私達は野良聖女を探し始めました
「お待たせ」
「……祭服でも修道服でもないのですね」
「そりゃあね。街を回るのにあんな目立つ格好は出来ないよ」
「お付きの神官はどうしたのですか?」
「変装してもらっているよ。距離を離さないと相手に警戒されてしまうからね」
交渉が成立したので私とルクレツィアは聖都の街、それもセラフィナやトビア達と回った繁華街ではなく裏路地や旧市街地といった少々治安の悪い地区へとやってきました。野良聖女は恵まれない者を救うべく出没するそうですから。
ルクレツィアは聖職者だと見破られない為に地味な服装に着替えています。ただ絶世とまでいかずとも十分美人な分類なので目立つことこの上ないのですがね。身体の線も法衣より現れていますし。行き交う殿方が思わず視線を向けるぐらいです。
「言っておきますが私は自分の身を守れるかも怪しいですよ?」
「その点は大丈夫。私がキアラを守るから」
前世のわたしが痴漢撃退用の護身術を嗜んでいた延長でそこそこは動けますが、屈強な男性に迫られてはとても敵わないでしょう。身体能力を向上させる活性の奇蹟も自分自身に使えませんし。
一方のルクレツィアは正義を執行すべく日々鍛錬を積んでいるんだそうです。コンチェッタの一件で衛兵を率いていた時のように自ら裁きに赴く場合もあるそうで。聖女になれなかったら異端審問官になっていたかも、と彼女は笑いました。
「まずは聞き込みからかな。片っ端から訪ねてみる?」
「それよりもまずこの区画の教会に赴いて事情を伺ってはいかがでしょうか?」
「教会の者が把握しているなら本部に情報が上がってくるんじゃないかな?」
「報告するまでもないと判断しているのかもしれませんよ。野良聖女なんて眉唾物だって捉えられていても不思議ではありません」
「眉に唾を付けるってどんな例えなの?」
「……極東の言い回しで真偽の疑わしいものを意味するんだそうです。悪魔の類に騙されないまじないから来ているんですって」
危ない。これもこの世界の表現ではありませんでしたね。今の私は聖女だった私と大学院生だったわたしの両方が混同しているせいで違和感を覚えなかったもので。セラフィナにもその失点から真実を暴かれましたし、少し気を付けねば。
「それにしてもキアラは平気なんだね」
「平気? 何がですか?」
「ここみたいに清掃とかされていない区画がさ。貴族社会で生まれ育ったご令嬢なんだからもっと嫌がるかと思ってた」
私達が進む貧民街の区画はゴミが散乱し、床は汚れ、建物は崩れかけ、行き交う人々は不潔、異臭も漂わせ、衛生とは無縁でした。あくまで平民に扮している私達はどうしても視線を集めてしまいます。
そんな中ルクレツィアは気にする様子もなく平然と、時には鼻歌をさせながら進んでいます。私も別に始めて来る場所を興味深く眺めながらも平然と聖女の後に付き従います。少し掃除すればいいのに程度には感想を持ちますが、嫌悪感とは無縁でした。
「この程度でしたら地元と似たようなものです。驚く程ではありません」
「へえ、そうなんだ。子供の時とかお忍びで足を向けてみたとか?」
「そんなところです」
ルクレツィアに言われて思い出しました。チェーザレとの出会いはこんな雰囲気をさせた場所ででしたね。コルネリアを救ってほしいと助けを求めた彼は教会に突き放されたんでしたっけ。
あの時の光景は教国連合諸国では珍しくないのでしょう。野良聖女が求められる程に。
「さて、着いたね」
「……この付近では場違いなぐらい立派な建物ですね」
「そりゃあ教会って神の偉大さを知らしめる演出的な意味合いもあるからね」
「それがかえって贅沢だと反感を買っている要因なのでは?」
貧民街の一画にあった教会は市街地に建っていれば少し目立つ程度だったでしょうが、築数十年も経った家々の中にある目の前の教会は場違いにすら思えました。狙い通り特別な雰囲気は出ていますが……妬まれても仕方がないとも納得出来ます。
ルクレツィアはそんな感じに呆れていた私の手を引っ張って教会へと足を踏み入れました。中の聖堂では何人かが祈りを捧げていて、入口の左右には衛兵が配備、奥では神父が教本を音読しているようでした。
正義の聖女はそんな方々には目もくれずに礼拝用の空間を通り抜け、隣接する教会事務所へと向かいました。戸を叩くと中から女性が応対する声が聞こえてきます。ルクレツィアは相手の許可が下りる前に扉を開きました。
「突然に失礼。私は本部からやって来たルクレツィアと言います。こちらは見習いのキアラと申します」
「し、失礼しました。こんな所までご苦労様です」
中にいた修道女は筆を止めて立ち上がるとお辞儀をします。こちらも相手へと頭を下げ
、彼女の自己紹介を聞きました。この教会を任されている神父はやはり先ほど目にした殿方で正しかったようです。
「それで、本日はどういったご用件でしょうか? 定期視察にはまだ早いかと思いますが……」
「この辺りで人々を救っている者がいると噂が広がっていたので調査しています。何か聞いていませんか?」
「……っ」
ルクレツィアはあえて野良聖女との名詞を使いませんでしたが、それでも修道女に何者を指しているか伝わったようです。しかしその反応は私の想像と違い、明らかな動揺が見られました。視線をさまよわせてそわそわして落ち着きません。
「ここに来る皆さんから話は聞いています。聖女が来てくれたってこちらに報告してくださるぐらい大変喜ばれていました」
「病気や怪我を治しているって話ですけれど、具体的にどんな感じに治ったか伺っていますか?」
「えっと……確か少し休んでいるうちに治ったんだそうです」
「休んでいるうちに……?」
修道女が言うには椅子に座って呆けたり昼寝したり、症状が酷い場合は一晩寝ると回復しているんだそうです。そのような変わった処置は治癒や治療の奇蹟ではありませんね。それらは休む過程を挟みませんもの。
「じゃあ風貌はどんな風だったかは?」
「……いえ、あいにくそこまでは」
歯切れが悪い言い方だったので何か隠しているとは察しましたが、ルクレツィアはあえて修道女を問い質そうとはしませんでした。彼女はそれなら聞き込みしてみると口にしてから修道女に応対してくれた礼を述べます。明らかに安堵した様子の彼女を尻目に部屋を後にしました。
「どうして切り上げたのですか?」
「あいにく私は発言の真偽を判断する奇蹟は授かってない。あの様子だと尋問でもしないと白状してくれなさそうだし、あれ以上は時間の無駄さ」
「では神父からも話を聞いてみますか? 丁度朗読を終えたみたいですから」
「んー、あまり進展は無さそうだけれどね」
ルクレツィアの予測通り神父の説明は概ね修道女と被っていました。ただ彼からは隠し事をしているようには感じません。巧妙に隠しているのか修道女のみ事態を把握しているのかは判断が不可能でした。
教会を後にした私達は早速町へ聞き込み……には向かいませんでした。どうしてかルクレツィアは私を連れて繁華街へと戻ったのです。既に日が沈みかけていたので今日は解散かと思いましたが、彼女は酒屋からエール酒の樽を買い込んで再び貧民街に戻ります。
「あの、ルクレツィア?」
「修道女とか神父が匿うのに野良聖女に救われてる人達が喋ってくれるわけないじゃないか。ここは酒ぐらい奢ってあげないと」
「ああ、成程」
酒の席では理性が押し留めている事柄まで喋ってしまいますし。大学院生時代は飲み会とか参加していましたから。一方当たり前ですが聖女時代は酒とは無縁でしたね。いくら酒は液体のパンだと言われていてもあの苦さが慣れなくて嫌でしたので。
夜の貧民街は繁華街と異なり街灯が一つも無いので、やむを得ず夜間に移動する者は概ね松明を手にしていました。高級品の蝋燭やランプは使われていないようです。私達も松明を照明として暗闇の支配する道を進みます。
やがて少し開けた場所まで来ると何人かの浮浪者が焚き木を囲んでいました。ルクレツィアは躊躇なくその中央に酒の入った樽を置き、その上にパンを転がします。あっけにとられる浮浪者の隣に座ったルクレツィアは空のコップを差し出しました。
「なあ兄さん、今日ちょっと誰かと飲みたい気分でさ。これ奢るから一緒にどうかな?」
きっと彼らはまだ若い分類に入る女性からの突然の提案を怪しんだでしょう。しかし残飯ではない目の前のご馳走とお酒に目は釘付け。陥落するまでにそう時間は要りませんでした。
聖女と浮浪者、奇妙な組み合わせは賑やかに乾杯を交わしました。




