私は正義の聖女を連れて帰りました
「は? 野良聖女に逃げられた?」
「面目次第も無い……」
次の日の早朝、私は朝食を取りながら肩を落としてうなだれるルクレツィアと向き合っていました。
野良聖女らしき者とすれ違った後、正義の聖女は今日のところは解散しようと言い出しましたが、泥酔しかけの女性をこのまま見過ごすわけにもいきませんでした。面倒くさいことに奇蹟は施すなと強く言われましたので、仕方なく家に招いた次第です。
ええ、それはもうトリルビィから酷くお叱りを受けましたよ。当たり前ですよね。私だってこんな夜も更けてからの帰りになるなんて思ってもいませんでしたから。下手な弁明はせずに私は素直に深く頭を下げて反省の意を表す他ありませんでした。
既にこの段階では後の祭りでしたが、ルクレツィアの願いを無視してでも酔いを覚まし、街の中へと消えゆく者を追いかければよかったのです。そんな思い付きを披露しつつ愚痴を漏らしていたら、正義の聖女は大丈夫だと言い張りました。
「神官達に追わせるから。こんなこともあろうかと一人私の護衛に残しておいたのさ」
「わざわざ保険を使わずとも貴女様ご自身で追跡なさればよろしいのでは?」
「嫌だ~この気持ちよさから醒めたくない~」
などと主張しており、聖女がこんな調子で良いのかと嘆くべきか聖女自らが動かずとも異変に対応出来る体制が整っているのだと感心すべきか迷います。
夜が明けて目が覚めると、ルクレツィアはパンとワインを口に運んでいました。さすがに自分に回復の奇蹟を施して二日酔い対策をしたのだとか。パンもワインも日が昇る頃に散歩がてらに市場に出かけて自分で買ってきたんだとか。
そして現在、ルクレツィアから報告を聞いている最中となります。
「いや、途中までは見失わないで後ろを付けてたらしいんだけどね。路地裏の方に曲がっていったから追いかけたんだって」
「そうしたら影も形も見えずに見失ったと?」
「それが違うみたいなのよね。その野良聖女らしき人物が待ち構えていてさ、不意打ちを食らっちゃったらしいの。気が付いたら朝だったんだってさ」
「聖女を守る神官が返り討ちにあったと? 信じ難いのですが……」
聖女は人々の救済を使命としています。多くの者が神の奇蹟の代行者を敬い、歓迎します。しかし裏を返せば教会に反感を持つ者に狙われやすくもあります。聖女とて奇蹟を授かっている以外はただの人。故に神官が聖女に危害が及ばないよう守るのです。
聖女の守護は大変な名誉であり神官が目指す到達点と聞いたことがあります。その分彼らの任務は責任重大です。どんな事態、異変にも対応出来るよう過酷な訓練を受けるんだそうですね。あまりの厳しさに逃げ出したり決して癒えない傷を負う者もいるんだとか。
そんな優秀な方がたった一人に気絶させられたのですから、異常です。
「どのような感じに気を失ったのですか? 頭を殴られて? 薬をかがされて?」
「えっと、不意に懐に潜り込まれてから顔を触られて、そこから意識が無い、だっけ?」
「……何らかの技で気絶させられたわけではなさそうですね」
「ええ。多分、奇蹟でやられたんでしょう」
修道女の証言によれば野良聖女は相手を休ませて癒すんだそうですね。それが奇蹟によるものだとしたら単に休んでいる者が対象といったわけではなく、相手を休ませる効果があるのかもしれません。
つまり、神官は触れられた途端強制的に眠らされた、辺りですか。
「厄介ですね。そのような手段を講じてくるのですから、野良聖女はそういった事態に慣れているものと思われますが」
「ま、その辺りはどうにでもなるわ。人海戦術で追い込めばいいんだし」
ルクレツィアの口ぶりに違和感を覚えた私は思わず眉を顰めました。
既に目の前の皿から朝食は無くなっており、普段でしたらそのまま身支度に移っていたでしょう。会話が続くのを確認したトリルビィが学院の制服を部屋から持ってきました。私は部屋着を脱いで制服に袖を通し始めます。
「野良聖女の調査、と伺っていましたが? 一旦捕らえるとも受け取れますが」
「場合によってはそうするしかない。神の奇蹟を授かった者は人類を救済する義務がある。それは絶対だからね」
「だからと教会に属せなどと申すのは飛躍しすぎかと。結局のところ奇蹟を担う者を管理下に置かなければとの義務感に駆られているのでしょう? 人はそれを傲慢と呼び、教会という団体から心を離すのですよ」
「否定はしない。しないけれど、教会に集うのは決して悪いことじゃない」
分かっていますよ、それぐらい。世の中綺麗事だけでは済みません。奇蹟を授かった少女が幸福になれるわけではなく、むしろ権力者のいいように酷使される可能性もあります。教会は少女達を人の欲や罪から保護する役割を担っているのです。
とは言え、結局のところ教会は自分達の意にそぐわずに奉仕を続ける野良聖女を放ってはおけないのでしょう。聖女が直接敬われれば教会など不要になりますからね。ルクレツィアが派遣されるのも野良聖女を懐柔するため。誘いに断れば、きっと……。
「それでルクレツィア様。私は一体どれほど貴女様の手助けすればよろしいのですか?」
「と、言うと?」
「野良聖女を捕縛するつもりならこれ以上手は貸せません。見返りとして不十分だと仰るのでしたらあの話は無かったことにしていただきたく」
トビアの為に片棒を担いでいますがそれはあくまで正体を掴むところまで。そこから踏み込むのは私の望み、信念に反します。ルクレツィアの同席は最善手でしかなく、彼女の考え次第では別の選択肢を選ばざるを得ないでしょう。
そんな私の警戒を安心させるためか、ルクレツィアは朗らかに笑いました。
「大丈夫。私の任務は調査だけだって。野良聖女の正体と動機さえ分かればいい。教会の力を借りずに人々に奉仕し続けるつもりなら協力を申してでもいいぐらいね」
「意外ですね。教会が認めぬ聖女など聖女にあらず、と異端扱いするかと思いましたのに」
「頭の固いエレオノーラ様ならそうしたかもしれないけれどね」
「では、争いをもたらす者だったとしたら?」
ルクレツィアが柔軟なのは分かっています。私のことも見過ごしてくれていますし。教会としては人々から慕われる新たな聖女を何としてでも奇蹟の担い手を引き込みたいでしょうから、ルクレツィアの対応は穏健とも言えます。
しかし現状では救済に励む一方貧民街では教会に対する不信感が広がりつつあります。野良聖女にとって不本意なのか、それとも狙って扇動しているのか。もし後者だとしたら正義の聖女が出る行動は、分かりきっています。
「決まっているじゃない。正義を執行するまでよ」
ルクレツィアの言葉は決意表明にも聞こえました。
「では今日は大勢を動員して大捕物ですか」
「人聞きが悪いって。行方を追うだけさ」
「ルクレツィア様は今日も酒を持参なさって聞き込みをすると?」
「勿論。貧民街は広い。何の手掛かりも無しに片っ端から探ろうとしたら時間と手間ばっかかかっちゃうからね」
「……昨日も思いましたが、私の同行って必要ですか?」
「精度はキアラの方が上だと思ったからだったんだけど、今のところは一緒でなくてもいいかもしれない」
この場には他の使用人達もいたので表現をぼかしていましたが、おそらく彼女は私が聞く神託をあてにしていたのでしょう。女教皇の伝心の奇蹟すら撥ね退ける程ですから。とは言え私に下さる神託は使命の通達の他に注意や助言程度ですけれどね。
「ではしばらくは吉報をお待ちいたします。出番が来た際はまたお呼びかけください」
「ああ、分かった。そうさせてもらうよ」
ルクレツィアは外套を羽織ると後片付けをして一礼、去っていきました。彼女を見送った私は洗顔と歯磨きをしようと踵を返したところ、トビアが聖女の背中を見つめ続けています。どうしてか難しい顔をさせて。
「姉さん。あの人は?」
「正義の聖女ルクレツィア様です。トビアが聖女にならぬよう起死回生の一手を担っていただくつもりです」
そう言えば昨日帰ってきた時にはもうトビアは寝ていましたっけ。そんな夜遅くまでふらつくなんてとトリルビィの怒りを買いましたね。
「野良聖女を捕まえるって言ってたけど、あの人が追ってるの?」
「そのようです。放置しておくには聊か噂が広がりすぎましたから」
「……そうなんだ」
「今日はあの方と付き合わずに済みますから夕食は一緒に取りましょう。どんな事情にせよ折角こうして一緒に暮らしているのですから」
この時、私は既に日常へと気持ちを切り替えていました。ですからどうしてトビアが野良聖女についてを気にかけるのか疑問に思わなかったのです。それが吉と出るか凶と出るかはまさしく神のみぞ知る、でしょうね。




