できないな」
「ええ、大人しくできませんから」
「ははは、自信満々にそういうのだから手に負えない。だが、そんな君だから守り甲斐があるのかもしれないね」
気持ちのよい笑い声を上げながら、フェルナンド様はそっと私の髪を撫でます。
まるで私が問題児みたいな言い方ではありませんか。いえ、事実としてそうなのかもしれないですけど……。
「ごめんなさい。大人しくするように努力はしようと思っているんです――」
「いいさ。そんなひたむきな君に惹かれているんだから」
「ええっと、それって。そのう……」
吸い込まれそうなくらい熱っぽい視線を向けられて、私の心臓は彼にまで届くのではないかと錯覚するほど大きな音を鳴り響かせました。
涼やかな夜風も今の私にはなんの意味も持ちません。全身が火傷しそうなほど熱くなっているからです。
「一生懸命なシルヴィアが好きだよ。君と婚約して良かったと心の底から思っている」
「……嬉しいです。フェルナンド様はお姉様の代わりとして仕方なく私と婚約してくれたのだと思っていましたから」
「そうだね。最初の私にそんな気持ちがなかったと言えば嘘になるかもしれない」
自分をお姉様の代わりでなくて、一人の女性として好きだと伝えてくれたフェルナンド様。
私にはそれが嬉しくて堪らなかったのです。
出会ったとき、私にとっての彼は姉の婚約者でいずれは兄と呼ぶ予定の方という認識でしたから恋愛感情はなかったはずです。もちろん、昔から素敵な方でしたので憧れはありましたが……。
しかし、彼と婚約して将来結婚すると決まったとき私の中にあったフェルナンド様への気持ちが急に高まりました。
結局、私は心のどこかで彼をお慕いしているという気持ちを押し殺していたのかもしれません。
お姉様の婚約者だからと自分を言い聞かせて、その気持ちを単なる憧れだとして誤魔化していたのです。
フェルナンド様への好意を自覚したとき、私は単なるお姉様の代用品としてマークランド家に嫁ぐという事実が急に虚しくなりました。
貴族の結婚というものがそういうものだと理解していても心がそれに抵抗を示すようになったのです。
「荒地を豊かな大地に変えようと再生魔法を使ったときの君の横顔は美しかった。そのときまで確かに君はイザベラの妹という認識が強かったが、それからはシルヴィア・ノーマンとして意識するようになったかな」
「そ、そんなに前からですか?」
「……そんなに不思議がることかい?」
「不思議がることです。だってあのフェルナンド様が、ですよ」
近いようで遠い存在だったフェルナンド様が私を見ていてくれた。恋愛対象として好意を持ってくれたという事実が信じられません。
「私、もっと頑張ります。フェルナンド様に相応しい淑女になれるように」
「頑張る? そんなに力まなくても、シルヴィアは私には勿体ないくらいの女性だ」
「でも、頑張りたいんです。お慕いしている男性のために。それが私の幸せです」
棚からぼた餅と言ってしまえばそのとおりかもしれません。
ほとんどお姉様の思いつきのせいで結ばれることとなった私とフェルナンド様。
だからこそ、今のこの気持ちを大切にしたい。大切にするというのは、彼の隣にいても恥ずかしくない女性になるということで……。
私は今よりもずっと大人にならなくてはならないと実感しているのです。
「そうやって素直に気持ちを口にされると少し照れるな。だが、嬉しいよ」
「何だか私も恥ずかしくなってしまいました」
何だかお互いに照れくさくなって、もう一度景色に目を向けました。
星空はそんな私たちを静かに見守り、その淡い輝きは応援してくれているようにも見えます。
「シルヴィア、もうちょっと近くにくるかい?」
「あ、はい。それでは遠慮なく……」
心の距離が確かに縮まったのを感じて、私はフェルナンド様に言われるがままに寄添おうとしました――。
「「――っ!?」」
「今度こそ余のもとに来てもらうぞシルヴィア!」
王宮の屋上に現れた黒い影。その姿には見覚えがあります。
妖者の王イムロス。長い黒髪をなびかせて、月の淡い光に照らされる彼は妖しい美しさがありました……。




