私達は不意打ちで包囲を崩されました
「はああっ!」
頭巾と外套を脱ぐ隙を見計らったミネルヴァが威勢のいい掛け声と共に野良聖女に飛びかかります。学院では選択授業として近接戦闘も学べますし、戦場にも赴くことのある聖女となるからには多少の護身術は必須ですからね。
「甘いっすよ」
「なっ……!?」
ところが野良聖女……いえ、カロリーナ先生は突き出された杖を身体をひねってから手でいなし、柄を掴んで逆に思いっきり引き寄せました。ミネルヴァは咄嗟のことで杖から手を離せずに前のめりになります。
そして前傾姿勢になったミネルヴァの頬に、カロリーナ先生の手が触れました。
その直後、ミネルヴァはその場に力無く倒れ込んだのです。
「会長!?」
「お嬢様、危険です!」
慌てて駆け寄ろうとした私をトリルビィが制します。彼女はたった一瞬の攻防で訓練された聖女候補者を退けた相手に警戒心を露わにしていました。ルクレツィアや会長の隣にいた神官もミネルヴァの後に続かず、間合いを維持したままです。
今の現象は先日ルクレツィアから受けた説明そのままでした。一体どのようにしてミネルヴァを倒したのでしょう? 頭に強い衝撃を与えてはいませんから技の類では無く明らかに奇蹟に違いありません。
ですが相手の意識を奪うような害を与える奇蹟など無い筈なのに……。
「先生。会長の意識を奪ったんですか?」
「まさか。いきなり襲ってきたからちょっと眠ってもらっただけだって」
いつもの少しおどけて愛嬌のある口調ではない先生からは言い寄れぬ得体の知れなさを感じます。
視線は先生に向けつつも視界の端には横たわるミネルヴァを映します。彼女はただその場で安らかな寝息を立てているように見えました。苦しみや痛みを感じている様子もなさそうですので、催眠にでもかけられたようにしか……。
いえ、確か野良聖女の治療を受けた人達は皆一晩経ったら完治していた、みたいだったではありませんか。普通の治療の奇蹟と異なり寝る、休むことが条件だとしたら、カロリーナ先生の奇蹟は……。
「安息、ですか」
休む奇蹟ではないかと見当を付けました。
どうやら当たっていたらしく、私の言葉を聞いたカロリーナ先生は目を軽く開いて驚きを露わにしました。
「へええ、凄いんだね。あたしの奇蹟を見破ったのはキアラさんが初めてだよ」
「お褒めに預かり恐縮です。ですがその安息の奇蹟も万能ではないようですね」
「そう思った根拠を聞きたいね」
「もし広範囲に行き渡る奇蹟なら既に先生を囲っている私達も夢の世界に旅立っている筈ですから」
おそらく発動条件は相手を休ませること。眩しかったりうるさかったりしたら効きが弱くなるのではないでしょうか? しかし直接触れれば相手が興奮していようと絶大な効果を発揮するようですね。……人を救うには過度ではないかとも思いますが。
しかしこれは厄介です。護身術程度にしか動けない私は先生に触れられないよう動くのは無理。トリルビィに活性の奇蹟を施したとしても果たして通用するのでしょうか? となれば頼りになるのは正義を執行する聖女のルクレツィアですが……。
「安息、成程。確かにいろいろと応用が利きそうな奇蹟ね」
「そりゃどうも。褒めてくれたついでに道を開けてくれると嬉しいんっすけど?」
「そうはいかない。貴女の思い通りにはさせない」
ルクレツィアは深く腰を落とすと勢いよく飛び出しました。その速さはミネルヴァの比ではなく、瞬く間に先生との間合いを詰めてしまいます。当然先生が手を伸ばそうともルクレツィアの杖はそれよりも長くて届きません。
結果、ルクレツィアの杖が先生のお腹にめり込みます。更にそれだけでは勢いが収まらず、先生の体は反動で吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられました。静寂な真夜中で大きな衝撃音が響き渡ります。
「が、は……」
先生は苦しそうにお腹を押さえて跪きました。口からうめき声も漏れてくるので相当痛くて苦しいのでしょう。
ルクレツィアはそんな先生の眼前に容赦なく杖を突き付けます。野良聖女を見下ろす正義の聖女の眼差しは冷たいものでした。
「秩序を乱す者は例え奇蹟を賜っていたって許すわけにはいかない。連行させてもらう」
「ちょ、ちょ……ま……」
ちょっと待って、と言いたいようですが言葉になりません。先生は何とか呼吸を整えて顎を上げ、ルクレツィアを見やりました。追い詰められたはずの先生はしかしその眼が鋭く、諦めた様子はありませんでした。
「一方的っすね。まああたしは戦ったりはしないんで当然の結果ってところかな」
「私に同行してもらえるかな? 正義の聖女の名において便宜は図るから」
「教会に与すれば良し、強情なら異端扱いの後魔女として処罰する、っすか? 教会の下僕になるのはお断りだよ」
「貴女の都合は聞いてない。さあ、一緒に来てもらおうか」
ルクレツィアは先生の腕を乱暴に掴んでその身を引っ張り上げました。直後、先生は往生際悪くもう片方の手でルクレツィアに触れようとしますが――、
「あいた、いたいいたいっ!」
「そんな不意打ちは効かないよ。観念なさい」
そこは聖女の方が一枚上手だったようです。すぐさま先生の後ろに回って腕をひねり上げました。
「き、君はここの人達からあたしを奪うつもりなの!? 教会がその場しのぎの施しを与えるばっかで根本的解決しないままごまかしているじゃないか!」
「そこは私が責任をもって改善します。もう貴女が気にする必要は無いわ」
「ここだけじゃないんっすからね! 教国連合中……いや、神の信仰が及ぶ全ての国々で教会が市民を苦しめているんだから!」
「そうした教会の至らない点は聖女として活動して改めるべきでしょう。いたずらに混乱を招くのは間違っていると思うけれど?」
「そんな内側から改善出来ないぐらい腐りきっているのは君だって分かっているでしょう!?」
「それも反省して改善に繋げればいい。安易に悪い一面ばかり指摘して教会を潰して何になるの?」
論争する先生とルクレツィアですが、あいにく私はどちらの意見にも賛同致しかねます。
ルクレツィアは地道に教会の悪い所を改めればとか思っているんでしょうが、長年私腹を肥やすため、権威を集中させるため神の教えを利用してきた教会は根底から腐っています。腐った大黒柱は変える他ありません。
逆に教会が気に食わないからと喧嘩を売るのも時期尚早ですね。貧民街の住人全てが決起しても容赦なく鎮圧されるのは目に見えています。そうなれば教会に歯向かった見せしめとして凄惨な最期を迎える他ありません。
プロテスタントの始まりのように地道な布教活動で賛同者を得るのが賢いやり方でしょう。先生も教会の方針に従わない聖女こそ正しいなどと余計なことは口走らず、ただひたすら人を救い続けていれば良かったのです。信仰は自然に付いてくるでしょう。
「さあ、もう観念しなさい」
「観念? ふふっ、面白いことを言うんっすねえ聖女さんは」
「何がおかしいの?」
すでに万事休すにまで追い込まれた先生はそれでもなお余裕そうでした。笑い声をあげたのでルクレツィアがやや気分を害して言葉を荒っぽく紡ぎました。それが可笑しかったのか、先生は口角を吊り上げました。
「まさか、教会の連中に取り囲まれた次の日にまたのこのこと一人で出歩くとでも本気に思っていたの?」
「……貧民街の住人をあてにしたって、私の正義の奇蹟ならいくらでも蹴散らせる」
「おお怖い怖い。いざとなったら守るべき人に暴力をふるうのが教会の聖女のやり方っすか」
「神の意志に背く愚者を愛せよとは教えには無い」
えー? 神は最終的にすべての生きとし生ける者を救済するのが教会の教えですのに。異端審問官や枢機卿共はどうしようもないとして、聖女までそんな異端者や異教徒を排除するだなんて言って欲しくありませんね。
と私がルクレツィアの評価を下げている間、先生は先ほどまでルクレツィアが構えをとっていた方向を眺めていました。住宅街のT字路なせいもありこちらから死角になって見えません。私は少し先生へと近寄って改めてそちらを見やりました。
立っていたのは小柄な子供でした。
深く頭巾を被り外套を羽織った彼は少年か少女かも分かりません。ただ先生とルクレツィアから目を離しません。
「野良聖女は一人じゃない、ってことっすよ」
次の瞬間、子供はルクレツィアに襲い掛かりました。先ほどのルクレツィアの踏み込みにも匹敵する素早さであっという間に近寄ります。
ルクレツィアは咄嗟に取り押さえていた先生を子供に向けて突き出しましたが……、
「えっ!?」
なんと、相手は先生の肩に手を乗せるとそのまま宙返りをしたではありませんか。
そして着地するまでもなく両足をルクレツィアに向けて突き出します。両足蹴り、とでも言いますか。しかし顔面に命中する前に正義の聖女に跳ね除けられて攻撃は失敗に終わります。
子供は着地と同時にルクレツィアの懐に入り込みました。咄嗟に迎撃態勢に入ったルクレツィアは子供の襟首と袖を掴んで投げ飛ばそうとしましたが、その前に子供が飛び上がるように放った上方向へのこぶしは見事にルクレツィアの腹部に突き刺さりました。
あろうことか、ルクレツィアが勢いのあまりに叩きつけられた壁はヒビどころは凹みすら生じさせました。それだけ強い衝撃を受けた聖女は何とか倒れまいと踏ん張りますが、そんな彼女の顎に子供のこぶしがめり込みました。
正義の聖女は魂が抜け落ちたかのようにその場に崩れ落ちたのです。




