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レベルキャップ解放

 多くの人でにぎわう街だった。


 いつも活気に満ち、人や馬車が行き交う街だった。


 それが今は黒い霧に包まれて、うめき声のひとつも聞こえてこない。道端に転がる女子どもは、わずかに震えるだけで、這って逃げるようなこともしなかった。


 悪神の生み出す霧に触れ、あらゆる生物が等しく【衰弱】したグランフェリアを見て――。


 貴大はギリリと歯噛みをして、悪神に目を向けた。


「わざわざ」


 かすれたような声だった。力強さはない。しかし、強い怒りを感じる。


「わざわざ、こんなところまで来たのかよ」


 自分たちはあの荒野にいたはずだ。それがなぜ、グランフェリアに移動しているのか。自分がいない間に、この悪神は何を考え、行動したのか。


 答えはすぐに思いつけるものだった。


「ええ、試してみたかったんですもの」


 悪神は笑うと、


「新しく得た力を。あなたを食べてつけた能力を」


 顔の高さに右手を上げ、ゆっくりと開き、また閉じる。その動きに合わせ、どす黒い霧が湧き上がっては、狼煙のように空へと昇っていく。


 それがグランフェリアを覆いつくした霧の源だ。すべては悪神から生じ、この王都を蝕んだ。それを隠しもせず、むしろ誇るように見せびらかす悪神を、貴大はより強く、怒りに燃える目でにらみつけた。


「なんでだ?」


「……?」


「なんで、お前はこんなことをしたんだ!」


「どういうことかしら?」


 本気で分からないという顔をする悪神に、貴大は怒りを――いや、苛立ちを叩きつける。


「魔物だからって、平和に暮らすことも出来るだろうが! なんでわざわざ力をつけて、こんなことをしでかすんだよ!」


 例えばルートゥーがそうだ。強大な力を持ちつつも、積極的に人に危害は加えない。老龍やシャドウドラゴンだってそうだ。グランフェリアでの暮らしに馴染み、なんら問題なくこの街に溶け込んでいた。


 あの魔王でさえも、話せば分かる良識的な魔物だという。


 それなのに、悪神はどうだ? 人間を玩び、いたぶり、その中で楽しげに踊っている。


 理解が及ばない相手に、貴大は問いかけずにはいられなかった。しかし、当の悪神は――。


「なぜって……やりたかったから、かしら?」


「なっ……!?」


 小首をかしげ、そうつぶやく悪神。彼女は自分の気持ちを確かめるように何度かうなずくと、笑みを浮かべ、朗々と語り出した。


「もう私は我慢したくないの!」


「したいことをしたい! 生きたいように生きたい!」


「他の世界にも行ってみたいわ」


「美味しいものが食べたい」


「綺麗な景色も見たい」


「素敵な服だって着てみたいの」


「そう、誰よりも自由に生きたい!」


「あらゆる縛りに捕らわれない、自由な命(フリーライフ)でいたい」


「貴方だってそうでしょう?」


「不自由な生活、閉塞感の中で、フリーライフを求めた」


「自由を愛し、自由を標榜し、遂にはチームの名前にした」


「そうでしょう?」


「違うっ!!!!」


 貴大は大声で否定した。否定せずにはいられなかった。


 自分と蓮次と優介が求めたものは、そんなに汚らしいものではない。


 不自由な学生生活の中、せめて心は自由でいようと、フリーライフという名前をつけたのだ。


 その小さな祈りに汚濁をぶちまけ、自分と同じだと言う相手を――貴大は、もう許してはおけなかった。


「もう話は止めだ。お前はぶっ殺す。それでケリだ」


「あら? あらあら?」


「なんて勇ましい!」


「でもぉ……出来るのかしら?」


「その体で? その痩せ細った肉体で?」


 口元を押さえ、くすくすと笑う悪神。


 そうだ。彼女の言う通り、今の貴大は見る影もない。


 悪神が用意した肉体ではない。レベル250の力に満ちた体ではない。


【妖精種の加護】に導かれ、この世界へとやってきた貴大の本当の体(・・・・)は、四年の病床生活により、哀れなほどに衰えていた。


「…………っ!」


「あはぁ……♪」


 22世紀の科学力でも、寝たきりの病人の肉体維持は難しい。

 

 それに加えて、この街に蔓延する【衰弱】の霧だ。これまで立っていたことが精一杯だったようで、貴大は膝をつき、荒い息をし始めた。


「異世界人にも私の力は通じるようね?」


 にこにこと嬉しそうに――本当に嬉しそうに、弱った貴大に話しかける。


「それにその体。魂だけじゃなくてお肉も提供してくれるなんて」


「育てた甲斐があったわ!」


「ここまで待って、本当によかった」


「貴方はなんていい子なの……!」


 ギラギラと光る目で、舌なめずりをする悪神。


 彼女はまた、貴大を喰うつもりだ。喰って新たな力をつけ、また次の獲物を探し始めるだろう。そしていつか地球にもやってきて――貴大の故郷をも喰い尽すはずだ。


 グランフェリアはその前菜扱いだ。このまま放置しておけば、日が暮れる前にこの街は滅ぶ。


 そんなことは――させるわけには、いかなかった。


「いつまでも……」


「……?」


「いつまでも、てめーの好き勝手に出来ると思うな!!」


「……っ!」


 貴大に向かって伸ばされた手。


 それが青い光に阻まれ、引き戻される。


 あれは、先ほどの光と同じものだ。貴大が現われる際、悪神の支配を打ち破ったもの。


 その青い光、貴大の右手の小指に巻かれたものが、より一層輝きを増していく!


「ルートゥー! メリッサ! 力を貸せ!」


「っ! ああ!」


「うんっ!」


「この声が聞こえるやつらもだ! 俺に力を貸してくれ!」


【妖精種の加護】を起点に、貴大が結んだ縁が見えない糸で繋がっていく。


 そこから流れ込んでくるのは、膨大な量の魔素だ。人間の魔素、亜人の魔素、魔物の魔素、それ以外の魔素。すべてが貴大に集まってくる!


「ぐううう……!」


 異世界からやってきた肉体。


 魔素をまったく含んでいない、本当の貴大の体。


 そこに魔素が注ぎ込まれることによって、貴大は急激なレベルアップを果たす。


「ぐうううう、があああ……!!」


 50。100。150。200。


 210。220。230。240。


 そして、250。


 ここまでは知っている。ここまでは慣れている。魔物に変じることもない。ここまでの力は、魂が覚えている。


 だが、まだ足りない。悪神を倒すには、この壁を越える必要がある。


 やり方は悪神が教えてくれた。別々の世界のものを混ぜ合わせる。それでこの世界の決まりから、一歩踏み出した存在になれる。


「アアアアアアッ!!!!」


 もっとだ。もっと、もっと、もっと、もっと――!


【警告! エラーが発生しました】


 渦巻く力の中、頭の中に鳴り響く警鐘。


 この世を管理する神か、あるいはその配下のものか。機械的な女の声は、貴大に警告を呼びかける。


【安全性を保証出来ません。ただちに違法行為を止め――】


 だが、貴大は止まれない。悪神を倒すまでは、引き下がることは出来ない。


 だからこそ、力を求め、求め、求め――!




『……ご主人さま』


『……頑張ってください』


『……無事のお帰りを、お待ちしております』




「――――――――――ッ!!!!」


 その瞬間、青い光がほとばしり、黒く染まった街を照らした。


 それは突風を伴い周囲の霧を一掃し、文字通りの風穴を開けた。


 ぽっかりと空いた空からは、柔らかな日差しが降り注ぎ、明るく大通りを照らす。


 そしてその中心に立っていたのは――。


「…………」


 レベル251。


 わずかな差ではあるが、確かに、この世の理を超越した存在。


 新たな力を手にした貴大が、再び、悪神と対峙していた。


「【ミラージュ・エッジ】」


 貴大はそうつぶやき、右手を振る。


 それだけでナイフが具現化・・・し、彼の手の内に握られる。


 明らかに以前の彼とは違う。その存在感、伝わってくる異質な力に、悪神はゾクゾクと背筋を震わせた。


「なんて……!」


 嫌々とむずがるように、両手で頭をわしずかみにし、涙をこぼす悪神。


 彼女は泣き笑いのような表情を見せたかと思うと、


「なんていい子なの……!」


 嬉々として、貴大に飛びかかっていった。

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