私達は増援の正体に驚きました
うつぶせに倒れたルクレツィアの顔を中心として地面に鮮血が広がっていきます。鼻を折ったのか口内を切ったのかは分かりませんが、半端な量ではありませんでした。急いで治療しようと考えたものの、眼前の二人がそれを許してくれそうもありません。
「……全く、だから言ったのに」
「えっ?」
外套と頭巾で姿を隠した子供が発した声に驚いたのは果たして私だったでしょうか、それともトリルビィだったでしょうか。
何故なら、今耳にした声は先ほどまで私達が言葉を交わしていた相手のものだったのですから。
「事が大きくなりすぎてるからしばらく大人しくさせておこうって言ったのに」
「その考えは甘いっすね。自分達こそ唯一の神の代理人だなんて自称する教会に皆さんが疑問を抱き始めたからこそ加速させるべきじゃあないの?」
「おかげでこうして聖女まで登場してくる破目になった」
「いいじゃないっすか。こうしてちょちょいのちょいで撃退出来たんですし」
子供は頭と目元を覆い隠していた頭巾を脱ぎ、こちらへ顔を向けました。トリルビィは驚愕で息を呑みました。私も驚きはしたものの、やはりとの納得と、そうでなければよかったのにとの悲しみにも襲われました。
「まさか、『姉さん』がこの一件に関わっていただなんてね」
彼女、トビアはこれまで見せたことのない冷たい眼差しをこちらに送ってきました。それが私にとってはとても衝撃で……いえ、やはり違和感が拭えませんでした。何故家で寝ている筈の下の妹がこの場に、との疑問はこの仮説が正しければ解消します。
「トビア様、恐れ多くも聖女様に一体何を……!?」
「トリルビィ、そんなのは些事です。捨ておきなさい」
「お嬢様!? ですが……!」
「それより貴女にお聞きしたいことがあるのですが、口にしても構いませんか?」
「どうして僕が野良聖女って聖女達が呼んでいる存在に味方するのか、って?」
「そんなのもどうだっていいです」
おそらくこの場の誰もが聞きたかった質問を私は一刀両断しました。それだって仮説が正しければ自ずと晴れますもの。そこまで深く踏み込んでいいのか、との警戒心も生じましたが、トビアのために覚悟を決めました。
「――貴女は一体誰ですか?」
ですから、単刀直入に核心をぶつけてみました。
トリルビィは混乱するばかりで先生は軽く感心した様子で頷きました。一方、トビアはわずかに目を細めます。
「僕はトビアだよ。見て分かるでしょう?」
「いいえ違います。貴女はトビアであってトビアではない。正確にはトビアに潜んだもう一つの人格、とでも申しましょうか?」
「それじゃあ僕だってトビアだって言えるんじゃないかな?」
「言えませんね。何故なら貴女はトビアやお母様に赤子の頃から語りかけ、トビアが聖女にならないよう仕向けていたのですから」
私の推測はこうです。
まず目の前にいる存在はおそらく私と同じように転生の奇蹟を授かった転生者なのでしょう。それも過去は聖女を務めていた偉大な人物だったに違いありません。それも、聖女という立場に失望し背を向けるようになった体験を経た……。
ただ、マルタのようにキアラと完全に同化しているわけではなく、ベネデッタのようにセラフィナにとって過去の人物だと線引き出来るわけでもなさそうですね。トビアと全く混ざらないまま自我を残し続けた、辺りでしょうか。
「故に、貴女をトビアと呼ぶわけにはいきません」
「何だ、『姉さん』ったらそこまで見破ってたんだ」
「大方トビアの意識が無い、例えば寝ている時にしか貴女は活動出来ないのではありませんか? 肉体の主導権を握っているのはあくまでトビアなのでしょうね」
「それも正解。あは、凄いや『姉さん』」
目の前の者が浮かべた笑いはトビアのような無邪気なものではありません。褒めているようで良く出来ました、と明らかに彼女は私を見下していました。そうさせる程彼女は自分に自信、誇り、または驕りでもあるのでしょう。
しかし、彼女の正体が私の考えている通りなら納得がいきます。それ程彼女は使命感に燃えており、そして他の誰よりも人の救済を願っていました。そして……愛憎反転すれば耐えがたき憎しみと復讐心が煮え滾るのは当然だったのでしょう。
「もう一度問います。貴女は、誰ですか?」
「『姉さん』に言ったって信じられないだろうし、知ったところで何も出来ないよ」
「御託はいいから早く言いなさい」
「はあ、姉さんがそこまで強情だったなんて知らなかったよ」
トビアの姿をした者はわざとらしくため息を漏らすと、堂々たる佇まいでお辞儀をしました。
「人はかつて僕をこう呼んだ。竜退の聖女、と」
竜退の聖女。その単語を聞いた私達は衝撃で打ちのめされました。
何故なら竜退の奇蹟を授かった聖女は長い歴史を紐解いてもただ一人ですから。
「邪竜の魔女ガブリエッラ……」
そう、赤き邪竜を操る大罪者として討伐された最悪の魔女の――。
トリルビィが思わず口にした称号と名前にトビア……いえ、ガブリエッラは怒りをあらわにしましたがすぐに抑えました。彼女は気を逸らすためかしゃがんで今もなお血を流し続けて気絶するルクレツィアの頭をそっと撫でます。
「世迷言を。何故竜退の聖女とやらの意識がトビアに宿っているのですか?」
「さあね。神様がどうお考えなのか僕には計り知れないよ。転生の奇蹟によるものだって勝手に納得したけれど」
「……聖女になりたくなかったのは魔女として処罰された経験にもとづいてですか」
「そう。あれだけ献身的に奉仕活動をした最後がアレだもの。避けたくなるのは当然でしょう?」
彼女はトビアやお母様に対して男装して乗り切るよう囁きました。神託と誤解させる程の説得力があったのか、二人は聞き入れて彼女の希望に沿って成長していきました。やがて聖女拝命の年齢を過ぎたら本来の貴族令嬢に戻れば良い、とか考えていたのでしょう。
ところが、神はそうはさせじと神託の聖女に命じて彼女の真実を暴こうとなさったのでしょう。少女が奇蹟と共に救済の使命を授かったのならそれに殉ずるべき、との思想により、神はまたしても彼女を過酷な宿命に引きずり込もうとしているのです。
「聖女になりたくない、とトビアを洗脳したわりには厄介ごとに首を突っ込むのはお粗末な話ですね。何故野良聖女を手助けしたのですか?」
「『姉さん』に言ったって理解出来ないと思うよ」
「それは実際に聞いてみなければ分かりません」
「そうだね……。『姉さん』は自分が舞台上の役柄でしかなかったらどんな感じ?」
通常なら唐突かつ意味不明な問いかけは、しかし私にだけは理解出来ました。彼女は私が盤上に並べられた駒でしかなく、自分の意志で動いていると思わせて実は何者かが指しているだけだと言いたいのでしょう。
この言い方、おそらくガブリエッラは私がひろいんの引き立て役として破滅する悪役令嬢キアラだと知っているのでしょう。すなわち、彼女もまたこの世界が乙女げーむとして作品化された世界に一度転生している、と推察出来ます。
「安息の聖女はあくまで設定を肉付けするだけの存在でしかなかったんだ。物語が始まる頃には退場する筈だったの」
「……貴女が声をかけてその退場する先生の運命とやらを覆したと?」
「その通り。異端者として手早く断罪されないように、ね」
おそらく、ガブリエッラが先生と接触したのは以前セラフィナに会いに聖都に来た頃でしょうね。魔女について研究していた先生にとってかつて聖女だった記憶を持つ少女は興味深かったことでしょう。
「先生は自称竜退の聖女の生まれ変わりの言葉を信じたのですか?」
「ええ。この方の証言で疑問と矛盾だらけだった偽りだらけの歴史の説明が付いたっすからね」
「先生は人をより多く救いたいから今の教会の方針に従っていませんが、今の話を伺う限りこの者は違います」
「そんなの承知の上っすよキアラさん。ガブリエッラ様の悲願は――」
――復讐、でしょう?
「復讐、そうですか……」
ガブリエッラは自分に魔女としての烙印を押し付けた教会を許していないのですか。
ただ関わりたくなくなった私や神を出し抜く気満々のセラフィナと違って……。




