私は降雨の聖女に対抗心を燃やされました
「先生、寝不足ですか?」
「ふえっ?」
学院にて小試験を行っている最中、本来不正を働かないよう生徒達を見張るべき教員であるカロリーナ先生はあろうことか居眠りしていました。腕と足を組んで舟を漕ぐ様子はとても気持ちよさそうでして、口元からよだれすら垂れそうでしたね。
授業の終了を知らせる鐘の音が学院中に響き渡ると先生は身体をびくっとさせて起き上がりました。そして口元をぬぐいつつ教室から眺められる日時計から色々と察し、慌てて答案用紙を回収する様子が滑稽で笑いが起こっていました。
「あまり夜更かししてはいけませんよ。次の日に支障をきたすなんて本末転倒です」
「あー、いつもは昼休み中に昼寝してるんっすけどね。今日は暖かかったものでつい」
「先生ってそんな深夜まで起きてるんですか?」
「やりたい事があってつい、って感じっすか」
私やオフェーリアが訪ねると先生は苦笑しつつ頭を掻きました。いつもマイペースながらも真面目に生徒達と向き合っていた彼女らしからぬ気のゆるみです。心なしかいつもよりも元気が無いようにも見えます。
とは言え、悩みを抱えているようにも見えません。本当につい何かに夢中になってしまっただけなのか、それとも事情があるのか。どのみち職務怠慢を怒られるのは彼女ですしそれ以上踏み込むのは差し控えますか。
「そう言えばさ、例の噂聞いた?」
「魔女崇拝の話だっけ? 貧乏人共が魔女を崇めて苦しみから救ってもらおうとしてるらしいわね」
「魔女を呼び寄せる為に生贄を捧げてるって話よ」
「そうなの? あたしは淫らな行為をしているって聞いたけど?」
「汚らわしいわね。そんな異端者共なんてとっとと捕まえればいいのに」
そう言えばここ最近、魔女について話題に上がることが多くなりました。それだけ聖都中に広まりつつある証なのでしょう。とは言え、大半を貴族階級の子で占める学院においては下々のいかがわしい行いだと侮蔑の対象でしかないようですが。
「それとさ、貧民街地区で野良聖女が出るんですって」
「何それー。その言い方だと聖女様が教会に飼われてるって聞こえるんだけど」
「差別なく怪我や病気で苦しむ人を救っているんですって」
「他の聖女様と何が違うの?」
「教会の決定に従わない点よ。食べる物にも困ってる連中に手を差し伸べたって寄付金は貰えないでしょう?」
「疫病や飢饉で苦しむ村には聖女が派遣されても、お膝元の浮浪者は見て見ぬふりをするって言われてたりするの」
それとよくよく耳を傾ければ野良聖女についても語られていました。私は恥ずかしながらオフェーリアに教わるまでその存在すら知りませんでしたのに。いかに他人や周りに興味が無いかを思い知らされた次第です。
「もうさ、さっさと異端審問官派遣して鎮圧しちゃえばいいのに」
「そうね。騒動とか起こる前に火消しした方がいいかも」
「もういっそ聖都に相応しくないあの汚い連中を追い出したらどうかしらね」
「教会に歯向かうなんて正気かしら?」
中には物騒で過激な発言をする者までいました。平民など替えがいくらでもきく消耗品、とでも考えているのかもしれません。そして彼女達の常識では教会、または貴族である自分達が正義でたてつく者が悪。これが絶対なのでしょう。
「皆さん静粛に。不安に思う気持ちは分かりますが教会が適切に対処いたします。ですので憶測や偏見で語らず、噂に惑わされないように」
食堂では生徒会長のミネルヴァが皆に言い聞かせるまで不穏な空気が漂っていました。それだけ貧民街の者達が一斉に決起して暴動に発展したら、との可能性が頭によぎってしまうのでしょう。
「んじゃあ今日の授業はこれで終わりっすけど学院から連絡があるっす。最近聖都内に物騒な噂が広がっているっすね。なので無用な夜の外出は控えて、奉仕活動もほどほどに日が暮れる前に下校するように」
カロリーナ先生からの連絡事項が告げられて解散となりました。手芸会へと足を運んだ私はトリルビィと共に作業に勤しみます。交わされる雑談の内容はやはり大半が魔女崇拝や野良聖女についてが占めていました。
間もなく下校の時刻になる頃でしょうか、ミネルヴァがやってきて手芸会長のフェリーチャを呼び寄せました。少しの間言葉を交わすと会長は今日の奉仕活動は打ち切りだと一方的に宣言しました。不満を口にする会員は渋々ながら彼女の命令に従います。
「キアラさん。ルクレツィア様のお手伝いをなさっているそうね」
荷物をまとめて部屋から出ようとした時でした。生徒会長が私に声をかけてきたのは。堂々とした佇まいはとても様になっています。それでいて偉そうだと鼻につく感じではありませんので不思議な雰囲気です。
「はい。あの方に頼まれまして微力ながら」
「今日の夜はあの方が主導となって野良聖女を捕らえるべく動きます」
既にルクレツィアが単独で動くようになってから数日が経過しています。おおよそで野良聖女の動きが把握出来たのでしょう。教会の内情を把握しているのはミネルヴァもまた聖女候補者だからと推測出来ます。
「それを何故私に知らせるのですか?」
「エレオノーラ様のみならずルクレツィア様までキアラさんに注目なさっている。それでも貴女は自分を一介の少女だと言い張るの?」
「その件での口論は飽きました。話は平行線だと分かりきっていますしこれ以上は不毛ではありませんか?」
「……っ。いい気にならないで。あの方々にお力添えするのはこのわたくしです。決してキアラさんではないわ」
ああ、成程。あまりに私のことばかりなもので対抗心が芽生えたのですね。尊敬する偉大なる先輩方にもうじき聖女になる自分より意識される者がいるのが気に入らないのでしょう。こちらからすれば現役の聖女達とはいい加減距離を置きたいところですが。
少しばかり敵意を滲ませた彼女に私は微笑を浮かべて会釈します。
「ご安心ください。私はあの方々が思っているような者ではございません。自分の周りが精一杯なこの私に人類救済などとてもとても」
「……っ。キアラさんはエレオノーラ様の神託が間違っているって言うの?」
うわ、面倒くさい。思わずそう言いかけましたが何とか口を噤めました。
どう言い訳しても満足しそうになかったので沈黙を回答とします。
「……まあいいわ。さっきフェリーチャに頼んで皆さんに帰ってもらったのはそういうことですから」
「察するに会長も動員されるのですか?」
「ええ、光栄にも誘っていただけたので」
「失礼ながら、会長が授かっている奇蹟は天の恵みたる降雨だとお聞きしています。ルクレツィア様の正義と異なり荒事には向いてないと思われますが」
「余計なお世話です。確かに最も秀でているのは降雨ですけど、あのお方の足手まといにならない奇蹟だって神より与えられていますから」
そう自信満々におっしゃるミネルヴァを止める義務も義理も無かった私はそれ以上何も言いませんでした。ルクレツィアが判断して加わっているのでしょうし、正義の聖女が指揮を執っているのですから不測の事態に陥っても大丈夫でしょう。
その日の下校はいつものとおりチェーザレ達と一緒に帰りました。学院中魔女崇拝だの野良聖女だのでもううんざりだったので全く別の話題で盛り上がりましたね。
チェーザレ達と別れて帰宅した私達を出迎えたのは使用人達とトビアでした。妹達が加わってここも賑やかになったものです。下手に教会の者に見つからないようトビアには外出を控えてもらっているのは心苦しく思います。
授業の課題と予習を済ませた私は早々と眠りに付くことにします。入浴を済ませた頃にはトビアも就寝していました。私が寝具に入ったのを見届けたトリルビィが最後に戸締りを確認して寝るそうです。
「お嬢様。教会より正式な返事が参りました。次の安息日にこちらにいらっしゃるそうです」
「そう、ではルクレツィアに予定を合わせてもらいましょう」
エレオノーラにはこちらから文を出しました。トビアがこちらにやってきたので聖女適性検査を改めて受けたい、と。いつ姿を見せたかは明記していませんので審判の奇蹟にも嘘だと引っかかりませんよ。
「ではお休みなさい」
「はい、お休みなさいませ」
私の家は貧民街から離れていますので夜間に何が起ころうと分かりません。気にはなりましたが明日には分かるでしょうと考えを打ち切った私は早々と夢の世界へと旅立ったのでした。
……そう楽観視していた私は次の日、現実を突き付けられたのでした。
「貧民街の住人の反感を買った挙句に野良聖女に逃げられた、ですか?」
失敗に終わったとの結果によって。




