私達は今後の方針を話し合いました
さて、聖女を無事やり過ごしたのはいいのですが、問題を先延ばししたに過ぎません。エレオノーラが神託に従ってトビアを聖女にしたい意向はそのままですし。教会が聖女の名のもとに指名手配してしまえばトビアの居場所は失われます。
とりあえず女装……訂正、そもそも女の子だったので不適切でしたね。メイドに扮したトビアを解放しなければ。着替えてくるよう促して少し待つと妹は来た時と同じく少し華奢な少年の姿に戻りました。
「一応念のために聞きますが、これからもトビアと呼んで構いませんか? それともお母様が本当は名付けたかったアリーチェと?」
「……もうどっちでもいいよ。これ以上男らしく振舞ったって意味無いんだし」
「いいえ、重要です。これからどうしたいのかに関わりますから」
「これから……?」
とりあえず夕食をまだ取っていないトビアのために晩餐と致しましょう。私は既に済ませていますから付き合う程度で済ませます。あまり食べる方ではありませんが聖女への応対のせいか小腹が空きましたし。
食卓へ料理が並べられる間にトビアを改めて観察します。可愛らしいと評しましたが女の子なんですからそう見えて当然ですね。ですが二次性徴を迎えたばかりの少年と言われればすんなり納得出来る程度にはまだ中性的と言えるでしょう。
ですが……もう間もなく男子として振る舞うのは厳しくなるでしょう。声変わりは勿論体つきや顔立ちが一変しますから。疑われていなかったら女っぽいだけだと押し通せたでしょうがもはやそれも叶いません。
「聖女の奇蹟は教国において絶対です。聖女が実は女なんだと断言したからにはもはや性別を偽れませんよ。それでもまだ男としてあり続けますか?」
「……。ううん、一生騙し続けるなんて無理だって分かってるよ。せめて学院を卒業する頃まで隠せればいいかなって考えてたし」
「正式に聖女に任命される年を超えれば、ですか。教会を欺いただなんてどれほど重い罪が課せられるか想像もしたくありませんね。異端審問にかけられても文句は言えませんよ」
「その時は……教国から逃げてた」
新天地に移住するのもいいし船乗りや商人のように諸国を行き来するのもいいし、とトビアは幾つか選択肢をあげました。世間知らずの語る絵空事と呆れるのは簡単でしたが、どうしてかまるで実体験したかのように可能だと確信しているようでした。
しかしあくまで一人でもやっていけると主張するばかりで残されたお母様方がどれほど迷惑を被るかを考えていないのは気に入りませんね。まあ今となっては計画も潰されましたし怒るのは不毛なんでしょうがね。
「もう男ではいられません。それを踏まえて男装の麗人としてこのままでいつづけるか、それとも淑女に戻るか。まずはこの二つに一つです」
「……さすがにこれ以上母さん達に迷惑はかけられない。女に戻らなきゃ駄目だ」
よろしい。これ以上お母様を苦しませるような身勝手をし続けるぐらいでしたら今すぐ教会に突き出しても構わないと考えていましたので、そうせずに済んで幸いです。そう口にしてしまったらトビアと喧嘩になりそうなので我慢いたしましょう。
「ではトビア。今日は上手く聖女に退散していただきましたが、これから数年間にも渡って逃げ続けるのは極めて困難です。それこそトビアが先に語ったように教会の手が及ばぬ果てに身を隠すしか、ね」
「それでも僕は聖女になんかなりたくないっ!」
トビアは感情を露わにして立ち上がりました。おかげで食卓に並んだグラスや皿が揺れてしまいます。幸いにも中身が零れるような惨事にはならずに済みましたか。妹もやっと私の非難の眼差しに気づいたようで縮こまりながら席に腰掛けます。
「それでも聖女適性検査には臨むしかありませんよ。それが教国連合で生まれた女の義務だそうですので」
「……結局そうなるんだよなぁ。僕が挑んだら絶対に陽性になっちゃうじゃん」
「だからって男と偽ろうなんて発想は大胆すぎると思いますがね」
「どうにか検査結果をごまかせないかなぁ?」
それは難しいでしょうね。検査の仕組みを知っている私は浄化の奇蹟を悪用して反応が出ないようにしましたが、未だ己の奇蹟に目覚めていないトビアには同じ手口は使えません。私の一件もありましたし検査は不正の余地も無い程厳重に行われるでしょうし。
やはり検査の結果が出ないよう工夫を凝らすのは諦め、立ち会う神官と結託する他ありませんか。聖女が後から何と言おうが一度出た結果を突きつければ引き下がる筈です。エレオノーラは私に再確認を求めてきた? その余地すら与えねばいいんです。
「私に考えがあります。おそらくは乗り切れるかと」
「本当に!?」
「事が済むまでここに滞在しても構いません。ただし、お父様とお母様をこれ以上心配させない為にもすぐに手紙を送ること。いいですね?」
「う、うん。分かった」
私が希望を口にするとトビアは今にも飛び上がる程に大喜びしました。そして慌ててはしたないと恥ずかしそうに顔を紅色に染めます。まずは落ち着くよう食後の果物でも口にするよう促しておきました。
ようやく活路を見いだせたからか、トビアは大人しく私の指示に頷きました。先ほどまでの余裕も無く焦っていた姿は少し影を潜めています。ですがまだ安心しきってはいないのでしょう、私に縋るような視線はあまり変わっていません。
「あの、姉さん。それで……どうやってやり過ごすつもりなの? 僕にはうまい方法が思いつかないんだけれど」
「下手に教えてしまえば聖女の奇蹟に引っかかるので秘密です」
神託に依存しきっているエレオノーラは大したことありませんが審判の聖女フォルトゥナが同行してきたら最後、もうお手上げです。そんな事態に陥らないよう根回しをしなければいけませんね。
妙に自信に満ちている私に一定の信頼を置いているのは何となく感じ取りましたが、それでもトビアは心配そうに私を見つめています。私は少しでも不安が和らぐよう軽く微笑みかけました。
「はい、ではこの話は終わりです。いつまでも引きずっていては気が滅入るだけですからね」
「えっ?」
私は手を鳴らすとトビアは軽く驚きの声をあげました。強制的に打ち切ったのが意外だったのか、それとももっと悩みを聞いてほしかったのか、その想いまでは察せられませんでしたが、何事もメリハリが大事ですからね。
「それよりも私が屋敷を離れてからどう過ごしていたかを聞かせてもらえませんか? 手紙からでは細部まで分かりませんから」
「そんなこと急に言われても、一体何を話せばいいのか……」
「どんな些細な一幕でもいいのですよ。例えば最近向こうの天気はどうだったのか、程度でもね」
「それなら――」
そこからはもう聖女だの運命だのは関係ありません。私達二人、家族の団欒の始まりです。改めて思いましたが、セラフィナともそうでしたが、やはり家族とは素晴らしい存在です。心温まりますし身近に感じます。本当に大切なんです。
だから、望まぬ真似を許すわけにはいきません。聖女になりたくないと妹が願うならそれは私の願いも同然、叶えたいと強く思うのです。
例え奇蹟を授けた神の御心に逆らうんだとしても、間違いなんかではない筈です。
「ところで、女の子としてこれから過ごすと決めたからには見た目を一新しなければいけませんね」
「えっ?」
「社交界用の正装はお母様に任せるとして、普段着は準備しなければいけませんか。あいにく私のは大きさが合わないでしょうから新調する他ありませんか」
「あの、姉さん? 何も今日明日いきなりにしなくたって……」
「駄目です。思い至ったが吉日、決心が鈍らぬよう先延ばしにはしないべきですよ」
私が手を叩くと控えていたトリルビィが何やら抱えてトビアへと向かいます。そして広げられたそれを目の当たりにした妹はあからさまに嫌そうな顔をさせます。ネグリジェにも似た女性用の愛らしい出来の寝間着ですからその反応は当然でしょう。
「滞在する間はここを自分の家だと思ってくれて構いません。ただし女の子らしく振る舞うのが条件ですがね」
「そんな無茶な!」
「何も言葉遣いや物腰まで変えろとは言っていません。ですがこれまでお母様に無理強いをしてきたのですから、その償いを兼ねて今のうちから慣れておくべきでしょう」
「……っ」
妹の非難の声はお母様の名を出して黙らせました。とは言いましてもそれはあくまで建前で、トビアが一変するとどうなるかとの単純な興味本位での提案なのですがね。素材はいいですからきっと化けてくれるに違いありません。
「わ、分かった。そうする」
もはや逃げ道は無いと悟ったトビアはがっくりとうなだれました。




