私達は浮浪者から事情を聴きました
最初は今日は晴れた程度の話から始まり、酒が進んでいくと段々と打ち解けていったのか最近暖かくなって過ごしやすくなった等の生活模様が聞けるようになりました。
「いい飲みっぷりだな姉ちゃん! しかし何も俺達と飲まなくたって良かったんじゃねえか?」
「町は町、村は村。飲む場所が違えばまた違った面白さがある、ってね。それとも何か、貴方は私にお城でお上品にちびちび酒を飲めって?」
「あっははは! 違いねえ! あんな格好つけて酒が楽しめるかっての!」
正義の聖女様は浮浪者達とあおるように酒を飲んでいきます。教会の教えでは禁酒は定められていませんが節度を保つよう促しています。彼女の飲む勢いは普段聖職者が口にする酒の量をはるかに超えていますね。本当は酒が飲みたかっただけでは?
私も後ろで控えているわけにもいかなかったので同席。さすがに未成年の身で飲むわけにもいかないので、彼らの目を盗んで浄化の奇蹟を施します。正直、アルコールが抜けた酒なんて不味いだけで泣けます。
で、飲めば出したくなるのはどうしようもない生理現象で。男性陣は時々中座して少し離れた場所で用を足します。そうやっていたるところで立ちションするから臭いんですよ。もうこの区画一帯が公衆便所かのようです。
「姉ちゃんたちもしたくなったらしに行ってもいいんだぜ」
「何ならオレが飲んでやろうか? がっははは!」
「んじゃあ遠慮なく」
「えっ?」
前世のわたし風に言うなら男性陣の発言は完全に下ネタに分類されます。そこで言われた女性陣が恥じらうのか怒るのか、とにかく反応を楽しみたかったのでしょう。他の浮浪者達もツボに入ったのか笑い声をあげます。
ですがルクレツィアは平然と下品な言葉を受け止めると、本当にすぐ傍の壁めがけて用を足すではありませんか! しかもしゃがみもしません。呆気にとられて危うく持っていたコップを取り落とすところでした。
「ふー、すっきりした。ん? どうしたの、そんな驚いちゃってさ」
「いや、なんつーか。女でも出来たんだなって」
「やり方さえ覚えれば楽だからね。旅の途中でもよおした時に一々衣服を捲ってしゃがんで拭いてたんじゃあ面倒でしょう?」
「そりゃそうだ!」
男性陣には大受けだったようです。私はとてもこの雰囲気に付いていけなかったのでかろうじて苦笑するのが精一杯でした。私は何をやっているんだろう、早く帰りたい、猛烈にこの場をお開きにしてほしいとまで考えてしまいます。
そんな私の内心を読み取ったのか、ルクレツィアは私の肩に手を置いて静かに顔を横に振ります。酔いが回っていて多少緩んでいましたが、その瞳の力強さはまだ鈍っていないようでした。
「ところでさ、最近教会ってどんな感じなの? この近所にも何か壁に落書きしたくなるぐらいご立派な建物がそびえてたけどさ」
「おー、あそこはわりと良くしてくれるぞ。週に一回は様子を聞きに来るし悩みも親身に聞いてくれるしな」
「たまに炊き出しもしてくれるんだ。それが温かくてありがてえんだよな」
「この前は火を起こしてお湯を配ったりしてくれてな。衛生的だか何だか知らねえが、身体を綺麗にするなんてそん時ぐらいしか頭が回らねえからよ」
「へえ、結構献身的なんだ。でもそれってあくまでその場しのぎなんじゃないの?」
「神父さんも俺達が自立出来るよう働き口を斡旋してくれる時もあるんだけどよ、限られてるんだわ」
「結局教会一つが頑張ったところでオレ達は救われねえってことだよな」
いよいよルクレツィアは本題へと踏み込むべく話題を振っていきます。警戒心を完全に解いた浮浪者達は酔っているのもあって本音を洗いざらい喋ってくれました。ルクレツィアも彼らが気分を害さないよう相槌を何度か打ちます。
「でもさ、最近怪我や病気を治しに聖女がやってくるって町では聞いたんだけど、本当なの?」
「おう、本当だよ。聖女様はこんな汚らしいオレ達にも手を差し伸べてくれるんだ」
「オレんトコのおふくろも治してくれてな。しかも治ったら一緒になって喜んでくれたんだよ」
「オレも嫁が引きずってた足を治してもらった! おかげで嫁は二言目には聖女様聖女様って言うようになっちまったよ」
彼らは聖女がいかに素晴らしかったかを熱く語りました。この場にいる方のほとんどが野良聖女の世話になっているのは驚きでした。中には野良聖女を崇拝する者もいるほどで、よほど彼らにとって救いとなっているのかが分かります。
ただ聖女への賛辞はやがて教会への不満へと変わっていきます。いつまで経っても日々を生きるだけで精一杯な彼らの生活環境が改善される気配が無いからでしょう。教会が政治もつかさどる教国ならではの傾向です。
「それにしてもよ、神父さんトコの教会とか聖女様は俺達を気にかけてくれるのによ、教会総本山は一向に改善しようとしないんだぜ」
「はっ、アイツ等はいかに信者から金を巻き上げるかしか考えてねえだろ。オレ達貧乏人なんざ眼中にねえってな」
「心配なのは聖女様だよな。教会に許可をもらわないまま活動してるんだってな」
「まさか俺達の聖女様が方針に従ってねえからって処罰とかされねえよな?」
「罰を受けるだけならまだいいぜ。最悪異端審問官に捕まっちまって……」
浮浪者の一人が親指で首筋を切る仕草をさせました。隣にいた浮浪者は冗談でもそんな事言うなと彼の頭を叩きます。ただこの不安は全員抱いているらしく、重苦しい空気が漂いました。
やはり実感出来る形で恩恵が無いと信仰は離れていくものですね。信じれば救われる、祈れば救われる、と口にするのは簡単ですが、苦境に立たされてもなお神の愛を信じ続け、神よお救いくださいと祈り続けるのはよほどの信仰心が無ければ不可能ですから。
教会ではなく聖女本人に信仰が向く。この状況は過去を思い起こさせます。
「私もその聖女って人に会ってみたいね。いやあ、最近働いてばかりで身体中痛くてさ。少し休むだけで疲れも取れるんだったっけ?」
「へえ、姉ちゃん働いてんのか。何してんだ?」
「それは内緒。昨日やっとの思いで聖都に戻って来たのに休み無しで上から顎でこき使われてさ。やってられないよね」
女教皇が不在な現状、聖女に命令出来る者などいないのでは?との意見は飲み込みます。所詮組織に属している以上はその方針に従わねばなりません。聖女とて例外ではなく、今も滞りなく指令を与えられているのでしょう。
「んじゃあ今日もその聖女様は来てたのかしら?」
「いや、この近くには来なかったみてえだけどな」
「あ、オレ知ってるぞ。今日は向こうの方に行くみたいだとか誰かが言ってたな」
「へえ、聖女様が来るのって昼間? それとも夜?」
「日が沈んだ後の方が多いんじゃね?」
「へえ……」
ルクレツィアは口角を吊り上げると徐に腕を上げ、手をせわしなく動かします。それが手話による合図で、距離を離した位置で聖女を警護していた神官達へ送ったのだと分かるためには少しの時間を要しました。
野良聖女についての話を聞き出せ、かつ行方を掴めたからにはもう彼らに用はありません。ありませんでしたが、ルクレツィアはその場を去ろうとしないどころかなおも酒をコップに注ぎます。しかも次の話題として旅先で遭遇したろくでもない体験を語って。
「野良聖女について聞けたらすぐ離れたんじゃあ怪しまれるでしょう? 配下の者に追わせるから私達はしばらくここで立ち往生さ」
「確かに……」
結局終始盛り上がりっぱなしだった酒の席はその後も結構な時間を要しました。樽に入った酒が尽きていなければ更に伸びていたでしょう。浮浪者の半分近くが焚き木を囲んで眠りに落ち、残りも完全に酔っぱらって理性が飛んでいる様子でした。
「楽しかったぜ姉ちゃん! また気が向いたら奢ってくれや!」
「こちらこそ楽しかったわ。次は機会があればねー」
飲みっぱなしだったルクレツィアのろれつはあまり回らず、足取りはおぼつきません。私が肩を貸してようやく歩ける程度です。こんな聖女の醜態を晒したらきっと大半の信仰者は幻滅するでしょうね。
「治療の奇蹟を施しましょうか? 酔いも醒めますが」
「いや……この気分が高揚する気持ちよさがいいんじゃないか。それをちょっとでも通り過ぎると気持ち悪くなるんだけど」
「絶対に吐かないでくださいね。服が汚れたら洗うのが大変です」
「大丈夫大丈夫、その辺の見極めはちゃんと出来てるからさ」
まさかこの年で酔った大人の相手をする破目になるなんて誰が思いましょう? まさか彼女はこの為に手助けするよう条件を出したのではないでしょうね? だとしたらルクレツィアに助力を乞うたのは失敗だったかもしれません。
女二人を襲ってくる不埒者も現れず、表通りが視界に入ってきた頃でしょうか。狭い脇道から何者かが突然飛び出してきました。普段でしたらすぐさま反応出来たのでしょうが、ルクレツィアを支えた状態では無茶な芸当でした。
衝突。体勢を崩した私は危うく転びかけます。ルクレツィアが大きく後ろに脚を出して踏ん張ってくれたおかげでそうならずに済みました。相手も倒れそうになったようで壁に手を付いています。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫でしたか……?」
「大丈夫です。気になさらずに。こちらこそ不注意でした」
相手は頭巾を深く被っていて表情がうかがい知れません。声からかろうじて女性だと分かる程度でしょうか。慌てながらこちらに深く頭を下げたのでこちらも謝罪します。相手は胸を撫で下ろすとそのまま早歩きで表通りへと抜けていきました。
そんな後姿を見届けたルクレツィアは苦虫を噛み潰したような渋い顔をさせていました。その理由は何となく察しが付きます。既に酒場を始めとする夜のお店も閉店する程の深夜に女性が一人で徘徊するなど危険すぎますものね。
「……キアラ。野良聖女の行方は思ったより早く掴めそうだね」
彼女こそ今聖都を騒がせている野良聖女だったのかもしれません。




