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わんわんメイド、現る。

 王都グランフェリアの中級区、下級区よりは整然とした区画の片隅に、何でも屋〈フリーライフ〉はある。


 大衆食堂、道具屋、パン屋、鍛冶屋などがぽつぽつと軒を構える住宅街の中に、溶け込むように建っている三階建の家屋。『フリーライフ』と刻まれた金属製のプレートが、軒先にひっそりと吊るされているこの店こそ、街の人々に親しまれている何でも屋だ。


 一階の半分、通りに面した側を仕事場にしている何でも屋には、残る住居部分に店主と従業員、そして居候が住んでいる。


「あー、なんか、久しぶりの休みって感じだ」


 一階の居間で、愛用の揺り椅子に揺られてぐったりとしているのは、フリーライフの店主である佐山貴大だ。この日は定休日である土曜日なので、貴大は朝食をとった後、誰にはばかることなくのんびりとしていた。


「……一週間、お疲れさまでした」


 同じく一階、居間に隣接する台所からお茶を運んできたのは、住み込み従業員であるユミエルだ。だらしがない店主とは正反対に、休日でもきっちりとメイド服を着ている小柄な少女は、テーブルにお盆を置いて、主人に無機質な声をかけた。


「ふー、やはり自分の家の風呂はいいな。狭いながらも、存分にくつろげるのがいい」


 階段を下りてきて、タオルで髪をふきふき居間に入ってきたのは、居候であるルートゥーだ。ユミエルに負けず劣らず小さな体を持つ彼女は、こう見えて齢1000年を数えるカオス・ドラゴンである。


 ひょんなことから貴大に惚れて、押しかけるようにこの家で居候を始めた混沌龍は、王者に相応しい傲慢さで、家の中でも自由気ままに振る舞っていた。


「んぐんぐ……ぷはー! あー、風呂上りのお茶が美味い!」


「朝風呂の次は、人様のお茶を横取りかよ。ったく、いい身分だな、おい」


「ん? これはタカヒロのお茶だったか。それはすまなかった」


 髪と同じく、漆黒の色をしているドラゴンの翼としっぽをしゅんとへたらせて、ルートゥーは珍しくしおらしい態度を見せる。


「だが、安心しろ。まだお茶は残っているぞ。どれ、詫び代わりに、我が手ずから飲ませてやろう。んー」


「唇を突き出すな! ええい、目を閉じるな!」


 細かいことを気にしないルートゥーの反省は、長く続くはずもなかった。


 まだほかほかと湯気を立てているワンピース姿の竜人少女は、冷たいお茶を口に含んで、頬をぷっくりと膨らませて貴大に迫る。


 彼女の頭をごちんと叩き、貴大は揺り椅子から飛び退いて、大きくため息を吐いた。


「あー、もう、せっかくの土曜の朝が。お前はもうちょっと、ユミエルの静かさを見習え」


「この口を塞いでくれれば、自ずと静かになるというのに……」


「やかましい! ほら、いいから、ちゃんと服を着てこい」


「うむ」


 朝風呂から上がったばかりのルートゥーは、下着と見まごうほどの薄着だった。


 水に濡れれば透けてしまいそうな薄い生地は、たっぷりのフリルでかろうじて肌や局部を隠しており、しかし、薄いピンクの色は、かえって少女を扇情的に見せていた。


 貴大やユミエルは見慣れたものだったが、他の者にとってはいささか刺激的過ぎる。貴大の趣味でこういったものを着せていると思われるのも、できれば避けたい。


 来客がある前に貴大はルートゥーを二階へと押し上げて、朝から疲れた顔をしながら、ユミエルがいる居間へと戻ってきた。


「今月はいきなり大事件があったから、土日ぐらいはゆっくりしたいんだけどな」


「……心中、お察しいたします」


 大事件とは、キリングによるフリーライフ襲撃事件と、キリングによる宿場町襲撃事件のことである。


 娘を取られて怒り狂ったキリングが出した被害は大きく、貴大の家の浴室は全壊、宿場町には大きなクレーターができていた。


 どちらにも巻き込まれた貴大は、生きていることが奇跡だと、秘かに冒険者たちからの評価を高めることになったのだが――そのことを知る由もない貴大は、自分の家の風呂と、宿場町のことばかり気にしていた。


「それにしても、キリングのやつ、よくも暴れてくれたよな、まったく。宿場町の人には被害はなかったっていうけど……個人浴場一帯は吹き飛んだんだぜ。俺んちだって、あわや建て替えって危機だった」


「……お風呂場だけで済んで、よかったですね」


「だな。でも、十日もカオルんちの風呂を借りるのは、気が引けたよな」


「……また、お菓子を焼いて、お礼に行きましょうか」


「そうだな。うん、そうしようか」


 キリングの蛮行がよほど腹にすえかねたのか、それとも、愛する自宅風呂を壊されたのがしゃくだったのか、この十日、何度も何度も愚痴を漏らす貴大。


 それを毎回、丁寧に受け止めるユミエルは、メイドの鑑というべきだろうか。それとも、よくできた奥さんといったところか――。


 路地裏で出会い、ともに暮らし始めてもうすぐ二年。積み重ねた月日の数だけ、二人の関係は、深く、強いものになっていた。


 カロン、カローン。


「ん? 誰か来たな。エルゥ辺りか?」


「……私が出ますね」


 来客を告げるベルが鳴り、ユミエルが静かに居間を出ていく。


 小さなメイドの背中を見送った貴大は、うんと伸びをして、また気だるげに揺り椅子に体を預けた。


「今日は、この椅子は渡さねえぞ。絶対、絶対、渡さねえからな」


 融合でもするかのように、これでもかと深く揺り椅子に腰かける貴大。彼が愛用するこの椅子は、黒髪のエルフ、エルゥのお気に入りの椅子でもあった。


 気がつけば家に入り込み、我が物顔で揺り椅子に座り、勝手にマカロンをふしゃふしゃと食べながら、本を広げて読みふけるエルゥ。


 あの変人エルフは、場所を空ければ、カビのように生えてくる。そう思っている貴大は、断固死守の構えを見せて、悔しそうな顔をするであろう侵入者を拝もうと、居間の入り口に顔を向けた。


 ところが、彼の予想に反して、居間にやってきたのは――。


「こんにちは~! わんわんメイドの登場ですよー!」


「わ、わんっ!」


 メイド服に身を包んだゴルディとクルミア。そして、彼女らを案内してきたユミエルだった。


「……は? わんわんメイド?」


 メイドが三人に増殖した――!


 驚愕的な光景に、思わず貴大は凍りつき、ぽかんと口を開けたままクルミアたちを見た。


「……わぅ」


 にこにこ笑顔のゴルディと、いつも通り無表情なユミエル。


 そして、貴大にじっと見られて、恥ずかしそうにもじもじとし始めるクルミア。


「……は?」


 何度見ても理解できない光景に、貴大はもう一度、疑問の声を漏らした。






 時間は少し遡り、貴大が孤児院の手伝いに来た日の夜のこと。


 クルミアから結婚に関する話題を振られたゴルディは、面白半分、善意半分で、貴大とクルミアをくっつけようと動き始めていた。


「うーん、クルミアはないすばでーだから、裸を見せれば一発だと思うんですけどねー。でも、相手はあのタカヒロさんだからなー。童貞のうえに、変なところで潔癖症ですからねー、あの人」


 夕食を終え、孤児院の面々が部屋でくつろいでいる中、一人食堂に残ってうんうんと考え込んでいるゴルディ。


 彼女が評する『男として見た場合の貴大』は散々なものだったが、これが当たらずとも遠からじといったところだった。


「あのロリセクシーなルートゥーちゃんと一つ屋根の下で暮らしているのに、手を出していないぐらいですもんね。むむむ、よくよく考えてみれば、タカヒロさんは強敵ですよ」


 最近はマシになったとはいえ、一時期は枯れていると噂されたほどの男だ。


 淫魔であるイヴェッタと懇意であるにも関わらず、まだ童貞を捨てていないため、仕方がないことではあるのだが――その堅い守りは、攻める側にとっては何よりも厄介なものだった。


「わぅー……ノリで安請け合いしちゃいましたけど、これってもしかして、ピンチですか? 頼れるお姉さんとしての権威失墜の危機!?」


 そのようなもの、今のゴルディにはほとんどないわけではあるが、クルミアより二歳年上のお姉さんとして、ここで彼女は引き下がるわけにはいかなかった。


「もうこうなったら、タカヒロさんに精力のつくものを食べさせまくって、クルミアと二人きりにさせるとか……!?」


 退却は許されない。さりとて、妙案が浮かんでくるわけでもない。


 進退窮まったゴルディが、いささか強引なことを考え始めたところで――。


「あら、ゴルディ。どうかしたの?」


「院長先生!」


 水を汲みにきたルードスが、頭を抱えたゴルディに優しく声をかけた。


「うわーん! 院長せんせー! 助けてください! 助けてください!」


「あらあら、どうしたの?」


 涙を流してすがりついてくる大きな子どもを、手慣れた様子であやし始めるルードス。


「くぅーん……」


 彼女の慈愛に満ちた手つきに、ゴルディはすぐにとろけてしまい、弛緩し切った甘い声を出した。


「って、違います違います! なでなでしてほしかったわけじゃないんです!」


「そうなの?」


「そうなんです!」


 垂れかかっていたよだれをじゅるりと吸い込み、ゴルディは勢いをつけてぴょんと立ち上がった。


 何をするにも元気いっぱいな孤児院の一員に、ルードスは微笑ましさを感じながらも、彼女と向き合って、まずは話を聞くことにした。


「それで、何を困っているのかしら? 晩ご飯に出たピーマンで、まだお口の中が苦いとか?」


「あー、もう、そうなんですよ。ピーマンとか、あんなの喜んで食べる人の気がしれません。というか、野菜なんて絶滅すればいいのに!」


 ぷんぷんと可愛らしく憤慨して、ぷくーっと頬を膨らませるゴルディ。


 野菜が大嫌いで、お肉が大好きな犬獣人の少女は、なおもルードスに不満を漏らそうとして――。


「って、違います! もー! もー!! まずは私の話を聞いてください! 先手をとらせてください!」


「あら、ごめんなさいね」


 少しばかり余計なことを口にしてしまった自分を戒めて、ルードスは今度こそ口を閉じた。


 彼女の口に、きちんとチャックがかかっていることを確認し、ゴルディは神妙な顔で話し始めた。


「あのですね。晩ご飯の前のことなんですけど、クルミアに結婚についての話を持ちかけられまして」


「結婚!」


「はい。何やら、クルミアには気になる殿方がいるようで……それで、大食いだったらお嫁さんになれないかな? なんて聞いてくるんですよ」


「まあ……気になる人というのは、もしかして」


「そうです。院長先生が頭に浮かべている、その人です」


「やっぱり……」


 始めは落ち着いて椅子に座っていたルードスも、話が進むうちに気分が高揚してきたのか、身をのり出してクルミアの話を聞いていた。


 結婚。あのクルミアが、あの『おちびちゃん』が結婚!


 自身もブライト孤児院で育ち、クルミアを本当に小さなころから知っていたルードスは、クルミアに想い人ができたと聞いて、何やら胸がいっぱいになるようだった。


「クルミアが、結婚ですか」 


「そうなんです、クルミアが恋をしているんです」


 じぃんと胸を震わせているルードスにつられ、ゴルディもハンカチで目元をぬぐった。


 五歳児、六歳児が口にするような『けっこん』ではない。準大人として扱われる歳になり、結婚の意味も、愛や恋といった感情も知ったうえでの『結婚』。


 もしもそれが成就したならば、きっと幸せになれるだろう――そんな結婚を、クルミアが意識している。


「応援しなくちゃ!」


「そうなんです!」


 我が意を得たりとばかりに、ゴルディがパンと両手を叩いた。


 ルードスも俄然、やる気を見せて、女二人は燃え上がった。


「なるほどね。ゴルディはそのことで悩んでいたのね。うんうん、結婚は人生の大事。考えて考えすぎるということはないし、他人のそれは慮ってしかるべきものだわ。えらいわよ、ゴルディ」


「あ、あははー」


 ルードスに頭をなでられたというのに、ゴルディは気まずそうに笑った。


 まさか、クルミアに対する気遣いの半分に、この事態を楽しむ心があるとは言えるはずもなく、調子者のわんこはぎこちなく笑うばかりだった。


「さて、先がどうなるかは分からないけれど、『あの人』となら、幸せな家庭が築けるでしょうね。そのために、仲を深めておくのはいいことよ」


「私もそう思います! でも……そのためのいい案が浮かばなくって」


 しゅんとうなだれるゴルディを優しく見つめ、ルードスは安心させるように大きくうなずいた。


「それで悩んでいたのね。でも、大丈夫。私にいい案があるの」


「さ、流石、院長先生! して、その案とは……?」


「あのね……」


 ゴルディの犬耳をぺらりと片方持ち上げて、そこにごにょごにょと何かを吹き込むルードス。 


 彼女の言葉に、ゴルディは段々と目を輝かせてゆき――。


 そして翌日、二人のわんわんメイドが、貴大の前に姿を見せることになった。


 ……なぜこうなってしまったのか。


 考えてみれば、ルードスは人生経験は豊富であるが、男女の駆け引きとは無縁に生きてきた独身の聖職者である。


 彼女の助言に、果たして従ってよかったのかどうか。それは、これからの貴大とクルミアの生活によって、明らかになることだった。 






未経験者の助言はあてにするなってじっちゃんが言ってた(震え声)


とはいえ、わんわんメイド、なかなか魅力的ではあります。


何がどうしてこうなったのか、これからいったいどうなるのか。次回もお楽しみに!

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