私達は竜退の聖女を撃退しました
状況は悪化している、と申しても過言ではありません。
私とトリルビィ、そして厚手の法衣に身を包んだ神官らしき者で先生とガブリエッラを挟み撃ちにしているものの、退路を塞いでいたルクレツィアが気絶させられています。対峙する彼女達が逃げようと思えばいつでも逃げられてしまうでしょう。
「ガブリエッラ。幾つか尋ねますが、復讐を果たすとは教会に関わる者を殺戮し、建造物や書物を破壊しつくすことですか?」
「は? そんな真似するわけないよ」
あえて歴史書に記されたような混沌、殺戮、そして破壊をもたらす邪竜の魔女そのものだといった風に言葉を浴びせると、ガブリエッラは今にもこちらに飛びかからんとするかのような凄みで睨みつけてきました。
……トビアもそんな表情が出来たのですね。
「僕らが否定するのは教会による神の教えの独占だけだよ。まるで自分達だけの特権だと言わんばかりの横暴が長年行われていたせいで世界は未だに救われてない」
「結局崇高な目的を建前に私利私欲を肥やすのが教会って腐った組織の正体っす」
「教会は自分達の都合の良いようにばかり神の教えを捻じ曲げて堕落しきっている。なら聖女が何の束縛もなく活動出来るよう、邪魔な教会には神に代わって鉄槌を下すべきだ」
「だからあたしは時々ガブリエッラ様に助言をいただいて市民を助けていたってわけですね。不公平な世界への不満の矛先が教会に向くよう誘導を忘れずに、ね」
……成程。神の愛そのものはまだ信じているのですね。貴女らしい。
おそらく魔女だと認定されないよう教会はそこまで重要ではない、教会のやり方はおかしい、などと不信を大衆に抱かせれば十分なのでしょうね。やがて地道な布教は宗教改革につながり、教会から目を背けるようになる未来が見えます。
教会が正義の聖女を派遣したのも教会離れを加速させないためでしょうね。そこで炊き出し等の奉仕活動で好感度を稼ごうとせず上から押さえつけようとする辺りの傲慢さが元凶なのですが、きっと理解出来ないのでしょう。
「けれどどうする? カロリーナが自重しないせいで教会に目を付けられたじゃないか」
「仕方がないっすね。思った以上に手を伸ばさなきゃいけない人が多かったもので。教会のお膝元でこれなんだから、地方はもっと苦しみにあえいでいるでしょうね」
「潮時かな。一旦離れて別の土地に行くべきね」
「あたしは聖都に専念してればいいんっすよ。ガブリエッラ様は知らないでしょうけれど、あたしには密かに連絡を取り合っている同志もいます。世界のどこかで同じように貧富や身分の差とか分け隔てなく人を救っていますから」
ガブリエッラとカロリーナ先生はもはや挟んでいる私達など気にも留めません。この追い込まれた状況を打開すべく相談をしています。聖女候補者と聖女を難なく退けたのですから後は楽勝だと判断するのは頷けますが……詰めが甘い。
「ガブリエッラ。私の妹のトビアを返してください」
「どうして? 僕だってトビアなのに?」
「貴女様がトビアであろうとなかろうと、一旦聖都を離れるつもりですね?」
「……そうね。『姉さん』とはこれでお別れかな」
ガブリエッラは何の感慨もなく、トビアの意思など考えもせず、淡白に言ってのけました。
「トビアももう正義の聖女に見つかっちゃってるからこれ以上逃げようがないでしょう。また教会に捕まって奴隷にされるなんてもう嫌だ」
「トビアには言いましたがそれは私が何とかします。他の聖女を説得して抜け道を……」
「――教会は僕が討伐されてから何も変わっていなかった。それだけでも行動を起こすには十分だ」
「……っ」
ガブリエッラの意志は固く、説得は効果が無いようです。話し合いは終わりだとばかりに彼女は朗らかに笑い、深く頭を下げてきました。まるでこれが今生の別れだと言わんばかりに丁寧に、想いを込めて。
「さようなら『姉さん』。僕は全てを救わなきゃいけないんだ」
「神が言っているからですか?」
思わず口走った言葉は自分でも驚く程に冷たく、しかし憤怒が灼熱の炎のように燃え滾っていました。悲惨な最期を遂げてもなお神の言葉に従って人を救おうとする愚かさも対象ではありましたが……。
「何を勘違いしているのか知りませんが、私にとって神の言葉だの尊い使命などどうでもいいのです」
「……何ですって?」
「貴女が妹の身体を乗っ取り、好き勝手した挙句に自分の色に塗り潰そうとしている。ふざけるな、と言っておきましょう」
私は衝撃的な事実やこの場の雰囲気に圧倒され固まっているトリルビィの背中を思いっきり叩きました。我に返ったトリルビィは背中をさすりながらこちらに抗議の目を向けてきますが、私の瞳はガブリエッラを捉えて離しません。
「トリルビィ。この驕った聖女を懲らしめてやりなさい」
私の命令にトリルビィは初めのうちは驚いた様子でしたが、すぐに気を引き締めてこぶしを握り締めました。そして一歩前に出ると構えを取り、先ほど正義の聖女を下した竜退の聖女と相対します。
「仰せのままに、お嬢様」
ガブリエッラは少し呆れた様子でため息を漏らしましたがすぐに重心を少し下げて応戦する態勢を取りました。しかし背を向けるトリルビィから感じられる緊張と集中はあまり見られず、余裕そうに頬を緩めています。
にじり寄って間合いを詰めるトリルビィをじれったいとでも思ったのか、最初に飛び出したのはガブリエッラでした。彼女はすぐさまトリルビィの懐に飛び込むと、先ほどと同じように相手の顔に向けて拳を突き放ち……、
「えっ!?」
――トリルビィが身体を捻ったために回避されました。
そのまま反撃とばかりに肘をガブリエッラのみぞおち辺りに繰り出すと、飛び込みの勢いも併せて相当なダメージになったらしく、声にもならない悲鳴と共に息と唾のしぶきが口から吐き出されました。
「そんな、馬鹿な!」
この攻防を目の当たりにした先生は信じられないとばかりに大声をあげました。
「あり得ないっすよ! 竜退の聖女は大地を砕き、海を割り、空を切るってまで伝えられる武芸者なのに、ただの侍女相手にやられるわけが……!」
「それは竜退の聖女ガブリエッラの話でしょう」
やれやれ。どうやら先生は下の妹に転生したガブリエッラに当時のままを期待したのでしょうが、残念でしたね。
「竜退とは世界を破滅させる邪竜すら打ち砕く力を与える奇蹟。言わば、活性よりはるか高みにある究極の身体能力向上能力とも言い換えられます」
「だったらなおさらおかしいじゃないっすか!」
「まだ分かりませんか? その効果にトビアの肉体が追い付いてないと言っているんですよ」
「――ッ!!」
そう。いかに前世の知識と経験、そして奇蹟を持ち合わせていようと器が違います。もし物心付いた頃からトビアとして鍛えていれば別だったのでしょうが、聖女にならないよう少年として育てられたのがアダになりましたね。
それなら私の護衛として日々鍛錬を積むトリルビィなら十分に戦えます。さすがに素の能力では厳しかったでしょうから活性の奇蹟を施しました。私の活性の奇蹟は復活に連なっているためコンチェッタほど優れていませんが、どうにかなりそうで安心しました。
「トビアは返していただきますよ、ガブリエッラ」
さて、ここから先は語るまでもありません。
それなりに決闘は続きましたが、やがてガブリエッラの方が地力に勝るトリルビィに付いていけなくなりました。助太刀しようとする先生は私と神官でけん制します。私の実力は護身術が使える程度でしたが、雰囲気に呑まれた先生をひるませるには十分でした。
そして、疲れが見えたのを見逃さなかったトリルビィがとうとうガブリエッラを締め落とすべく組み伏せました。竜退の聖女はなおももがいて抵抗してきますが、トリルビィの固めはびくともしませんでした。
「嫌だぁ! 聖女になんかもうなりたくない! 助けて神様ぁ!」
追い込まれたガブリエッラがあげた悲痛な懇願、慟哭には胸が締め付けられるような思いをしました。太陽が輝かない天に向けて手を伸ばして神に救いを求める姿はまさしく聖女が救わなければいけない迷える子羊そのものだったのです。
「ガブリエッラ……」
思わず呟いたかつての同僚、仲間、友、そして尊敬していた者の名。
しかし私は心を鬼にして寝技をかけられた彼女を見下ろします。
「少しは反省なさい」
ガブリエッラが意識を落としたのはその直後でした。




