元勇者の子、イクス
「ほら、イクス。挨拶をしなさい」
「は、はい、ママ……ううん、おかあさん」
「ママでもいいんだけどね。ほら、がんばって」
「うん。えと、あの」
「落ち着いて」
「ふう。アストレアの息子、イクス、です」
「イクスはいま何歳かな?」
「えっと……ごさい!」
「「「ほぎゃあああああああ!!!!」」」
佐山家のリビングにまたもや絶叫が響き渡った。暖炉の前には黒髪の美少年が立っていて、八人姉妹はそれを囲むようにしてそれぞれの反応を見せている。
「え、えーっ!? なんなの、この子!?」
「う、うう……! かわいい……! かわいすぎます……!」
「こ、この子ってアストレアさんの子どもなんですか!?」
「そうだよ。間違いなく僕の子さ」
「五歳ということは、つまり」
「うん。君たちの弟ということになるね」
微笑むアストレアに色めきたつ姉妹たち。その周りにも少女たちの姿はあって、クルールに至っては早くもイクスを満面の笑みで抱きしめていた。
「きゅん、きゅーん♪」
「わ、わっ……?」
「はふはふ、すんすん。わうーん♪」
「ルーちゃん、よっぽど嬉しかったんだねえ」
「前々から下の子を欲しがっていたからな」
上の姉ふたりが八女を微笑ましげに見つめている。クルールはイクスにすりすり、ぺろぺろとわんこのようなスキンシップを繰り返し、また頬を舐めてはぶんぶんと尻尾を振りたくっている。
「弟かー。オレは兄貴の方がよかったんだけどさー」
「おや、私は弟も満更ではないと思っているよ」
「う、うん。わたしも弟の方がいい、かも」
「えー? まあ、男兄弟ならどっちでもいいかー」
少し離れた場所では残りの姉妹が雑談をしていた。彼女らにしてみれば家族が増えるのも慣れたことであり、タカヒコという前例もあった分、末子にして長男のイクスは概ね好意的に受け入れられていた。
「わたしはコミエル! 八人姉妹の長女!」
「私は次女のフィーニスだ。そしてその子は八女のクルール」
「え、えと、えと?」
「そんな急には覚えられないよねー?」
「うふふ。お互い、ゆっくり知っていけばいいのです」
幼子たちは温かな空気に包まれている。イクスの周りは至って和やかで、この調子なら兄弟姉妹が仲良くなるのもすぐのように思われた。その一方で貴大はというと、なぜか床に正座させられ、怒れる妻たちから針のような視線を浴びせられているのだった。
「ううう……!」
あまりの怒気に貴大は流れる汗さえ拭えずにいた。自分の身は潔白だ。そう叫ぼうとしても妻たちの殺意がそれを決して許さなかった。
「タカヒロ、一応聞いておいてやるぞ」
「な、何をだ?」
「どこで子作りをしたのかな?」
「どのタイミングであいつを作ったんだよ!」
「最近、何かと出張が続くと思っていましたが」
「うわーん! まさか浮気をしていたなんてー!」
泣き出したカオルがポカポカと貴大を叩き始めた。それに便乗してアルティとルートゥーがつま先で蹴り始め、メリッサとフランソワに至ってはただただ冷たい目で夫のことを見下ろしてきていた。まるで罪が確定したかのような扱いに、貴大が戸惑いと怯えを隠せずにいると、
「……みなさん、落ち着いてください」
「いきなり責めるのなんてよくないよ!」
「お前ら……!」
怒れる妻たちの前にふたりの女性が立ち塞がった。貴大を庇うようにして両手を広げるユミエルとクルミア、その勇姿に貴大はじいんと胸を震わせている。
「お前らは俺を信じてくれるんだな……!」
うなずくふたりに貴大は涙を隠せずにいた。そんな夫に優しい顔を向けてから、穏健派の妻たちは改めて他の妻たちに向き合うのだった。
「……ご主人さまも男なのです」
「ほら、ニンゲンなんて万年発情期みたいなものだし」
「全然信用してねえじゃねーか!!」
さすがの貴大も遺憾とばかりに立ち上がった。いきなり座らされた針のむしろ、それを吹き散らすかのように彼は大声でまくし立てる。
「いいか? 俺はそこまで節操なしじゃ……ないこともないんだけど、世間で言われるほど好色ってわけでもないからな!?」
「まあ……」
「それは知っていますけど……」
「だろ? 見境なしの好色男だの、縁を持ったら孕まされるだの、それこそ風評被害みたいなもんなんだよ!」
貴大は貴大で日頃の鬱憤が溜まっていたのだろう。彼がここぞとばかりに不満を述べると、それを受けた妻たちは途端にしゅんと勢いをなくしていく。その様子を確認した貴大は、ダメ押しとばかりに大きく息を吸い込むと、
「ここではっきり言っておくぞ! 俺はアストレアと寝てないし、あの子も必然的に俺の血なんて引いてないわけで」
「いや、あの子は君の子どもだよ」
「そう! あの子は俺の子どもで……へ?」
貴大の演説はいきなり腰砕けになってしまった。声のした方に視線を向けると、そこでは白衣のエルフが何やら怪しげな道具を操作している。
「え? な、なにそれ?」
呆気に取られつつも尋ねる貴大。周りの妻たちも自然と集まり、一同は揃ってエルゥの前へと詰め寄っていく。
「もしかして、それ……何かしらの鑑定器なのか?」
少し青ざめながら貴大が続けた。その場の全員が見守る中、エルゥはそれに「ああ」と短く返事をすると、
「これは血筋を調べるためのアイテムだね。昨日、何やらごたついていたから研究所に戻って作ってみたんだ」
「エルゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
消えかけた炎にさらなる燃料が投下されてしまった。天才が一夜にして作り上げた機械、それは貴大とイクスの血の繋がりを明確な形で示していた。
「えっ、それってどういう仕組みなんですか?」
「血と魔力の遺伝を外側から測れるように作ってあるんだ。たとえばフウカ君の場合だと、君とタカヒロ君、両方に線が繋がっているね?」
「わたしは! わたしの場合は!?」
「見るまでもないだろう。ほら、コミエル君は両親と線が繋がっている」
液晶画面ならぬ水晶画面に映し出される情報。そこには家系図のようなものが示され、それは子どもと両親、三人のデータを入力することで完全な形へと変わっていくようだ。
コミエルの場合は貴大とユミエルに太いラインが繋がっていた。フィーニスの場合は貴大とルートゥーに繋がりがあり、フウカの場合は貴大とカオルに繋がりがあった。
唯一、アリシアだけは外部からの介入も認められたが――。
それでもラインは実の両親へと繋がっている。それはつまり、この道具は正しく機能するものであって、言い訳のしようもなく貴大とイクスは親子ということになり、
「い、いや、でも! ほんとに覚えがないんだって! アストレアと子作りなんてしたこともないんだって!」
「この期に及んで見苦しい言い訳とはな」
「タカヒロくん、わたしたちには本当のことを話して?」
「だから~~~!」
妻たちの目がまたもや冷たいものへと変わっていく。脱出不可能な疑念の迷宮、それは貴大をどこまでも追い詰めていくかのようだ。
しかし、それでも記憶にないことを認めるわけにはいかなかった。ここでうなずけば試合は終了、ついでに自分の人生も終了すること間違いなしだ。リンチ、いや、ミンチで済めばいい方かもしれない。そんな恐怖に震えながら、貴大は肝心要の相手にすがりつくように問いかけていた。
「なあ、アストレア。お前もなんか言ってくれよ」
「なんかってなに? 僕たちの馴れ初めについてかな?」
「ちげーよ!! ほら、あの子の本当の父親についてだよ!!」
「それならタカヒロ君で間違いはないさ。イクスは僕とタカヒロ君がやることをやって生まれた子どもだよ」
「いや、やることなんてしてねえから」
「したさ。もう忘れたのかな?」
「えっ?」
「ほら、六年ほど前、【淫欲】の悪神をいっしょに倒しに行っただろう?」
「あ、ああ。まあ、そんなこともあったな」
「その帰りに迷宮内で一泊した記憶があるはずだ」
「ある、な。確かに一晩泊まったけど」
「そこで……ピンク色の夢を見なかったかい?」
「ピ、ピンク色の夢?」
「ああ。妙に生々しい淫夢。僕はその時、それは夢だと思ってたんだけど」
「だ、だけど?」
「あれって現実に起きたことだったんだね」
「は!?」
「お互い、悪神の影響がわずかに残っていたみたいだ」
「はああああああああああ!?」
絶叫する貴大。彼の脳裏にはその時の記憶がよみがえっていた。
(た、確かに、おかしな夢を見た覚えはあるけど)
まさかあれが現実に起きた出来事だったとは――。
夢だけど夢じゃなかった。そんな真実に彼は顔面蒼白になってしまった。
「おい、タカヒロ。これはどういうことだよ?」
「い、いや、その」
「子作りはしていない、と、おっしゃっていましたが?」
「あの……!」
気がつくと貴大は壁際まで追い詰められてしまっていた。尻もちをつき、それでも後ずさろうとする彼を怒れる妻たちが囲んでいる。
(ど、どうする? どうするんだ、俺!?)
絶体絶命の包囲網には逃げ場も隙間も存在しない。貴大は両手を突き出すものの、それ以上は何もできずにただ視線をさまよわせている。
(だ、誰かっ! 助けて!)
救いを求めるものの、返ってきたのは死刑囚を見送るような表情ばかり。無実のようで無実ではなかった男は、あわれ、キツイおしおきを受けるように思われたが――。
「ま、まってください!」
「「「!?」」」
「パパを……おとうさんをせめないであげてください!」
「お前……!?」
飛び込んできたのは件の隠し子、イクスだった。彼は小さな両手を精一杯広げると、貴大を庇うようにして女たちの前へと立ちはだかった。
「ぼくもいっしょにあやまります。だから、だから!」
「あああああ、イ、イクスくん!」
「君は悪くないんだよ~!」
いたいけな少年の謝罪にその場の空気は弛緩していった。女たちの怒りはすっかり収まり、逆に彼女らは子どもを気遣う様子さえ見せている。
(た、助かった、のか?)
未だにへたり込んではいるが、貴大は直感的に窮地を脱したのだと悟っていた。イクスを囲んで離れていく女たち、その背中を彼は呆けたように見送っていた。
「やあ、危ないところだったね?」
「アストレア!」
貴大のそばには元勇者の姿があった。相変わらずの飄々とした顔つき、そこには特に罪悪感などは浮かんでいないように見える。
「お前なあ……子どもがいるならもっと早く言えよ」
「ごめんね? ちょっと言い出すタイミングを逃しちゃってさ」
「タイミングの問題かよ。おかげでまあ、隠し子だのなんだの、俺は散々な目に遭ったんだぞ?」
「それは見てたから知ってるけど……」
愚痴る貴大に苦笑するアストレア。元勇者様はなおも軽い調子ではあったが、
「でもね? 僕には僕の事情ってやつがあったんだ」
「事情? 事情ってなんだよ?」
「他の人に子どもを紹介できない理由。そろそろ効果が出てくると思うんだけど」
「ええ……?」
不意に空気が引き締まるのを感じた。釣られて貴大がイクスを見ると、そこには様子のおかしい少女たちの姿があった。
「イクスくんは本当にかわいいねえ」
「どうしてこれほどかわいいのでしょう?」
「わう、わふ、わふ!」
「ふふっ。ルーちゃんもとっても喜んでる」
コミエル、エリザ、クルール、アリシア。以上の四名がイクスを囲み、まるで独占するかのように他の姉妹たちから引き離していた。大人は大人でまだまだ未練があるらしく、少年を褒めたい者、その頭を撫でたい者、そういった女たちが外から手などを伸ばしていた。
「あれって……?」
ただのかわいがりにしては様子が変だ。まるで魅了されたかのように彼女らの顔は浮かれている。
「あれはね、イクスが持って生まれた素質なんだよ」
「素質って言うと、他の子みたいな?」
「そう。アリシアちゃんの分身、それにフウカちゃんの優れた感覚と同じように」
「…………!」
「うちの息子は、どうやら『愛され体質』みたいなんだ!」
「なにいいいいーーーっ!?」
明かされた真実に貴大は叫んだ。アストレアの息子、眉目秀麗な少年イクスはこれまた特殊な能力を持って生まれてきていた。
「愛され体質って、え? 異性にモテるってこと?」
「異性じゃなくてもモテるよ。まあ、確率はグッと下がるけどね」
「効果のオンオフはできないのか?」
「一応、目元を隠せばオフにできるけど」
そう言ってアストレアは息子に目隠しをしたのだが、
「ダメだ。元の造形がいいから、素で息子はモテるみたいだ」
「えええええ!?」
なおもちやほやされるイクスは、生粋のモテ男のようだった。
「うふふ。その布もとってもお似合いですわ♪」
「かっこいいよねー? なんか魔眼封じの布みたい!」
「ぺろぺろ、はむはむ♪」
「ルーちゃんってば、早速自分の匂いをつけてる~」
「うーん。弟かー」
「パルフェはまだ悩んでいるのかい?」
「いや、そうじゃねえけどさー」
「おおかた、どうやって遊ぼうか考えていたのだろう」
「う、うん。たぶん、そうなんだろうね」
「男の子。男の子、かあ」
「やっぱり男の子もいいかもしれない」
「私ももうひとりくらいは子どもが欲しくて」
「叶うならば我も男児を産むのだがなあ」
「ひえっ!」
妻たちに見られて貴大の体が縮み上がった。どうにかしろという無言のプレッシャー、それは先ほどとは違う形で彼のことを追い込んでいく。
「んなこと言われても……ほら、俺は神に制限をかけられてるから」
「ひとりにつき一子だけ、なんだっけ?」
「それはどうにかなりませんの?」
「天界に殴り込むなら我と一族も助力するのだが?」
「物騒な話はやめろ!」
青ざめながら貴大が叫んだ。しかし妻たちはその気になり、自分も男の子が欲しいとばかりにググっと夫に迫ってきている。
「どうやらタカヒロ君は大丈夫みたいだね?」
「えっ?」
「魅了の効果は出ていないように見える。他の面子も、あの調子なら……まあ、許容範囲ってところかな?」
「言ってる場合か!」
どこまでもマイペースな女にツッコミを入れる貴大。その間にも妻たちは包囲網を形成していき、またもや彼は壁際へと追い詰められていく。
(誰か……誰か、助けは!?)
今度は誰もいないようだった。貴大は孤軍奮闘、どうにかこの場を切り抜ける他に道はなかった。
(それでも!)
助けがあればどれほど頼りになったことだろうか。それがどのような存在であれ、場の流れを大きく変えてくれるならもはや出自は問わなかった。
(誰か来てくれーーー!!)
神か悪魔か精霊か。いずれかが現れることを願い、貴大は心の中で必死に叫んだのだが――。
やはりその願いを聞き入れる者はなくて――。
「「「えっ!?」」」
ぽんっ! という音と共にリビングの空中に大きなつぼみが現れた。色合いからしてハスのつぼみのようにも見えるそれは、ふわりふわりと漂って、やがてゆっくりと大きな花弁を開かせていく。
「あう♪」
花の中央にはひとりの少女が横になっていた。いや、あれは少女というよりは乳飲み子だろう。小さな両手がふくふくとかわいらしい赤ちゃんは、まるでシャボン玉のように貴大の方へと近づいていくと、
「うっうー♪」
実に満足そうに彼の腕の中に納まるのだった。
「あう、あうー」
謎の赤ちゃんの声、そして時計の針の音だけが響くリビング。その中にあって、一同の頭に浮かんでいたのは、
(((この子、誰!?)))
やはり、無視はできない大きな疑問の声だった。




