私は正義の聖女に縋られました
野良聖女の捜索は失敗に終わり、かえって教会と貧民街の関係を悪化させただけでした。既にいつ貧民街の不満が爆発するか分からない状態に陥っており、登校時も街中に張り詰めた空気が流れていました。
当然学院でもその話題で持ちきりです。教会が本腰を入れて鎮圧に向かうだとか聖都中が我慢出来なくなった浮浪者で溢れ返るとか、様々な憶測が語られます。生徒会長のミネルヴァが参加していたため、余計に拍車がかかったんだと思います。
「……ごめん。やっぱり私には神託通りキアラの力が必要みたい」
「そんな泣き言を今更言われても困ります」
学院の応接室に呼ばれた私を待っていたルクレツィアは数日見ない間に憔悴したように疲れ果てていました。私が入室するなり彼女はまるで私に懇願するかのように頭を下げてきたのです。先手を打たれた私は驚くばかりでした。
「それに神託って何ですか?」
「神は言っていた。キアラを頼れって」
「幻聴ですよきっと」
「けれどキアラだって聞いているんでしょう? 神の声を」
ええ、今もなお神は言っています。全てを救えって。
耳にタコが出来るぐらいでいい加減うんざりです。
どうせならルクレツィアに語り掛けたのと同じ程度に具体的な指示が欲しいのですがね。アレをこうしてその人を救いなさい、みたいな感じにその方法を逐一啓示いただければと思うのは贅沢ですか?
脱線しました。ここで知らず存ぜずで突き放すことは可能なのでしょうが、トビアの件が関わっている以上無碍には出来ません。観念した私は深いため息をつき、真摯にルクレツィアと向き合いました。
「それで、どのように昨晩失敗したのかお聞きしてもよろしいですか?」
「あ、うん。勿論よ。むしろ是非聞いてもらいたい」
正義の聖女から語られた顛末を簡単にまとめると、次に野良聖女が出没するだろう地区を囲うように兵士を配置、複数の予測地点に同時に突入、とうとう野良聖女が奇蹟を施している場面を目撃したんだとか。
ところが、家の主人が兵士達の前に立ち塞がって野良聖女に裏口から逃げろと大声を張り上げたせいで一目散に逃げられたんだそうです。急いで追跡するも街中から妨害に遭って最後は野良聖女の後ろ姿を見失いましたとさ。
「しかし野良聖女が出没するだろう地区は封鎖していたのでは?」
「それが……突破された」
「……そう簡単に言っていただいても反応に困ります」
厳しい訓練を積んだ教国の兵士や神官がそうやすやすと相手を通すとは思えないのですが。それとも私の買いかぶりすぎだったのでしょうか?
「言い訳させてもらうと、不意を突かれたって報告を受けてる」
「本当に言い訳にしか聞こえません。鼠一匹逃さぬよう厳重に包囲していたのではなかったのですか?」
「そう。内側にばっか注意が向いていたせいで外側への警戒が疎かになっちゃってたの」
「話になりません。貧民街で活動する野良聖女に味方する者は大勢いらしたでしょう」
「それが……全身を外套に包んだ小柄な子が寄ってきたと思ったら、瞬きする間に膝から崩れ落ちてたんですって」
つまり、誰一人逃さないよう気を張り詰めていた中で子供が後ろから駆け寄ってきて、追い払う間もなく昏倒させられたと。これだけ聞けば職務怠慢だとしか言えませんが、代行者を自負する教国兵士達の意識が子供だから油断する程低いとは思えません。
「……野良聖女のように強制的に眠らされたのですか? それとも毒か何かで?」
「いえ。見切れないぐらい鮮やかな一撃をもらって」
にわかには信じられません。いかに街中での作戦行動とはいえそれなりの武装はしていたことでしょう。大金槌のようなもので思いっきり殴りつけたならまだしも子供みたいな者が素手で意識を刈り取っただなんて。
しかし嘘の報告をされているとも思えません。現実離れしていても……いえ、現実離れしているからこそ真実なのでしょうね。小さな巨人が包囲網に穴を開けたせいで野良聖女に逃げられた、と。
とは言え、噂が広がってもなお聖都で活動する野良聖女が今更地方へと逃亡するとは思えません。何らかの理由があって留まっているのなら教会の捜査を掻い潜ってでも恵まれぬ者達を救い続けることでしょう。
「では昨日の失敗を教訓に改めて捜索すればよろしいではありませんか」
「いえ、それなんだけれど、強硬手段に打って出たせいで住民からは俺達の聖女を奪うのかーみたいな反感を買っちゃってさ。貧民街の至る所で抗議の声が上がっちゃってるの」
「今朝の張り詰めた雰囲気はそのせいでしたか」
当然でしょうね。むしろ暴動が起こっていないだけ冷静さが保たれているのではないでしょうか。膨らみきった風船玉と同じで、これ以上刺激を与えれば爆発しかねません。次に大勢を動員した捜索は難しいでしょう。
案の定ルクレツィアもこの一触即発な状況に困っているらしく、こちらへと頭を下げてきました。
「だから、私よりも精度良く神の声を聞けるキアラの助けが必要なのよ」
困った時の神頼み、とは前のわたしが知っている言葉ですが、精度の良し悪しこそあれ奇蹟を授かった者は皆神託を授かっています。聖女が神託に従って選択するのは決して思考の放棄ではない、とだけフォローはしましょう。
「導かれたいのでしたら神託の聖女エレオノーラ様に助力を願っては如何ですか?」
「エレオノーラ様は荒療治に向いてない。それにあの方の神託は人類の救済に向けた最善の選択を神から啓示を受けるだけなの」
「私とてほぼ一方的に使命を授かるだけですが……」
正確には違いますね。こことは別の世界で大学院生だったわたしの人生を挟んだせいか、乙女げーむのように助言を受けることも可能になりましたから。こちらでしたらルクレツィアの助けになるかもしれません。
ともあれ、大体の事情は分かりました。分かりましたが、ルクレツィアに協力するかは別ですね。既に一触即発な事態に陥っていると思われますし、また強引な手段に打って出たら今度こそ暴動が起こるかもしれません。
「昨日の作戦でルクレツィアは聖女としての顔を貧民街の住民に見られたのですか?」
「いや、この前と同じく飲んだくれてた」
「強制捜査に踏み切ってもなお単独行動をしてまで集めなければならない情報があったのですか?」
私は数日前に泥酔した聖女様を思い出す。あの時に神官達に任せず彼女本人が酔いを醒まして追いかけていたらまた違っていたかもしれないのに。もしかして正義の聖女は私が思っていたより頼りないのでは?
「そんな疑いの眼差しを向けないでよ。キアラだって不思議に思っているんでしょう? どうして野良聖女は聖都で活動するのかって」
「ええ。確かに貧民街の方々は贅沢とは無縁、食べるのにも苦労しているようですが、生きてはいけます。言い方は悪いですが、聖女に頼るほどでもありません」
聖都は教会のお膝元だけあって恵まれています。弱者に厳しい、との主張があるかもしれませんが、飢饉や天災を始めとする過酷な環境に苦しむ地方は数多くあります。聖女は教国連合のみならずそうした救いの手を欲する諸国を回っているのです。
「単に人々を救いたいなら聖都よりも優先するべき所は沢山ある。奇蹟で怪我人や病人を治しているのなら野良聖女にだって神託は下りている筈だしね」
「つまり、ルクレツィア様は野良聖女は善意だけで活動しているのではない、と仰りたいのですか?」
「だからキアラと別れてからの数日間で信頼を勝ち取った私はとうとう野良聖女の治療を受けた人から話を聞けたのさ」
そういうのを飲ミュニケーションって言うんですね分かります。
「あそこの教会でも聞いた通り奇蹟の報酬、っていうか対価は夜食だったり粗品だったりで安めだそうね」
「金銭でないなら名声が目的ですか?」
「違った。野良聖女はね、治療の前後でさり気なく患者やその家族と世間話をするんだって。仕事の調子だったり次の安息日の予定だったりで一見一貫性は無いんだけれど……一つ、必ず上る話題があった」
それを聞いた私は嫌な予感がしました。
ここ最近聖都を騒がせている事柄が一か所に収束していく、そんな感じが。
「最近の教会はどうですか、って尋ねるんだそうよ」
「貧民街の方はきっと大半が不満を口にするでしょうね。生活模様が改善されているわけではありませんから」
「自分はそんな救いの手を差し伸べる相手を選ぶ教会を見限ったんだ、と野良聖女は次に語るんですって」
「それを聞いた者達は野良聖女は自分達を救ってくれるって信じるでしょうね」
「そこで止めとばかりにこう洩らす」
――かつても教会の都合で切り捨てられた聖女がいた、と。
人々を救い続けた彼女達に待ち受けていたのは魔女の烙印だった、と。
「……それはつまり」
「そう、察しのとおりよ」
なんと、魔女崇拝が広まっているのは野良聖女のせいだったのです。




