63.突然の来訪
「はぁ、疲れてしまいました」
私は部屋に戻るとそのままベッドの上に仰向けになりました。
疲労感がドッと押し寄せて、身体が重く感じられたからです。
こんな状況、ちょっと前まで想像もしていませんでした。
「私のこの力。単純にお姉様のものを大事に使いたかっただけなんですけど、どうしてこんなことに」
時を巻き戻して全てを元通りに「なおす」魔法、再生魔法。
この魔法が使えるようになったがゆえに、大陸中の国々から目をつけられるようになったと聞いて、私は戦慄しました。
そんなつもりはなかったのです。誰かに認められたいから覚えたわけではなかったのです。
「こんなことになるのでしたら、覚えないほうが良かったのでしょうか……」
『ノーマン家の魔術師たる者、誰かを助けるために魔法を使うべし』
魔術師は力なき者を救うためにその力を行使せよという、我が家の家訓。
お父様もお祖父様も誰かの役に立つために魔法を使っており、特に国家に多大なる貢献をしてきました。
そして私やお姉様もそうするように、と教えを受けています。
「私、誰かの役に立っているのでしょうか? 再生魔法は誰かのために使うことができていますよね……」
今まで、お姉様の捨てたものを直すくらいしか使い道がなかった再生魔法ですが、ここに来て人の役に立つことができました。
そういえば、お祖父様の直せなかった宝剣も直しましたっけ。中々、魔法を受け付けなかったので強引に直したのですが……。
「そういえば、あのティルミナやニックの狙いは宝剣でしたね」
宝剣には大いなる力が秘められているらしく、ティルミナがニックを仲間に引き入れたのはそれを直させることでした。
結局、大いなる力とは何なのでしょうか……。
「ニックやティルミナは宝剣で力を手に入れて、やはり国をめちゃくちゃにしたかったのでしょうね。でも、それを焦っていたのには何か理由でもあるのでしょうか?」
「知りたいか?」
「誰っ――!?」
私が何者かのセリフを聞き返したとき、窓ガラスが割れて突風が部屋の中で吹き荒れました。
な、なんでしょう。一体、何が起こっているのでしょうか?
あまりにも強い風に吹き飛ばされそうになるも、私は何とか踏みとどまってその風の正体を見極めようと目を凝らします。
「ようやく会えたな。シルヴィア・ノーマン」
月明かりに照らされた、長い黒髪、褐色の肌色、そしてどこか上品で整った顔立ち。
翠玉のような瞳の輝きは強く、まるであれは――。
「人……? いいえ、それよりも野生の獣……。それにこの気配は、あのティルミナに似ています」
そう獣、夜行性の動物を彷彿とさせるような輝きでした。
そして、何よりもこの魔力には覚えがあります。
「ほう、妖者の気配を感じ取ったか」
「妖者!?」
男は低い声で妖者だと自称します。
ティルミナに似た得体の知れないこの魔力、彼は彼女と同じく妖者みたいです。
よく見ると宙に浮いています。ここは三階だったので、どうやって窓から入ったのか不思議でしたが、その理由がはっきりしました。
「そのとおりだ。シルヴィア・ノーマン、あなたにはずっと会いたいと思っていた」
「会いたいと思って……? い、いつの間に!?」
男は音もなく私に近付くとマジマジと目を見つめます。
鋭い眼光……、でも宝石みたいな美しさがある。一縷の曇りもないその輝きに私は一瞬だけ思考が停止しました。
「シルヴィア・ノーマン、部下たちに監視をさせていたが報告どおり良い魔力を持っている」
「……はっ!? か、監視? あなたですか? 変な人たちに監視をさせていたのは」
いけません。ボーッとしていては。
イザベラお姉様は尾行している人たちがいたと言っていましたが、もしやその指示を出していたのがこの人なのではないでしょうか。
「裏切り者のティルミナを消し、神の力を得るためにこの国に来たが……。思わぬ拾いものが出来そうだ」
「何を言っているのか全然わかりません。質問に答えてください」
ジロジロと無遠慮に私を見る妖者の男。
ティルミナと何らかの関係があるみたいですが、目的は一切読み取れません。
心臓の鼓動が段々と早くなります。今さらながら身の危険を感じたからなのか額から汗が流れてきました。
今まで魔獣すら怖いと思ったことはありません。しかしながら、この人から発せられる異様な雰囲気は本能を揺さぶり、内なる恐怖を引き寄せるようなそんな感覚にさせます。
「余に恐怖するか。シルヴィア、いや桃髪の聖女よ」
「桃髪の聖女? さっきから分からないことばかり……」
「その髪、そしてその魔力、まるであの女の生き写しだ。……そなたは美しいな」
「――っ!?」
今、この人は私の髪にキスしました? 窓ガラスを割って入ってきて、何をするかと思えばこんなことを。
まだフェルナンド様とも手しか繋いだことないのに、すっごく腹が立ちました。
「出ていってもらいますよ!」
気付けば私の心臓の鼓動はいつもどおりに脈を打ち、変な緊張感も消えています。
こんな強引な男性にはこの部屋から退場してもらいましょう。
「風精霊の腕ッ!」
風を操り、ベッドを浮かせてそれを男に向かって放ちます。
きっと空を飛んで逃げるでしょうが、追い払うことができればそれで良しとしましょう。
「なるほど、良い魔法捌きだ。人間にしてはな。余からしてみれば児戯に等しい」
「えっ?」
これはどういうことでしょう? ベッドが急に方向を変えてしまい、割れた窓から外に向かって飛んで行ってしまいまた。
男は腕を組んだまま微動だにしません。
以前に私がお姉様にしてみせた、全く同じ魔法を使っての相殺とも違います。彼は一切魔法の類を使ってはいないのですから。
「どうした? それで終わりかな? そなたの祖父、アーヴァインはもっと強かったぞ」
「お、お祖父様は?」
「まぁ、余としてはそなたを連れ帰るにあたって、あまり抵抗されない方が嬉しいのだが」
この人はお祖父様を知っているだけでなく、戦ったことがあるのでしょうか? そうでなくてはあのような言い回しをするはずがありませんし、そうなのでしょう。
連れ帰ると言われていますが、ここで誘拐なんてされるわけにはいきません。
大怪我をさせては可哀想だと思って先ほどは加減しましたが、今度は――。
「ほう。まだ魔力が上がるのか」
「岩巨人の鉄槌ッ!」
私は大きな岩の腕を出現させて強引にこの部屋から押し出そうとしました。
この魔法は私の最も得意な魔法です。完全再生魔法で回復こそすれ、あのニックにもこの魔法は効きました。
「見事だが、まだ甘い」
「――っ!?」
岩で出来た大きな腕が男の前で停止して動きません。
私の魔力によって自在に動くはずなんですけど、なぜこれ以上前に動かないのでしょう。
「それが限界のようだな」
「うっ……、うう……」
「それでは決着をつけさせてもらうぞ。余にひれ伏せ、シルヴィア・ノーマン。そして、余のモノとなれ」
「わ、私の魔法が!」
バリンという音をたてて砕け散る岩巨人の鉄槌。
どうしてこんなことが? この人は一体、何を……。
「そう悲観するな。そなたが弱いのでない。余が強すぎるのだ。余はティルミナのような半端な妖者とは違う。世界の王となる器だからな」
「はぁ……、岩巨人の鉄槌!」
「ぬぐっ! 無駄な抵抗をするな!」
再びバリンと音をたてて砕け散る岩巨人の鉄槌。
長々と話しているのでスキを突けば何とかなるかもしれないと思ったのですが、やっぱりダメでしたか。
「ですが、ここで捕まるわけにはいきませんから……! 岩巨人の……!」
「いい加減にしろ!」
「あっ!」
また、音もなく妖者の男は私に急接近して腕を掴みます。
しまった! こんなに簡単に捕まるなんて。
どうにかしてこの腕を振り解かないと!
「宝剣の回収もするつもりだったが、思った以上に時間がかかってしまった」
思った以上に時間が? ここに来てこの人は数分くらいしか経っていないのに。
いえ、そんなことよりこの状況を打破――。
「シルヴィアーーーッ!」
「ぬぅっ!」
「フェルナンド様!」
サーベルが男の頬を掠めて、鮮血が舞う。
ああ、良かった。フェルナンド様が助けに来てくれました。
男も面食らったのか、反射的に仰け反って私の手を離します。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます。危ないところでした」
私を庇うように男の前に立ち、フェルナンド様はこちらに声をかけてくれました。
おそらくガラスが割れた音を聞いてこちらに駆けつけて来てくれたものだと思われます。
嬉しい。それに安心します。フェルナンド様の背中を見ていると。
「フェルナンド・マークランド。ノルアーニの辺境伯にして、シルヴィアの婚約者か」
「私のことを知っていてくれて光栄だよ。おっと、君は名乗らなくても良い。私の大切な人に狼藉を働こうとした不届き者、というだけで十分だ」
頬の傷を指でなぞり睨みつける妖者の言葉を受け流し、フェルナンド様はサーベルの切っ先を向けます。
やはり頼もしいです。真剣な顔をする彼は凛々しくて、こんな状況なのに見惚れてしまいました。
「余に向かって狼藉者とは無礼な。だが、名乗るのは次にしておいてやる。自分を殺した相手の名前くらいは知っておきたいだろうからな」
「「――っ!?」」
捨て台詞を吐いたかと思えば、妖者の男は途轍もないスピードで窓から外に出て行ってしまいました。
あんなに暴れていた割にはやけにあっさりと退散しましたね……。
あの人、お祖父様とも因縁があったみたいですが、どうして私を攫おうとなんてしたのでしょう。
何はともあれ、危ないところでした。フェルナンド様が来てくれて本当に助かりました。




